2005/12/31

守屋神社拝奉詞

2005-12-31-土 待つ人の今も來らば如何せむ踏まゝく惜しき庭の雪哉

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年二回の祭りも終わるもんだ。

菅家文草
http://applepig.idv.tw/kuon/furu/text/waka/kanke/bunsou/bunsou.htm
121 其二,續前詩 本韻。
    賴君清冷肅浮埃 遮莫呵呵甚口猜 耳捉游魚隨手螾 媒投苦李滿懷環
    龍門遞送同時上 鳳韶相分二代裁 更聞高材一官老 孟堅著作兼蘭臺
    鳳韶云云:余與君,貞觀中對策及第。雖有先後,猶是一時。余即為著作郎。至元慶,君又為之。故云二代。
菅原道真菅家文草』巻第一0121

日本霊異記
http://applepig.idv.tw/kuon/furu/text/ryoiki/ryoiki.htm
卅一 女人產生石以之為神而齋縁
 美乃國方縣郡水野鄉楠見村,有一女人.姓縣氏也.年迄于廿有餘歲,不嫁未通,而身懷妊.逕之三年,山部天皇世,桓武朝.延曆元年癸亥春二月下旬,產生二石.方丈五寸,一色青白斑,一色專青.每年增長.有比郡名曰淳見.是郡部內有大神.名曰-伊奈婆.託卜者言:「其產二石,是我子.」因其女家內,立忌籬而齋.往古今來,未都見聞.是亦我聖朝奇異事矣.

卅二 用網漁夫值海中難憑願妙見菩薩得全命縁
 吳原忌寸-名妹丸者,大和國高市郡波多里人也.自幼作網,捕魚為業.延曆二年甲子秋八月十九日之夜,到紀伊國海部郡內於伊波多岐嶋與淡路國之間海,下網捕魚.魚入三舟乘有九人.忽大風吹,破彼三舟,八人溺死.時名妹丸,漂之於海,至心歸於妙見菩薩,發願而言:「濟助我命,量乎我身,作妙見像.」漂海拒波,疲力惑心,如寐如覺.皎天覺睠,身在彼部內蚊田浦濱之草上焉.唯所濟,量於己身,作像而敬.鳴呼異哉.遇風破舟,擊波亡人,單唯一在.恕身作像.定知妙見大助,漂者信力也.
下巻、第卅一、第卅二を校了しました。

■おお
http://forum.facepunchstudios.com/showthread.php?t=80514
92式は男のロマンですもの。

■守屋神社
http://blog.livedoor.jp/kusitama/archives/50354620.html
おお、守屋神社ですね。
そういえば↓これがもしかしてこの守屋神社の神拝辞のある神社なのかな...
http://applepig.idv.tw/kuon/furu/text/sinpaisi/haraekotoba03.htm#moriya01
守屋神社拝奉詞もりやノみやしろヲをがミまつルことば
神山かむやま稱辭竟奉たたえことちえまる  守屋神社みりやノみやしろ大前をほまえ 
かしこかしこミモ美毛をかまつりまをす 此處ここ朝日あさひかがや
甚善處成哉天晴貴いとよきところなるかもあはれみことキカモ支加毛 天壊あめつな與無窮むがとこしへナル奈留大岩おほきいは御神體みだましろいは御面みをもあかラニ良尓明坐あかりま
五百枝真賢木立榮いほえまさかきたちさかますごと 御心みこころさかまざ 物部守屋大連ものべノもりやノおおむらじぎみ御霊みだま
神勳霊國照主命かむいなだまくにてるぬしノみこと御名者白みなはまさし 稱辭竟奉たたえことをへまリテ利弖 
皇大御國すめらおほみくに
御道みち祖神をやかみみことあふまつ此神このかみ大御稜威おほみいつさちはたま 大御靈おほみだまさちはたまヒテ比弖
彌益益いやますます大神おほかみ御道みち令榮給さよえしめたまヘト閉登 かしこかしこミモ美毛いのたてまつ


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2005-12-30-金 君が代は白雲掛かる筑波嶺の峰の続きの海となるまで

[]新年イラストを描いた。 新年イラストを描いた。を含むブックマーク 新年イラストを描いた。のブックマークコメント 編集CommentsAdd Star

風雨来記の時坂樹...のつもりでしたが、大失敗。
恥ずかしいながら、それでも正月から発送予定です。



あと、今日は以前の日本語先生に誘って訳判らんWEB QUIZを参加して、
なんかお題は「三日二泊の東京旅行の計画提出(参考資料は日本語だけに限ります。)」であった。
いや、京都出雲なら興味があるが、さすが東京はあまり興味が無いんですよ。
しかも取点は参加者を互いに他人が提出したプロジェクトを評定するように殊更訳判らん...
私とパートナーはやる気を出さなくて、イロモノ東京旅行でもやろうかと冗談物を出る事にします。
私がやったのは、第一日の怨霊ツアー(将門首塚天満天神*1)と第三日の国会図書館ツアー
パートナーがやったのは秋葉原ソフトマップ買物とメイド喫茶ツアー
どんでもないイロモノ旅行企画を出で後、私の番では一応冗談気分で解説しました。
って...なんでこんな物は一位を取ったことはこれ以上の無い訳判らん*2..._| ̄|○
こんな訳判らんの連続、なんとか2000円(MGガンプラ二つを買えるくらい。)の賞金を貰いました。
ちょっとも納得できないからこの賞金が自分で使う気が全然ならない...
サークルの友人にあげようか...新年の外出用料として...

菅家文草
http://applepig.idv.tw/kuon/furu/text/waka/kanke/bunsou/bunsou.htm
121 其二,續前詩 本韻。
    賴君清冷肅浮埃 遮莫呵呵甚口猜 耳捉游魚隨手螾 媒投苦李滿懷環
    龍門遞送同時上 鳳韶相分二代裁 更聞高材一官老 孟堅著作兼蘭臺
    鳳韶云云:余與君,貞觀中對策及第。雖有先後,猶是一時。余即為著作郎。至元慶,君又為之。故云二代。
菅原道真菅家文草』巻第一0120

日本霊異記
http://applepig.idv.tw/kuon/furu/text/ryoiki/ryoiki.htm
廿九 村童戲剋木佛像愚夫斫破以現得惡死報縁
 紀伊國海部郡仁嗜之濱中村,有一愚癡夫.姓名未詳也.自性愚癡,不知因果.海部與安諦通而往還山,有山道.號曰-玉坂也.從濱中,指正南而踰,到乎秦里.當里小子,入山拾薪,其山道側戲遊.木剋以為佛像,累石為塔,以戲剋佛而居石寺,時時戲遊.白壁天皇之世,彼愚夫,咲戲剋佛,以斧殺破棄之.而去之不遠,舉身躄地.從口鼻流血,兩目拔,如夢忽死.諒知,護法非無,何不恭敬.如法華經說:「若童子戲木及筆,或以指爪甲,而畫作佛像,皆成佛道.復舉一手,小低頭,以此供養佛像,成無上道.」是以慎信矣.

三十 沙門積功作佛像臨命終時示異表縁
  老僧觀規者,俗姓-三間名干岐也.紀伊國名草郡人也.自性天年雕巧為宗.有智得業,並統眾才.著俗營農,畜養妻子.先祖造寺,有名草郡能應村.名曰-彌勒寺,字曰-能應寺也.觀規聖武天皇之代,發願雕造尺迦丈六並脅士,以白壁天皇世寶龜十年己未,奉造既畢.居能應寺之金堂,以設會供養.又發願,雕造十一面觀音菩薩木像高十尺許,半造未畢.小緣歷年之,老耄力弱.不得自雕.爰老僧年八十有餘歲之時,長岡宮御宇大八嶋國山部天皇代,桓武朝.延曆元年癸亥春二月十一日,臥于能應寺而命終焉.逕之二日,更甦還之.召弟子明規言:「我忘一語,不得念忍.故還來也.」即令立床敷席備食.於是,請智武藏村主多利丸,居床饗食,對面共食,既畢之,即從坐起,引率明規並諸親屬,長跪禮於多利丸言:「觀規少分,盡命不畢觀音像,而忽率罷.今幸逢嘉時,盍申所思.伏願蒙尊芳慈,欲畢聖像.寸心之願,僅當所望,故後生大福,被於觀規,現報功德,蒙於尊主.不勝至誠,更參還來,奉無禮狀.悚慄謹白.」爰多利麿及以明規等,悲哭涕淚而答曰:「請語狀,我必奉畢.」沙門聞之,起拜歡喜.又逕二日,至同月十五日,召明規言:「今日當佛涅槃日,余亦命終.」明規將告,見慈儀,不勝愛之至,詐言而白:「未及彼日.」師乞曆見之言:「今當十五日.何我子虛言未及也.」乞湯洗身,易著袈裟,胡跪合掌,擎持香爐,燒香向西,便日申時,命終之矣.既而佛師多利麿,受遺言,造彼十一面觀音像,因關白供養已訖.今居能應寺之塔本也矣.
 贊曰:「嗟呼慶哉,三間名干岐之氏大德.內密聖心,外現凡形.著俗觸色,不染戒珠,臨沒向西,走神示異.」誠知,是聖非凡矣.
下巻、第廿九、第三十を校了しました。

イザイホー
159斎場御嶽(せーふぁうたき)・久高(くだか)島・イザイホー・園比屋武御嶽(そのひゃんうたき)
 琉球で最高の聖地とされる斎場御嶽(せーふぁうたき)は、沖縄本島南部の知念半島の南側、知念(ちねん)村の巨石によって周囲から隔絶した太平洋に面する清浄な場所にあります。斎場御嶽から見通される東の海上に昔琉球の創造神であるアマミキヨが降臨したと伝える久高(くだか)島があり、12年毎にイザイホーと呼ばれる神女昇格のための秘密の祭事が行われていましたが、昭和53(1978)年を最後に神女昇格の資格者が不在のため行われなくなりました。
 なお、那覇市首里城の近くには首里城守護神を祀る園比屋武御嶽(そのひゃんうたき)があり、琉球王が外出するときは必ずその前に礼拝を欠かさなかったと伝えます。
 この「せーふぁ」、「うたき」、「くだか」、「イザイホー」、「そのひゃん」は、
  「ウ・タキ」、U-TAKI(u=be fixed,reach its limit;taki=take out of the way,track,bring along,recite)、「(俗界を)離れて・行き着いた(場所。聖地)」
  「テイ・フア」、TEI-HUA(tei,teitei=high,tall,summit;hua=section of land,screen from wind,raise with a lever)、「至高の・周囲を囲った場所(聖地)」
  「ク・タカ」、KU-TAKA(ku=silent;taka=fall off,fall away,heap)、「(昔創造神アマミキヨが)降臨した・静寂な(島)」
  「イ・タイホウ」、I-TAIHOU(i=from,beside,beyond;taihou=stranger)、「部外者を・脱する(神女の資格を持たない部外者に・神女の資格を与える。儀式)」
  「トノ・ヒア(ン)ガ」、TONO-HIANGA(tono=bid,command,drive away by means of a charm;hianga=act of raising,vicious,deception)、「(国王の外出に際して)最高のお祓いを・要求された(神を祀る場所。聖地)」(「ヒア(ン)ガ」のNG音がN音に変化して「ヒアナ」から「ヒヤン」となった)
転訛と解します。


*1:しかも秋葉原近い!第二日の秋葉原ツアーの敵情探察でも...
*2秋葉原ツアーは兎も角、私の怨霊ツアーが普通人なら引くだと自慢していたのに
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2005-12-29-木 思ふ事なくて過ぎぬる世中に遂に心を留めつるかな

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イザイホウ
http://www.tabiken.com/history/doc/A/A347C100.HTM
http://homepage3.nifty.com/okinawakyoukai/kaiga/kaiga15.htm
どう翻訳すればいいか全然...

菅家文草
http://applepig.idv.tw/kuon/furu/text/waka/kanke/bunsou/bunsou.htm
120 予作詩情怨之後,再得菅著作長句二篇。解釋予憤,安慰予愁。憤釋愁慰,朗然如醒。予重抒蕪詞,謝其得意 本韻。
    家業年租本課詩 情田欲倦莠言滋 材窺孟立無全性 女妬新來不棄媸
    對客頻逢珠子白 從師殆入薛衣緇 是人若用剛柔成 莫願偷為雋不疑
    從師云云:余自聞惡名,有意出俗。故云。
菅原道真菅家文草』巻第一0120

日本霊異記
http://applepig.idv.tw/kuon/furu/text/ryoiki/ryoiki.htm
廿七 髑髏目穴笋揭脫以祈之示靈表縁
 白壁天皇世,寶龜九年戊午冬十二月下旬,備後國葦田郡大山里人,品知牧人,為買正月物,向同國深津郡於深津市而往.中路日晚.次葦田郡於葦田竹原.所宿之處,有呻音言:「痛目矣.」牧人聞之,竟夜不寢而踞.明日見之,有一髑髏.笋生目穴而所串之.揭竹解免,自所食餉以饗之言:「吾令得福.」到市買物,每買如意.疑彼髑髏,因祈報恩矣.從市還來,次同竹原.時彼髑髏,乃現生形而語之言:「吾者葦田郡屋穴國鄉穴君弟公也.賊伯父-秋丸所殺是也.風吹每,動我目甚痛.蒙仁者慈,痛苦既除.今飽得慶.不忘其恩.不勝幸心.欲酬仁者恩.我父母家,有于屋穴國里.今月晦夕,臻於吾家.非彼宵者,無由報恩.」牧人聞之,增怪不告他人.期之晦暮,至於彼家.靈操牧人之手,控入屋內,讓所具饌,以饗共食,所殘皆裹,并授財物.良久,彼靈倏忽不現.父母為拜諸靈,入其屋裏,見牧人而驚,問於入來之緣.牧人於是,如先具述.因捉秋丸,問殺所由:「如汝先言,汝與吾子俱向於市.時汝負他物,未償其債.遇於中路而徵乞之,弟公捨而來之:『若來不也?』我答汝言:『未來不視.』今所聞,何違于先語?」賊盜-秋丸,惣意悸然,不得隱事.乃答之言:「去年十二月下旬,為買正月元日物,我與弟公率往于市.所持之物,馬布綿鹽.路中日晚,宿于竹原,竊殺弟公,而摕彼物,到于深津市,馬賣讚岐國人,自餘物等,今出用之.」父母聞之:「嗟呼我愛子,為汝所殺.非他賊.」同父母之弟如,葦蘆之隟,故匿內其過失.擯出不見之.外便禮牧,人更饗飲食.牧人還來,以狀轉語.夫日曝髑髏,尚故如是.施食報福,與恩報恩.何況,現人豈忘恩乎.如涅槃經說:「受恩報恩.」者,其斯謂之矣.

廿八 彌勒丈六佛像其頸蟻所嚼示奇異表縁
 紀伊國名草郡貴志里,有一道場.號曰-貴志寺.其村人等,造私之寺,故以為字也.白壁天皇代,有一優婆塞,而住其寺.于時,寺內音而呻言:「痛哉!痛哉!」其音如老大人之呻.優婆塞初夜思疑行路之人得病參宿.起巡堂內,見堂無人.其時,有塔木.未造淹仆伏而朽.疑斯塔靈矣.彼病呻音,每夜不息.行者不得聞忍,故起窺看,猶無病人.然最後夜,倍於常音,響于大地,而大痛呻.猶疑塔靈也.明日早起,見堂內,其彌勒丈六佛像頸,斷落在土.大蟻千許集,嚼摧其頸.行者見之,告知檀越.檀越等悵,復奉造副,恭敬供養矣.夫聞,佛非肉身.何有痛病.誠知,聖心示現.雖佛滅後,而法身常存.常住不易.更莫疑之焉.
下巻、第廿七、第廿八を校了しました。

■夢使い、アニメ化
http://shop.kodansha.jp/bc/comics/eizou/
植芝理一「夢使い」2006年4月よりTVアニメ化決定!

世界最大?の門松登場――愛知県護国神社2005年12月26日7時32分\共同通信社)
http://www.nikkei.co.jp/news/main/im20051226SSXKB046926122005.html
小泉首相高速道路を移して、日本橋を復活せよ(2005年12月27日毎日新聞
http://www.mainichi-msn.co.jp/seiji/gyousei/archive/news/2005/12/27/20051227ddm002010097000c.html





consigliereconsigliere 2005/12/29 15:00 kuonkizunaさん、トラバありがとうございました!
『ホツマツタヱ』に回文があるとは。w すごい興味深いですね。「恋しき」は古語の仮名遣いでは「こひしき」なので、「きしいこそ」では回文にならない、というのが偽書らしくてステキです。w

kuonkizunakuonkizuna 2005/12/29 19:56 コメントどうも有難う御座います。
「キシヰコソツマオミキワニコトノネノトコニワキミオマツゾコイシキ」原文。
そうですね、ホツマツタヱが偽書である事を判ったのは、このような用例が多くあるからです。甲乙類の仮名が分けずに、江戸時代以降の文形と知識も張りましたので偽書で一発判明ですよね。

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