2005/12/22

神祇史料集成

2005-12-22-木 海の沖に持ち行きて放つとも如何ぞこれが蘇りなむ

[]久々に日本後紀 久々に日本後紀を含むブックマーク 久々に日本後紀のブックマークコメント 編集CommentsAdd Star

日本後紀
http://applepig.idv.tw/kuon/furu/text/kouki/kouki03.htm
遅いながら、巻第三を追加しました。
続日本紀の撰上*1平安京遷都と平安時代の幕開け、時代の変わりポイントに立つこの巻、是非ご覧下さい。
ちょっと続日本紀の成立についても話すようかと思って、続日本紀の凡例をも追加しました。

占事略決
http://applepig.idv.tw/kuon/furu/explain/meisi/onmyouji/senji/senjiryakuketu.htm
占事略決、跋
 夫占古事之趣,應窮精徵.占事,底本作古事.失之毫毛,實差千里.
 晴明,楓葉枝疏,雖舉核實,於老後,吉凶道異,難逐聖跡.於將來,唯舉一端之詞,粗抽六壬之意而已.
安倍朝臣晴明 撰

【奧書】
天元六年 歲次乙卯 五月廿六日 天文博士 安倍晴明
六壬占七百廿也 水火木金土(一二三四五)
これで占事略決電子テキストの二校が完了致しました。

菅家文草
http://applepig.idv.tw/kuon/furu/text/waka/kanke/bunsou/bunsou.htm
113 臨別送鞍具總州春別駕
    御民銜勒本君功 顧眄將聞矍鑠翁 淚落分鑣專夜雨 心悲結鞅欲秋風
    山行莫忘浮雲上 歲暮當思蹈雪中 春日縱逢輈下鹿 安鑣為我不長空
菅原道真菅家文草』巻第一0113

日本霊異記
http://applepig.idv.tw/kuon/furu/text/ryoiki/ryoiki.htm
十三 將寫法華經建願人斷日暗穴賴願力得全命縁
 美作國英多郡部內,有官取鐵之山.帝姬阿倍天皇御代,其國司召發役夫十人,令入鐵山入穴堀取鐵.時山穴口,忽然崩塞動.役夫驚恐,從穴競出,九人僅出.一人有後出.彼穴口塞合留.國司上下,思之所壓而死,故惆悵之.妻子哭愁,圖繪觀音像,寫經追贈福力而逕七日已訖.于時,獨居穴裏,念:「吾先日願奉寫法華大乘,而未寫斷.我命全給,我必奉果.」居于闇穴,而惆悵之.自生長時,至于今日,無過此哀.彼穴戶隙,指刺許開,日光被至.故有一沙彌.自隙入來,鉢盛饌食,以與之語:「汝之妻子,供我飲食,雇吾勸救.汝復哭愁,故我來之.」自隙出去.去後不久,當乎居頂,而穴開通,日光照被及也.穴開通,廣方二尺餘,高五丈許.于時卅餘人,取葛入山,自穴邊往.穴底人,見人影,叫言:「取我手.」云.山人側聞,如蚊音.即聞怪之,取葛繫石,下底而誡.底人取引.明知人也.結葛為繩,編葛為籠,以四葛繩繫籠四角,機立穴門,漸下穴底.底人乘籠,以機牽上,持送親家.親屬見之,哀喜無比.國司問云:「汝作何善?」答曰如上.國司聞之大悲,引率知識,相助造法華經,供養已畢.是乃法華經神力,觀音贔屭.更莫疑之矣.

十四 拍于憶持千手咒者以現得惡死報縁
 越前加賀郡,有浮浪人之長.探浮浪人,駈使雜傜,徵乞調庸.于時有京戶小野朝臣庭麿.為優婆塞,常誦持千手之咒為業.展轉彼加賀郡部內之山而修行.神護景雲三年歲次己酉,春三月廿七日午時,其長有其郡部內御馬河里.遇行者曰:「汝何國人?」答:「我修行者,非俗人也.」長瞋嘖言:「汝浮浪人,何不輸調.」縛打駈傜.猶拒逆之,懇引譬言:「衣虱上於頭而成黑,頭虱下於衣而成白.如是有譬.頂載陀羅尼,負經之意,不遭俗難.何故持大乘之我令打辱.實有驗德.今示威力.」以繩繫千手經,從地引之而去.刑行者之處,與長家之程一里許.長至己家門,從馬將下,堅不得下.忽與乘馬,騰空而往,到捶行者之處,懸空逕一日一夜.明日午時,自空落死.彼身摧損,如笇入囊.諸人見之,無不懼恐.如千手經說:「大神咒,乾枯樹尚得生枝柯華菓.若有謗此咒者,柯比己江即為謗彼九十九億恆河沙諸佛云云.」方廣經云:「誹謗賢人者,等於破壞八萬四千國塔寺之人罪.」者,其斯謂之矣.
下巻、第十三、第十四を校了しました。

 不塞不流,不止不行,人其人,火其書,廬其居,明先王之道以道之,鰥寡孤獨廢疾者有養也,其亦庶乎其可也。


■神祇史料集成
http://21coe.kokugakuin.ac.jp/db/jinja/jingiindex.html
類別によって整理したものです。
六国史は勿論、日本紀略類聚国史・類聚三代格・令集解・新抄格勅符抄まで收録したことは凄く感心です。

■サーチ・「亀津比女」と「亀兆伝」
http://makeashorterlink.com/?L1593295C
http://makeashorterlink.com/?L2695295C
なかなか見つけたい情報を見かけない(涙)......

菅原道真公 収録データリスト
http://www2u.biglobe.ne.jp/~gln/77/7722/772201.htm
そういえば、菅原道真公の子供18人にも居たとは...

■久安百首の訂正
http://applepig.idv.tw/kuon/furu/text/waka/kyuuan/kyuuan.htm
中川さんの御指摘を頂きました。早速、エンコード指定とタイトルを訂正しました。
私のパソコン中国語システムなので、
例えエンコード指定エラーでも自動にBig-5かUTF-8に変更してくれるので、
(でも、UTF-8をJISに指定する場合は字化けになります。)
日本語モードへ変更する(そうすると、上述と逆になります。)しか
なかなか確認できない...ですからこういうケースはきっとまたあると思います。
もしまた似たような不具合が発生すれば是非私に教えで下さいね。
どころで、何で久安百首を永安百首に間違ったなのは謎です。
心当たりがあるとすれば確かに実家の近いな所に永安という地名がありますが...

■完全変形ガンバスター
http://halfeye.m78.com/products/gunbuster/1_gb/1_gbuster.html
ノリコ、合体しましょう!@カスミ

■謎画像
http://www.isc.meiji.ac.jp/~ef20079/photo.htm


*1:但し、この時が撰上したのは巻廿一から巻三四までの六巻分。
中川@やたナビ中川@やたナビ 2005/12/22 00:37 ご無沙汰しております。ブログと関係ない内容ですみません。
リンク集を作っていて気づいたのですが、永安百首とあるのは久安百首ではないでしょうか?
また、同じページのエンコード指定がBig5になっていますので、字化けしてしまいます。訂正お願いします。

kuonkizunakuonkizuna 2005/12/22 01:42 中川さん、こんばんは。全部御指摘通り、私のミスです。
早速、訂正させて頂きました。
恥ずかしながら、本当にどうも有難う御座います。
『久安百首』の件ですが、『日本国史略』のには「源俊顯歿後,詠歌の道彌々衰う。崇徳上皇に及び關白,忠通,深く斯の道を好む。是に於て,諸名流輩出ず。上皇,嘗て百題を賜い,公能・敎長・顯輔・季通・隆季・親隆・實清。俊成・清輔及び宮女,堀川・兵衛・安藝・小大進等に賜い,各々百首を詠す。之を久安百首と謂う。」という記述があったので、どんなものかなと物好きな気持ちで片手調べて片手作成したモノです。不本格なものでどうも済みません。これから機会があれば校訂や漢字を付くことでもするかも知れません。今のどころは無理ですが(涙)...

日本國史略 近衛天皇紀
http://applepig.idv.tw/kuon/furu/text/siryaku/siryaku03-076.htm

中川@やたナビ中川@やたナビ 2005/12/22 17:34 訂正ごくろうさまでした。僕のほうも間違いがあれば遠慮なく指摘してください。
久安百首、もしかしたら「永久」で入力して久を削除しちゃったのかなと思いました。

kuonkizunakuonkizuna 2005/12/25 08:53 >「永久」で入力して久を削除しちゃったのかな
いや、HTMを書いたときは中国語で入力したからそうではないと思いますわ。多分(汗)...
では、これからも宜しくお願い致します。
トラックバック - http://d.hatena.ne.jp/kuonkizuna/20051222

2005-12-21-水 磯ごとに海人の釣舟泊てにけり我が船泊てむ磯の知らなく

[]実験報告 実験報告を含むブックマーク 実験報告のブックマークコメント 編集CommentsAdd Star

やっていますぅ。
12/20は冬馬由美さんの誕生日でした。

占事略決
http://applepig.idv.tw/kuon/furu/explain/meisi/onmyouji/senji/senjiryakuketu.htm
 占有雨否法 第卅五
 直陰.而雨從龍,風從白虎.占時,青龍白虎所乘神有氣,則有風雨.青龍白虎雷電並者,大雨也.卯為雷,子為靈也.
 謂常以月將加時,日辰上見神后、徵明、大衝,有雨.
 一云,日辰上見亥子,有雨.見寅卯,有多風小雨.巳午,無雨.見申酉,連陰,雨少.

 占晴法 第卅六
 謂以月將加時,視神后、徵明、勝先、太一所臨.在天一後二,俱陰,在後四己.傳送在天一前二四者,為大風己.
 又云,功曹為青龍,傳送為白虎者,晴.
 又云,上丙丁所臨下為晴日.河魁臨孟不晴,臨仲為雨止,臨季為立止.
 又以月將加月建,天上丙丁所臨為晴日.

菅家文草
http://applepig.idv.tw/kuon/furu/text/waka/kanke/bunsou/bunsou.htm
112 詶裴大使留別之什 次韻。
    交情不謝北溟深 別恨還如在陸沉 夜半誰欺顏上玉 旬餘自斷契中金
    高看鶴出新雲路 遠妬花開舊翰林 珍重歸鄉相憶處 一篇長句惣丹心
菅原道真菅家文草』巻第一0112

日本霊異記
http://applepig.idv.tw/kuon/furu/text/ryoiki/ryoiki.htm
十一 二目盲女人歸敬藥師佛木像以現得明眼縁
 諾樂京越田池南蓼原里中蓼原堂,在藥師如來木像.當帝姬阿倍天皇之代,其村有二目盲女.此生一女子年七歲也.寡而無夫.極窮無比,不得索食.將飢而死.自謂:「宿業所招,非唯現報.徒空飢死,不如行念善.」使子控手,迄于其堂,向藥師佛像,顧眼而曰:「非惜我命,一惜我子命.一旦亡二人之命也.願我賜眼.」檀越見矜,開戶入裏,向像之面,以令稱禮.逕之二日,副子見之,從其像臆,如桃脂物,忽然出垂.子告知母.母聞欲食,故告子曰:「搏含吾口.」食之,甚甜.便二目開.定知,至心發願,願者無不得之也.是奇異之事矣.

十二 二目盲男敬稱千手觀音日摩尼手以現得明眼縁
 奈良京藥師寺東邊里,有盲人.二眼精盲.歸敬觀音,稱念日摩尼手,明眼闇.晝坐藥師寺於正東之門,披敷布巾,稱禮日摩尼手之名.往來之人,見哀之者,錢米穀物,施置巾上.或坐巷陌,稱禮如上.日中之時,聞打鐘之音,參入其寺,而就眾僧乞飯,命活而經數年.至帝姬阿倍天皇之代,不知二人來云:「汝矜,故我二人治汝盲目.」左右各治了,語言:「我逕二日,必來是處.慎待不忘.」其後不久,倏二眼明,平復如故.當期日待,終復不來.
 贊曰:「善哉,彼二目盲者.現生開眼,遠通太方.捨杖空手,能見能行.」誠知,觀音德力,盲人深信也.
下巻、第十一、第十二を校了しました。

0 件のコメント:

コメントを投稿