2005/12/12

太安万侶

2005-12-12-月 妹が名に懸かせる桜花咲かば常にや恋ひむいや年のはに

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ダルイですみません...あと、風邪薬が切った_| ̄|○
火曜日大学院試験結果発表、どうなってしまうかな...(現実逃避
うむ、風邪がまだ治でないようでやっぱり早く寝るほうが上策か...

一昨日、また台湾大学図書館へ行って来ました。
先回は大嶽丸のデータ目当たりして『すずか』をコピーしにきましたが、
実はもっと肝心な『田村の草子』を忘れました、今度がもう一度請求書を埋めてコピーさせて頂きました。
あと、『類聚国史』の目録もついに入手しました、電子テキスト化の日は未だ待ち遠いですけど...

太安万侶
f:id:kuonkizuna:20051212091301j:image 太安万侶墓誌銘。
左京四條四坊從四位下勳五等太朝臣安万侶以癸亥年七月六日卒之 養老七年十二月十五日乙巳


日本後紀
http://applepig.idv.tw/kuon/furu/text/kouki/kouki02.htm
巻第二、テキスト部分製作完了。
平安京の造京、桓武天皇と平城天皇の間の不穏な動き(佐伯成人謀殺)、色々大事件の始まりとも言えるこの時代。
ちなみに、『日本国史略』から「蔭子の階」の制定記事をも拾って入りました。


占事略決
http://applepig.idv.tw/kuon/furu/explain/meisi/onmyouji/senji/senjiryakuketu.htm
 無祿卦 第廿八 男無妻,女無夫,六畜死散,從者離別.死散,底本作死三.
 謂四-上剋下,法曰-無祿也.若占遇之者,室空無人,人老必孤獨,群臣受殃,殃,底本作殊.妻子被殃.
 以此占人,上剋下,當此時,客勝主人為利.正月己巳日辰時占也.

 絕紀卦 第廿九
 謂四-下剋上,法曰-絕紀也.若占遇之者,臣輕其君,子慢其父,妻害其夫,奴婢賊主,生男妨父,生女妨母,亡其先人.奴婢,底本作好婢.
 以此占人,皆無父母,臣事君、子事父為繼命.今下滅上,故為絕紀,故曰孤獨.當此時,利以居家,不宜為客.正月庚辰日辰時占也.

菅家文草
http://applepig.idv.tw/kuon/furu/text/waka/kanke/bunsou/bunsou.htm
103 陪源尚書,餞總州春別駕 同用難寬看三字。
    共理從來知帝難 易東莫謝舊丁寬 淚痕爭得盈雙袖 別後思君每日看
菅原道真菅家文草』巻第一0103

日本霊異記
http://applepig.idv.tw/kuon/furu/text/ryoiki/ryoiki.htm
卅七 觀音木像不燒火難示威神力縁
 聖武天皇世,泉國泉郡部內珍努上山寺,居于正觀自在菩薩木像,而敬供之時,失火,燒其佛殿.彼菩薩木像自所燒殿,出二丈許,而伏無損.誠知,三寶之非色非心,雖不見目,而非無威力.此不思議第一也.

卅八 因慳貪成大蛇縁
 聖武天皇御世,諾樂京馬庭山寺,一僧常住.其僧臨命終時,告弟子言:「我死之後,至于三年,室戶莫開.」然死後經七七日,在大毒蛇,伏其室戶.弟子知因,教化而開室戶見之,錢卅貫隱藏也.取其錢以為誦經,修善贈福矣.誠知,貪錢因隱,得大蛇身,返護其錢也.雖見須彌頂,不得見欲山頂者,其斯謂之矣.
中巻、第卅七、第卅八を校了しました。

メモ
西宮記』源高明 著
漢文の有職故実書。今度、台湾大学図書館で調べてみましょう。


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2005-12-11-日 み越道の雪降る山を越えむ日は留まれる吾を懸けて偲はせ

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早く全快できるように。

占事略決
http://applepig.idv.tw/kuon/furu/explain/meisi/onmyouji/senji/senjiryakuketu.htm
 九醜卦 第廿六 戊子午,壬子午,乙己辛卯酉日大吉,子午卯酉是也.
 謂天地之道,歸殃九醜.殃,底本作殊.乙戊己辛壬之日,子午卯酉之辰時加四仲大吉,臨日辰是.
 當此時,不可舉兵、嫁娶、遷移、築室、起土、遠行,為禍不出三年也.四月辛丑日辰時占也.

 天網卦 第廿七 天網,底本作天細.
 天網時,甲乙申酉,丙丁亥午,庚辛巳午,戊己寅卯,壬癸丑未辰戌,用是也.天網,底本作天納.
 謂時剋其日,用又助之是也.二月庚子日巳時占也.
 若占遇之者,所治事上下有憂.天網四張,萬物盡傷.以此占人,身死家亡也.天網,底本作天納.

菅家文草
http://applepig.idv.tw/kuon/furu/text/waka/kanke/bunsou/bunsou.htm
102 春日過丞相門
    除目明朝丞相家 無人無馬復無車 況乎一旦薨已後 門下應看枳棘花
菅原道真菅家文草』巻第一0102

日本霊異記
http://applepig.idv.tw/kuon/furu/text/ryoiki/ryoiki.htm
卅五 打法師以現得惡病而死緣
 宇遲王者,天骨邪見,不信三寶.聖武天皇御世,是王有緣,徘徊山背.八人從之.向於奈良京時,下毛野寺沙門-諦鏡,自奈良京,往於山背,步綴喜郡.師率值王,無所避退,傾笠匿面,立乎路側.彼王見之,留馬令刑.師與弟子,入乎水田,而逃避走.猶強追打師,負持藏皆擊破損.時法師呼曰:「奚無護法歟.」王去不遠,於其路中,儵受重病,高聲叫呻,踴離于地二三尺許.從者知狀,勸請法師,師否不受.三遍請之,猶終不受.問曰:「病.」答:「甚為痛.」法師復曰:「斯下賤王.千遍痛病,萬遍痛病.」時王眷屬,奏於天皇:「諦鏡法師,咀于宇遲.」令捉將殺.天皇知狀,猶忍不可.王經三日,如墨而卒.眷屬復奏:「殺報之者,殺而報之.宇遲既死.受於諦鏡,以報怨也.」天皇敕詔:「朕亦法師.諦鏡亦僧.法師云何殺於法師,宇遲招災,非諦鏡咎.」天皇剃除鬢髮,受戒行道故,儻比法師,不殺諦鏡.狂王宇遲,邪見太甚,護法加罰.護法非無,何不恐之也.

卅六 觀音木像示神力緣
 聖武太上天皇世,奈良京下毛野寺金堂東脅士觀音之頸,無故斷落也.檀主見之,明日將奉繼.經一日一夜,而朝見,其頸自然如故繼.加以放光.誠知,理智法身,常住非無.為令知於不信眾生所示也.
中巻、第卅五、第卅六を校了しました。


rerasiurerasiu 2005/12/11 13:55 こんにちは。先日は朝霧の巫女事典に古事記と日本書紀の項を作成していただきありがとうございました。これを元にして「朝霧の巫女事典」を冬コミで頒布するのですが、その際奥付に浦木さんのお名前をご協力いただいた方、として掲載してよろしいでしょうか。
また、ご希望でしたら1冊進呈するつもりでおりますので、その旨申し付けてください。

kuonkizunakuonkizuna 2005/12/11 20:51 「朝霧の巫女事典」、冬コミでの頒布、オメデトウ。
御告知どうもありがとうございます。名前の掲載など、ご自由にどうぞ。
最後、御厚意は大変嬉しいですが、こちらは海外なので寄送とか大変恐縮しております。よって、次の機会に譲りましょう。

rerasiurerasiu 2005/12/12 19:56 ありがとうございます。では、ご協力者として掲載させていただきました。本の寄贈については、ではまたいずれ機を見て。
kuonkizunakuonkizuna 2005/12/14 23:43 参加することは出来ないけど。冬コミ、楽しみますわ。

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