2008/11/30

和歌漢訳のこと

2008-11-30-日 秋近う野は成りにけり白露の置る草葉も色變り行く

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以下、やまとうたのBBSでのカキコの整理、再録したものです。
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 いい加減な翻訳ですけど、今のところは古今集中国語訳をしているます。時々出来心で見た和歌をも翻訳したいと思っております。たとえば、楠正行の「歸らじと 予て思へば 梓弓 亡き數にいる 名をぞ留むる」を、「一去不復還 壯士預懷沉舟志 梓弓射無收 此身既入亡者數 唯有留名証赤誠」のように、中国語訳致しました。初出は太平記の筈なのですが、私の場合には大日本史更新するとき初見になります。
 字数が五七五七七になっているのが、わざとしたのです。
 散文と違って、歌・詩を翻訳するときは、何らの規則を従って、その独特なリズムを保存しておきたいところです。たとえ完全に忠実でなくても、(もともと翻訳が完全なる忠実はありえません。)読む人にこれは歌だ、と伝えたい気持ちを込んで、何らの規則を作って翻訳するのです。
 一番よく観られるのは、和歌漢詩翻訳する事です。台湾大陸もそれが主流で、日本でも『新撰萬葉集』がこういう形で和歌の漢訳を行いました。
 ですが、 和歌漢詩翻訳する事は、漢詩に対する素養がなければなりません。私の専門は工学漢詩は鑑賞できるといっても、漢詩を作ることは力不足と痛感いたしました。
 そこで発案したのは、字数によって和歌リズムを表現することです。四四で翻訳した人もいれど、三五三で翻訳した人もいます。五七五七七の漢字になると、和歌意味以外に、翻訳者の付け加えも必要なので、そうする人はちょっとすくないんです。でも、時々和歌には「掛ける」「譬え」という表現があって、普通は付け加えをしても、必要なとき字数なりの余裕を持ちたいから、敢えて五七五七七を選んでしまいました。しかも、日本語和歌の原文を読んでも、中国語で訳文を読んでも、同じ五七五七七の音が出すので、それはろれなりのメリットがあります。
 ちなみに、極端の例として、源氏物語枕草子翻訳した林文月氏は、中国文学教授台湾大学京都大学ワシントン大学を歴任。)が、わざと漢詩翻訳しない。彼女にとって、漢詩を作るのは容易いことですが、読者に和歌漢詩というイメージをつけたくない。楚辞体をモチーフして、独自の七・七・八韻文体を作りました。私の場合は単なる不勉強なのですが...
 なお、古今集歌人漢詩に影響を受けたについて、新全集を底本にするのは、まさにその為にです。新全集の注釈は充分で、何の歌には何の漢詩の表現を受けているのがはっきり分かれます。例えば、「かささぎの 渡せる橋に」を翻訳した時は、やっぱり「月落烏啼霜満天」を思い出せる言葉を使いたいと思っておます。翻訳しながら自分も結構楽しんでいます。


大日本史
 藤原良相,少遊大學,局量開曠,有才辯。承和初,召侍禁中,累遷左近衛少將。【三代実録。】橘逸勢等謀反事發,良相率近衛四十人,圍守太子直曹,收帶刀兵仗。【續日本紀。】尋兼阿波守,授從四位下,轉中將。嘉祥中,拜參議,兼右大辨。【續日本後紀、三代実録。】尋領陸奧出羽按察使,兼春宮大夫。仁壽元年,授從三位,為權中納言。齊衡初,轉大納言,兼右近衛大將。天安元年,拜右大臣。【文徳実録、三代実録。】上表辭,不許。【文徳実録。】貞觀元年,進正二位。四年,地震,詔言得失。良相上表曰:「伏惟皇帝陛下徳高雲霓,明並日月,猶開廣詢之路,遂降不諱之綸。臣身非岳神,位忝台袞。獻替之誠徒積,塵髮之效叵申。蓋中外之國,小大之政,所以治而不亂者,唯以任得其人也。脫非其人,則雖有峻法嚴令,然是為亂之階,終非為治之備矣。詩曰:『人之云亡,邦國殄瘁。』書曰:『都在知人,知人則哲能官人。』臣之不敏,深信斯言。從政以來,猶自留意。而趙魏滕薛之任易迷,絳侯嗇夫之才難辨。即知,人心險於山川。惟帝其難,將如之何。抑其明經秀才得試及第者,尤是國家之才望。宜明古今王事之體,又一切智智法教無量。凡諸僧綱,及曾經八省維摩講師,皆應通熟世諦之利病。又右大辨南淵朝臣年名,身為進士,職經內外,稍通治體,既居樞要。山城守紀朝臣今守,所歷之州,風聲必暢,論之良吏,自為先鳴。伊豫守豐前王,才學早彰,資歷淹久,無他異跡,足謂老成。大宰大貳藤原朝臣冬緒,聲名粗達,器識漸優,吏幹之稱,仍有可愛。大和守弘宗王,頗有治名,多宰州縣。雖自賢之弊,或罹法綱,而談諸經國,非無其才。然則令件此輩,同上意見。既云諮及蒭蕘,何況於彼有識。臣謬荷重責,無地息肩,徒獻管窺,恥塵旒聽。」八年,累上表請解職。優詔不許。【三代実録。】是歲,罷左大將。【公卿補任。】明年二月,又抗表曰:「臣聞:『盈虛有節,天道所以長存;損益隨時,人事由其免害。』臣謬以菲磷,頻荷華寵。自居峻秩,常念恕ソ謙。臣所當食封,前後並二千戶,先帝察其寸心,聽返千戶。臣向寢患彌留,乞還封爵,九重沖邈,難蒙哀察。徒詠籜兮,猶恐嗟若。竊聞:『比來州郡京邑,承去年旱儉之弊,人用不贍,穀價登躍。加以,諸國入少,百官俸乏。帑藏已空,歲用不支。』臣辱居端揆,無所彌縫。有慙惶之弗暇,況尸素之胡顏。顧此厚封,自思減耗。亦竊庶幾古人損有餘補不足之義也。臣幸藉陛下不訾之恩,凡厥子弟近親,略皆得拜官爵,仰給資養,得無所乏矣。況亦大將職罷經用,減少所賜千戶,於臣有餘。伏望,奉返此五百戶,將補國用之萬一。然則詩人罷取禾之剌,鬼神貽福謙之慶。」是年十月,得病直廬。無幾,薨,年五十五。遺令薄葬。【三代実録。】稱西三條大臣。【公卿補任尊卑分脈。】帝不視事三日,詔贈正一位。【三代実録。】
 良相好文學之士,有大學生貧寒者,時贈綿絹。冬月多製衣被,畀四學堂夜宿者,每時節招學生能文者賦詩,因賞以物。仁明帝嘗煎鍊五石,賜近臣試之。皆儢無飲之者,惟良相引盃即盡。帝感其至心。及登袞職,專心機務,志在匡濟。當時放鷹漁獵,一切禁止。山川藪澤之利,與民共之,皆良相之所建立也。性睦親族,又信佛法。建延命院於勸學院南,以養藤氏生徒病困無資業者。以東京六條宅,各祟親院,收養宗族子女不能自存者,並皆割封戶入莊田,給其資用。建小堂于崇親院,置佛像,令居住者每旦念誦觀音,自作願文。喪室大江氏,不再娶,終絕腥鮮。臨終,告諸子曰:「今日興福寺維摩會之初講也,吾儻以是日歸寂,安知不與彼法會有因緣乎。」乃命:侍兒-扶起爭作:佛印。而襪子常行。忠方並.以,才行.昂稱,常行貞觀中至:大納言正三文兼,右近衛大將,陸奧出羽按察使。十七年,薨。【三代実録。】廢朝一日,贈從二位。【日本紀略。】忠方工隸書,官至從五位下阿波權守。【尊卑分脈。】
http://miko.org/~uraki/kuon/furu/text/dainihonsi/dainihon.htm


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2008-11-29-土 小倉山峰立馴し鳴鹿の經にけむ秋を知る人ぞ無き

[]巫女さん入門 巫女さん入門を含むブックマーク 巫女さん入門のブックマークコメント 編集CommentsAdd Star

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http://miko.org/~uraki/kuon/furu/explain/column/miko/book/mnyumon/mikonyumon.htm
目録を作りました。但し、中国語訳になりました。
古典文学なら電子テキストが作りますが、現行の書籍には流石そうがいけません。
入手してからちょうど一ヶ月ですが、未だゆっくり読んでいませんでした。
目録作り、兼粗筋を読んでみました。
うん、薄いですね、この本は。神田明神監修と銘打ちにしては。
まぁ、初級だから仕方ありませんか...
巫女さん入門よりも、日本巫女史お薦めます。
http://miko.org/~uraki/kuon/furu/explain/column/miko/book/hujyosi/hujyosi.htm
最近電子化作業が思うより進まないのですが...


長野オタク誕生日に続いて、今日は某品川博士誕生日です。おめでとうございます。

大日本史
 藤原長良,志行高潔,親睦諸弟,友愛天至,接士大夫以?容。人無貴賤,仰慕之。【文徳実録。】弘仁末,聽昇殿。【公卿補任。】時仁明帝在儲宮,特被親昵。花晨月夕,戲席射場,許以交敵。長良愈整冠帶,未嘗失儀。天長中,敘從五位下。踰歲,為侍從。歷左兵衛權佐、左衛門佐。【文徳実録。】仁明帝即位,進從四位下。歷左右馬頭,遷左兵衛督。承和十一年,為參議,轉左衛門督。【續日本後紀、文徳実録。】歷兼讚岐、伊勢守。【續日本後紀。】嘉祥三年,帝崩。長良追慕悲泣,不噉魚肉。文徳帝即位,敘從三位。齊衡初,為權中納言。三年,敘從二位。是歲,薨,時年五十五。【文徳実録。】
 陽成帝即位,以外祖贈左大臣正一位,詔曰:「紀徳錄勳,代既異而加等;飾終追遠,身雖謝而及恩。況乃天愛之深,理切敦族,人道之重,情殷睦親。外祖父故中納言從二位藤原朝臣,識度夷雅,餘慶延於身後。外祖母藤原氏,門傳閫訓,蘋藻之禮彌恭,松蘿之義交映。並耀靡借,俄稅景於西峰;閱水易驚,遂遊魂於東岱。悲玉樹之早落,不見孫榮;訪瓊蘭之遺芳,宜從子貴。外祖父可左大臣正一位。外祖母可正一位。死而有知,嘉茲哀贈。」【○按本書詔文闕略,今據都氏文集補之。】元慶三年,贈太政大臣。【三代実録。】子國、基經。基經自有傳。國經,大納言正三位。【公卿補任。】
http://miko.org/~uraki/kuon/furu/text/dainihonsi/dainihon.htm

黄河水質汚染で真っ赤に…
http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1194515.html

■「子供人生が変わってしまった…」 茶髪ピアスなど外見で不合格になった生徒の親、悔しさと怒り…神奈川神田高校問題
http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1195068.html
そんな外見させないてよ...

■理
http://www2.ocn.ne.jp/~aozora/jisyoN/jisyoI/node41.html
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q129757162

ネコ
D

2008/11/28

万葉集巻十二

2008-11-28-金 朝露を分け濡ちつつ花見むと今ぞ野山を皆經知りぬる

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今まで気づかなかったが、学生会館近くにネコが結構多かった。
情報が間違わない限り、某長野オタク誕生日です。おめでとうございます。


大日本史
 藤原良世,世荐歷顯要。?平中,拜右大臣,為氏長者。敘從二位,聽牛車。【公卿補任。】進左大臣,致仕,【公卿補任。】世稱致仕大臣。【公卿補任。】昌泰三年,贈贈從一位。【日本紀略。】子邦基、恒佐。【公卿補任尊卑分脈。】邦基,中納言。【公卿補任。】恒佐,右大臣正三位。【公卿補任尊卑分脈。】
http://miko.org/~uraki/kuon/furu/text/dainihonsi/dainihon.htm

■万能細胞からの精子卵子作製認める 文科省学術審部会
http://www.asahi.com/national/update/1127/TKY200811270297.html

■「Yahoo!百科事典」公開、小学館百科事典データ無料で閲覧
http://internet.watch.impress.co.jp/cda/news/2008/11/27/21673.html

千早 休日コミュ
D
これで嫁じゃなくて女房ですね...


USO9000USO9000 2008/11/27 23:39 お祝い、どうもありがとうございます。
ちなみに、元祖「時をかける少女」の原田知世と同じ誕生日ですw

kuonkizunakuonkizuna 2008/11/28 07:20 USOさんにこれを進呈致します。
http://2dim.feena.jp/each/11/28
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2008-11-27-木 白露を玉に貫くやと細蟹の花にも葉にも絲を皆綜し

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知る人ぞ知る


大日本史
 藤原朝成。朝成,體貌醜肥,飲啖兼人,常憂舉止不便,招醫請療。醫曰:「莫如結食啖淡。時方暑月,宜食水飯。」朝成從之,使醫視其所食。乃連水飯七八盂及啖魚鮓十數枚。醫駭曰:「如此則水飯亦不可療。乃逃去。」【今昔物語、古今著聞集。】嘗從兄朝忠入朝,村上帝見,其狀貌,心鄙之。問曰:「彼為誰?」朝忠曰:「臣弟朝成也。」問:「何所能?」對曰:「性好學問,善吹笙。」因授笙試之。曲調精妙,帝以為能,由是有恩寵。【續古事談。】天祿初,累官中納言。【公卿補任。】朝成,少有才望,【今昔物語。】與藤原伊尹爭為參議,言伊尹不可用。及大納言闕,朝成意欲任之。時伊尹攝政,朝成自詣其家,懇請拜擢。伊尹素憾朝成,不時出面,久而出曰:「子始與我同班,每欲超我而進,多方沮我。今日之事,用否在我。」朝成大愧,艴然歸家,憂鬱成疾,【古事談。】無幾而薨。【續古事談。○大鏡曰,藏人頭闕,時藤原伊尹次當補。朝成亦欲為之,乃以其意懇伊尹。伊尹許之。既而負約,朝成深啣之,由是有隙。後因事辱其家僮。伊尹怒,朝成自往謝之。按公卿補任一代要記,伊尹朝臣同日補藏人頭,其爭為頭者誤。】
http://miko.org/~uraki/kuon/furu/text/dainihonsi/dainihon.htm

幻想的な木の上のレストラン
http://dailynews.yahoo.co.jp/photograph/pickup/


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2008-11-26-水 我は今朝初にぞ見つる花色を婀娜なる物と云ふべかりけり

[]万葉集巻十二 万葉集巻十二を含むブックマーク 万葉集巻十二のブックマークコメント 編集CommentsAdd Startinuyama

http://miko.org/~uraki/kuon/furu/text/waka/manyou/mana.htm
あと一首で万葉集巻十二の電子テキストが完成する事になります。
たぶん、明日の朝が巻十二を完成できると思います。
f:id:kuonkizuna:20081126001909g:image
どころで、この万葉集電子テキストについて、中国人向けに作成しているのです。
その為に、いくつの特徴があいます。
  • 一、訳文に、漢字を出来る限り多用してること。
  • 一、ルビで読み方を表記する。
主に成る底本は、小学館新編日本古典文学全集こと新全集の『万葉集』で、
よほどの意外がなければ、原文の漢字及び振りかなは、それに準ずる事になります。
それ以外、新大系国歌大系も参考しており、細かい取捨は管理人の独断なのですが......
そこで、まずこんな漢字や振りかなを記入するテキストを作って、
f:id:kuonkizuna:20081126002512g:image
そして、メモ帳の置換を使って、ルビタグを変更することになります。
f:id:kuonkizuna:20081126002511g:image
大した事はないのですが、置換を使えば、大変手間が省けました。


大日本史
 藤原良門,內舍人從四位上,以醍醐帝外曾祖,追贈大政大臣正一位。【尊卑分脈。○醍醐外曾祖,據扶桑略記。】子利基、高藤。利基,仁和中,左馬頭從四位上。【三代實錄。】利基子兼輔,延長中至從三位權中納言,承平三年,薨,稱堤中納言。【尊卑分脈。】高藤,?平、昌泰間,累歷顯要,【公卿補任。】至正三位內大臣。薨年六十三,【日本紀略扶桑略記。】稱勸修寺內大臣,【公卿補任尊卑分脈。】又稱小一條。【尊卑分脈。】以醍醐帝外祖,追贈大政大臣正一位。【公卿補任尊卑分脈日本紀略。○醍醐曾祖,據扶桑略記。】子定國、定方。定國,醍醐朝累官遷中納言,敘從三位,兼右近衛大將,至大納言。延歷六年,薨,稱泉大將。定方,延長中,至右大臣從二位。承平二年,薨。贈從一位,稱三條右大臣。【公卿補任。】子朝忠、朝成。朝忠,從三位權中納言。【公卿補任尊卑分脈。】
http://miko.org/~uraki/kuon/furu/text/dainihonsi/dainihon.htm

夢想灯籠


高校教師
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E6%A0%A1%E6%95%99%E5%B8%AB_(%E3%83%86%E3%83%AC%E3%83%93%E3%83%89%E3%83%A9%E3%83%9E)
確かに映画版音楽千住明だったと覚えてますが
http://www.amazon.co.jp/dp/B00008ILTL
確認しました。間違いなさそうです。試聴もできます。


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2008-11-25-火 散りぬれば後は塵芥に成る花を思知らずも迷ふてふ哉

[]また狛江 また狛江を含むブックマーク また狛江のブックマークコメント 編集CommentsAdd Star

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  • 無人販売

  • 小さいお社

今日は、学校に来てなんで遅くなるまで人がなさそうな...と思ったら休み日だった。
それで、喜多見へ行って、氷川神社を回してみた。
学校から出たら雨が...(汗)
ですから濡ればなしです。
北見駅に戻ったとき、不法投棄と思われる壊れたの傘を拾ったので、多少マシに成りました。
そこで、狛江へ、伊豆美神社でご朱印を貰って、上泉地域センター万葉集を借りてきました。
なぜなら中央図書館万葉集はいつも貸し出し中ですから。

ちなみに、経路はこんな感じでした。
f:id:kuonkizuna:20081123163604j:image



大日本史
 藤原冬嗣,參議麻呂曾孫。父豐伴,豐後守。【○豐伴,尊卑分脈作豐彥,一代要記豐仲。】冬緒,承和中,為勘解由判官,除式部大丞,補藏人。【公卿補任。】十四年,授從五位下,為右少辨。嘉祥中,歷伊勢介、春宮亮。仁壽、齊衡間,進左少辨從五位上,為肥後守。【文恕y實録。】貞觀初,入為右中辨。帝始讀孝經,冬緒與大江音人侍之。是歲,敘從四位下。尋為大宰大貳,歷彈正大弼、右大辨,兼勘解由長官美濃權守。十一年,復為太宰大貳,拜參議。十二年,上書陳四事。一曰:「凡軍旅之儲,烽燧尤切。而數十年來,國無機警。雖有其備,未知調用。今須下知管內國島,試以舉烽燧,彼此相通,以備不之虞。若不言其由,恐驚動眾心。望請下知事由,依件調練。」二曰:「比年之間,公私雜人,或陸或海,深入遠尋,營求善馬。出關之數,凡千餘匹。夫機急之備,馬尤為用。而無償ワ之徒,每歲搜取。若有罄乏,如非常何。今將施禁制,翻致謗讟。望請下知豐前、長門二國,四年之間,禁止出馬。」三曰:「諸國雜米,各隨其本色,輸納諸司諸所。而或諸司全納用盡,或諸所多致未進,公途有闕。至有期會,不得迴撥。況請庸米、雜米,惣納稅庫,自非符宣,不得輙用。」四曰:「穀倉院地子交易物,比年間令監一人勾當其事,每年交易,輕物輸進。因茲勾當之人,年初請領直稻,其後府司責其返抄。而左右巧容,不肯究進,遂使不知之吏,招放還之煩。熟尋其由,理不可然。凡一官之事,官長所行,縱有其人,何愁不濟。而更置專當,還致物煩。望請當從停止,府司一向交易奉進。」詔從之。明年,敘正四位下。【三代實録。】尋遷民部卿。十七年,兼伊豫權守。【公卿補任。】帝讀史記,詔冬緒特侍其席。明年,敘從三位,【三代實録。】兼播磨權守。【公卿補任。】元慶中,累表請致仕,不許。拜中納言,敘正三位。詔撿校河內、河泉兩國,遙攝其事,頒下國司,聽其處分。數年,轉大納言。上表辭之,不許。尋兼彈正尹。仁和三年,累請致仕,上表曰:「臣懸車之期一過,歸睪之望彌深。叩重闈而未通,叫層昊而無聽。臣舊無蓍耄之恕y,猥居獻宣之官。少不如人,追感燭武之語,老而彌耄,猶恥趙孟之談。故流水不迴,空起歎於川上,漏箭已盡,豈犯罪夜行。伏念,祿俸者,士之所貪求也,聖明者代之所希出也。臣以八十年之殘息,遇一千歲之惟新。方當惜此下春之景,圖彼上庠之榮。疲驂解駕,暫徘徊於層軒之前,涼燕辭巢,猶栖遲於廣廈之下。而月制初迫,氣力不隨,心識之內,邈如河山,手足之間,遠同楚越。仰北闕而隔趍拜,望東岱而催歸魂。撫躬懷辱,兢兢於素餐之惶,揣分知歸,遑遑於青蒲之請。伏冀,降油雲之澤,感匪石之祈。務帶彤影,歸步素里。收龍章之妄寵,就芰服而待終。豈比掛冠都門,疏傳遺漢朝之榮貴,竊慕擊壤野外,逸老樂堯年之餘生。」詔許之。【三代實録。】?平二年,薨,年八十二。【公卿補任一代要記。○按本書享年前後矛盾,今據任大同三年戊子生,及要記元慶元年七十之文訂之。】子灌木,大學助。【尊卑分脈。】
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■科學家拍到鯨鯊排泄過程罕見畫面
http://tech.big5.enorth.com.cn/system/2008/11/19/003789471.shtml

■事故で片目を失った女性、義眼として小型カメラを搭載してくれるエンジニア募集
http://gigazine.net/index.php?/news/comments/20081118_one_eyed/


2008/11/24

狛江

2008-11-24-月 人目故後に逢ふ日の遙けくは我が辛きにや思ひなされむ

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  • 古(むいから)民家園



  • 万葉歌碑:多麻河泊尓 左良須弖豆久利 佐良左良尓 奈仁曽許能兒乃 己許太可奈之伎







大日本史
 伴成益,右京人也。父宇治人,從五位上。成益,少入大學,及長能文章,登進士科,為左京少進。天長中,歴式部少丞、右京少進,授從五位下。承和中,歴大蔵少輔、右少辨、左中辨,敘從四位下。成益為人質直,奉法不阿權貴。【文徳実録。】議僧善恕ァ之訴,奪官爵。【続日本後紀、文徳実録。】嘉祥中,授正五位上。【続日本後紀。】文恕y帝即位,進從四位下,出為丹波權守。境內清肅,以廉潔稱。仁壽二年,卒,年六十四。【文徳実録。】
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2008-11-23-日 如此許り逢ふ日の稀になる人を如何辛しと思はざるべき

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稲荷一色
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  • 名無きな社



折角の休日なので、学校に行く前に、Google Mapで調べた狛江辺りの神社を回ってきました。
奇にも、近くに稲荷しかなさそうです。また、全部小さいのお社で、ご朱印を頂く事が出来ませんでした。


大日本史
 讚岐永直,讚岐寒川郡人也。幼入大學,好讚律令。性甚聰明,一聴輙誦。弘仁中,補明法得業生,兼但馬博士。數年,奉試及第。天長中,為明法博士,歷左右少史,兼勘解由判官。【三代実録。】承和中,授外從五位下,【続日本後紀、三代実録。】為大判事,明法博士如故。歲中,兼勘解由次官。【三代実録。】尋與其族右少史永成等,改姓讚岐公,賜讚岐朝臣,隸右京。【続日本後紀。】歷兼出雲權介、阿波權掾。法隆寺僧善緂告少納言登美直名犯狀,右少辨伴善男與左大辨正躬王執論,善男辯口便佞,蒙帝寵遇,遂誣正躬王等許容善緂違法之訴,免其官爵。先令明法博士等斷正躬等罪。永直畏憚權勢,不肯正言。然執律私曲相須之義,夫忤善男意。嘉祥元年,刑部少輔和氣齊之犯大不敬,當絞。詔減一等,流伊豆。永直坐其事,流佐渡。【三代実録。○続日本後紀佐渡土佐。】及帝不豫,流人遇赦,量移永直,許入京。【続日本後紀。】頃之,復本位。【三代実録。】齊衡中,復為明法博士、【文徳実録、三代実録。】大判事。以老屢乞骸骨,許之。以明法博士養病於家。詔曰:「明法博士律令之宗師也。惜齒在耆耈,不傳正說。宜令諸生就第受讀。」永直閑臥私第,生徒從而受業。式部省就門庭修講竟之禮,法家榮之。貞觀初,敘從五位下。四年,卒,年八十。永直經歷數官,判決能究其旨,後之使司,咸取則焉。大判事興原敏久、明法博士額田今人等,舉刑法難義數十事,欲遣人質問于唐。永直見之,一一辨析,疑滯釋然。其該通如此。子時人,傳父業,改姓和氣朝臣。【三代実録。】至左衛門大尉,【類聚国史。】從五位下。【三代実録。】
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2008-11-22-土 秋は來ぬ今や籬の蟋蟀夜な夜な鳴かむ風の寒さに

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■戦備糧
f:id:kuonkizuna:20081121093612j:image
百元もの。

大日本史
 山田春城,字連城,右京人。曾祖白金,為明法博士,該通律令。言法律者,咸資准據。春城年十五,入學。嵯峨太上皇使皇子源明就學,擇大學生之儁者,與之遊處春城應選,與明讀諸子百家。遙授丹波權博土,以為勉學之資。太上皇崩,仁明帝繼使卒業,侍校書殿,披閱秘書,內藏寮賜食,遙授備後權少目,遷備中權少目。承和十二年,對策下科。明年,為少外記。仁壽元年,授外從五位下。頃之遙,授駿河介。三年,請之任。為政聰察,吏民畏憚之。境內駿河郡有神,號阿氣太神,新遷自伊豆。國司白官,建祠奉祀,禰宜祝等‧附會以奇異,誑惑百姓。春城考訊,窮其姦狀。歲時致享而已。吏民終服。其秋,以事入京,諸儒改判春城策,僉曰:「尺木寸玉,非無瑕節。況於大才,古人猶泥。」陞置乙第,【○本書乙作一,或作丁。按上云承和十二年對策下科,此不當云置丁第。作一者,蓋乙字訛,故今訂之。】敘從五位下,歷勘解由次官、玄蕃頭。天安二年,遷左京亮,兼大學助。時臥病,京職煩劇,不能理事。因罷亮。尋卒,年四十九。春城性甚?裕,而議論切直,無所阿避,不事細藝,不信禨祥,有儒者氣象。【文恕y実録。】
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■魂のソフラン
D


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2008-11-21-金 御吉野の吉野瀧に浮出る泡をか玉の消ゆと見つらむ

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■補給物資

完全版 羊のうた1、完全版 羊のうた3、ハツカネズミの時間1~4、帝都幻談、帝都物語外伝~機関童子、機動戦士ガンダムReon、アウターガンダム、ルー=ガルー(3)、縁切り神社、悠久の翼と蒼き巫女、注文の多い傭兵たち オシイマとその一党のコンピュータゲームをめぐる冒険、機動戦士ガンダム(3) マリアリーディング、1orW 【るーみっくわーるど】高橋留美子短編
殆どそれぞれ百元。

大日本史
 正躬王,萬多親王子也。幼而聰穎,入大學讀史漢,善屬文。年十八,奉文章生試及第。天長中,授從四位下,累遷彈正大弼、刑部大輔、右京大夫,出為丹波守。政尚清簡,民不敢欺。承和七年,任參議,兼左大辨、大和遠江守。【三代実録。】十三年,法隆寺僧善恕ァ告檀越少納言登美直名:「強賈賤物,過取屋直錢。」正躬與同僚上讞,將抵直名罪。右少辨伴善男以為:「正躬為善恕ァ地。」竊奏受善恕ァ違法之訴。於是下明法家議。大判事讚岐永直、博士御輔長道斷文曰:「檢訴狀,直名所犯,準贓布二十二端三丈。據職制律,准枉法論,合遠流。是所告之罪。鬥訟律云:『告人罪,皆須明注年月,指陳実事,不得稱疑。官司受而為理者,減所告罪一等。』今檢諸辨所執,彼此異論,公私難辨。然尋犯由緒,此緣公事致罪,可無私曲。仍須從公坐法,自流上減一等,徒二年半。即罪輕不盡其官,聽贖銅五十斤。」左大史伴良田連宗斷文曰:「諸辨須議善恕ァ申訴者,依令先令著俗衣,然後受訴狀。而正躬王等執云:『僧尼令雖設權俗之法,而元來未施行。』者。其庶務皆以法令為本。今既設權俗之法,何更稱元來未施行。又執云:『為備禁固,處於間奧。防其逃逸,理非資助。』者。凡禁人之體,庶人皆知。寧處於間奧,可謂禁固乎。又執云:『直名於國為姦賊之臣,於家為貪戾之子。』者。又云:『直名為遁發覺,望下僧綱,自恃利口,求當訥舌。正躬等審其奸計,不許自牒。』者。凡設官分職,各有司存。理須任法付所司,何稱訥舌之有司,破法奪他人之職。其鞫獄之官,須置情平直,無有愛憎。而妄搆異端,鍛鍊成罪,斯所謂屈法申情者。又善男出牒,具示違法之由。而成益等執云:『於辨官推訴訟,是往古之舊貫,非昨今之新意。是以申上官,蒙處分。』所問者,其稱舊貫,事是実也。但元不識法意,從舊例有違失者,須隨教喻之旨改正,不可承循違法之舊貫。而確執不移,可謂知意故犯法。名例律所謂:『私罪者,謂不緣公事。私自犯者,雖緣公事,意涉阿曲,亦同私罪。』理須依盜贓五十端已上,從加役流上減一等,處徒三年。身帶五位已上,請減一等,處徒二年半。五位已上,一官當徒二年,餘徒半年,贖銅十斤,合解官者。」彈正大疏漢部松長斷文曰:「今檢成益、岳雄等所執,事緣公論,情無私曲。雖所行違法,猶是公罪。但餘辨所執,尋其論緒,頗涉私曲。稽之律條,可謂私坐。」敕以彼此異論,科斷不同,覆問條奏。永直等皆稱:「檢諸辨所執,可謂有私。雖然未有所曲,仍處公坐。何者,准律。私曲相須,仍成私罪之故。」又問松長曰:「成益、岳雄同為受推之官,而為公坐如何?」松長對曰:「今加覆勘,前斷有失。失錯之罪,更無所避。何者,善男牒狀,雖論律令數條不合受推之理,而無引明注年月指陳実事之律。若有引此律諫彼諸辨,而猶不承者,自從私罪之法。而檢諸所執,既無此文。又永直等勘僧善恕ァ訴狀,辨官應受推否之狀曰。正躬王等執論曰:『善恕ァ元進訴狀之日,副手実結解。就此等狀,年月実事,既是明白。而永直等猶稱不明,遂斷違法。以此觀之,勘發之興,唯在永直等,非是善男意。然則於此一事,善男并諸辨,俱涉誤失,非緣故犯。據檢律條,可為公罪。但自餘違法之事,雖緣公事,意涉阿曲。准法而論,皆是私罪。』」太政官議曰:「今案所答,皆稱有私。加以問善恕ァ處笞四十之由,永直、長道等對曰:『猶合處笞四十。何者,案所執辨官申上,不合俗形。』者。然則辨官許容,不合俗形。准律,官人、百姓共犯罪,以官人為首。仍許容之辨官為罪首,合處笞五十,僧減一等,合處笞四十者。既云許容,豈非挾私。然則有私之說,彼此一同。唯以未有所曲,猶為公罪。仍更詰難,公私之律,上下失所,相須之文,麤注倒義之由。永直等覺悟,更無駁議。以此論之,既非公罪。何者,名例律云:『公罪,謂緣公事致罪,而無私曲者。注云:「私曲相須,即是欲顯公罪之理,更起私曲之文。』私曲二字,其義猶隱。故承私曲之下,設相須之注。然則相待於私曲二事,全無一者,乃名為公罪。既云無私曲,若此二事,互有一者,不合入公坐,其文已顯明。且不公為私,背私為公,是公私之不雜,猶白障テ之自異。然則公坐之中,何得有私;私罪之中,亦宜無公。而長道等云:『有私無曲,或有曲無私,仍為公坐。』者。文義俱亂,其誣已甚。又云:『私曲相須,乃成私罪。』者。仍案私罪之條,終無相須之句。何以無據之傳說,輙亂不疑之成文。上下失所,公私混義,是亦不通也。後經數日,永直等更進所答不盡之狀云:『私曲者,謂私之曲也。相須之句者,合私曲二字為一義,連讀之意也。』今如此說者,私曲是一事。若是一事者,相須之律,終成空文。加以衛禁律云:「弓箭相須。」若云私之曲者,豈是弓之箭乎。舉此一謬,餘隨可知。凡相須與不相須,皆是法律之細例,且史書之中,多有此文。彼此同例,更無異義。忽出新意,強亂舊文,非但當時之戒,當貽後代之疑。加以,長道等初云:『私與曲二者相須,乃成私罪,其後乃變為私之曲。』既云明法,豈有疑辭。而前後殊論,向背異執。斯而不正者,恐涉於弄法。又松長所答,理不可然。何者,諸辨所受訴狀,多乖法式。而復推問之日,頻致違犯。尋其意緒,皆不過資助於訴人,以左右其事。然則資助之情,本末理須一同。受推之咎,故失復何殊別。而松長前後殊言,公私變斷。遂云:『受書一條,當稱誤失。自餘諸事,應為阿曲。』生節目於一事,分輕重於同意。欲辨公私,還徐ョ曲直。又答云:『正躬王等執論曰:「善恕ァ進訴狀之日,副手実結解。就此等狀,年月実事既是明白。」者。仍檢諸辨問狀,善男問中,已有不注指年月実事之條。』然則正躬王等,須當彼時,悔悟所受訴狀,已違法式。而其後,明法博士等申返訴狀之日,正躬王等猶亦以手実結解,執為明白之證,明是故犯,何得為失。即是松長自賊夫人之辭也。又以問狀付永直等,令決是非。其後永直等對云:『諸辨問狀,彼此異執,有疑勾勘。因依訴狀勘申者。』然則善男所問,固為先覺。何稱勘發之興,在永直等乎。謬妄如斯,准的何據。夫理有一途,法無二致。今明法之家,公私異論,輕重殊執,各是自心,遞非人說。遂使視聽多疑,取捨無准。今之評議,実罄愚管。謹案名例律:『私罪,謂不緣公事,私自犯者。雖緣公事,意涉阿曲,亦同私罪。』准據此律,諸辨等自始受訴狀,至于推問之日,其所違犯,已涉私曲。然則處私之斷,誠得其情。所見如此,不敢隱欺者。」【續日本後紀。】式部少輔小野篁亦同善男之議,遂坐受善恕ァ違法訴狀。【文徳実録、三代実録。】正躬及左中辨伴成益、右中辨藤原豐嗣、左少辨藤原岳雄,並徵銅十斤,奪官削爵。嘉祥元年,詔敘正躬從四位下,成益從五位上,豐嗣從五位下。【續日本後紀。】正躬無幾為治部卿。齊衡初,為太宰大貳,進正四位下。妙選僚屬,請橘良基、巨勢夏井為少監。貞觀二年,還京師。明年,拜參議,兼彈正大弼。上表曰:「正躬聲華無算,徳望罕稱。幸荷不時之崇恩,明參非據之重任。分暉銑樹,託派銀潢。猥負丘山之恩,慙無塵髮之效。況亦年鬢云暮,孫息稍眾。名編宗親之籍,身耗府帑之資。臣雖才質空虛,猶冀破家為國。思夫公費,內疚私心。因欲除諸子之王名,與諸臣同齒列;削宗室之繁蕪,省歲時之祿賞。雖至女子,蔭留一身。祿不及子,於其降退,式當悲吟。竊見宗門賜姓者多,臣意所欽,在平朝臣。請除非女子,所有男兒,皆賜平朝臣姓。諸姪希望者,同預於此矣。」許之。子往世王、繼世王、基世王、家世王、益世王、助世王、是世王、經世王、并世王、尚世王、行世王、保世王等十二人,與叔父正行王、子高蹈王等,賜姓平朝臣。五年,遷刑部卿、越前權守。卒于官,年六十五。
 住世,仕文徳、清和、陽成、光孝四朝,為肥後介、甲斐守,至從五位上。基世,仕陽成、光孝二朝,為治部少輔、相模權介,至從五位下。【三代実録。○住世仕文徳朝,據文徳実録。】
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■SPOKEY DOKEY~最近ネコだけでなくいろんなモノを撮っているPhoto BLOGです。
http://blog.livedoor.jp/spokeydokey/



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公式にNews追加、Story更新、応援イラスト(今回はみけおう氏)企画スタート
一番気になるのは、Newsに、夢想灯籠主題歌ジャケットですね。
この前にいくつの提示もありますが、着崩れとは言ってなかったんですね。
和服が着崩れている榊原ゆい氏ですが、ジャケット裏のイラスト意識しているのでしょう。
どころが、本心で言いますと、ジャケット裏をジャケット表に代えて欲しいですね(汗)...
いつのまに天夢さんの「三次元注意」との注意書きを身をもって...(おい
念のために、榊原氏の問題じゃなく、自分の中には「次元の壁」が出来ていた、ということです。トホホ...