2006/01/31

傳曆跋文

2006-01-31-火 掛けて見し末も絶えにし日蔭草何に余所へて今日結ぶらむ

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具合はよくないね..._| ̄|○昨日よりマシだと思いますが...

和気清麻呂の薨伝
 贈正三位-行民部卿-兼造宮大夫-美作備前國造-和氣朝臣-清麻呂,薨.本姓-磐梨別公,右京人也.後改姓-藤野和氣真人.清麻呂,為人高直,匪躬之節.與姉-廣虫,共事高野天皇,並蒙愛信,任右兵衛少尉.神護初,授從五位下,遷近衛將監,特賜封五十戸.姉-廣虫及笄年,許嫁從五位下-葛木宿禰-戸主.既而天皇落飾,隨出家為御弟子.法名-法均,授進守大夫尼位.委以腹心,賜四位封并位祿位田.寶字八年,大保-惠美忍勝叛逆伏誅.連及當斬者三百七十五人.法均切諫,天皇納之.減死刑,以處流、徒.亂止之後,民苦飢疫,棄子草間.遣人收養,得八十三兒.同名養子,賜葛木首.此時,僧-道鏡得幸於天皇,出入警蹕,一擬乘輿.號曰-法王.大宰主神習宜-阿蘇麻呂,媚事道鏡,矯八幡神教言:「令道鏡即帝位,天下太平.」道鏡聞之,情喜自負.天皇召清麻呂於牀下,曰:「夢有人來,稱八幡神使云:『為奏事,請尼-法均.』朕答曰:『法均軟弱,難堪遠路.其代遣清麻呂.』汝宜早參,聽神之教.」道鏡復喚清麻呂,募以大臣之位.先是,路真人-豐永,為道鏡之師,語清麻呂云:「道鏡若登天位,吾以何面目可為其臣.吾與二三子共為今日之伯夷耳.」清麻呂深然其言,常懷致命之志,往詣神宮.神託宣:「云云.」清麻呂祈曰:「今大神所教,是國家之大事也.託宣難信,願示神異.」神即忽然現形.其長三丈許,相如滿月.底本作色如滿月.從類聚叢書清麻呂傳改之.清麻呂消魂失度,不能仰見.於是神託宣:「我國家君臣分定.而道鏡悖逆無道,輙望神器.是以神靈震怒,不聽其祈.汝歸如吾言奏之:『天之日嗣必續皇緒.』汝勿懼道鏡之怨,吾必相濟.」清麻呂歸來,奏如神教.天皇不忍誅,為因幡員外介.尋改姓名,為-別部-穢麻呂,流于大隅國.尼-法均還俗,為別部-狹虫,流于備後國.道鏡又追,將殺清麻呂於道.雷雨晦暝,未即行.俄而敕使來,僅得免.于時,參議-右大辨-藤原朝臣-百川,愍其忠烈,便割備後國封郷廿戸,送充於配處.寶龜元年,聖帝踐祚.光仁帝.有敕入京,賜姓-和氣朝臣,復本位、名.姉-廣虫,又掌吐納,敘從四位下.任典藏,累至正四位下.帝從容敕曰:「諸侍從臣,毀譽紛紜.未嘗聞法均語他過.」友于天至,姉弟同財,孔懷之義,見稱當時.延暦十七年正月十九日,薨.與弟卿約期云:「諸七及服闋之日,勿勞追福.唯與二三行者,坐靜室,事禮懺耳.後世子孫,仰吾二人,以為法則.」天長二年,天皇追思舊績,贈正三位之告身.弟-清麻呂,腳痿不能起立.為拜八幡神,輿病即路.及至豐前國宇佐郡楉田村,有野豬三百許,挾路而列.徐歩前駈十許里,走入山中.見人共異之.拜社之日,始得起歩.神託宣,賜神封綿八萬餘屯,即頒給宮司以下國中百姓.始駕輿而徃,後馳馬而還.累路見人,莫不歎異.清麻呂之先,出自垂仁天皇皇子-鐸石別命.三世孫-弟彦王,從神功皇后新羅.凱旋明年,忍熊別皇子有逆謀.皇后遣弟彦王,於針間、吉備堺山誅之.以從軍功,封藤原縣,因家焉.今分,為美作備前兩國也.高祖父-佐波良、曾祖父-波伎豆、祖-宿奈、父-乎麻呂,墳墓在本郷者,拱樹成林.清麻呂被竄之日,為人所伐除.歸來,上疏陳状.詔以佐波良等四人并清麻呂,為美作備前兩國國造.天應元年,授從四位下,拜民部大輔,為攝津大夫.累遷中宮大夫、民部卿,授從三位.延暦十七年,上表請骸骨.優詔不許,仍賜功田廿町,以傳其子孫.清麻呂練於庶務,尤明古事.撰民部省例廿卷,于今傳焉.奉中宮教,撰和氏譜奏之.帝甚善之.長岡新都,經十載未成功.費不可勝計.清麻呂潛奏,令上託遊獵相葛野地,更遷上都.清麻呂為攝津大夫,鑿河内川,直通西海,擬除水害.所費巨多,功遂不成.私墾田一百町在備前國,永為振給田.郷民惠之.薨時,贈正三位,年六十七.有六男三女.長子-廣世,起家補文章生.延暦四年,坐事被禁錮,特降恩詔,除少判事.俄授從五位下,為式部少輔,便為大學別當.墾田廿町入寮為勸學料,請裁闡明經四科之第.又大學會諸儒,講論陰陽書、新撰藥經大素等.大學南邊以私宅置弘文院,藏内外經書數千卷.墾田卌町,永充學料,以終父志焉.
清麻呂の話になる以上、道鏡と皇統の問題も避けてはならないという事になります。
どころで、帝政が滅びると必ず独裁者が出現しという話が興味深いです。




菅家文草
http://applepig.idv.tw/kuon/furu/text/waka/kanke/bunsou/bunsou.htm
152 仁和元年八月十五日,行幸神泉苑。有詔侍臣。命獻一篇 同敕門存根恩。
    神泉望幸幾寒溫 喜見仙輿出璅門 地縮松江秋水滿 人招柳市古風存
    無辭野釀添顏色 不倦伶蕭報耳根 日暮歸時明月下 迴頭更畏戴皇恩
菅原道真菅家文草』巻第一0152

と言うわけで休みましょう...


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2006-01-30-月 別つより翌晨の袖ぞ濡れにける何をひるまの慰めにせむ

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お腹の調子は最悪です、今でも続きます。_| ̄|○
どうやら普段は余り食事とらないため帰省するといきなり食べ過ぎ...


菅家文草
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151 秋夜,宿弘文院
    信腳涼風得自由 弘文院裏小池頭 紀司馬以他門去 藤少府因入室留
    梁上雞遲知未曉 枕邊蛬急欲深秋 非無敝宅安眠臥 乘輿來時物外遊
菅原道真菅家文草』巻第一0151

聖徳太子伝暦
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十、傳曆跋文
 聖德太子入胎之始,在世之行,薨後之事,日本書紀在焉.四天工寺壁聖德太子傳,并無名氏撰傳補闕記等,其載大槩,.不盡萎曲.而今逢難波百濟寺老僧,出古老錄傳太子行事奇蹤之書三卷.與四卷曆錄比校年曆,一不誤.余情大悅,載此一曆.恐以言不經,覽者致哂.庶不遺小說,貽彼聖跡.豈以輒潤色妙德乎.
 贊曰:
  微哉佛法 杳矣玄風 過去無始 當來無終  託生鍊骨 現死還躬 歷涉沙界 徽猷叵窮
  我伊太子 降跡王宮 垂化後世 知之有通  奇蹤妙轍 遺習緇眾 拾集成卷 庶傳幼童

聖德太子傳曆 終


聖德太子傳曆下卷 迄

底本:楊雲萍文庫藏 古活字版『聖德太子傳曆』
入力完了。

闇鍋戦争(ドゥンケルハイトより)
http://www3.starcat.ne.jp/~ss-loki/yaminabe03.html
強化魔術というのは、ぶっちゃけ何にでも掛けられるのよ。
例えば、マリみてかければこうなるわね...なんでやねん


中山世鑑
昔、天城に、阿摩美久ト云神、御座シケリ。天帝是ヲ召シ、宣ケルハ、此下ニ、神ノ可住霊処有リ。
去レドモ、未ダ島ト不成事コソ、クヤシケレ。爾降リテ、島ヲ可作トゾ、下知シ給ケル。阿摩美久畏リ、降リテ見ルニ、霊地トハ見へケレドモ、東海ノ浪ハ、西海ニ打越エ、
海ノ浪ハ、東海ニ打越シテ、未ダ島トゾ不成リ。程去程ニ、阿摩美久、天ヘ上リ、土石草木ヲ給ハレバ、島ヲ作リテ奉ントゾ、奏シケル。天帝、感有テ、土石草木ヲ給リテオレバ、阿摩美久、土石草木ヲ持下リ、島ノ数ヲバ作リテケリ。



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2006-01-29-日 七夕に今朝引く絲の露を重み撓む景色も見でややみなむ

[]帰省 帰省を含むブックマーク 帰省のブックマークコメント 編集CommentsAdd Star

実感あまりないね(汗)...

菅家文草
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150 七月七日,憶野州安別駕
    非無遠信屢相聞 此夕殊思欲見君 珍重牽牛期曉漢 悵然別駕隔秋雲
    定知靈匹同時拜 惟恨詩情兩處分 依乞平安歸洛日 滿庭香粉幾紛紛
菅原道真菅家文草』巻第一0150

聖徳太子伝暦
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九、孝德天皇三十七代
 元年,乙巳,即為-大化元年.初蘇我臣-入鹿,時人稱-太郎是也.失君臣之序,關社稷之權.于時,天皇中大兄皇子患之,欲棄恐不能濟也.中臣-鎌子連,為性忠正,有匡濟之心.與二皇子相謀,令中大兄皇子權娶蘇我-山田石川麿大臣女,而成婚姻之昵.相通謀事,以為內扶.約束已訖.屬三韓進調,齊明天皇御大極殿,古人大兄皇子侍之.詔召入鹿.入鹿為性多疑,晝夜持劍.鎌子連戲令解.入侍于座.山田石川麿,讀唱三韓表.中大兄皇子自執長鎗,隱於殿側.鎌子連等,帶弓矢,為助衛.以佐伯連-子麿、葛木稚犬養連-網田二人,充專斬之手.子麿等,怖振不進.石川麿臣,身振聲亂,不能讀表.入鹿問曰:「何故振戰?」對曰:「恐天皇.」爰大兄皇子,見子麿等畏入鹿威而不進,曰:「咄哉!」即率子麿等進出,以劍擊入鹿,割傷其頭肩.入鹿驚起走,亦傷其一腳.轉就御座,叩頭曰:「臣不知罪,乞垂恩察!」天皇大驚,詔曰:「何事如此?」中大兄皇子,伏地奏曰:「入鹿盡滅天宗,將傾皇位.」天皇起入大殿,手閉殿門.遂命子麿等,殺入鹿.以屍賜父-蝦夷臣.臣知將及誅,悉燒天皇紀、國記、珍寶.大臣-蝦夷臣,遂自殺.合門被誅,一旦而滅.聖德太子平生之歎,因果禍報,於此知矣.



2006/01/28

三途川吾より先に渡りなば水際にわぶる身とやなりなむ

2006-01-28-土 かくめりと見れば絶えぬる細蟹の絲故風の辛くもあるかな

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実は、1/27が帰省予定だったの。でも、雨。
今のところはパス電車しか移動手段が無いから、
パソが濡れると色々まずいと思って、土曜(大晦日)にしよう...
というわけで、先に言い置く、旧正月おめでとう。

■大嶽丸かわいいよ大嶽丸
田村の草子を入力しながら、大嶽丸って面白い、とつい思いました。
 案の如く、日暮れければ、大嶽丸、美しき童子と成り、鈴鹿御前の御枕に立寄りて。
  ≪岩ならず、枕成りとも、口やせん、夜夜の涙の、露の積もれは。≫
 と詠み、袂(たもと)を顔(かほ)にをし当てて泣きける、鈴鹿御前は、兼ねて巧みし事なれば、返し。
  ≪口はてん、枕は垂れに、おとらめや、人こそしらね、堪えぬ涙を。≫
 と詠み給へば、大嶽丸是を聞き、怖いかに、ちつかに文の重なるまで、一度の御返事たに無かりつるに、只今の人の言葉の嬉しさよ。誠なるかな、目に見えぬ鬼神をも憐れと思はせ、男女の中をも和らげ、彪武士の、心を慰むは歌也。我歌の道を知らずしては、如何で此君と契りなん、天晴(あつはれ)歌詠みかなと、漫ろに我身を譽たりける。
思わず吹いた。
先ず、大嶽丸は古今和歌集仮名序を読んだってこと。あと、大嶽丸で甘すぎるってこと。


菅家文草
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149 相府文亭,始讀世說新書。聊命春酒,同賦雨洗杏壇花。應教一首
    學者誰家異杏壇 紅花好是語中看 功能欲效雲先潤 爕理應知樹不寒
    唯有十旬相長養 豈教五出且銷殘 晚來春酒終無算 花色人顏醉一般
菅原道真菅家文草』巻第一0149

聖徳太子伝暦
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八、皇極天皇三十六代
 元年,壬寅,春正月,即位.大臣-蘇我蝦夷臣如故.于時,大臣子-入鹿自執國政,威勝於父.盜賊恐怖,路不拾遺.
 二月,百濟使弔先天皇之喪.使人言:「國內大亂,弟王子兒-翹岐及其男女,并內佐平-高名人等四十餘人,為鴨王所殺.高麗使來朝,貢調.言曰:「去年九月,大臣-入霞殺大王并伊梨渠世斯等一百八十餘人.仍以弟王子兒,為王.即以已同姓人,為大臣.緣斯,國內大亂也.
 三月,無雲而雨.
 秋七月,客星入月中.大旱.或殺牛馬,祭諸社.或頻移市,及祈河伯等.每寺讀經,或大臣自執香爐祈誓,尚不能雨.
 八月,天皇行幸南淵河上.跪拜四方,仰天祈.即雷大雨.連雨五日.百穀成熟.
 九月,詔發近江、越國丁男,起造百濟大寺.
 冬十二月,大臣-蘇我臣-蝦夷,立己祖廟於葛城宮,而為八佾之舞.遂作歌矣.又發舉國人民并一百八十部曲,預造雙墓於今來野.一曰-大陵,為大臣墓.一曰-小陵,為入鹿墓.
 二年,癸卯,春三月,五色大雲,滿覆於天.一色青霧,周起於地.
 秋七月,河內茨田池水臭.其色如藍汁,大小魚皆死爛.
 冬十月,大臣-蝦夷臣,臥病不朝.私授紫冠於男-入鹿,擬大臣位.復呼其弟字,曰-物部大臣.大臣祖母-物部弓削大連之妹也.因以為威也.
 十一月,入鹿臣,獨遣小德-巨勢臣-德太等,欲率兵殺山背大兄王等於斑鳩宮.於是,大兄王奴-三成率數十人拒戰.出於萬死,鋒不可當.然而大兄王,即取獸骨,投置內寢.率子弟,從間道出,隱膽駒山.軍眾燒斑鳩宮,見于骨灰中,而皆謂王已死.解圍退去.大兄王謂左右曰:「我以一身,豈煩萬民.」不欲使言後世之人由吾故而喪父子兄弟.還斑鳩宮,遂與子弟等,自絞而死.于時,雲色變化,為五色幡蓋.種種妙樂,照灼於空,臨垂於寺.有人指示入鹿,則變為黑雲.大臣聞入鹿弒大兄王等,歎曰:「我亡不久!」
 山背大兄王、殖栗王、茨田王.王次位、卒未呂王、菅手女王、舂米女王、近代王、桑田女王、磯部女王、三枝王、三枝王末呂古王、馬屋女王、財王、日置王、片岡女王、白髮部王、手嶋女王.孫-難波王、末呂女王、弓削王、佐保女王、佐佐王、三嶋女王、甲可王、尾張王等也.
 于時,王子等皆入山中.經六箇日,辛卯辰時,弓削王在斑鳩寺,大狛法師手弒此王.山背大兄王子,率諸弟并王子等,出山中,而入斑鳩寺塔內.立大誓願曰:「吾暗三明之智,未識因果之理.然以佛言推之,我等宿業,于今可賽.吾捨五濁之身,施八逆之臣.願遊魂蒼旻之上,陰入淨土之蓮.」擎香爐大誓.香氣郁烈,上通烟雲.天上三道,現種種仙人之形,種種伎樂之形,種種天女之形,種種禽獸之形,向西方飛去.光明炫耀,天花雰散,音樂妙響.時人仰看,遙加敬禮.當于此時,諸王共絕.諸人皆嘆:「未曾有!」曰:「王等靈魂,天人迎去.」而賊臣等,目唯看黑雲,耳復聞微雷覆于寺上.賊臣滅太子子孫,謂快其意,乃告於父大臣.大臣大驚,拍手曰:「聖德太子子孫無罪,奴等專輒奉除.我族滅門,其期非遠.」者.後年合門被誅,亦如其言.一何可奇乎.
 三年,甲辰,冬十一月,大臣并入鹿,起二家於甘櫓嶽上.大臣家外,作城垣,積貯兵食.又氏氏人等,入侍其門.名為-祖子孺者.大臣傲奢,無君之意,日日彌深焉.時人危之.故天皇讓位於皇太子,自為皇祖母尊.
 一說,甲辰年三月八日,東方種種雲氣飛來,覆斑鳩宮上,連天,良久而消.又有種種奇鳥,自上下,自四方飛來悲鳴.或沖天或居地,良久即指東方去.又溝瀆池川魚鱉,咸自死爛.天下姓民,填道合門,哭愴之聲,日夕不輟.又諸池水色,皆變為血,太臭矣.
 又六月,海鳥飛來,居上宮門.
 又十一月,飽波村有虹,終日不移.時人太異焉.又王宮有不識草,忽開青花,須臾而萎.又有二蟇,如人立行.又有二赤牛,如人立行.又有無量蛙,匍匐王門.有少子,造弓射之,為樂也.又童子相聚,謠日:「盤上兒猿米拂米谷裙喫而今核山羊之伯父.」又謠曰:「山背之菟手之枝枝水金丹相看杜根,免手之枝枝.」此二謠,始起王子孫未減之前.王子孫滅後,猶不之止.
 亦說曰,寺被災之後,眾人不得定寺處,故百濟人法肺率眾人,令造楓野蜂岡寺,又造河內國高井田寺.又百濟開法師、圓明法師、下冰君-新物等三人,合造三井寺矣.
 又日,太子平生之日,常嘆曰:「吾得合意妻與馬,但馬子未得.」召天下大盜最秀者,而駈使.然命駕之日,調使麿不離馬後,躡雲而行.生年八十四,己巳年死.其子-足人,年十四出家,住大安寺.
 舍人-宮池鍛師,太子生年十五之時,始為舍人.依好田獵,太子不寵.壬申年,悔過出家,住法隆寺,禪行第一也.太子禮之.太子薨,後年夏五月,發願自絞而死.
 舍人-近江人-膳臣-清國,能書被寵,寫許多經.賜大仁位.
 舍人-物部連-兄麿,性有道心,常以齋食.後為優婆塞,常侍左右.癸巳年賜武藏國造,而退賜小仁位.除四人外,有氏氏名人等,皆為不合,而罷者數十百人,不得其傳.家人馬手、革衣、香美、中見、大古、波多、犬養、公削、許母、河見等十人,為奴婢首領.其胤子今在法隆寺,分在四天王寺.婢-黑女、奴-連麿等,常訴冤枉.連麿弟-益浦,性堪領寺,為法隆寺法頭.冤枉奴婢等根本,於妙教寺,訪定藏置.于今未免.

日本逸史
http://applepig.idv.tw/kuon/furu/text/kouki/issi/issi01.htm
一部をアップしました。が、今の所は日本後紀の逸文より不足って感じ。
一体、日本逸史は日本後紀の不足を補す事ができるか、
それとも日本後紀逸文巻を作る時の参考史料なのか、これから調べましょう。

メード喫茶から女性店員連れ去る 無職男を現行犯逮捕
http://www.asahi.com/national/update/0127/TKY200601270207.html
或る意味予想できないでもない...

■無事だそうです。
f:id:kuonkizuna:20060128104501j:image


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2006-01-27-金 三途川吾より先に渡りなば水際にわぶる身とやなりなむ

[]風邪 風邪を含むブックマーク 風邪のブックマークコメント 編集CommentsAdd Star

一昨日から、風邪引きました。
そりゃそうだろう、普段から食事を余りやって無いし、最近徹夜ばかり...
御蔭様で風雨来記2をやっと全部クリアしましたけど(汗)。

菅家文草
http://applepig.idv.tw/kuon/furu/text/waka/kanke/bunsou/bunsou.htm
148 早春內宴,侍仁壽殿,同賦春娃無氣力, 應製一首 并序。
    早春內宴者,不聞荊、楚之歲時。非踵姬、漢之遊樂。自君作故,及我聖朝。殿庭之甚幽,咲嵩山之逢鶴架。風景之最好,嫌曲水之老鶯花。節則新焉,一人有慶,年惟早矣,萬壽無疆。於是,粧樓進才,粉妓從事。纖手細腰,受之父母,軟雲襛李,備于髮膚。況陽氣陶神,望玉階而餘喘。韶光入骨,飛紅袖以嬴形。彼羅綺之為重衣,妬無情於機婦,管絃之在長曲,怒不闋於伶人。變態繽紛,神也又神也。新聲婉轉,夢哉非夢哉。臣通籍正門,蹈綵霞而失步。登仙半日,問青鳥以知音。樂之逼身,詞不容口。請祝堯帝,將代封入云爾。謹序。
    紈質何為不勝衣 謾言春色滿腰圍 殘粧自嬾開珠匣 寸步還愁出粉闈
    嬌眼曾波風欲亂 舞身迴雪霽猶飛 花間日暮笙歌斷 遙望微雲洞裏歸
菅原道真菅家文草』巻第一0148

聖徳太子伝暦
http://applepig.idv.tw/kuon/furu/text/monogatari/tamura/tamura.htm
七、舒明天皇三十五代
 元年,己丑,春正月,即位.初小墾田天皇三十六年三月崩,嗣位未定.當此時,唯有田村皇子及山背大兄王.大兄王是上宮聖德之子,母蘇我馬子大臣之女也.其舅-毛人臣,見亦為大臣.民望所係,唯在此王.大臣欲令嗣帝位,恐群臣不協.大會朝臣,問曰:「誰可嗣位?」群巨無敢先答.是日,太部-鯨子連,獨進曰:「試以奉順遺詔,立田村皇子.不可更議.」依此,大臣及群臣決,竟定策,遂立天皇.於是,大臣叔父-蘇我境部臣-垸瀨,欲立山背大兄王,而不從群議.遂構相怨矣.大臣興兵,殺垸瀨臣并二子.即獻神璽天皇.天皇固辭不受.然不勝群臣至願,乃即皇位矣.
 二年,庚寅,冬十月,天皇遷於明日香岡本宮.
 三年,辛卯,百濟王-義慈,入王子-豐璋為質.是今百濟王之祖也.
 四年,壬辰,冬十月,大唐使-高-表仁來.
 六年,甲午,春正月十五日,建豐浦寺塔心柱.
 秋八月,長星見南方.
 七年,乙未,春,復見東方.
 八年,丙申,春正月,朔,日蝕.
 夏六月,災岡本宮.
 九年,丁酉,春二月,大星從東流西,有聲如雷.時僧旻法師日:「是謂天狐也.」
 是歲,蝦夷叛之.
 一年,己亥,春正月,無雲而雷.長星見西北.天下大飢.
 冬十一月,於百濟河側大寺,建九重塔.
 十二年,庚子,春二月,星入月中.
 冬十月,遷百濟宮.
 十三年,辛丑,冬十月,天皇崩.葬押坂內山陵矣.


■慶祝抗戰勝利60週年─為勝利而生音樂會
http://gpwd.mnd.gov.tw/web2/web2_a/music/music_f.htm

年賀状コーナー
http://applepig.idv.tw/kuon/special/contribution/mimai/2666ny/2666_ny.htm
和の天夢森流彩さんから寒中見舞い

2001年までCARNELIAN氏関連ゲームリスト(神無Keiより)
http://blog.xuite.net/kanna.kei/acg/4924667#

火星に帰れ!(IGT偵探趣味より)
http://elielin.chu.jp/blog/?p=90
elielinさん中国語ブログより、先日私が「外道」だと思うあの試験問題についての話。

2006/01/26

日本紀略

2006-01-26-木 うち傍見君一人見よまろこすげまろは人すげなしと言ふ也

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嫌オタク流
他の人は兎も角、オタクなら殊更読むべきではないかと思います。

神社のススメ(3) (アフタヌーンKC)
最近が數少ない読んでいるマンガの一つ。


菅家文草
http://applepig.idv.tw/kuon/furu/text/waka/kanke/bunsou/bunsou.htm
147 賦木形白鶴 八年十二月廿五日夜,金吾納言,祝四十年法會賦之。
    從初展翅未知雲 隨手來時暫有群 清淚無期何歲月 金吾願得一聲聞
菅原道真菅家文草』巻第一0146

聖徳太子伝暦
http://applepig.idv.tw/kuon/furu/text/monogatari/tamura/tamura.htm
 太子薨後年一年,癸未,秋七月,新羅任那使等來朝.仍供佛像、金塔、舍利、大小幡等物.又大唐學問僧-惠濟、惠光、惠日、福因等來.二國使人并僧等,聞太子去年薨,各向墓門,舉哀大哭.相語曰:「非王之本意,何處獻佛像、舍利等?」領客教喻,令貢朝廷.
 申年卅二年,有一僧以斧殺祖父.詔曰:「豈有太子存,致此不孝乎!」爰百濟僧-觀勒,上表言:「佛法自西域至漢地,經三百歲,乃傳百濟.百年之後,乃至天朝.今此僧未習法律,輒犯惡逆.願除一僧,自外悉赦.」天皇聽之,詔曰:「道人尚如此,何以誨俗人?仍以觀勒為僧正,以鞍部-德積為僧都.自今以後,宜校檢僧尼,云云.」
 卅四年,丙戌,夏五月,馬子大臣,薨.葬桃原墓.遺言:「畫太子像自跪其前之繪,張吾墓前,令觀眾人.」
 此歲,天下大飢.自三月至七月,霖雨之.老者瞰草根,而死于道上;幼者含乳,以母子共死.盜賊大起,不可禁止焉.
 卅六年,戊子,春二月,天皇不悆.遺詔曰:「田村皇子,宜纂大業.」仍詔山背大兄王曰:「汝年少,宜從群臣.」即崩大殿.葬科長山田村陵.




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2006-01-25-水 うち傍見君一人見よまろこすげまろは人すげなしと言ふ也

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面接試験実験室の先輩も修士卒業確認!おめでとう!!
そのあと、先輩と先生先生先生(面接官の一人)と一緒に食事に行って来ました。
えと、先生先生はね...一日中駄洒落連発をしていた(汗)..._| ̄|○

というわけでこれからは旧正月風雨来記2やる予定です。

菅家文草
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146 相國東廊,講孝經畢。各分一句,得忠順弗失而事其上
    士出寒閨忠順成 樵夫不歎負薪行 雲龍闕下趨資父 槐棘門前跪事兄
    一願偷承天性色 參言半帶孔懷聲 侍郎無厭官衙早 誰道遺孤忝所生
菅原道真菅家文草』巻第一0146

聖徳太子伝暦
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 廿九年五十歲,辛巳,春二月,太子在斑鳩宮,命妃沐浴.太子亦沐浴.服新潔衣袴,謂妃曰:「吾今夕遷化矣.子可共去.」妃亦服新潔衣裳,臥太子副床.明旦,太子并妃,久而不起.左右開殿戶,乃知遷化.是時,大臣已下群臣百官天下眾生,悉如亡父母.哭泣之聲,滿行路.天皇聞之,舉音大哭.車駕臨宮,失聲叫躍.大臣已下,復大擗踊.相謂曰:「日月失輝,天地既沒.」大臣攜棺,將殮太子并妃.其容如生,其身太香.舉太子屍,輕如衣服.妃亦同之.造雙棺置大輿,葬科長墓.直置墓內,閉南隧門.葬送之儀,同於乘輿.陪侍之人,各擎香花.釋眾讚唄.自斑鳩宮至于墓處,道之左右,百姓如墻,各擎香花.或失聲大哭,或佛歌連韻.不待官告,素服皆著之.天皇送墓,遠以看之.淚不乾袂,音無餘響.天皇敕大臣,置守墓戶十烟.葬送之後,外國百姓,遠來迴墓.相聚叫哭,日夕不絕.五十日後,漸有減耗.有一異鳥,形如鵲,其色白.常棲墓上.烏、鳶到,即遠追去.時人名為-守墓鳥.三年之後,復更不來.于時,高麗-惠慈法師聞太子薨,大悲曰:「我雖異國,心在斷金.」即待明年太子薨日,即目閉氣死.時人大異焉.太子薨日,驪駒悲鳴.不喫草水,被太子鞍,隨輿到墓.閉隧之後,見墓大鳴,一躍而斃.群臣大異焉.將還其屍,埋中宮寺南墓.蘇我-馬子大臣,初興佛法於我國,久輔國柄於朝廷,遇儲君太子,如水魚.興隆三寶,紹發二諦.始起四大王寺法隆寺、元興寺、中宮寺、橘樹寺、蜂岡寺、池後寺、葛城寺、日向寺、定林寺、法興寺,合十一院.

■田村草子
 と打眺(なが)めて、唯茫然として居給ふに、有し人の來り、とくとく我方(かた)へ御入候べしと、語らひ行て、比翼の契り淺からず、來たるともなく月日を送りけるが、或る夜の睦言に、吾は此山に假に來りて三歳也。御身此山の鬼神を従へ給はむとて、來り給ふとも敵ひ難し、我力を添へ奉らむ為に、假に此界に降る也。斯の大嶽丸、我に契りを込めんとて、様様言ひ寄る也。我謀り事にて、容易く討たせ申べし、御心易く思ひ、一向(ひたすら)に頼み給へ、更は我後をしたひ給へと有しかば。

日本紀略
日本紀略 後篇六
 圓融院
 諱守平,村上天皇第五之子也.母-贈皇太后-藤原-安子,故又大臣-師輔朝臣之女也.
 天德三年三月二日寅時,誕生.
 十月廿五日,為親王.
 應和元年八月十六日丁未,著袴.
 康保三年八月廿日壬子,於弘徽殿初受蒙求於柬宮學生-大江-齊光.召文人賦詩.
 四年九月一日,立為皇太弟.年九.
 同廿三日,賜封千戶.
 安和二年八月十三日戊子,冷泉院天皇逃位,讓於天皇.于時,新帝年十一.
 新主於襲芳舍,受禪.詔令太政大臣-藤原朝臣,實賴.輔佐幼主,攝行政事,如貞信公.忠平.故事.又立先帝.冷泉.第一皇子師-貞親王,為皇太子.年二.在條第,其時令齎劍璽於內侍,參凝華舍.
 先帝遷御弘徽殿,天皇上表謝之.不許.
 今日,補藏人等.
 十五日庚寅,攝政,實賴.上表.
 同日,返給上表.中使-左近少將-時中朝臣.
 十六日辛卯,先皇出御冷泉院.
 敕聽太政大臣.實賴.乘牛車出入上東門.
 十八日癸已,攝政重上表.
 十九日,返給上表.中使-左近中將-元輔.
 今日,定頭藏人及色色雜事.
 廿二日丁酉,定考.
 廿五日庚子,太上天皇尊號,詔大內記-伊輔作之.大內記伊輔姓-紀.又見下文,卷四天德四年三月十九日所謂與源伊輔,自別人.又贈妣贈皇太后-藤原-安子,太皇大后.昌子為皇大后.
 太政大臣.實賴.上表,有敕答.
 廿八日癸卯,春宮坊除目.
 是日也,太上天皇,冷泉.上書,謝尊號.
 今日,太政大臣賜隨身內舍人以下近衛等.
 九月一日乙巳.闕文.
 三日,御燈.
 四日戊申,內裹有五體不具之穢.七日為限.
 五日己酉,聽侍中禁色雜袍宣旨.
 六日庚戌,敕,令太政大臣內覽事.
 七日辛亥,前齋院-婉子內親王,為尼.
 十日甲寅,伊勢奉幣前齋日也.有五體不具之穢內,然而依先例.
 十一日乙卯,奉幣使被立之.
 今日,雜袍宣旨卌一人也.
 今日,入道-婉子內親王,薨.醍醐第七女.
 伊勢例幣,依前齋院-婉子薨,延引.仍有大祓.
 十三日丁己,小除目.
 十六日庚申,奏婉子內親王薨之由.
 廿日甲子,十月節.天皇從襲芳舍,遷御清涼殿.
 今日,發遣伊勢奉幣使,告申即位之由.拜神嘗祭也.
 致平親王,敕授帶劍.
 廿一日乙丑,於太政大臣.實賴.職曹司,有敘位.
 今夜,內教坊燒亡.

2006/01/24

古今和歌集仮名序

2006-01-24-火 柏木の森だにしけく聞く物をなどか三笠の山のかひなき

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古今和歌集仮名
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一、本質論
 和歌は,人の心を種として,萬の辭とぞなれりける。
 世中に或る人、事、業,刺激物なれば,心に思ふ事を,見る物、聞く物につけて,言ひ出せる也。花に鳴く鶯,水に棲む蛙の聲を聞けば,息とし生ける者,孰れか歌を詠まざりける。
 力をも要れずして,天地を動かし,目に見えぬ鬼神をも哀れと思はせ,男女の仲をも和らげ,彪き武士の心をも慰むるは,歌也。

二、起源
 此の歌,天地の開け始まりける時より,居できにけり。〔天浮橋の下にて,女神男神と成り給える事を言へる歌也。]しかあれども,世に伝はる事は,久方の天にしては,下照姫に始まり[下照姫とは,天稚彥の妻也,兄の神の形,崗谷に移りて,輝くを詠める夷歌なるべし,此れらは文字の數も定まらず,歌の様にも有らぬ事ども也。]荒かねの土にては,素戔鳴尊よりぞ,興りける。
 千早振る神代には,歌の文字も定まらず,素直にして,事の心わき難かりけらし。人世と成りて,素戔鳴尊よりぞ,三十一字は詠みける。[素戔鳴尊は,天照孁貴神の弟神也。【原文ハ兄神ナリ。記紀ヨリ改ス。】女と住給はむとて,出雲國に宮造りし給ふ時に,その所に八色雲の立つを見て詠み給へる也,《八雲立つ出雲八重垣妻篭めに八重垣作るその八重垣を》。]
 斯くてぞ,花を愛で,鳥を羨み,霞を哀れび,露を悲しぶ心,辭多く,様様に成りにける。遠き所も,居で立つ足元より始まりて,年月を渡り,高き山も,麓の塵土より成りて,天雲たなびくまで追ひ昇れる如くに,此の歌も,斯くの如く成るべし。
 難波津の歌は,帝の御始め也。[大鷦鷯帝の,難波津にて皇子と着こえける時,東宮を互ひに譲りて,位につきたまはで,三年になりにければ,王仁と言ふ人の訝り思て,詠みて奉りける歌也,此の花は梅の花を言ふなるべし。]
 安積山の辭は,采女のたはぶれより詠みて,[葛城の大君を陸奥へつかはしたりけるに,國の司,事おろそかなりとて,まうけなどしたりけれど,すさまじかりければ,采女なりける女の,かはらけとりてよめるなり,これにぞおほきみの心とけにける,安積山かげさへ見ゆる山の井のあさくは人をおもふのもかは。]この二歌は,歌の父母の様にてぞ,手習ふ人の始めにもしける。

三、歌體論
 そもそも,歌の態,六つ也。唐の歌にも,斯くぞ有るべき。
 その六種の一つには,風歌。
 大鷦鷯帝を,風へ奉れる歌,《難波津に咲くやこ此の花冬ごもり今は春べと咲くや此の花》と言へるなるべし。
 二つには,賦歌。
 《咲く花に思ひつくみのあぢきなさ身にいたつきのいるも知らずて》と言へるなるべし。[此れは,唯事に言ひて,物にたとへなどもせぬもの也,この歌いかに言へるにかあらむ,その心得がたし。五つに雅歌と言へるなむ,これには叶ふべき。]
 三つには,比歌。
 《君に今朝晨の霜のおきていなば戀しきごとに消えやわたらむ》と言へるなるべし。[此れは,物に比へて,それが様になむあると様に言ふ也。この歌よくかなへりとも見えず。たらちめの親のかふこの繭篭りいぶせくもあるかいもにあはずて。かやうなるや,これにはかなふべからむ。]
 四つには,興歌。
 《我が戀はよむともつきじ荒磯海の濱の真砂はよみ尽くすとも》と言へるなるべし。[此れは,萬の草木,鳥けだ物につけて,心を見する也。此の歌は,隠れたる所なむなき。されど,始めの風歌と同じやうなれば,少し様をかへたるなるべし。須磨のあまの塩焼く煙風をいたみ思はぬ方にたなびきにけり,この歌などやかなふべからむ。]
 五つには,雅歌。
 《偽の無き世なりせばいかばかり人の言の葉嬉からまし》と言へるなるべし。[此れは,事のととのほり,正しきを言ふ也。此の歌の心,さらにかなはず,とめ歌とや言ふべからむ。山櫻あくまで色を見つる哉花散るべくも風吹かぬ世に。]
 六つには,頌歌。
 《此の殿はむべも富けりさき草の三つば四葉に殿造りせり》と言へるなるべし。[此れは,世を譽めて神に告ぐる也。此の歌,いはひ歌とは見えずなむある。春日野に若菜つみつつ萬世を祝ふ心は神ぞ知るらむ。此れらや,少しかなふべからむ。大凡,六種に分かれむ事はえあるまじき事になむ。]

四、變遷論
 今の世中,色につき,人の心,花になりにけるより,あだなる歌,儚き言のみいでくれば,色好みの家に,埋れ木の人知れぬこととなりて,まめなるところには,花すすき穂にいだすべきことにもあらずなりにたり。
 その初めを思へば,かかるべくなむあらぬ。古の世世の帝,春の花の晨,秋の月の夜ごとに,さぶらふ人人をめして,事につけつつ,歌を奉らしめ給ふ。あるは,花をそふとて,たよりなき所にまどひ,あるは,月を思ふとて,しるべなき闇にたどれる心心を見給て,さかし,をろかなりと知ろしめしけむ。
 しかあるのみにあらず。さざれ石にたとへ,筑波山にかけて君を願ひ,悦び身に過ぎ,楽しび心に余り,富士の煙によそへて人をこひ,松虫のねに友を偲び,高砂,住の江の松も,相追の様に覚え,男山の昔を思ひいでて,女郎花の一時をくねるにも,歌を言ひてぞなぐさめける。
 又,春の晨に花の散るを見,秋の夕ふぐれに木の葉の落つるを聞き,あるは,年毎に,鏡の影に見ゆる雪と浪とを嘆き,草の露,水の泡を見て我が身を驚き,あるは,昨日は榮えおごりて,時を失ひ世に詫び,親しかりしもうとく也,あるは,松山の浪をかけ,野中の水を汲み,秋萩の下葉を眺め,暁のしぎの羽掻きを数へ,あるは,くれ竹のうき節を人に言ひ,吉野河をひきて世中をうらみきつるに,今は,富士山も煙立たず也,長柄の橋も作る也と聞く人は,歌にのみぞ,心を慰めける。

五、歌聖評
 古より,斯く伝はる中にも,奈良の御時よりぞ,広まりにける。斯の御世や,歌の心をしろしめしたりけむ。
 斯の御時に,正三位,柿本人麿なむ,歌の聖なりける。此れは,君も人も,身をあはせたりと言ふなるべし。秋の夕べ,龍田河に流るる紅葉をば,帝の御目に,錦と見給ひ,春の晨,吉野の山の櫻は,人麿が心には,雲かとのみなむおぼえける。
 又,山辺赤人と言ふ人有りけり。歌にあやしく,妙なりけり。
 人麿は赤人が上に立たむことかたく,赤人は人麿が下に立たむことかたくなむありける。[奈良の帝の御歌,龍田河紅葉みだれて流るめりわたらば錦なかやたえなむ。人麿,《梅花それとも見えず久方のあまぎる雪のなべて降れれば。ほのぼのと明石の浦の朝霧に嶋がくれ行舟をしぞ思ふ》。赤人,《春の野に菫摘みにとこし我ぞ野を懐かしみ一夜寝にける。わかの浦に潮満ちくれば方をなみ葦辺をさしてたづ鳴きわたる》。]
 この人人をおきて,又優れたる人も,くれ竹の世世に聞こえ,片糸のよりよりに絶えずぞありける。これより先の歌を集めてなむ,万葉集と名付けられたりける。

六、六歌仙
 此処に,古の事をも,歌の心をも知れる人,僅かに一、二人也き。しかあれど,これかれ,得たる所,得ぬ所,互ひになむある。  斯の御時より此の方,年は百年余り,世は十繼になむ,なりにける。古の事をも,歌をも知れる人,詠む人多からず。今,此の事を言ふに,司位高き人をば,容易きやうなれば入れず。
 其の他に,近き世に,其の名聞こえたる人は,即ち:
 僧正遍昭は,歌の態は得たれども,誠少なし。喩へば,絵に描けるを女を見て,徒に心を動かすが如し。[《浅緑糸よりかけて白露を玉にもぬける春の柳か》。《蓮葉の濁りに染まぬ心もてなにかは露を玉とあざむく》。《嵯峨野にて馬より落ちて詠める,名にめでて折れるばかりぞ女郎花我おちにきと人に語るな。》]
 在原業平は,其の心余りて,辭足らず。萎める花の,色無くて,匂ひ残れるが如し。[《月やあらぬ春や昔の春ならぬ我が身一つはもとの身にして。》《おほかたは月をも愛でじこれぞこの積もれば人の老いとなるもの。》《寢ぬる夜の夢をはかなみまどろめばいやはかなにもなりまさるかな。》]
 文屋康秀は,辭は巧みにて,その様身に追はず。言はば,賈人の,良き衣着たらむが如し。[《吹からに野邊の草木のし折るればむべ山風を嵐と言ふらむ。》深草帝の御国忌に,《草深き霞の谷にかげかくし照る日の暮れし今日にやはあらぬ。》]
 宇治山の僧喜撰は,辭かすかにして,初め,終はり,確かならず。言はば,秋月を見るに,暁雲に遇へるが如し。[《我が庵は都のたつみ鹿ぞ棲む世を宇治山と人は言いふ也。》]詠める歌,多く聞こえねば,斯れ此れを通はして,良く知らず。
 小野小町は,古の衣通姫の流也。憐れなる様にて,強からず。言はば,良き女の,悩める所あるに似たり。強からぬは,女の歌なればなるべし。[《思ひつつぬればや人の見えつらむ夢と知りせば醒めざらましを。》《色見えで移ろふ物は世中の人の心の花にぞありける。》《詫びぬれば身を浮き草の根をたえてさそふ水あらばいなむとぞ思ふ。》衣通姫の歌,《我が夫子が来べき夕也笹が根の蜘蛛の振舞ひ今宵著しも。》]
 大友黒主は,その態,いやし。言はば,薪負へる山人の,花の蔭に休めるが如し。[《思い出て戀しき時は初雁の鳴きて渡ると人は知らずや。》《鏡山いざたちよりて見てゆかむ年へぬる身は老いやしぬると。》]
 此の他の人人,其の名聞ゆる,野邊に生ふる葛の,這ひ広ごり,林に茂き木の葉の如くに多かれど,歌とのみ思ひて,其の態知らぬなるべし。

七、撰述論
 斯かるに,今,天皇の天の下治ろしめす事,四つの時,九の廻へりになむなりぬる。天ねき御美みの浪,八州の外まで流れ,廣き御惠みの蔭,筑波山の麓よりも繁く御座しまして,萬の政を聞し召すいとま,諸諸の事を捨て給はぬ余りに,古の事をも忘れじ,古りにし事をも興し給ふとて,今もみそなはし,後世にも傳はれとて,延喜五年四月十八日に,大内記-紀有則,御書所預-紀貫之,前甲斐少目-凡河内躬恒,右衛門府生-壬生忠岑等に仰せられて,萬葉集に入らぬ古き歌,自らのをも,奉らしめ給ひてなむ。
 其れが中に,梅を翳(かざ)すより始めて,杜鵑を聞き,紅葉を折り,雪を見るに至るまで,又,鶴、龜につけて,君を思ひ,人をも祝ひ,秋萩、夏草を見て,妻を戀ひ,逢坂山に至りて,手向けを祈り,或るは,春夏秋冬にも入らぬ,種種の歌を並む,選ばせ給ひける。全て,千歌、廿巻。名付けて古今和歌集と言ふ。
 斯く,此の度,集め選ばれて,山した水の絶えず,濱の真砂の數多く積もりぬれば,今は,飛鳥川の瀬になる,怨みも聞こえず,細(さざ)れ石の巌となる,悦びのみぞ有るべき。

八、未來論
 其れ,枕詞,春の花にほひ少なくして,虚名のみ秋夜の長きをかこてれば,かつは人の耳に恐り,かつは歌の心に恥ぢ思へど,棚引く雲の立居,鳴く鹿の起きふしは,貫之等が此世に同じく生まれて,此の事の時に逢へるをなむ。悦びぬる。
 人麿亡くなりにたれど,歌の事,止まれるかな。假令時移り,事去り,樂しび,悲び行きかふとも,此歌の文字有るをや。青柳の糸絶えず,松の葉の散り失せずして,柾の葛,長く傳はり,鳥の後,久しく止まれらば,歌の態をも知り,言(こと)の心を得たらむ人は,大空の月を見るが如くに,古を仰ぎて,今を戀ひざらめかも。
翻訳するための改訂原文を公開致します。

菅家文草
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145 勸學院,漢書竟宴。詠史得叔孫通
    游魚得水幾波濤 命矣孫通遇漢高 暗記龍顏奇在骨 先知虎口利如刀
    諛言不謝加新印 降見無嫌變舊袍 太史公雖稱大直 猶慙去就甚鴻毛
菅原道真菅家文草』巻第一0145

聖徳太子伝暦
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 廿八年四十九歲,庚辰,春二月,宴花之時,召大臣已下百官已上於斑鳩宮.以淨菜賜宴,唯酒任意.經三日三夜,令大臣已下荷祿物,盡力而出.
 三月上巳,太子奏曰:「今日漢家天子賜飲之日也.即召大臣已下,賜曲水之宴.請諸蕃大德并漢、百濟好文之士,令裁詩.奏賜祿有差.
 秋九月,太子之宮,復設大宴.天皇臨而御之.群臣各上當土之歌.
 冬十二月,天有赤氣.長一丈餘,形如雞尾.太子、大臣共異焉.百濟法師奏曰:「謂之蚩尤旗兵之象也.恐太子遷化之後七年,有兵滅太子家歟.」太子頥之矣.即命大臣,令錄國記、天皇本紀并氏氏等記.

■苔経庵
http://www.ne.jp/asahi/office34/yoshida/index.htm
珍しい電子テキストをいくつもアップする予定のようです。


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2006-01-23-月 住吉の岸に生ふとは知りにけり摘まむ摘まじは君がまにまに

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荷物は一部実家に戻りました。教科書か此の辺の物は実験室へ移行予定です。

菅家文草
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144 重陽日,侍宴紫宸殿,同賦玉燭歌,應製 六韻已上成。
    無為無事明王代 九月九日嘉節期 曆數所歸有真至 欲令雨順又風調
    始聞童子謳唐國 終見大臣謁渭橋 人望天從明玉燭 自春涉夏到金飈
    菊知供奉霜籬近 雁守來賓雲路遙 藻鏡和光毫不失 璇璣遠映德彌照
    東西郡老承成頌 南北州民習作謠 臣在陶均歌最樂 願驚高聽入丹霄
菅原道真菅家文草』巻第一0144

聖徳太子伝暦
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 廿七年四十八歲,己卯,春正月,太子奉敕命駕,巡撿畿內諸國臣、連、國造、伴造所建寺地.無地者給地,無木者給木,無田者給田,無壠者給園.經二十箇日,終至蜂岡.建塔心柱,定常住僧一十口.除此之外,不存戒者,即日擯出.命檀越-川勝造曰:「以此為例,貽于後昆.」川勝造,此日致仕,受命而退.即賜小德位并祿物功田六町,傳于子孫.便越近江,巡撿志賀、栗本等郡諸寺竟,駐駕于粟津.命左右曰:「吾死之後五十年,有一帝王,遷都此處,治國十年.」近江國司便啟曰:「蒲生河有物.其形如人非人,如魚非魚.」太子謂左右曰:「禍始于此.夫人魚者瑞物也,今無飛免.出人魚者,是為國禍.汝等識之.」數日之後,更還蜂岡.復屆山崎,指北岡下,謂左右曰:「此地勿垢,應建伽藍.」即渡大河,行經交野.自茨田堤,直投堀江,宿江南原.指東原,謂左右曰:「今後一百歲間,有一帝皇,興都此處.彼處一十餘年後,孤免成聚.」即略住吉至于河內,駐茨田寺東側.密謂左右曰:「吾死之後,二十年之後,有一比丘.智行聰悟,流通三論,救濟眾生,為眾被貴.是比丘非他,是吾後身之一體也.」北方望大縣山西下,謂左右曰:「一百年後,有一愚僧,於彼立寺.造像高大也.縫一萬袈裟,施諸比丘.」即召科長墓工,命曰:「吾以巳年春,必到彼處.宜汝早造.」墓工-土師連,忘名.啟曰:「墓已造畢,未開隧道.」太子命曰:「勿開隧道,但墓內設二床矣.」夕時,旋于斑鳩宮.到于勢益之原,北顧謂左右曰:「可怜!此處有一信女,可建小寺.在三十年以來.」即獨謠曰:「壽耶全人者,怙薦重栗山之熊橿葉頭餝丹刺彼子.」屆于椎坂東,望本宮,獨謠日:「斑鳩宮之,甍丹炎火之,火村中,丹心者入沼.」
 夏四月,攝津國宰獻物.其形如出蒲生河者.太子惡之,謂侍臣曰:「此禍初也.早令捨去也.」
 秋八月,太子晨朝.天皇敕曰:「朕夢,太子容儀,艷麗異常,復服錦衣.此何之祥耶?」太子流淚奏曰:「是臣離陸下之祥也.」天皇復垂淚.
 冬十月,太子奏曰:「臣觀神怪,身漸沈病.伏願,賜貴藥冶之.」天皇賜藥千餘種,太子合藥,而施諸病人,不服一丸.天皇詔問云:「朕幼弱,辱登大業之位,得太子良佐,而天下和平也.如聞則太子不豫,寢膳不宜,日終日憂念,夜通夜勞慮.將念留跡於久年,紹隆佛法,住化於長齡,經理天下.而今不能.朕當如之何?太子所懷何事?若有所思,奏之.朕以遂其懷.朕之意知之.」上宮返答:「臣廄戶言.伏蒙天慰,所勞猶痊.此身無常難保,此體有漏易滅.業之所制有限,命之無緒以延.臣荷天慈,畏以執烈.天恩無頂,奉謝何背.因錄十七條憲法,并天皇、國記等,以先年奉焉.臣亦奉為國家,建立諸塔寺.但念住持之方便,更無餘樂.將願興隆三寶,導利蒼生安穩、庶民快樂.因有四節意願.以下,四節意願.一云,奉為天皇并御世御世天皇,勞造七箇寺.法隆學問、四大王、法興、法起、妙安、菩提、定林也.以件伽藍,敬奉累陸下并御世御世治天下皇.邦有神珠者,則蠱魅莫侵之.國興三寶,則亦有何禍哉.伏願,天皇遠以,覆護伽藍.紹隆三寶,久保國家.其一.二云,住法隆學問寺僧侶,每年九月,令講法華、勝鬘、維摩三部經.法輪常轉,而濟萬民.紹隆三寶,以護率土.其二.三云,慈日佛法,以八畜興隆.素服受用,法則滅.是故佛經曰:『一切俗家,不得受用三寶財物田園,不得驅使三寶奴婢牛畜.若有受用驅使者,破滅佛法.破滅佛法故,國家滅亡.』伏願,臣之所建諸寺,陸下并御世天皇,厚顧世世相續,堅造房舍.彌斷臣之子孫、曾孫及兄弟、連枝等,都不妄預伽藍事.恐愚矇之侶,犯用財物,破損伽藍歟.縱使雖不犯用,而觸事有失,必殖泥梨之因.夫流濁無源,下失源上.若代代國皇、大臣,背臣之本願,而將臣之子孫、後胤,為彼統領,令執掌伽藍者,得破滅佛法之咎.其王臣等,不令永保官位,子子孫孫,致瘖瘂病,非時夭死.八部神王,以為怨敵.其三.四云,臣於熊凝村,始造道場一區,營事未辨.伏願,陸下并御世御世天皇,相續營造.必成大寺,以護邦家.其四.臣不敏,深揖仰三寶,深忘此四節.謹錄遺願,以寄臣用村以聞.臣廄戶言.」

オタク社会人は人知れない悩みがあるのだよ、ホント。
http://www7a.biglobe.ne.jp/~uso9000/diary/diary.htm#0121
是非実行を...いや、流石ここまですると人生オシマイって気がします。

鳴子ハナハルによるコミックス版「かみちゅ!」第1巻発売
http://www.toranoana.jp/shop/060127kami_chu/060127kamichu.html

■【キミキス】『二見瑛理子』巫女さんVer
http://republic.blog18.fc2.com/blog-entry-42.html
そういえばこんなコメントを残ったことがあります。^^;

外道...
http://chinese.g.hatena.ne.jp/buttw/20060122/p1
大学入試2典みたいな物を試験問題に出す?私には気が喰わない...


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2006/01/22

藤原道綱の話

2006-01-22-日 絶えて尚すみのえになきなかならば岸に生ふなる草もがな君

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実はこれから卒業するので、
このウチが男子学生寮から追い出す事を直面しなければなりませんね。
大学院が始る頃で9月くらい、大学院生として院生寮への入住できるのは6月頃です。
と言う頃で、2月から5月までの3ヶ月間は...はっはっ。
今の予定は、パソコンなどを実験室に移行、そしてある先輩*1のところで居候する。
ですから、この半年間は多分更新できる時間が減る、というわけです。




藤原道綱の話、やっと返事が来る。
 また。
  絶えて尚すみのえになきなかならば岸に生ふなる草もがな君
道綱

◎すみのえに:以「住の江に(すみのえに)」、諭共結連理之緣「棲みの縁(すみのえに)」。◎本詩用典紀貫之墨滅歌(古今集)。


 返し。
  住吉の岸に生ふとは知りにけり摘まむ摘まじは君がまにまに


◎墨滅歌:道知らば、摘みにもゆかむ、住吉の江の、岸に生ふてふ、戀忘れ草。(古今集・戀二)。


 實方の兵衛佐に會はすべしと聞き給ひて、少將にて御坐しける程の事なるべし。
  柏木の森だにしけく聞く物をなどか三笠の山のかひなき
道綱

◎會はすべし:其親欲令婚嫁。◎柏木:亦為兵衛之別名。◎三笠:亦為近衛之別名。◎かひなき:以「峽(かひ)」諭「效(かひ=甲斐)」。


 返し。
  柏木三笠山も夏なればしげれど文な人の知らなく
源滿仲女

◎しげれど:森之「茂れど」、諭信之「繁れど」。◎本詩用典小野美材之曲(古今集・戀二)。
めでたし、めでたし?

菅家文草
http://applepig.idv.tw/kuon/furu/text/waka/kanke/bunsou/bunsou.htm
143 近日野州安別駕,製一絕寄諸同志。有頻歷外吏,獨後倫輩之歎。予不勝助憂,聊依本韻詶
    君曾獻策立公車 政事當求孔子家 請抱貞心能報國 寒松不道遂無花
菅原道真菅家文草』巻第一0143

聖徳太子伝暦
http://applepig.idv.tw/kuon/furu/text/monogatari/tamura/tamura.htm
 廿六年四十七歲,戊寅,夏春二月,太子謂大臣已下曰:「海表之國,興軍大戰.西方大國,將減東方小國.小國待拒,大國稚王各將滅國.有一李姓,將奪神器.大隋之運,今年可盡.我國無事,唯聞舉動.」大臣已下,未識所命.太子命曰:「秋中可聞北方國事.」
 夏五月,太子出自夢殿.且召群臣,命曰:「悲哉可痛.大隋之帝,運祚今極.李姓將興,其國不輔隋帝.悲哉如何.」大臣啟曰:「彼異邦之俗,帝系非 一.太古之時,聖人揖讓.其後,千戈相尋,奸猾篡祚,彼漢之常也.我朝相離,遐居東鄙.不聞流血之亂,不知投刀之害.故孔子欲居九夷.臣等伏願,修仁善鄰,俟彼修禮.」太子垂淚命曰:「君等所言,實合道理.然吾悲昔日之交耳.」
 秋八月,高麗王使貢方物.因以言曰:「隋煬帝興三十萬眾攻我,為我所破.故獻俘虜-貞公、普通二人及鼓吹弩挽石之類十物.并駱駝一疋.
 冬十月,太子召妃,命曰:「吾昔世為微賤人,逢師說法華經,逃家剪髮,為沙彌.修行三十餘年,捨身於衡山之下.今憶,此時當晉未世.宿魂韓氏之腹,復得為人.出家入道,誓生生世世不擇中邊,傳通佛法.即登衡山,修行五十餘年.當宋文帝世,復捨身命.託生勾氏,勾,本刀旁登字.復得為男.出家入道,經四十餘年,捨身於彼.託生高氏.此時,齊王君臨天下.又修行衡山,六十餘年,捨命於此.當于梁世,託生梁相之子.復出家入道,猶在衡山.逕七十年.歷陳、周之世,誓願必生東海之國,流通佛法,留身於第六之生,俟機於第七之世.生死大空,濟凡夫於苦海.菩提純淨,運含類於覺路.然則應化之語不妄也,往生之身不謬也.所以生於矮國之王家,哀矜百姓,棟樑三寶.法華一乘翻傳以降,修行託生,歷數十身.如今,扶桑之國,僧尼差多.一乘之道,己溢緇徒.今於此國,妙義未足.位為儲君,不得到門戶說.今思,捨此身命,託生微家.出家入道,救濟眾生.是吾發心誓願,經五百生,乃到彼岸如何?」妃垂淚啟曰:「殿下之談,非妾所識.但悲殿下捨妾,早以託生.」太子命曰:「吾雖託生,子何得留.子悲早去,故今後兩歲,將化眾生.」
 冬十二月,太子命駕,科長墓處,覽造墓者.直入墓內四望,謂左右曰:「此處必斷,彼處必切.欲令應絕子孫之後也.」墓工隨命,可絕者絕,可切者切.太子大悅,即夕旋駕.歎謂妃曰:「遙憶過去,因果相挍.吾未賽了,禍及子孫.子孫不續,豈云大咎.孔子遺教:『無後嗣者,為不孝矣.』而吾為釋迦大聖弟子,豈為孔子小賢弟子乎.」妃答啟曰:「左之右之,依殿下命耳三從之妾,更何異望.」太子喜之.



*1:そういえば、初めて彼とMSNでの対話は●:「あの、AppLoaleって何処で入手できるの?」私:「え?AppLoaleでしたけ、何のために?」●:「Airをやりたいがウチのパソで動けないよ。」私:「......」私はWINDOWSを使っていますのでXP向けのAppLoaleが作動できないから、一応AppLoaleの公式URLを送りました、と言うわけで以下略
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2006-01-21-土 細蟹のいかになるらむ今日だにも知らばや風のみだるけしきを

[]諸葛謹が単行本化すれば買うだと思う。 諸葛謹が単行本化すれば買うだと思う。を含むブックマーク 諸葛謹が単行本化すれば買うだと思う。のブックマークコメント 編集CommentsAdd Star


そしてまた、藤原道綱の話
 また。
  絶えて尚すみのえになきなかならば岸に生ふなる草もがな君
道綱

◎すみのえに:以「住の江に(すみのえに)」、諭共結連理之緣「棲みの縁(すみのえに)」。◎本詩用典紀貫之墨滅歌(古今集)。


道綱が酷くモテないらしい...

菅家文草
http://applepig.idv.tw/kuon/furu/text/waka/kanke/bunsou/bunsou.htm
142 感小蛇,寄田才子,一絕。 來訪之間,此蛇在前。故感之。
    縱未鱗飛石道潘蟠 如聞早上李贋門 自知君感相存慰 為我銜來咳唾恩
142

菅原道真菅家文草』巻第一0142

聖徳太子伝暦
http://applepig.idv.tw/kuon/furu/text/monogatari/tamura/tamura.htm
 廿四年四十五歲,丙子,夏五月三日, 天皇不豫.太子大愁之,誓願延天皇命,令建諸伽藍.即以平復矣.諸國國造、伴造、臣、連并大夫已下百官人等,各隨其勢,誓建寺塔矣.太子大悅,而下令天下曰:「奉為天皇,誓願建寺塔矣.宜壇越輸物,充具燈分.官知出舉,取利永用,萬世莫絕.所造寺資,國官具知.每年造悵.所占田壠、山野之類,莫拘其限.唯百姓先占,於寺有便,則擅越買納,名流記名寺.」
 秋七月,新羅國王遣使,獻金佛像高二尺,置蜂岡寺.此像放光,時時在怪.太子命秦-川勝曰:「佛像有靈,輒不可垢.宜才安清淨堂,不得恣拜.
俗之癡人,若有觸犯,則彼必被禍.護法之神-毘沙門王,不應為善.」川勝謹奉,記傳後世矣.

■田村草子
http://applepig.idv.tw/kuon/furu/text/monogatari/tamura/tamura.htm
 田村草子 下
 係りける所に、年二年ありて、伊勢の国鈴鹿山に、大嶽丸とて鬼神出き、行き交ふ人を悩まし、見付き物も絶え絶えなり。御門此れよし聞し召し、俊宗に仰付、急ぎ滅ぼすべしとの宣旨也。將軍恐(かしこ)まって、宣旨承り、軍兵を召し寄せ、三萬余きにて討つたら、鈴鹿山へ押(を)しよする。大嶽丸は飛行自在の者なれば、此よしを聞て、峰の黒雲に立ち紛れ、火の雨を降らせ、雷電暇も無く、風凄まじく吹て、責よるべ様も無くして、年月を送り給ふ。又、此山蔭に天女天降りで坐します、名をば鈴鹿御前と申ける。大嶽丸、鈴鹿御前に心を悩まし、有時は美しき童子と為り、又有時は公卿殿上人(てんじゃうひと)に返事で様様の謀り事を巡らし、一夜の契りをこめばやと、心を砕き空く枯れけれども、鈴鹿通力(つうりき)にてしり給ふ故、更に靡(なび)き給はず、斯くて俊宗は如何にもして、敵(かたき)の有所を慥に知て責入、勝負を着けせばやと思ひ、諸天に祈りを掛け給へば。
下巻始め。

類聚国史目録
http://applepig.idv.tw/kuon/furu/text/mokuroku/ruijyu.htm

  • 類史 卷百七十八
      佛道部 五
        齋會
        吉祥悔過
        藥師悔過
        佛名
        灌佛
        安居 安居講附出
        灌頂
        盂蘭會
        布薩 布薩田附出
        修法
        燃燈
        春秋御燈
  • 類史 卷百七十九
      佛道部 六
        諸宗 得度者附出
        諸宗階業
  • 類史 卷百八十
      佛道部 七
        諸寺 定額寺附出
        神功寺
  • 類史 卷百八十一
      佛道部 八(闕)
  • 類史 卷百八十二
      佛道部 九
        寺田
        施入物
        修理佛寺
        放生
        禁殺生
        禁寺邊
  • 類史 卷百八十三
      佛道部 十(闕)
  • 類史 卷百八十四
      佛道部 十一(闕)
  • 類史 卷百八十五
      佛道部 十二
        內供奉僧
        阿闍梨
        高僧
        僧位 尼位附出
        辭僧位
        僧辭職
        僧封 尼封附出
  • 類史 卷百八十六
      佛道部 十三
        僧尼雜制
        僧解由
        僧供
        施物僧
        僧筭賀
  • 類史 卷百八十七
      佛道部 十四
        入道 女附出
        度者
        受戒 尼附出
        度緣
        戒牒
        惡僧
        還俗僧 敘位附出
        放逐僧
  • 類史 卷百八十八
      佛道部 十五
        僧卒 上(闕)
  • 類史 卷百八十九
      佛道部 十六
        僧卒 下 起仁壽元年六月、盡仁和二年七月
  • 類史 卷百九十
      風俗
        國樔
        隼人 敘位附出
        多禰
        南嶋
        掖玖人 阿麻彌人附出
        蝦夷 入道、賜物附出
        俘囚 敘位、入道附出
  • 類史 卷百九十一(闕)
  • 類史 卷百九十二(闕)
  • 類史 卷百九十三
      殊俗部 □
        高麗
        渤海 上 起神龜四年九月、盡延曆廿三年六月
  • 類史 卷百九十四
      殊俗部 □
        渤海 下 起弘仁元年十二月、盡延慶七年十月
  • 類史 卷百九十五
      殊俗部 □(闕)
  • 類史 卷百九十六
      殊俗部 □(闕)
  • 類史 卷百九十七
      殊俗部 □(闕)
  • 類史 卷百九十八
      殊俗部 □(闕)
  • 類史 卷百九十九
      殊俗部 □
        耽羅 舍衛女附出
        吳國
        崑崙
        靺鞨
        肅慎
        歸來人
        流來人
  • 附載
  • 編年索引
  • これで類聚国史の(現存分の)目録を入力完了。

    メモ
    テンチジ、アマチジ、アタイバル、久高御殿庭(くたかうどぅんみゃー)
    http://www43.tok2.com/home/tabibito/sekai/japan-i/okinawa1.html