2006-01-18-水 我が宿の柳の絲は細くともくる鶯は絶えずもあらなむ
■[趣味雑談]自慢にならないが、損友の数だけは負けませんわ 編集
近況というか(本業の)実験漬けの日々です。アナログインプットの設定がまた問題あると思います...
■日本後紀
http://applepig.idv.tw/kuon/furu/text/kouki/kouki07.htm
巻第七まで電子テキスト化しました。此巻は別に特筆すべきものはなさそうですが...
■菅家文草
http://applepig.idv.tw/kuon/furu/text/waka/kanke/bunsou/bunsou.htm
139 八月釋奠,聽講孝經,賦秋學禮
過庭無父感秋時 三百三千更問誰 暮景蕭蕭雲斷處 一行寒雁是吾師
■聖徳太子伝暦
http://applepig.idv.tw/kuon/furu/text/monogatari/tamura/tamura.htm
二十一年,癸酉,冬十一月, 太子奏,作掖上池、畝火池、和珥池.又自難波至京,始治大道.太子命駕,巡看山西科長山本墓處.還向之時,即日申時,枉道.入於片岡山邊道人家.即有飢人,臥道頭,去三丈許.驪駒此處不進,太子加鞭,逡巡猶駐.太子自言:「哀哀.用音.」即下馬.舍人-調子麿,走進獻杖.太子步近飢人之上,臨語之:「可怜可怜.何為人耶?於此而臥.」即脫紫御袍,覆其飢人身.賜歌曰:「科照耶,片岡山邇,飯邇飢而,臥其旅人.可伶.祖無邇汝成介米耶,刺竹之君速無母,飯飢而臥其旅人.可伶.」飢人起首,進答歌曰:「斑鳩之,富小河之絕者社,我王之,御名者忘目.」飢人之形,面長頭大.兩耳長,目細長,開目,內有金光,異於常人.復身體太香,非人之所嗅.太子問麿曰:「彼人香否?」麿對曰:「太香.」太子曰:「汝麿者,命可延長.」飢人與夫子,相語數十言.舍人左右,不識其意.還宮後,遣使視之.使復啟曰:「飢人既死去.」太子大悲,使厚葬埋,造墓高大.于時,大臣-馬子宿瀰、七大夫等,皆譏曰:「殿下聖德難測,妙跡易迷.而道頭飢人,是卑賤者.何以下馬與彼相語,復賜詠歌.及其死也,無狀厚葬.何以能治天下大夫已下之臣?」太子聞之,召七大夫譏者,命曰:「卿等,宜往片岡,發墓看之.」七大夫等受命,往開棺.無有其屍,棺內太香.所賜斂物彩帛等,帖在棺上.唯太子所賜紫袍者無.七大夫等看而大奇之,深嘆聖德不可思議.還向報命.太子日夕戀慕,常誦其歌.即遣舍人,取所斂衣服,而御之如故.聖徳太子伝暦を入力する以来、この年の記事は一番秩序なくな感じがあります。まず、和化漢文の使用が今まで一番酷くと思います。そして、「此年九月十五日」というのもおかしい用例であります。
此年九月十五日,製維摩經疏竟.
飢者の記事は時間点的後なら、維摩經疏作って終わったの後で書けば違和感なく時間順のままにするでいい。普通、記事の後が「此年」条が出る場合、確切な時間点は不明であるか、或るいは時間点じゃなくて時間帯というもの可能です。時間が明確である以上、こういう書き方は不自然だと思います。何か必要か何の事情でもあるのでしょうか...
■田村草子
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陸奥(むつ)の国にで、一夜の情けを掛け給ふ、賤女(しづのめ)の腹(はら)に、男子一人出来けり、名を臥殿(ふせりどの)と申、此子九歳の年より、邊りの山寺にで学問せさせけるに、一を十とさとりけるか、十歳の年つくつくと案じけるは、人間のみならず
鳥類(てうるい)、畜類(ちくるい)までも父母有り、我が父は恩(いつく)に有そ母にとひければ、母涙を流し、汝が父こそは、當國の鬼神を従へ給ひつる俊仁將軍なれと、有りのまま語り、件(くだん)の鏑矢取り出し見せければ、其儀ならば都に上り、父に對面せんとて、廿日余りの道なれとも、夜を日に次ぎ、三日に都に着き、將軍の御門の前に休(やす)らう、折伏俊仁鞠を遊ばしけるか、篝の外へ着れけるを、伏殿さらりと流し、想ひのまま蹴廻りて、元の如くけこまれたり、俊仁御覧じて、何者外問ひ給へとも答へず、如何様鞠は優れたりと思召、如何なる者やと仰けれ共、返事にも及ばず、腰よりも鏑矢を抜き出し、將軍の御前に置かれたり、俊仁是を御覧じて、さては我子也と嬉しく思召、様様の御持成(もてな)しにて、先御名を改めて田村丸とぞ申ける、斬り様事がら人に優れ、御力は如何程有るとも限りなし、やがて御元服(げんぶく)ありて、稲瀬(いなせ)の五郎坂上俊宗と申ける。
■類聚国史目録
http://applepig.idv.tw/kuon/furu/text/mokuroku/ruijyu.htm
半分までの目次を作成しました。
類史 卷七十一 類史 卷七十二 歲時部 三
十六日踏歌
十七日射禮 賭射、臨時射附出
內宴
子日曲宴類史 卷七十三 歲時部 四
三月三日 上巳附出
五月五日 駒牽六日附出
七月七日
相撲 臨時相撲附出類史 卷七十四 類史 卷七十五 歲時部 六
告朔
二孟
曲宴 十六日附出類史 卷七十六(闕)
類史 卷七十七 音樂部
奏樂
賞宴部 上
五節儛
長壽儛
鐘
琴 彈琴附出
箏 方磬附出
琵琶
橫笛
歌
歌垣
蟬歌公卿宴歌
賜酺類史 卷七十八 賞宴部 下
賞賜 賜物付出附出
奉獻部獻物
類史 卷七十九 政理部 一
法制
禁制
勸戒
選舉
賞功類史 卷八十 類史 卷八十一 政理部 三(闕)
類史 卷八十二 政理部 四(闕)
類史 卷八十三 政理部 五
正稅
免租稅 附免地子
不動榖類史 卷八十四 政理部 六
出舉
私出舉 質附出
借貸
公廨 受業師料附出
國儲
年糧
出納官物
收納官物
填納官物
交易物
乘官物
犯官物
隱截官物
燒亡官物
漂損官物
免官物 免私負附出類史 卷八十五 政理部 七(闕)
類史 卷八十六 政理部 八
赦宥
類史 卷八十七 刑法部 一
斷例
定配流遠近
斷罪
配流類史 卷八十八 類史 卷八十九 類史 卷九十 刑法部 四
罪人 下(闕)
類史 卷九十一(闕)
類史 卷九十二(闕)
類史 卷九十三(闕)
類史 卷九十四(闕)
類史 卷九十五(闕)
類史 卷九十六 職官部 一(闕)
類史 卷九十七 職官部 二(闕)
類史 卷九十八 職官部 三(闕)
■『近代日本語の成立-コトバと生活』
http://d.hatena.ne.jp/okjm/20051204
近代日本語成立についての本、機会があれば読んでみたいと思います。
どころで、「本の目次を写すは楽し」を見ながら、以前、色々出版社のサイトで「本の内容及び目次を公開するのは遠慮頂きたい」ようなお知らせがありますが、私はやっぱり目次を自由に調べるほうが好きです。今はAmazonの「なか見」もありますし、情報の流通をもっと易くなるように祈ります。
■ちはやぶる~如月千早ファンクラブ
http://idolmaster.fc2web.com/chihaya-blue/
ぶるはブルーで如月千早の『青い鳥』を掛けるらしい。
英語を和文に掛けるのはいい加減ですが、脊髓反射で「千早振る」の私もいい加減です。
■Fカップは、藤乃カップ(オタなにーとのひとり言より)
http://d.hatena.ne.jp/bubunito/
......_| ̄|○
確かに、会長は凄く魅力的...しかし流石私はこれまでの勇気がないんです。
■メモ
http://www.cc.toin.ac.jp/tech/mech/lesson/freshman_seminar_I/text/section11_2.html
http://www.chem.scphys.kyoto-u.ac.jp/nonnonWWW/b8/99f/harada/experiment.html
http://www.hobby-elec.org/diode.htm
http://miyasan.serio.jp/series4/densi0421.html
授業用講義を作ってます。
2006-01-17-火 今ぞ知るかわくと聞けば君がため天照る神の名にこそありけれ
■[趣味雑談]卒業確定 編集
多分。■菅家文草
http://applepig.idv.tw/kuon/furu/text/waka/kanke/bunsou/bunsou.htm
138 續前,其十
龍有名駒鳳有雛 行程自與他人殊 聞君舍弟皆家業 次第當探海底珠
賀橘木。
■聖徳太子伝暦
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二十年,壬申,春正月十五日, 太子始製維摩經疏.
夏五月,百濟化來人,有白癩病,能構山嶽之形.群臣惡之將棄.彼亦有辭.太子奏令留仕.又百濟味摩之化來白曰:「學于吳國,得伎樂舞.」則置櫻井村,而集少年,令習傳.太子奏,勒諸氏貢子弟壯士,令習吳鼓.又下令天下,擊鼓習舞.太子從容,謂左右曰:「供養三寶,用諸蕃樂.或不肯學習,或習而不佳.而今永業習傳.則宜免課役.」即令大臣奏免之.
■田村草子
斯の龍(りう)に乗りらむとし給へとも、門の内じぇ入らずして、北の方へ行(ゆき)、俊仁劍を抜き、汝命惜しくは内へ入るべし。さなくは、忽(たちま)ち命を止(とど)むべしとの給へば、恐れて内へそ入にける、扨斯の門を開かんとすれば、大磐石(ばんじゃく)共を重ねたる如くにて、少しも揺るがず、其時鞍馬の方を伏拝(すしおがみ)、願はくは御力を添へて度給へと、念じ給へば開きけり、やかて内へ入見給ふに、女の聲余(あま)たして鳴きける、立より見給ふに、三條殿の北の方と、俊仁の御代(みだい)は負(お)わしまさず、如何に成り行き給ふぞと、御尋(たつ)ね有ければ、中納言殿北の方、二三日先に鬼の餌食(ゑじき)と成給ひぬとて、首ばかり取い出しければ、是は夢かや、三年(とせ)の程(ほと)さへ流(なか)ら経(へ)て、今日(けふ)此の頃虚(むな)しくなり給ふ事の哀しさよとて、輾轉(ふしまろび)泣き給ふ、俊仁いよいよ心元泣く思(おぼ)し召し、尋(たつ)ねられければ、昨日(きのふ)まで、是より御國(おくに)御経(きやう)の聲聞こえつるか、何と鳴(な)らせ給ふやらん、知らずと言ふ。覚付かなくて、大くの戸を開け見給へば、微かなる所に押込 ( をしこ ) められて、負(お)わしけるか、御目を見合て呆(あき)れはて、如何に如何にとばかりなり、やや有て仰(おほせ)けるは、何として是までは御入侯そや、先つ今生にて見みえぬる事こそ嬉しけれ、我明日は鬼の餌食と成るべし、一筋(ひとすぢ)に後世菩提(ぼたひ)を頼み奉るべし、鬼の歸らぬ先に、とくとく御歸りあれとて、涙に無性(むせひ)給ふ、俊仁、是まで尋ねけるも、同じ道にとこそ重ひつるに、如何で歸り候べき、扨鬼共歸る時に、徴(しるし)は如何と問ひ給へば、隈無き空も掻き曇り、震動雷電(しんどうらいでん)帯(お)び多多(たた)しく、酒竹(しゃちく)の雨降りて、里の内より鬼の聲聞え候とその給ひける、さて何時に歸り候判ずる、明日の夢魔(むま)の刻(こく)に歸らんと申つると仰られければ、其間に鬼共の住家(すみか)見んとて、残りの人人語らひ、此処良(かしこ)御覧すれば、大なる桶(おけ)共多く並べをきたり、見れば数多の人を取て、鮨(すし)にして置(を)きける、又傍らを見れば、十四五の行童喝食(ちごかつしき)にしてあり、又尼法師(あまほうし)の首を二三百数珠の如くに繋ぎ、軒の下に掛け並べたり、斯れを見、此れを見るに、恐ろしとも中中申は愚(をろ)かなリ、斯くて時刻も移(つ)れば、俄(には)かに空掻(か)き曇り、雷震動して、光もの飛違(とびちが)ひ、鬼の聲山を崩す如し、残の人人は唯息たる心地(こころち)無し、俊仁は鬼の歸るを待給ふ、悪路王我宿近くなれば、門守りの女は無きか、我留守に何者なれば來るぞ、叩(たた)手鳴(な)掛(か)けそ、睨み殺せとて、千八百の眼(まなこ)の光、火焔(くわゑん)の飛ぶ如く也、去れ共俊仁の頭(かうべ)の上には、日月天降り給ひて、俊仁の眼となりて、睨み給へば、鬼共睨み負けて、血の涙を流しける、その時たもんでんより給はりたる劍を投(な)げ給へば、鬼の首皆悉(ことごと)く落ちたりけり、この時人人力付、俊仁を伏拝給ふ、扨捕られらたる男女、思い思いの古里へ送り返されける。萬民の喜ぶ事限りなし、中にも三條中納言殿御嘆き、思ひやられて哀れなり、斯くて將軍は、思ひの侭に鬼神を従へ給ひて、都に上り、年月を送り給ふ程に。
■Innocent Grey年賀
http://www.gungnir.co.jp/innocentgrey/cgi-bin/nicky/nicky.html
巫女服のプリーツは外道です。
■年賀状コーナー
http://applepig.idv.tw/kuon/special/contribution/mimai/2666ny/2666_ny.htm
帶封電伝工舍の帶封遙乃璃様からの年賀イラストを頂きました。
いつもどうも有難う御座います。
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