2006/01/22

藤原道綱の話

2006-01-22-日 絶えて尚すみのえになきなかならば岸に生ふなる草もがな君

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実はこれから卒業するので、
このウチが男子学生寮から追い出す事を直面しなければなりませんね。
大学院が始る頃で9月くらい、大学院生として院生寮への入住できるのは6月頃です。
と言う頃で、2月から5月までの3ヶ月間は...はっはっ。
今の予定は、パソコンなどを実験室に移行、そしてある先輩*1のところで居候する。
ですから、この半年間は多分更新できる時間が減る、というわけです。




藤原道綱の話、やっと返事が来る。
 また。
  絶えて尚すみのえになきなかならば岸に生ふなる草もがな君
道綱

◎すみのえに:以「住の江に(すみのえに)」、諭共結連理之緣「棲みの縁(すみのえに)」。◎本詩用典紀貫之墨滅歌(古今集)。


 返し。
  住吉の岸に生ふとは知りにけり摘まむ摘まじは君がまにまに


◎墨滅歌:道知らば、摘みにもゆかむ、住吉の江の、岸に生ふてふ、戀忘れ草。(古今集・戀二)。


 實方の兵衛佐に會はすべしと聞き給ひて、少將にて御坐しける程の事なるべし。
  柏木の森だにしけく聞く物をなどか三笠の山のかひなき
道綱

◎會はすべし:其親欲令婚嫁。◎柏木:亦為兵衛之別名。◎三笠:亦為近衛之別名。◎かひなき:以「峽(かひ)」諭「效(かひ=甲斐)」。


 返し。
  柏木三笠山も夏なればしげれど文な人の知らなく
源滿仲女

◎しげれど:森之「茂れど」、諭信之「繁れど」。◎本詩用典小野美材之曲(古今集・戀二)。
めでたし、めでたし?

菅家文草
http://applepig.idv.tw/kuon/furu/text/waka/kanke/bunsou/bunsou.htm
143 近日野州安別駕,製一絕寄諸同志。有頻歷外吏,獨後倫輩之歎。予不勝助憂,聊依本韻詶
    君曾獻策立公車 政事當求孔子家 請抱貞心能報國 寒松不道遂無花
菅原道真菅家文草』巻第一0143

聖徳太子伝暦
http://applepig.idv.tw/kuon/furu/text/monogatari/tamura/tamura.htm
 廿六年四十七歲,戊寅,夏春二月,太子謂大臣已下曰:「海表之國,興軍大戰.西方大國,將減東方小國.小國待拒,大國稚王各將滅國.有一李姓,將奪神器.大隋之運,今年可盡.我國無事,唯聞舉動.」大臣已下,未識所命.太子命曰:「秋中可聞北方國事.」
 夏五月,太子出自夢殿.且召群臣,命曰:「悲哉可痛.大隋之帝,運祚今極.李姓將興,其國不輔隋帝.悲哉如何.」大臣啟曰:「彼異邦之俗,帝系非 一.太古之時,聖人揖讓.其後,千戈相尋,奸猾篡祚,彼漢之常也.我朝相離,遐居東鄙.不聞流血之亂,不知投刀之害.故孔子欲居九夷.臣等伏願,修仁善鄰,俟彼修禮.」太子垂淚命曰:「君等所言,實合道理.然吾悲昔日之交耳.」
 秋八月,高麗王使貢方物.因以言曰:「隋煬帝興三十萬眾攻我,為我所破.故獻俘虜-貞公、普通二人及鼓吹弩挽石之類十物.并駱駝一疋.
 冬十月,太子召妃,命曰:「吾昔世為微賤人,逢師說法華經,逃家剪髮,為沙彌.修行三十餘年,捨身於衡山之下.今憶,此時當晉未世.宿魂韓氏之腹,復得為人.出家入道,誓生生世世不擇中邊,傳通佛法.即登衡山,修行五十餘年.當宋文帝世,復捨身命.託生勾氏,勾,本刀旁登字.復得為男.出家入道,經四十餘年,捨身於彼.託生高氏.此時,齊王君臨天下.又修行衡山,六十餘年,捨命於此.當于梁世,託生梁相之子.復出家入道,猶在衡山.逕七十年.歷陳、周之世,誓願必生東海之國,流通佛法,留身於第六之生,俟機於第七之世.生死大空,濟凡夫於苦海.菩提純淨,運含類於覺路.然則應化之語不妄也,往生之身不謬也.所以生於矮國之王家,哀矜百姓,棟樑三寶.法華一乘翻傳以降,修行託生,歷數十身.如今,扶桑之國,僧尼差多.一乘之道,己溢緇徒.今於此國,妙義未足.位為儲君,不得到門戶說.今思,捨此身命,託生微家.出家入道,救濟眾生.是吾發心誓願,經五百生,乃到彼岸如何?」妃垂淚啟曰:「殿下之談,非妾所識.但悲殿下捨妾,早以託生.」太子命曰:「吾雖託生,子何得留.子悲早去,故今後兩歲,將化眾生.」
 冬十二月,太子命駕,科長墓處,覽造墓者.直入墓內四望,謂左右曰:「此處必斷,彼處必切.欲令應絕子孫之後也.」墓工隨命,可絕者絕,可切者切.太子大悅,即夕旋駕.歎謂妃曰:「遙憶過去,因果相挍.吾未賽了,禍及子孫.子孫不續,豈云大咎.孔子遺教:『無後嗣者,為不孝矣.』而吾為釋迦大聖弟子,豈為孔子小賢弟子乎.」妃答啟曰:「左之右之,依殿下命耳三從之妾,更何異望.」太子喜之.



*1:そういえば、初めて彼とMSNでの対話は●:「あの、AppLoaleって何処で入手できるの?」私:「え?AppLoaleでしたけ、何のために?」●:「Airをやりたいがウチのパソで動けないよ。」私:「......」私はWINDOWSを使っていますのでXP向けのAppLoaleが作動できないから、一応AppLoaleの公式URLを送りました、と言うわけで以下略
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2006-01-21-土 細蟹のいかになるらむ今日だにも知らばや風のみだるけしきを

[]諸葛謹が単行本化すれば買うだと思う。 諸葛謹が単行本化すれば買うだと思う。を含むブックマーク 諸葛謹が単行本化すれば買うだと思う。のブックマークコメント 編集CommentsAdd Star


そしてまた、藤原道綱の話
 また。
  絶えて尚すみのえになきなかならば岸に生ふなる草もがな君
道綱

◎すみのえに:以「住の江に(すみのえに)」、諭共結連理之緣「棲みの縁(すみのえに)」。◎本詩用典紀貫之墨滅歌(古今集)。


道綱が酷くモテないらしい...

菅家文草
http://applepig.idv.tw/kuon/furu/text/waka/kanke/bunsou/bunsou.htm
142 感小蛇,寄田才子,一絕。 來訪之間,此蛇在前。故感之。
    縱未鱗飛石道潘蟠 如聞早上李贋門 自知君感相存慰 為我銜來咳唾恩
142

菅原道真菅家文草』巻第一0142

聖徳太子伝暦
http://applepig.idv.tw/kuon/furu/text/monogatari/tamura/tamura.htm
 廿四年四十五歲,丙子,夏五月三日, 天皇不豫.太子大愁之,誓願延天皇命,令建諸伽藍.即以平復矣.諸國國造、伴造、臣、連并大夫已下百官人等,各隨其勢,誓建寺塔矣.太子大悅,而下令天下曰:「奉為天皇,誓願建寺塔矣.宜壇越輸物,充具燈分.官知出舉,取利永用,萬世莫絕.所造寺資,國官具知.每年造悵.所占田壠、山野之類,莫拘其限.唯百姓先占,於寺有便,則擅越買納,名流記名寺.」
 秋七月,新羅國王遣使,獻金佛像高二尺,置蜂岡寺.此像放光,時時在怪.太子命秦-川勝曰:「佛像有靈,輒不可垢.宜才安清淨堂,不得恣拜.
俗之癡人,若有觸犯,則彼必被禍.護法之神-毘沙門王,不應為善.」川勝謹奉,記傳後世矣.

■田村草子
http://applepig.idv.tw/kuon/furu/text/monogatari/tamura/tamura.htm
 田村草子 下
 係りける所に、年二年ありて、伊勢の国鈴鹿山に、大嶽丸とて鬼神出き、行き交ふ人を悩まし、見付き物も絶え絶えなり。御門此れよし聞し召し、俊宗に仰付、急ぎ滅ぼすべしとの宣旨也。將軍恐(かしこ)まって、宣旨承り、軍兵を召し寄せ、三萬余きにて討つたら、鈴鹿山へ押(を)しよする。大嶽丸は飛行自在の者なれば、此よしを聞て、峰の黒雲に立ち紛れ、火の雨を降らせ、雷電暇も無く、風凄まじく吹て、責よるべ様も無くして、年月を送り給ふ。又、此山蔭に天女天降りで坐します、名をば鈴鹿御前と申ける。大嶽丸、鈴鹿御前に心を悩まし、有時は美しき童子と為り、又有時は公卿殿上人(てんじゃうひと)に返事で様様の謀り事を巡らし、一夜の契りをこめばやと、心を砕き空く枯れけれども、鈴鹿通力(つうりき)にてしり給ふ故、更に靡(なび)き給はず、斯くて俊宗は如何にもして、敵(かたき)の有所を慥に知て責入、勝負を着けせばやと思ひ、諸天に祈りを掛け給へば。
下巻始め。

類聚国史目録
http://applepig.idv.tw/kuon/furu/text/mokuroku/ruijyu.htm

  • 類史 卷百七十八
      佛道部 五
        齋會
        吉祥悔過
        藥師悔過
        佛名
        灌佛
        安居 安居講附出
        灌頂
        盂蘭會
        布薩 布薩田附出
        修法
        燃燈
        春秋御燈
  • 類史 卷百七十九
      佛道部 六
        諸宗 得度者附出
        諸宗階業
  • 類史 卷百八十
      佛道部 七
        諸寺 定額寺附出
        神功寺
  • 類史 卷百八十一
      佛道部 八(闕)
  • 類史 卷百八十二
      佛道部 九
        寺田
        施入物
        修理佛寺
        放生
        禁殺生
        禁寺邊
  • 類史 卷百八十三
      佛道部 十(闕)
  • 類史 卷百八十四
      佛道部 十一(闕)
  • 類史 卷百八十五
      佛道部 十二
        內供奉僧
        阿闍梨
        高僧
        僧位 尼位附出
        辭僧位
        僧辭職
        僧封 尼封附出
  • 類史 卷百八十六
      佛道部 十三
        僧尼雜制
        僧解由
        僧供
        施物僧
        僧筭賀
  • 類史 卷百八十七
      佛道部 十四
        入道 女附出
        度者
        受戒 尼附出
        度緣
        戒牒
        惡僧
        還俗僧 敘位附出
        放逐僧
  • 類史 卷百八十八
      佛道部 十五
        僧卒 上(闕)
  • 類史 卷百八十九
      佛道部 十六
        僧卒 下 起仁壽元年六月、盡仁和二年七月
  • 類史 卷百九十
      風俗
        國樔
        隼人 敘位附出
        多禰
        南嶋
        掖玖人 阿麻彌人附出
        蝦夷 入道、賜物附出
        俘囚 敘位、入道附出
  • 類史 卷百九十一(闕)
  • 類史 卷百九十二(闕)
  • 類史 卷百九十三
      殊俗部 □
        高麗
        渤海 上 起神龜四年九月、盡延曆廿三年六月
  • 類史 卷百九十四
      殊俗部 □
        渤海 下 起弘仁元年十二月、盡延慶七年十月
  • 類史 卷百九十五
      殊俗部 □(闕)
  • 類史 卷百九十六
      殊俗部 □(闕)
  • 類史 卷百九十七
      殊俗部 □(闕)
  • 類史 卷百九十八
      殊俗部 □(闕)
  • 類史 卷百九十九
      殊俗部 □
        耽羅 舍衛女附出
        吳國
        崑崙
        靺鞨
        肅慎
        歸來人
        流來人
  • 附載
  • 編年索引
  • これで類聚国史の(現存分の)目録を入力完了。

    メモ
    テンチジ、アマチジ、アタイバル、久高御殿庭(くたかうどぅんみゃー)
    http://www43.tok2.com/home/tabibito/sekai/japan-i/okinawa1.html

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