2006-01-26-木 うち傍見君一人見よまろこすげまろは人すげなしと言ふ也
■[趣味雑談]これ、読んでみたいと思う 編集
他の人は兎も角、オタクなら殊更読むべきではないかと思います。最近が數少ない読んでいるマンガの一つ。
■菅家文草
http://applepig.idv.tw/kuon/furu/text/waka/kanke/bunsou/bunsou.htm
147 賦木形白鶴 八年十二月廿五日夜,金吾納言,祝四十年法會賦之。
從初展翅未知雲 隨手來時暫有群 清淚無期何歲月 金吾願得一聲聞
■聖徳太子伝暦
http://applepig.idv.tw/kuon/furu/text/monogatari/tamura/tamura.htm
太子薨後年,癸未,秋七月,新羅、任那使等來朝.仍供佛像、金塔、舍利、大小幡等物.又大唐學問僧-惠濟、惠光、惠日、福因等來.二國使人并僧等,聞太子去年薨,各向墓門,舉哀大哭.相語曰:「非王之本意,何處獻佛像、舍利等?」領客教喻,令貢朝廷.
甲申年,有一僧以斧殺祖父.詔曰:「豈有太子存,致此不孝乎!」爰百濟僧-觀勒,上表言:「佛法自西域至漢地,經三百歲,乃傳百濟.百年之後,乃至天朝.今此僧未習法律,輒犯惡逆.願除一僧,自外悉赦.」天皇聽之,詔曰:「道人尚如此,何以誨俗人?仍以觀勒為僧正,以鞍部-德積為僧都.自今以後,宜校檢僧尼,云云.」
卅四年,丙戌,夏五月,馬子大臣,薨.葬桃原墓.遺言:「畫太子像自跪其前之繪,張吾墓前,令觀眾人.」
此歲,天下大飢.自三月至七月,霖雨之.老者瞰草根,而死于道上;幼者含乳,以母子共死.盜賊大起,不可禁止焉.
卅六年,戊子,春二月,天皇不悆.遺詔曰:「田村皇子,宜纂大業.」仍詔山背大兄王曰:「汝年少,宜從群臣.」即崩大殿.葬科長山田村陵.
2006-01-25-水 うち傍見君一人見よまろこすげまろは人すげなしと言ふ也
■[趣味雑談]休みましょう 編集
面接試験実験室の先輩も修士卒業確認!おめでとう!!そのあと、先輩と先生と先生の先生(面接官の一人)と一緒に食事に行って来ました。
えと、先生の先生はね...一日中駄洒落連発をしていた(汗)..._| ̄|○
というわけでこれからは旧正月。風雨来記2やる予定です。
■菅家文草
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146 相國東廊,講孝經畢。各分一句,得忠順弗失而事其上
士出寒閨忠順成 樵夫不歎負薪行 雲龍闕下趨資父 槐棘門前跪事兄
一願偷承天性色 參言半帶孔懷聲 侍郎無厭官衙早 誰道遺孤忝所生
■聖徳太子伝暦
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廿九年,辛巳,春二月,太子在斑鳩宮,命妃沐浴.太子亦沐浴.服新潔衣袴,謂妃曰:「吾今夕遷化矣.子可共去.」妃亦服新潔衣裳,臥太子副床.明旦,太子并妃,久而不起.左右開殿戶,乃知遷化.是時,大臣已下群臣百官天下眾生,悉如亡父母.哭泣之聲,滿行路.天皇聞之,舉音大哭.車駕臨宮,失聲叫躍.大臣已下,復大擗踊.相謂曰:「日月失輝,天地既沒.」大臣攜棺,將殮太子并妃.其容如生,其身太香.舉太子屍,輕如衣服.妃亦同之.造雙棺置大輿,葬科長墓.直置墓內,閉南隧門.葬送之儀,同於乘輿.陪侍之人,各擎香花.釋眾讚唄.自斑鳩宮至于墓處,道之左右,百姓如墻,各擎香花.或失聲大哭,或佛歌連韻.不待官告,素服皆著之.天皇送墓,遠以看之.淚不乾袂,音無餘響.天皇敕大臣,置守墓戶十烟.葬送之後,外國百姓,遠來迴墓.相聚叫哭,日夕不絕.五十日後,漸有減耗.有一異鳥,形如鵲,其色白.常棲墓上.烏、鳶到,即遠追去.時人名為-守墓鳥.三年之後,復更不來.于時,高麗-惠慈法師聞太子薨,大悲曰:「我雖異國,心在斷金.」即待明年太子薨日,即目閉氣死.時人大異焉.太子薨日,驪駒悲鳴.不喫草水,被太子鞍,隨輿到墓.閉隧之後,見墓大鳴,一躍而斃.群臣大異焉.將還其屍,埋中宮寺南墓.蘇我-馬子大臣,初興佛法於我國,久輔國柄於朝廷,遇儲君太子,如水魚.興隆三寶,紹發二諦.始起四大王寺、法隆寺、元興寺、中宮寺、橘樹寺、蜂岡寺、池後寺、葛城寺、日向寺、定林寺、法興寺,合十一院.
■田村草子
と打眺(なが)めて、唯茫然として居給ふに、有し人の來り、とくとく我方(かた)へ御入候べしと、語らひ行て、比翼の契り淺からず、來たるともなく月日を送りけるが、或る夜の睦言に、吾は此山に假に來りて三歳也。御身此山の鬼神を従へ給はむとて、來り給ふとも敵ひ難し、我力を添へ奉らむ為に、假に此界に降る也。斯の大嶽丸、我に契りを込めんとて、様様言ひ寄る也。我謀り事にて、容易く討たせ申べし、御心易く思ひ、一向(ひたすら)に頼み給へ、更は我後をしたひ給へと有しかば。
■日本紀略
日本紀略 後篇六
圓融院
諱守平,村上天皇第五之子也.母-贈皇太后-藤原-安子,故又大臣-師輔朝臣之女也.
天德三年三月二日寅時,誕生.
十月廿五日,為親王.
應和元年八月十六日丁未,著袴.
康保三年八月廿日壬子,於弘徽殿初受蒙求於柬宮學生-大江-齊光.召文人賦詩.
四年九月一日,立為皇太弟.年九.
同廿三日,賜封千戶.
安和二年八月十三日戊子,冷泉院天皇逃位,讓於天皇.于時,新帝年十一.
新主於襲芳舍,受禪.詔令太政大臣-藤原朝臣,實賴.輔佐幼主,攝行政事,如貞信公.忠平.故事.又立先帝.冷泉.第一皇子師-貞親王,為皇太子.年二.在條第,其時令齎劍璽於內侍,參凝華舍.
先帝遷御弘徽殿,天皇上表謝之.不許.
今日,補藏人等.
十五日庚寅,攝政,實賴.上表.
同日,返給上表.中使-左近少將-時中朝臣.
十六日辛卯,先皇出御冷泉院.
敕聽太政大臣.實賴.乘牛車出入上東門.
十八日癸已,攝政重上表.
十九日,返給上表.中使-左近中將-元輔.
今日,定頭藏人及色色雜事.
廿二日丁酉,定考.
廿五日庚子,太上天皇尊號,詔大內記-伊輔作之.大內記伊輔姓-紀.又見下文,卷四天德四年三月十九日所謂與源伊輔,自別人.又贈妣贈皇太后-藤原-安子,太皇大后.昌子為皇大后.
太政大臣.實賴.上表,有敕答.
廿八日癸卯,春宮坊除目.
是日也,太上天皇,冷泉.上書,謝尊號.
今日,太政大臣賜隨身內舍人以下近衛等.
九月一日乙巳.闕文.
三日,御燈.
四日戊申,內裹有五體不具之穢.七日為限.
五日己酉,聽侍中禁色雜袍宣旨.
六日庚戌,敕,令太政大臣內覽事.
七日辛亥,前齋院-婉子內親王,為尼.
十日甲寅,伊勢奉幣前齋日也.有五體不具之穢內,然而依先例.
十一日乙卯,奉幣使被立之.
今日,雜袍宣旨卌一人也.
今日,入道-婉子內親王,薨.醍醐第七女.
伊勢例幣,依前齋院-婉子薨,延引.仍有大祓.
十三日丁己,小除目.
十六日庚申,奏婉子內親王薨之由.
廿日甲子,十月節.天皇從襲芳舍,遷御清涼殿.
今日,發遣伊勢奉幣使,告申即位之由.拜神嘗祭也.
致平親王,敕授帶劍.
廿一日乙丑,於太政大臣.實賴.職曹司,有敘位.
今夜,內教坊燒亡.
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