2006/01/04

古今和歌集・仮名序

2006-01-04-水 待つ人の今も來らば如何せむ踏まゝく惜しき庭の雪哉

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MEMS試験も終わった、その学期報告も完了致しました。
これから残ったのは英語だけで、全心を研究室に置けますわ。

日本後紀
http://applepig.idv.tw/kuon/furu/text/kouki/kouki04.htm
ちらちらしている日本後紀を巻四まで更新しました。
斎王・朝原内親王の退位がこの巻に記載されます。でも、退位の原因は不明です。

菅家文草
http://applepig.idv.tw/kuon/furu/text/waka/kanke/bunsou/bunsou.htm
125 題白菊花 去春,天台明上人,分寄種苗。。
    寒叢養得小儒家 過雨宜看亞白沙 本是天台山上種 今為吏部侍郎花
    霜鬚秋暮驚初老 星點曉風報早衙 長斷俗人籬下醉 應同閑在舊烟霞
菅原道真菅家文草』巻第一0125

日本霊異記
http://applepig.idv.tw/kuon/furu/text/ryoiki/ryoiki.htm
卅九 智行並具禪師重得人身生國皇之子縁
 尺善珠禪師者,俗姓跡連也.負母之姓而為跡氏也.幼時隨母,居住大和國山邊郡磯城嶋村.得度精懃修學,智行雙有.皇臣見敬,道俗所貴.弘法導人,以為行業.是以天皇貴其行德,拜任僧正之.而彼禪師之顊右方,有大黶也.平城宮治天下山部天皇御世延曆十七年之比頃,桓武朝.禪師善珠,臨命終時,依世俗法,問飯占時,神靈託卜者言:「我必宿於日本國王之夫人丹治比孃女之胎,將生王子.吾面黶著生以,知虛實耳.」命終之後,延曆十八年之比頃,丹治比夫人誕生王子.其顊右方黶著,如先善珠禪師之面黶.不失而著生.故名號-大德親王.然經三年許,存世而薨.向問飯占時,大德親王之靈,託卜者言:「我是善珠法師也.暫間生國王之子耳.為吾燒香供養.」者矣.是故當知.善珠大德,重得人身,生人王之子矣.內教言:「人家家.」者,其斯謂矣.是亦奇異事矣.
 又伊與國神野郡鄉內有山.名號-石鎚山.是即彼山有石槌神之名也.其山高嵯,而凡夫不得登到.但淨行人耳,登到而居住.昔諾樂宮廿五年治天下勝寶應真聖武太上天皇之御世,又同宮九年治天下帝姬阿倍天皇御世,彼山有淨行禪師而修行.其名為-寂仙菩薩.其時世人道俗,貴彼淨行,故美稱菩薩.帝姬天皇御世於九年寶字二年歲次戊戌年,寂仙禪師,臨命終日,而留錄文,授弟子告之而言:「自我命終以後,歷廿八年之間,生於國王之子.名為神野.是以當知我寂仙云云.」然歷廿八年,而平安宮治天下山部天皇御世延曆五年歲次丙寅年,則生於山部天皇皇子,其名為-神野親王.今平安宮經十四箇年,治天下賀美能天皇是也.嵯峨帝.是以定知,此聖君也.又何以知聖君耶.世俗云:「國皇法,人殺罪人者,必隨法殺.而是天皇者,出弘仁年號傳世,應殺之人成流罪,活彼命以人治也.是以旺知聖君也.」或人誹謗非聖君:「何以故,此天皇時,天下旱厲有?又天災地妖飢饉雖繁多有,又養鷹犬,取鳥猪鹿.是非慈悲心.」是儀非然.食國內物,皆國皇之物,指針許末,私物都無也.國皇隨自在之儀也.雖百姓,敢誹之耶.又聖君堯舜之世,猶在旱厲故,不可誹之也.

 我從所聞選口傳,儻善惡,錄靈奇.願以此福,施群迷,共生西方安樂國矣.

日本國現報善惡靈異記 下卷
下巻諾樂右京藥師寺傳燈住
位僧景戒錄但三卷注之
下巻、第卅九校了。これで霊異記を全巻を校了しました。

古今和歌集仮名
 和歌は,人の心を種として,萬の辭とぞなれりける。
 世中に或る人,事,業,刺激物なれば,心に思ふ事を,見る物,聞く物につけて,言ひ出せる也。
 花に鳴く鶯,水に棲む蛙の聲を聞けば,息とし生ける者,孰れか歌を詠まざりける。
 力をも要れずして,天地を動かし,目に見えぬ鬼神をも哀れと思はせ,男女の仲をも和らげ,彪き武士の心をも慰むるは,歌也。
 此の歌,天地の開け始まりける時より,居できにけり。〔天浮橋の下にて,女神男神と成り給える事を言へる歌也。]
 しかあれども,世に伝はる事は,久方の天にしては,下照姫に始まり[下照姫とは,天稚彥の妻也,兄の神の形,崗谷に移りて,輝くを詠める夷歌なるべし,此れらは文字の數も定まらず,歌の様にも有らぬ事ども也。]荒かねの土にては,素戔鳴尊よりぞ,興りける。
 千振る神代には,歌の文字も定まらず,素直にして,事の心わき難かりけらし。
 人世と成りて,素戔鳴尊よりぞ,三十一字は詠みける。[素戔鳴尊は,天照孁貴神の弟神也,女と住給はむとて,出雲國に宮造りし給ふ時に,その所に八色雲の立つを見て詠み給へる也,≪八雲立つ出雲八重垣妻篭めに八重垣作るその八重垣を≫。]
 斯くてぞ,花を愛で,鳥を羨み,霞を哀れび,露を悲しぶ心,辭多く,様様に成りにける。
 遠き所も,居で立つ足元より始まりて,年月を渡り,高き山も,麓の塵土より成りて,天雲たなびくまで追ひ昇れる如くに,此の歌も,斯くの如く成るべし。
 難波津の歌は,帝の御始め也。[大鷦鷯帝の,難波津にて皇子と着こえける時,東宮をたがひに譲りて,位につきたまはで,三年になりにければ,王仁と言ふ人の訝り思て,詠みて奉りける歌也,此の花は梅の花を言ふなるべし。]
 安積山の辭は,采女のたはぶれより詠みて[葛城の大君を陸奥へつかはしたりけるに,國の司,事おろそかなりとて,まうけなどしたりけれど,すさまじかりければ,采女なりける女の,かはらけとりてよめるなり,これにぞおほきみの心とけにける,安積山かげさへ見ゆる山の井のあさくは人をおもふのもかは。],この二歌は,歌の父母の様にてぞ,手習ふ人の始めにもしける。
 そもそも,歌の態,六つ也。唐の歌にも,斯くぞ有るべき。
 その六種の一つには,風歌。大鷦鷯帝を,風へ奉れる歌,≪難波津に咲くやこ此の花冬ごもり今は春べと咲くや此の花≫と言へるなるべし。
 二つには,賦歌,≪咲く花に思ひつくみのあぢきなさ身にいたつきのいるも知らずて≫と言へるなるべし。[此れは,唯事に言ひて,物にたとへなどもせぬもの也,この歌いかに言へるにかあらむ,その心得がたし。五つにただこと歌と言へるなむ,これには叶ふべき。]
 三つには,比歌,≪君に今朝晨の霜のおきていなば戀しきごとに消えやわたらむ≫と言へるなるべし。[此れは,物に比へて,それが様になむあると様に言ふ也。この歌よくかなへりとも見えず。たらちめの親のかふこの繭篭りいぶせくもあるかいもにあはずて。かやうなるや,これにはかなふべからむ。]
 四つには,興歌,≪我が戀はよむともつきじ荒磯海の濱の真砂はよみ尽くすとも≫と言へるなるべし。[此れは,萬の草木,鳥けだ物につけて,心を見する也。此の歌は,隠れたる所なむなき。されど,始めの風歌と同じやうなれば,少し様をかへたるなるべし。須磨のあまの塩焼く煙風をいたみ思はぬ方にたなびきにけり,この歌などやかなふべからむ。]
 五つには,雅歌,≪いつはりのなき世なりせばいかばかり人の言の葉うれしからまし≫と言へるなるべし。[此れは,事のととのほり,正しきを言ふ也。此の歌の心,さらにかなはず,とめ歌とや言ふべからむ。山櫻あくまで色を見つる哉花散るべくも風吹かぬ世に。]
 六つには,頌歌,≪此の殿はむべも富けりさき草の三つば四葉に殿造りせり≫と言へるなるべし。[此れは,世を譽めて神に告ぐる也。此の歌,いはひ歌とは見えずなむある。春日野に若菜つみつつ萬世を祝ふ心は神ぞ知るらむ。此れらや,少しかなふべからむ。大凡,六種に分かれむ事はえあるまじき事になむ。]

 今の世中,色につき,人の心,花になりにけるより,あだなる歌,儚き言のみいでくれば,色好みの家に,埋れ木の人知れぬこととなりて,まめなるところには,花すすき穂にいだすべきことにもあらずなりにたり。
 その初めを思へば,かかるべくなむあらぬ。
 古の世世の帝,春の花の晨,秋の月の夜ごとに,さぶらふ人人をめして,事につけつつ,歌を奉らしめ給ふ。
 あるは,花をそふとて,たよりなき所にまどひ,あるは,月を思ふとて,しるべなき闇にたどれる心心を見給て,さかし,をろかなりと知ろしめしけむ。
 しかあるのみにあらず。さざれ石にたとへ,筑波山にかけて君を願ひ,悦び身に過ぎ,楽しび心に余り,富士の煙によそへて人をこひ,松虫のねに友を偲び,高砂,住の江の松も,相追の様に覚え,男山の昔を思ひいでて,女郎花の一時をくねるにも,歌を言ひてぞなぐさめける。
 又,春の晨に花の散るを見,秋の夕ふぐれに木の葉の落つるを聞き,あるは,年毎に,鏡の影に見ゆる雪と浪とを嘆き,草の露,水の泡を見て我が身を驚き,あるは,昨日は榮えおごりて,時を失ひ世に詫び,親しかりしもうとく也,あるは,松山の浪をかけ,野中の水を汲み,秋萩の下葉を眺め,暁のしぎの羽掻きを数へ,あるは,くれ竹のうき節を人に言ひ,吉野河をひきて世中をうらみきつるに,今は,富士山も煙立たず也,長柄の橋も作る也と聞く人は,歌にのみぞ,心を慰めける。
 古より,斯く伝はる中にも,奈良の御時よりぞ,広まりにける。斯の御世や,歌の心をしろしめしたりけむ。
 斯の御時に,正三位,柿本人麿なむ,歌の聖なりける。此れは,君も人も,身をあはせたりと言ふなるべし。秋の夕べ,龍田河に流るる紅葉をば,帝の御目に,錦と見給ひ,春の晨,吉野の山の櫻は,人麿が心には,雲かとのみなむおぼえける。
 又,山辺赤人と言ふ人有りけり。歌にあやしく,妙なりけり。
 人麿は赤人が上に立たむことかたく,赤人は人麿が下に立たむことかたくなむありける。[奈良の帝の御歌,龍田河紅葉みだれて流るめりわたらば錦なかやたえなむ。人麿,≪梅花それとも見えず久方のあまぎる雪のなべて降れれば。ほのぼのと明石の浦の朝霧に嶋がくれ行舟をしぞ思ふ≫。赤人,≪春の野に菫摘みにとこし我ぞ野を懐かしみ一夜寝にける。わかの浦に潮満ちくれば方をなみ葦辺をさしてたづ鳴きわたる≫。]
 この人人をおきて,又すぐれたる人も,くれ竹の世世に聞こえ,片糸のよりよりに絶えずぞありける。これより先の歌を集めてなむ,万葉集と名付けられたりける。
 此処に,古の事をも,歌の心をも知れる人,僅かに一、二人也き。しかあれど,これかれ,得たる所,得ぬ所,互ひになむある。
 斯の御時より此の方,年は百年余り,世は十繼になむ,なりにける。古の事をも,歌をも知れる人,詠む人多からず。今,此の事を言ふに,司位高き人をば,容易きやうなれば入れず。
 其の他に,近き世に,其の名聞こえたる人は,即ち,僧正遍昭は,歌の態は得たれども,誠少なし。喩へば,絵に描けるを女を見て,徒に心を動かすが如し。[≪浅緑糸よりかけて白露を玉にもぬける春の柳か≫。≪蓮葉の濁りに染まぬ心もてなにかは露を玉とあざむく≫。≪嵯峨野にて馬よりおちて詠める,名にめでてをれるばかりぞ女郎花われおちにきと人にかたるな。≫]
翻訳準備中

巫女アワード/2005年巫女Blog
http://miki.miko.net/mi-blo/?%D6%E0%BD%F7%A5%A2%A5%EF%A1%BC%A5%C9%2F2005%C7%AF
シナリオ賞 『宗像教授異考録』は私がたちゃなさんにオススメましたのに、
今まで入手出来なかったことを悔しく思って仕方有りません。(涙)
同時注文した『神南火(かむなび=神奈備)』は既に何が月前に到着したのに...
実は、『神南火』にも猿女君についての話があります。巫女に興味がある方は是非ご覧下さい。

■- 高原万葉について-人名-高原万葉-PukiWiki
http://person.to/name/modules/pukiwiki/8178.html
念のため、作成者は私じゃない。

■私の中の宇宙
http://beyond-the-time.blogzine.jp/kokorogu/cat2243442/
フォグ作品に対してのコメント発見。
http://beyond-the-time.blogzine.jp/kokorogu/2005/11/_1_d970.html
http://beyond-the-time.blogzine.jp/kokorogu/2005/11/__bb32.html
http://beyond-the-time.blogzine.jp/kokorogu/2005/11/post_7188.html


年賀状コーナー
http://applepig.idv.tw/kuon/special/contribution/mimai/2666ny/2666_ny.htm
今日は、
上記の方からの年賀イラストを頂きました。


トラックバック - http://d.hatena.ne.jp/kuonkizuna/20060104

2006-01-03-火 別路の草葉をわけむ旅衣たつよりかねてぬるゝ袖かな

[]年賀状、発送終了 年賀状、発送終了を含むブックマーク 年賀状、発送終了のブックマークコメント 編集CommentsAdd Star

メールが見つからない、投信がエラーの方以外は大体発送終了と思います。
色々返事も貰いました、どうも有難う御座います。

なお、上記の問題に投信出来なかったかたは、↓をご自由に持ち帰ってください。
http://applepig.idv.tw/kuon/special/contribution/uraki/mimai/2666sin-nen/2666-sin-nen.htm
転載、転用、などもご自由にどうぞ。

今日はMEMS期末試験でした。さっぱり忘れました(汗)。

菅家文草
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124 九日侍宴,觀賜群臣菊花,應製
    滿把寒花十指溫 術中彭祖九重門 雞雛不老仙人署 麝劑初穿道士園
    便採孤叢秋露種 非租五柳晚雲孫 莫教舞妓偷飡去 恐未黎收月裏奔
菅原道真菅家文草』巻第一0124

日本霊異記
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卅七 不顧因果作惡受罪報縁
 從四位上-佐伯宿禰-伊太知者,平城宮御宇天皇世人也.聖武、孝謙、淳仁、稱德、光仁朝.于時京中人,下於筑前,得病忽死,而至閻羅王闕.不見於目聞之,響大地而所打有人音.呴言:「痛哉!痛哉!」每打遍.問諸史言:「若此人在世時,作何功德善?」諸史答言:「唯奉寫法華經一部.」王言:「以彼罪宛經卷.」雖宛卷,而罪數倍勝無量無數.亦宛經六萬九千三百八十四文字,猶罪數倍無救之.因時王,拍手言:「如許見之世間眾生作罪受苦,未見如此人太甚作罪.」竊問傍人:「此所打之人誰也?」答曰:「佐伯宿禰-伊太知也.」彼死人能聞持,纔自黃泉還來見之,即甦而,後以黃泉之狀,解大宰府.府不信其事.彼人依便,乘船上京,還來京中,而伊太知卿之役閻羅王闕,而陳於受苦之狀.時妻子等,聞之懇哀之言:「卒經七七日,為彼恩靈修善贈福既畢.何圖,墮惡道受劇苦之耶.」更奉寫法華經一部,恭敬供養,追救彼靈苦也.此亦奇異事也.

卅八 災與善表相先現而後其災善答被縁
 夫善與惡之表相,將現之時,彼善厲之表相,先兼作物形,周行於天下國而歌詠示之.時天下國人,聞彼歌音,出詠傳通也云云.諾樂宮廿五年治天下勝寶應真聖武太上天皇,召於大納言藤原朝臣-仲麿,而御前居詔之:「朕子-阿倍內親王與道祖親王二人以之,令治天下欲.云何.是語宜受不也?」仲丸答白:「甚勝能.」御語受白之.時天皇祈御酒令飲,令誓而詔:「若朕遺敕失之者,天地相惡,被大厲.汝今可誓.」時仲丸誓白之:「若我後世,違敕詔之者,天神地祇,惡嗔而被太災,破身滅命.」如是令誓,酒令飲,禱已訖.然而後天皇崩之後,如彼遺敕語,以道祖親王為儲君.其天皇之大后,同諾樂宮坐時,舉天下國而歌詠言:
  年少失王 最失王也 破注 非綾ととろき止止呂支
  其が志我幾何賣命 哀也 魮鮊等はよ波與 其が志我幾何賣命
 如是歌詠.然而彼帝姬阿倍天皇,並大后御世之天平勝寶九年八月十八日,改為天平寶字元年.即年,儲君-道祖親王,從大宮之右京殿出,投居獄殺死.並黃文王、鹽燒王,又氏氏人等,俱殺死.又寶字八年十月,大炊天皇,為皇后所賊,輟天皇位,退於淡路國逼迫矣.並仲丸等,又氏氏之人俱殺死也.彼先舉天下歌詠者,此親皇殄滅表相.又同大后坐時,舉天下國而歌詠言:
  法師等裙著輕侮 之中要帶薦槌懸 彌發時時 畏卿耶
 又詠言:
  我之黑みそひ股見曾比多爾宿給 人成まて麻弖  如是歌詠.帝姬阿倍天皇御世之天平神護元年歲次乙巳年始,弓削氏僧-道鏡法師,與皇后同枕交通,天下政相攝,治天下.彼詠歌者,是道鏡法師之與皇后同枕交通,天下政攝表答也.又同大后時,詠言:
  正相木本者 大德食肥而立來也  如是詠言.是當知,同時道鏡法師以為法皇,鴨氏僧韻興法師以為法臣參議,而天下政攝表答也.又諾樂宮廿五年治天下勝寶應真大上天皇代,舉天下而歌詠言:
  朝日刺豐浦寺西有耶 おしてや押天耶 櫻井爾 おしてや押天耶 おしてや押天耶
  櫻井 白玉磯著耶 吉玉磯著耶 磯著耶,沉くや也.
  おしてや押天耶 おしてや押天耶 然而者 國榮 我家榮耶 おしてや押天耶
 如是詠之。後帝姬阿倍天皇代神護景雲四年歲次庚戌年八月四日,白壁天皇即位.光仁帝.同年冬十月一日,筑紫國進龜,改為寶龜元年治天下.是以當知,先歌詠者,是白壁天皇治天下表相答也.又諾樂宮食國帝姬阿倍天皇代,舉國歌詠云:
 大宮直向山部之坂 痛不踐 土には仁波とも止毛  如是詠而後,白壁天皇代天應元年歲次辛酉四月十五日,山部天皇即位,治天下.是以當知,先詠歌者,是山部天皇治天下先表相答也.

 山部天皇代延曆三年歲次甲子冬十一月八日乙巳日夜,自戌時至于寅時,天星悉動,繽紛而飛遷.同月十一日戊申,天皇并早良皇太子,自諾樂宮移坐于長岡宮也.天星飛遷者,是天皇移宮表也.次年乙丑年秋九月十五日之夜,竟夜月面黑,光消失空闇也.同月廿三日亥時,式部卿-正三位-藤原朝臣-種繼,於長岡宮嶋町,而為近衛舍人-雄鹿宿禰-木積、波波岐-將丸所射死也.彼月光失者,是種繼卿死亡之表相也.同天皇御世延曆六年丁卯秋九月朔四日甲寅酉時,僧景戒,發慚愧心,憂愁嗟言:「鳴呼恥哉愧哉.生世命活,存身無便.等流果所引故,而結愛網業,煩惱之所纏,而繼生死,馳乎八方,以炬生身.居于俗家,而蓄妻子無養物,無菜食無鹽.無衣無薪.每萬物之無,而思愁之,我心不安.晝復飢寒.夜復飢寒.我先世不修布施行.鄙哉我心.微哉我行.」然而寢之子時夢見.乞食者來於景戒之家,誦經教化云:「修上品善功德者,得一丈七尺之長身.修下品善功德者,得一丈之身.」爰景戒聞之,迴頭而睠乞人者,有紀伊國名草郡部內楠見粟村之沙彌鏡日也.徐就見之,其沙彌前,有長二丈許,廣一尺許板札.於彼札者,一丈七尺與一丈印也.景戒見之問:「斯是修上品與下品善功德人之身印耶?」答:「唯然也.」爰景戒發慚愧心,彈指而言:「修上品下品善者,得身長如是有也.我先唯不修下品善功德,故我受身唯有五尺餘矣.鄙哉.」彈指悔愁.有側之人聞之皆言:「鳴呼當哉.」即景戒,將炊白米擎半升許,施彼乞者.彼乞者咒願受之,立出書卷,授景戒言:「此書寫取.度人勝書.」景戒見之,如言能書,諸教要集也.爰景戒愁:「何無紙?」乞者沙彌,又出本垢,授景戒言:「於斯寫之哉.我往他處,乞食還來.」然置札并書而去.爰景戒言:「斯沙彌,常非乞食之人.何故乞食耶.」有人答言:「子數多有.無養之物,乞食養也.」夢答未詳.唯疑聖示矣.沙彌者觀音變化.何以故,未受具戒,名為沙彌.觀音亦爾.雖成正覺,饒益有情故,居因位.乞食者,普門示卅三身也.上品一丈七尺者,淨土萬德之因果也.一丈者為果數.圓滿故.七尺者為因數.不滿故.下品一丈者,人天有漏之苦果也.發慚愧心,彈指恥愁者,本有種子,加行智行者,遠滅前罪,長得後善也.慚愧者剃除鬢髮,披著袈裟.彈指者,滅罪得福也.我受身唯有五尺餘者,五尺者五趣因果也.餘者不定種性,迴心向大也.何以故,非尺非丈,數不定故.又為五道因也.擎白米獻乞者,為得大白牛車,發願造佛,寫改大乘,懃修善因也.乞者咒願而受者,觀音應所願也.授書者,新重種子,加行人宗智也.授本垢者,過去時,本有善種子之菩堤,所覆久不現形,由修善法,後應得故也.我往他處,乞食還來者,往他處乞食者,觀音無緣大悲,馳法界救有情也.還來者,景戒所願畢者,令得福德智惠也.常非乞食之人者,景戒不發願時,無所感也.何故乞食者,今應所願,漸始福來也.子有多數者,所化眾生也.無養之物者,無種性眾生,令成佛無因也.乞食養者,得人天種子也.
 又僧景戒夢見事,延曆七年戊辰春三月十七日乙丑之夜夢見.景戒身死之時,積薪燒死身.爰景戒之魂神,立於燒身之邊而見之,如意不燒也.即自取楉,所燒己身策裳,串梚返燒.云教先燒之他人言:「如我能燒之.」己身之腳膝節骨,臂頭,皆所燒斷落也.爰景戒之神識,出聲而叫.有側人耳,當口而叫.教語遺言,彼語言音,空不所聞者,彼人不答.爰景戒惟忖,死人之神者無音,故我叫語之音不聞也.夢答未來.唯惟之者,若得長命矣,若得官位.自今已後,待夢見答而知之耳.然延曆十四年乙亥冬十二月卅日,景戒得傳燈住位也.同天皇平城宮治天下延曆十六年丁丑夏四五兩月頃,景戒之室,每夜夜狐鳴.并景戒之私造堂壁,狐堀入內,佛坐上屎矢穢,或晝向於屋戶而鳴.然經之二百廿餘箇日,以十二月十七日,景戒之男死也.又十八年己卯十一十二箇月頃,景戒之家狐鳴,又時時螓鳴也.次來十九年庚辰正月十二日,景戒之馬死也.又同月廿五日,馬死也.是以當知,災相先兼表,後其實災來也.然景戒未推軒轅黃帝之陰陽術.未得天台智者之甚深解.故不知免災之由,而受其災.不推除災之術,而蒙滅愁.不應不勤.不可不恐也.
下巻、第卅七、第卅八を校了しました。

■丹野忍画集永遠の残照」
丹野忍画集「永遠の残照」

リアル風雨来記もどき。
http://foglight.livedoor.biz/
お疲れ様。

年賀状コーナー
http://applepig.idv.tw/kuon/special/contribution/mimai/2666ny/2666_ny.htm
今のどころ、
  • すちゃらか妖討伝絵巻   KAGUYA様
  • Kanasai warcry      黒猫
  • 記憶の森         狭也様
  • はしばみ色の部屋     grifter様
  • 曇禧保亭         どん様
  • 好風           好風様
上記の方からの年賀イラストを頂きました。

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