2005/02/26

週末

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相変わらず、五行大義のテキスト入力。
http://applepig.idv.tw/kuon/furu/explain/meisi/onmyouji/onmyoudou/five/gokou_daigi00.htm
>第六卷、論相雑,就此分為三段
> 一者、論五行雑體 二者、論支干雑 三者、論方位雑
>第七卷、論徳
以上の電子テキストを追加しました。機会があれば、春秋繁露もするつもりです。

そして、金曜の晩は色々補充するため、実家に戻ってきます予定です。


[]葛城氏館跡 葛城氏館跡を含むブックマーク 葛城氏館跡のブックマークコメント 編集CommentsAdd Star

遅いながらニューズ。
読売新聞古代大豪族・葛城氏の館跡…奈良極楽寺遺跡で出土
http://www.yomiuri.co.jp/culture/news/20050221i511.htm
Yahoo!ニュース】葛城氏焼き打ちの跡?=5世紀前半、本拠地を発掘-日本書紀裏付けか・奈良
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050221-00000851-jij-soci

葛城一族とは、武内宿禰を祖とし、大和葛城地方を本拠とした豪族。
大和朝廷の頃、いつも天皇家と婚姻関係を結び有力であった古代豪族。
日本天皇はよく「君臨すれども統治せず」という特性が持ちますから、
あの時の葛城氏はその統治を該当する。どんな有力であったが、言うまでも無い。

一般には、葛城→大伴→物部蘇我藤原という図式になります。
先代旧事本紀では物部がその以前から婚姻関係を結びます。)

藤原氏との婚姻関係は明治まで続けてます、本当に恐ろしい氏族です。
蘇我氏は藤原鎌足中大兄皇子に滅ばした、のちは石川臣になる。
http://applepig.idv.tw/kuon/furu/text/syoki/syoki24_2.htm#sk24_11
物部氏は物部守屋大連の時、蘇我馬子と聖徳太子に負けられ、石上、弓削氏に換えた。
http://applepig.idv.tw/kuon/furu/text/syoki/syoki21.htm#sk21_s02
大伴氏の沒落は、欽明朝の朝鮮半島問題によって失脚した。
http://applepig.idv.tw/kuon/furu/text/syoki/syoki19_1.htm#sk19_03
葛城氏の沒落は、雄略天皇即位前の時、眉輪王を守る為天皇家と対立になる始末である。
http://applepig.idv.tw/kuon/furu/text/syoki/syoki14_1.htm

ここで、以下の記述があります。
 是日,大舍人,缺姓字也.驟言於天皇曰:「穴穂天皇為眉輪王見殺!」
 天皇大驚,即猜兄弟等,被甲帶刀,率兵自將,逼問八釣白彦皇子.皇子見其欲害,黙坐不語.天皇乃拔刀而斬.
 更逼問坂合黒彦皇子.皇子亦知將害,黙坐不語.天皇忿怒彌盛,乃復并為欲殺眉輪王,案劾所由.眉輪王曰:「臣元不求天位,唯報父仇而已.」
 坂合黒彦皇子深恐所疑,竊語眉輪王,遂共得間,而出逃入圓大臣宅.
 天皇使使乞之.大臣以使報曰:「蓋聞,人臣有事逃入王室;未見,君王隱匿臣舍.方今坂合黒彦皇子與眉輪王,深恃臣心,來臣之舍.誰忍送歟?」由是天皇復益興兵,圍大臣宅.
 大臣出立於庭,索脚帶.時大臣妻持來脚帶愴矣,傷懷而歌曰:
  臣の子は 栲の袴を 七重著し 庭に立たして 脚帶撫だすむ
 大臣装束已畢,進軍門跪拜曰:「臣雖被戮,莫敢聽命.古人有云:『匹夫之志難可奪.』方屬乎臣.伏願,大王奉獻臣女-韓媛與葛城宅七區,請以贖罪.」天皇不許,縱火燔宅.

今度、大型建物の柱跡には火災痕跡がありから、
葛城氏が焼き打ちされて滅亡したと言う日本書紀の記述を証明する可能性があります。
日本書紀はいつもその真実性が質疑されてますが、個人的にはその記述が実在したいんです。

資料ソースは、MunyuさんのBLOG、Munyuのつぶやき。
http://blog.livedoor.jp/kusitama/tb.cgi/14795220

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蓮見蓮見 2005/02/26 01:37 日本書紀は色々と政治問題が絡んでますしね。
しかし思い切り日本の派遣軍が新羅に騙されてしまう話とかもあるから、
どっちもどっちだと思うんだけど。
結局日韓双方の思惑があって、メジャーになりにくいのかもしれません。
でも日本書紀ならではの、有名でない英雄とかもいて好きなんだけどな。

kuonkizunakuonkizuna 2005/02/26 11:17 蓮見様、書き込みどうも有難う御座います。

確かに日本書紀はおかしいところが多いですが、古事記と風土記なども類似な記録あってから、少なくとも当時の人はその伝説を本当の歴史を信じているではないか。
そして、伝説と神話というものは、もっとも「形上学」の一つであり、全部は真実ではなくでも、なにが隠喻しているかもしれません。それに、中国の上古史だって考証不能の神話と伝説が色々あります。たとえば、前述の竹取物語について、中国の後漢書にも人が竹から生まれような記録があります。そして、漢高祖はその母が夢で竜との子だと記録は、史記にもあります。
日韓の問題はちょっとタブーかも知れないが、実は韓国の教科書はその本国の史料にも違うところがあります。
でも、結局、個人はやっぱり日本書紀を物語とか神話とか思う方が気楽です。それでも、日本書記がすきですから、その真実のところが見かけるとうれしいです。

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