2006/02/14

称徳天皇(孝謙天皇)の死因

2006-02-14-火 杜鵑今ぞさ渡る聲すなる我が告げ無くに人や聞きけむ

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称徳天皇孝謙天皇)の死因
 寶龜元年三月十五日,天皇聖體不豫,不視朝百餘日.天皇道鏡法師,將失天下.道鏡欲快帝心,於由義宮,以雜物進之.不得拔.於是,寶命白頹,醫藥無驗.或尼一人出來云:「梓木作金筋,塗油挾出.則全寶命.」百川竊逐卻.皇帝遂八月四日崩.天皇平生未立皇太子.至此,右大臣-真備等論曰:「御史大夫-從二位-文室-淨三真人,是長親王之子也.立為皇太子.」百川與左大臣.永手内大臣.良繼論云:「淨三真人有子十三人,如後世何?」真備等都不聽之.圍淨三真人為皇太子.淨三推辭,仍更圍其弟-參議-從三位-文室大-市真人為皇太子.亦所辭之.百川與永手、良繼定策,偽作宣命語.宣命使立庭令宣制.右大臣-真備卷舌無如何.百川即命諸仗圍白壁王為皇太子.
 十一月一日壬子,即位於大極殿.
 右大臣-吉備亂云:「長生之弊,還遭此恥!」上致仕表,隱居.
ここ日本紀略に載る称徳天皇の死因が続日本紀と違う事を知ってて、興味が湧いて調べてみました。いや、いやらしいわ...

菅家文草
http://applepig.idv.tw/kuon/furu/text/waka/kanke/bunsou/bunsou.htm
166 山寺 廿頌十四。
    古寺人蹤絕 僧房插白雲 門當秋水見 鐘逐曉風聞
    老臘高僧積 深苔小道分 文珠何處在 歸路趁香薰
菅原道真菅家文草』巻第一0166

■『前賢故実』「田道間守」
http://blog.goo.ne.jp/kuonkizuna1601/e/93a1351371b5ac7a05469c0c25a0eb3b
田道間守(たじまもり)

 田道間守。
 垂仁帝九十年春二月,命田道間守使求橘于常世國。得之而歸。時帝己崩矣。於是哀慟曰:「嘗奉命,遠至絕域,踏浪度險。往還十年。今而無所復命。臣雖生,亦何為?」遂伏陵下,哭泣而死。群臣為之流涕。

田村草子
 有時鈴鹿仰けるは、一年大嶽丸が、釼明連(けみゃうれん)の劍を取残せしし故に、魂魄(こんはく)残て天竺へ歸り、又日本へ渡り、陸奥の國に、霧(きり)山ヶ嶽に立て篭りて、世の妨げを成すべきとの瑞相(ずいさう)有、急ぎ都に上り、良き馬を求め給へと仰ければ、やがて上洛 ( しやうらく ) して馬を尋ね給ふ所に、五條の傍らに、すみあらしたる館(やかた)に立寄り見れば、二百さいにも及びたる大きな、馬屋の前にねふり居たり、又世の常の馬五つばかり一つにしたる程の馬を、金鎖(かなくさり)にて、八方へ繋ぎたるが、百日にも巻くさくれたり共見えす、引き立つる共一足も行くべきとも見えず、俊宗此馬売るべきかと仰ければ、大きな嘲笑ひ何の用に此馬買ひ給ふべき、欲しくは値はいるべからず、引かせ給へと言ふ、俊宗嬉しく思し召し、明日引かせ申さんとて、歸り給ひて、斯の大き何百石百貫に色好き小袖を添へて下(くだ)したぶ、大きな大きに悦びけるなり。さて其馬を買ひ給ふに、世中に並び無き名馬にて、俊宗乗り給へば、山を駈けり海を渡るも、同じ平地の如し、不思議に思し召し、鈴鹿へ行(ゆ)かんと思ひ乗り出し給へば、刹那か間に着き給ふ。鈴鹿御前は御覧じて、天晴(あつはれ)御馬(むま)候、これに召されて、陸奥の國霧山ヶ嶽を御覧しをかれ候へ、大嶽丸が來り候共、駒の足立を知らせ給はば、唯一かせんのしやうぶそと仰られければ、やがて此駒に打乗りて、東を指して打ち給ふに、反しの間に、霧山當たりを駆け回り、元の所に歸り給ふ、斯くて月日をすぐし給へば、案の如く、大嶽丸かしんはく、元の如くに成て、霧山ヶ峰に居て、人を捕る事限りなし、此由相聞申ければ、二十萬騎(ぎ)の軍兵(ぐんびやう)を田村將軍に付け給ひて、急ぎ討つ立つべしとの宣旨なり。俊宗畏まつて受け給り、此由鈴鹿に語り給へば、人數はさやうに入べからす、唯御手勢(てぜい)謀り連れ給ふべしとて、皆人人をは返し給ひて、五百よきの手せい謀り召し連れ給ふ、都より霧山までは三十五日の道なるを、軍兵共をばさきに立て、俊宗は鈴鹿御前と酒宴管絃(しゆゑんくはんげん)、様様の御遊びにて、七日の末より八月半ばまで、夜と共の御遊(ゆ)ふ様様なりしか、都を出て三十四日と申に鈴鹿を出る、御前は飛行(ひぎやう)の車に召す、俊宗は斯の駒に打乗り、へんしの間に、霧山の麓に着き給ふに、軍兵共は今た二時ばかり後に着きける、去程に鬼神は山を掘り抜き、口には大磐石(ばんしゃく)を戸枚として、せめ入べきやう話、去れ共田村は、兼ねて案内(あんない)走るなり、絡め手に廻り、せめ入て見給へば、大嶽丸は無かりけり、門守りの鬼一人出、何者なれは、我に案内も岩で通るらん、物見せんとて、鐵のばうにて討たんととすれば、俊宗扇(あふぎ)にて打下し、憎(にく)き者の振る舞ひかなとて、 先戒(いまし)めて引出す、扨大嶽(たけ)は幾つに有そと問ひ給へば、八大王(わう)と申は我らかしうの主也、蝦夷ヶ嶋(ゑそがしま)に坐します、御見舞ひの為に、昨日御輿(こし)候程に、やがて歸り給はんと申せば、俄かに空曇り、雷(かみなり)して、黒雲一叢の中より、鬼の聲凄まじくして、あら珍しいや田村殿、久敷き程の減算(げんさん)也、一年伊勢鈴鹿山にて、御身は某を打ち止めたりと思ふらん、我は其の頃天竺に用有て、玉しゐ一つの輿をきて歸る也、其れを我本體を思ふらん、人間の智慧(ちゑ)の浅ましさよと、笑ひければ、田村聞給ひて、其れは去事も有べし、汝か劍は如何にと仰ければ、是こそ釼明連(けみゃうれん)よそて差し上る、俊宗御覧じて嬉しし嬉しし、二つの劍は給りて、日本の宝となし、今一つの劍を取り残し、心に掛かり思ひしに、此までの持参何より満足也との給へば、大嶽丸腹を立て、何のわつはに物無いはせそ、三面鬼は無きかと言へば、面の三つ有る赤き鬼、躍り出て、大石を雨の降る程打けれ共、一つも当たらず。其時俊宗、例の大弓に鏑矢つがひ、暫し固めて放ち給へば、三面鬼かまつかうい砕かれ、朝の霧と消えにけり、大嶽腹を据へかね、手取にせんと、半町ばかり一飛に飛んで懸るを、飛ちかえて切給へば、首は前に落ちけるか、其のまま天へ舞上がる、鈴鹿御前は御覧じて、此首只今落ちかかるべし、用心あれとて、鎧甲を重てき給ふに、二時計有て鳴渡り、田村の甲の手偏(てへん)に位(くらひ)付、俊宗甲を脱ぎ御覧するに、其まま首は死にける。残の眷族共には繩を掛け、引上り、皆切て獄門(ごくもん)に懸られける、又大御丸が首をば、末代の傳へにとて、家の寶蔵(ほうそう)に納、千本の大頭と申て、今の世までも、見越し先に渡るは、この大嶽丸が頭也。

立喰師列伝
http://www.tachiguishi.com/trailer.html
立喰師列伝、予告公開。
小説読了OSTは注文済み、DVDは何時か出るかな...



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2006-02-13-月 卯の花の盛りなるべし山里の衣さほせるをりと見ゆるは

[]嫌オタク流 嫌オタク流を含むブックマーク 嫌オタク流のブックマークコメント 編集CommentsAdd Star

先日入手したので、今日は一部読んでみました。
発案の海猫沢めろんは「昔、オタクの特性ともいえる『自嘲的』性格は、最近オタクにあまり見られないから...わざとこういう本を出たいと思ってる。」という話が凄く共感的同意してます。堂高しけるが『全日本妹選手権』巻二で「誰も罪悪感を抱きながらオタクをしているんだ。」と言い出しまが、今のオタクには全く適用しないと気がします。オタクが「罪悪感」と「自嘲的言動」を持ちながら、一般人を迷惑かけない常識人で居られる筈と私がそう思います。



菅家文草
http://applepig.idv.tw/kuon/furu/text/waka/kanke/bunsou/bunsou.htm
165 孤雁 廿頌十三
    薄暮孤飛雁 閑中聽不煩 賓來秋霧遠 旅宿曉波喧
    未卜能鳴意 唯驚冷夢魂 若知詩與苦 高門欲相存
菅原道真菅家文草』巻第一0165

田村草子
http://applepig.idv.tw/kuon/furu/text/monogatari/tamura/tamura.htm
 山山峰峰を辿り越えて見給へば、大き成岩穴在り、見給へば、漫漫たる霞(かすみ)の内に、黄金(こがね)の甍(いらか)有、金銀瑠璃 ( こんごんるり ) の砂をしき、鐵の門を過ぎ行けば、白金の門在り、尚し過行けば、金銀の反橋(そりはし)を掛けたり、誠に極樂世界(ごくらくせかい)と言ふ共、是には如何でまさるべき、庭に四基の躰を現(あらは)し、先ひんがしは春の景色にて、出る日蔭物どかなり、谷の戸明くる鶯(うぐひす)の、聲も高嶺の雪溶けて、垣根の梅(むめ)のかつ散れば、櫻は遅しと咲き續く、岸の山吹色深く、藤波寄よする松枝の、碧の空に立續き、南面(みなみおもて)は夏の夜の、明方近き杜鵑(ほとどぎす)、鳴き行く山走しげり逢ひ、岩が解(ど)けつる瀧(たき)津瀬に、浪も涼しき夕暮れに、飛び交ふ螢微かにて、天の戸叩く水鶏(くゐなとり)も、曙(あけぼの)柳(やな)を押(お)しむらむ、扨又にしは、秋風の、末葉の露の散る影に、所所の簇紅葉の色、野邊の蟲の聲しらるる、蓬生(よもぎふ)の露にみだるる糸萩(いとはぎ) の、花紫の藤袴桔梗 ( ききやう )、苅萱(かるかや)、女郎花(をみなへし) 、今を盛りと見えたりけり、北は冬の景色にて、尾上(をのへ)の松の梢までも、降りうづみたる雪の日に、隅やくけ降り末明(ほのか)にて、池の郡の僻に、番はぬをしの立ちさはく、羽風も寒き曉(あかつき)は、一人寢る身様かるらん、又巽方(たつみのかた)を見れば、色色の鳥の羽にて、吹き分けたるやかた、百ばかり並びたり、其の内を見れば、玉の床に、錦の褥を敷き、室方の格子の内には、玉の簪(かんざし)掛けたる女、余たなみゐて、琵琶言調べ、或ひは、ごすご六に心を寄せたるもあり、其れより奥を見るに、大嶽丸か住ける所と思しくて、黄金の扉に、白金の柱にて、一段高く作り、郡(こほり)の如く劔戟(けんほこ)をば、隙間も無く立並べ、鐵の弓矢なくゐは數を知らず、俊宗思召けるは、只今よき折伏し也、鏑矢一つ射ばやと思召けるが、先鈴鹿御前に問ひ給へば、暫く待給ふべし、只今事のいで來るならば、検束(けんそく)共に取込められ、御命有まし、其れを如何にと申に、此鬼は、大通連(だいとうれん)、小通連(しょうとうれん)、釼明連(けみゃうれん)とて、三つの劍有、此劍共をたいする内には、日本か寄てせむる共、討たるる事が有まし、さあらばしやうじいれ、睦(むつ)ましけにも手無し、三つの劍を預かりて取るべし、其後來らん時、易々と討ち給へ、先只今は歸り給べしとて、打つれ斷(だ)ちて歸り給ふ。案の如く、日暮れければ、大嶽丸、美しき童子と成り、鈴鹿御前の御枕に立寄りて。
  ≪岩ならず、枕成りとも、口やせん、夜夜の涙の、露の積もれは。≫
 と詠み、袂(たもと)を顔(かほ)にをし当てて泣きける、鈴鹿御前は、兼ねて巧みし事なれば、返し。
  ≪口はてん、枕は垂れに、おとらめや、人こそしらね、堪えぬ涙を。≫
 と詠み給へば、大嶽丸是を聞き、怖いかに、ちつかに文の重なるまで、一度の御返事たに無かりつるに、只今の人の言葉の嬉しさよ。誠なるかな、目に見えぬ鬼神をも憐れと思はせ、男女の中をも和らげ、彪武士の、心を慰むは歌也。我歌の道を知らずしては、如何で此君と契りなん、天晴(あつはれ)歌詠みかなと、漫ろに我身を譽たりける。
 さて、鈴鹿の側近く寄り伏し、此れ程盡くせし心の程を、哀れみ給ふにや、只今の言の葉こそ有難けれと、涙を流しければ、鈴鹿御前、我も岩木ならねば、如何ばかり思ひつるそや、構へて見捨て給ふべからすと、打解顔(うちとけがほ)に仰ければ、大嶽丸も何か心を残すべき、越し方行く末の事共言(い)ひ語(かた)らひけるか、明ぼの告(つぐる)鳥の聲、おき別れ行きぬきぬの、袖を控えながら、此程俊宗とやらん言ふ者、我に文を通はしけれども手に悖(もと)らず、御身にかく慣(なれぬ)ると聞くならば、如何なる憂き目にも哀すべき、心細く思ふ成り、御身の劍を我に預け給へかしと仰ければ、誠に去事有、其俊宗と言ふこくはじやめば、由有る曲者(くせもの)にて、我等をも狙ふと聞え候、去りながら此劍共の有らむ程は、御心安く思召(おほしめし)て、御枕に立て給へとて、大通連・小通連、二つの劍を抜き出して、そもそも此劍と申は、天竺(てんぢく)真方(まかた)國にて、阿修羅王(あしゆらわう)、日本の佛法盛ん也、急ぎまだうに引入よとの御使ひに、某眷族共(それがしけんぞくども)をくして参る時、此三つの劍を給はる事、後代までの面目(めんぼく)られは身を放す事無し、然るを一夜の情けにほだされて、鈴鹿御前に参らせて、御枕が身に立て給へとて、未だ夜を篭めて、立迷ふ黒雲に打乗りて、鬼の住かに歸りける。斯くて俊宗は、此由を聞し召し、たた是佛神の御計らひ也とて、いよいよくはんねんし給ふ、斯くて夜も明ければ、急ぎ御用意有るべしとて、先二つの劍を参らする、一つの釼明連と言ふ劍は大嶽丸が叔父に三面鬼(さんめんき)と申鬼が預かりしか、此程天竺へ参り候そや、又今夜は鬼共に酒を進めて飲ませよ、兵事(へいじ)を送りて侯間、皆眷族共はゑい伏し侯べし、御心安く思し召して討ち給へとて、鈴鹿は雲乗りて立隠れ給ふ、去程に大嶽丸、此をば夢にも知らずとて、連中差して入ければ、俊宗立向かひて、鈴鹿御前と申は何者ぞ、定めて大嶽丸と言ふ曲者か、汝知らずや、我は是、日本の御門に遣へ奉る、田村大將軍俊宗とは我事也。十七にて大和の國奈良坂山に、かなつぶての靈山と言ふ化生(けしやう)の者を従へ、大將軍の司を給はり、御門を守護(しゆこ)し申事、異國までも其の隠れ無し、それになんそ、まの前にて大惡を成す事、たがゆるしけるそとの給へは、大嶽丸は、今まで美しき童子成りしが、見る見る丈十丈ばかりなる鬼神と成、日月の如くなる眼を見出し、俊宗を睨みけるが、天地を響かし大をん舉げて、汝は扶桑(そくさん)國の御門の臣下として何程の事有べきぞ、手並みの程を見せんとて、冰の如くなる劍鉾(けんほこ)を、三百ばかり投げか来る、去れ共俊宗の味方には千手觀音(せんじゅくはんをん)と、鞍馬の大毗沙門天(ひたもんでん)、兩脇に立給ひて、將軍の上に落ち懸る鉾を払ひ給ふ、鬼神は怒りをなし、數千ぎに身を返じ、大山の動く如し、去れ共田村騒ぎ給はず、神通の鏑矢射給へば、或るひは撃たれ、射た手をひ、四方へちりちりになりにけり、去れ共大嶽丸は微塵(みぢん)と成り、磐石と変化、暫く撃たれされば、俊宗劍を投げ給へば、首は忽ち打落とされ、雲霞の如く見えたる眷族も、皆消え消えと成りけり、其後鬼の首共を、ざう車に積み、都に上せ給ふ、御門衛(ゑ)いらんましまして、伊賀の國を給はり、いよいよさかへ給ふ、去れ共俊宗は、鈴鹿御前情け深く坐しければ、やかて御下り有て、明しくらし給ふ程に、姫君一人出き給ひて、御名をは聖林(しやうりん)女と申て、何時聞かしつき給ふ、去れ共都遠き所なれば、折伏しは都の事思し召し出して、何時まで掛かる雛の住まひならん、偲ひ都に上らばやと思し召しければ、鈴鹿御前是を打見(うちみ)給ひて、元より我は下界の人間に非ず、何事も御心に思ひ給ふ事を我知らぬ事無し、さしも二世とこそ契りつるに、早くも變はりたる御心かなと、涙に咽び給へば、田村聞し召し、いさとよ心の變はる事はさふらはず、去れ共此の所に斯くてながらへ候へは、君の御恵みも薄く成り、又は郎等共の思はん程も謀り難し、同じく都へ御供申て、住まばやとこそ思ひさふらへと仰られければ、其の御言葉もことはりなれ共、去りながら我は此の山の守護神(しゅごじん)と成り、都を守り申べし、急ぎ御上り候へ、御心こそ謀りたり共、我は聖林(しやうりん)と申姫が候上は、弓矢の守り神となるべし、さあらは此くれには、淡海(あふみ)の國に、悪事(あくし)の高丸出て、世の妨(さまた)げを成すべし、さあらは田村に、又従へよとの宣旨降るべし、内内御心に掛け、御用意有れと仰ければ、田村聞し召し、こは恨めしき御事かな、もし諸共に上り、都の住まゐもかなとこそ思ひつるに、如何で見捨て参らすべきと仰ける、鈴鹿御前聞し召し、先先此度は我に任せて、御昇り候て、やがて又降り給へとありしかば、力無く、俊宗上らく有て、先參内されければ。
 御門衛いかん有て、管弦亂舞(くわげん くはげんらんぶ)御歌合様様の御持成(もてな)しなり、上くぎやう天上人、とりとりの御慰めに、さらによるひるかけて御暇も無し、斯くて彌生(やよひ)の末より、神無月の始め頃まで、御遊覧(ゆふらん)有ける所に、鈴鹿仰せし如く、淡海の國に、高丸と言ふ鬼居できて、往來の者を喪ふ事數を知らず、急ぎ討つて下さるべしとて、在所在所より申來る、此由相聞申ければ、たまたま將軍の在京也、此年月の辛苦をも慰めんと思ひつるに、程も無くて、掛かる事こそらめしけれ、去りながら誰に仰せ付けられん物無しと仰ければ、俊宗は時の面目(めんぼく)是にすきしと、悦び御受けを申、罷(まか)り立て、鈴鹿へ此由申さはやと思し召しけるか、いやいやつうりきにて、とくしり給ふべき物を、時移りては足柄あしかり)なんと思し召し、十六萬きの兵を引ぐして、高丸かぢゃうへをしよせ、內の有様見給ふに、石の築地(つゐぢ)を高くつき回し、鐵の門さをさし固めて、せめ入べき様も無し、俊宗門前に駒掛け寄せ、如何に鬼共確かに聞け、只今汝か討つてに向ふたる者を、如何なる者とか思ふらん、一刻までも隠れ無き、藤原の俊仁の嫡子(ちやくし)に、田村將軍藤原俊宗也。手並みの程は定めてきき及び給ふらんに、何とて罷(ま)り出てか胡散(うさん)して、命を繼ぎ、己が本國へ歸らぬぞとの給へは、じゃうにはなりを鎮めて、音もせず、俊宗笑(はら)を立て、鈴鹿御前の伝へ給ふ桑貝印(くわかいのいん)を結びて、じゃうの内へなげ給げば、 花苑(くわゑん)と成てやけ上がる。高丸は雲に乗りて、信濃(しなの)國布施屋(ふせや)ヶ嶽(だけ)へ落ち行きける、田村續ひて責められければ、駿河(するか)國富士嶽へ落ち行きける、是をやがて攻め落とされ、外の濱に落ち行けるか、是を責め付けられて、たうと日本の境に、岩を刳り貫き、じゃうとして、引篭もりければ、ろく地に續く程は責めけるが、海上の事なれば、如何せん、先引取り兵船を整(ととの)へてよせんとて、引き給ふが、十六萬期の兵(つはもの)、此処かしこにて討たれ、やうやう二萬旗ばかりになり、都へ上り給ふとて、鈴鹿の坂の下、罷りのしゆくにつき給ふそと仰ける、俊宗聞し召し、その御事にて候、罷り向ふ時も、御いとまこいに参らばやと存知候へども、時刻移りなんと思ひ、罷り通り候也、高丸をは随分責め候へとも、今は海中に岩を刳り貫きて、引篭もり候あひだ舟を整へん為に、先都へ上り候、其上人余た討たれ候、此由申上、やがて又打寄せ候べしと仰ければ、鈴鹿聞し召し、舟も兵も、如何程集め給ふ共ぼんぶの身に叶ふべからず、兵共をば、急ぎ都へ上(のぼ)せ申さんとて、神通(じんつう)の車乗り、只二人刹那が間に、外の濱に着き給ふ、高丸は折伏し、昼寝して居たりつるが、かつは遠(とほ)き、例の田村か又來るぞ、用心せよと言ふままに、岩戸を立てて引篭もる、其の時鈴鹿は左の手を差し上、天を招(まね)き給へば、十二の星、二十五の菩薩、天降り給ひて、見目(みめ)うの音楽を揃へ、斯の岩屋の上にて、舞ひ遊び給へば、高丸勝て合ひの娘是を聞、あら面白の音楽や、天竺に在りし時、度度聞けれ共、斯程の楽は今だ聞かず、哀れ見ばやとこそ天へけれ、高丸申やう、誠の楽と思ふべからず、田村と鈴鹿、我を謀り出さんとてする事ぞかし、構へて見る事むやくなりと言へば、娘重ねて申やう、露(あらは)にも出て見ばこそあしからめ、戸を細目に開けて見候に、何の子細の有べきと言ひければ、力無く岩屋の戸を三寸斗開けて覗きければ、廿五の菩薩天童子集まりて、殊に妙(たえ)なる音楽を揃へ舞給へば、余りの面白さに明くるとは思はね共、廣廣と開きければ、鈴鹿田村に、あれ遊ばせとの給ふ、俊宗鐵の弓に、神通の鏑矢撃つがひ、暫し固めてはなち給ふ、雷(いかづち)の如くに成り渡り、高丸か眉間(みけん)を砕き(いくだき)、腰骨(こしぼね)掛けて、後なる石につなぬかれける。其の時劍を投げ給へば、高丸親子七人が首を打落とし、八人のつつの忍足(にんそく)にもたせて、都へ上り給ひければ、くんか受けじゃう、思ひのままに頂戴 ( ちやうだい )して、又鈴鹿へ下り給ふ、御前は悦びの神酒(みき)を勸(すす)め、夜もすがらく半減して、明石(あかし)蔵させ給ふ。
大嶽丸と高丸を倒した。続きは復活たる大嶽丸の逆襲。



Fate/Stay night」~東日本巡礼編~
お疲れ様でした。m(__)m
私信:
>コレ? これはチェックしてなかったです。
ああ、機会があれば御覧なさい。痛いかも...(?
>経験者
どんな経験が聞きたいところですが...
>とりあえず前者と解釈しておきます
前者です。後者はどんなものが知りませんが、心当たりは幾つもありますので自主規制取った方がいいかも。
>私は第1巻を読んでダメで、その後読んでませんでした。
私は第0巻(外伝)から読んだのです。やっぱり第0巻を読むことはオススメます。
第0巻も駄目だったら、続きを読む必要もないと思いますわ。

巫女 GNYO/Linux
http://miko.gnyo.org/
12月30日(金) 西地区 お-33b
MIKO GNYO/Linux2.4とマニュアル本を頒布予定。

■車に変形する二足歩行ロボット HSWR-007
http://robot-fan.net/spot/spot067.html

美少女女体化新薬の完成で日本安泰
http://www.nyasoku.com/archives/50348333.html
安泰って訳ないだろう...


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