2006/02/10

日本書紀私紀丁本

2006-02-10-金 都人寢で待つらむや杜鵑今ぞ山邊を鳴きて過ぐなる

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グループミーティングが三時間半...長かった。
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菅家文草
http://applepig.idv.tw/kuon/furu/text/waka/kanke/bunsou/bunsou.htm
162 秋山 廿頌第十。
    大底秋傷意 山中不勝秋 樵翁論去道 巖客問來由
    止足依松立 清心傍水流 指家歸出早 怨作市朝囚
菅原道真菅家文草』巻第一0162

日本書紀私紀丁本
  • 問:云云.
    • 師說:云云.面國遣使奉獻.注曰:「倭國去樂浪萬二千里.男子皆黥面文身,以別尊卑大小.云云.」
  • 問:倭國之中有南北二倭.其意如何?
    • 師說:延喜說云:「北倭可為此國,南倭女國.云云.」此說已無證據,未為全得.又南北二倭者,是本朝南北之邊州也,無可指別由.
  • 問:此倭字訓,其解如何?
    • 師說:延喜說:「漢書晉灼如淳各有註釋.然而惣無明訓之字也.」今案,諸字書等中,亦無指讀之.
  • 問:耶馬臺、耶靡堆、耶摩堆之號,若有各意乎?
    • 師說:今案,雖有三號,其意不異.皆取稱倭之音也.
  • 問:此國稱姬氏國,若有其說乎?
  • 問:書紀二字乎を合讀天て不美止ふみと云,其意如何?
    • 師說:先師之說,讀書紀二字為書.今亦依之.
  • 問:書紀二字,訓釋不同.若各相別讀者如何?
    • 師說:此若相分讀者,雖義可叶,而文已繁碎.仍不別讀.
  • 問:二字乎を一字に爾讀成.若有所據乎?
    • 師說:此書之例,或以一字讀成兩訓,或以二字讀如一字.其近文,則含牙乎波をば葦類乎を含止と讀.又,神聖乎波をば只神止と讀等也.
  • 問:書字之訓乎を不美止ふみと讀云,其由如何?
    • 師說:昔者新羅所之上表,其言詞大不敬也.仍怒擲地而踏.自其後訓云-不美ふみ,是先師之說也.今案,倉頡見鳥踏ふみ地所徃之跡,以作此文字也.不美止ふみと可謂之訓,依此起歟.
  • 問:諸史經籍等,只注第一、第二,不加卷字.而此書注卷第一,習何書乎?
  • 問:卷第一并三箇字乎を,卷乃の次一卷爾に當卷止と讀也.少字多詞.若卷乃の次一止と讀如何?
    • 師說:卷乃の次一卷爾に當卷止と讀,少字多詞,誠雖有理,是先師之說,不可輙改.抑此書之中,少字長詞之例甚多,近則一百七十九萬二千四百七十餘歲之文.此十四箇字者,毛毛呂都止世阿萬利ももろづとよあまり,奈奈曾與呂都止世阿末利ななそよろづとせあまり,古古乃與呂都止阿末利ここのよろづとあまり,不太知止世阿末利ふたぢとよあまり,與保止世阿末利よほとせあまり,奈奈曾止世阿末利ななそとせあまり止と讀.此少字多詞證據之文也,然則尚可讀卷乃の次一卷爾に當卷.
  • 問:此書不注撰者之名,其由如何?
    • 師說:此書非獨安麿之撰,仍不指注其名.但大唐史撰,并諸家撰修之例,或注或不注.近則淮南子、新撰陰陽書等,皆諸家相集之作也.而淮南子不注之,新撰陰陽書注之者,人意不同有何異議.如此則撰修此書之時,若隨不注之例歟.
  • 問:本朝之史,以何書為始乎?
    • 師說:先師之說,以『古事記』為始.而今案,上宮太子所撰『先代舊事本紀』十卷,是可謂史書之始.何者?古事記者,誠雖注載古語,文例不似史書.即其序云:「上古之時,言意並朴.敷文構句,於字即難.已因訓述者,詞不逮心.全以音連者,事趣更長.是以今或一句之中,交用音訓.或一事之內,全以訓錄.即辭理難見,以注明意,云云.」如此則所修之旨,非全史意.至于上宮太子之撰,繫於年、繫於月,全得史傳之例.然則以『舊事本紀』十卷,可謂本朝史書之始.
  • 問:撰修此書之時,以何書為本乎?
    • 師說:先師之說,以古事記者為本.其時,又問云:「若以古事記為本,何有相違之文哉?」先師又說云:「『古事記』者,只以立意為宗,不勞文句之躰.仍撰修之間,頗有改易.云云.」而今見此書,所載麤文者,全是『先代舊事本紀』之文也.注一云之處,多引『古事記』之文.況復上宮太子全依經史之例,能勞文筆之躰.或神名用訓之處,更不雜音.或嶋名用音之處,亦不雜訓.此近則,國常立尊、殷馭盧嶋等,是其一端也.此書之躰,已同彼書.況其所載,多引彼文.然則,可謂以『先代舊事本紀』為本所撰也.自餘閭門假借之書,雖有其數,皆稱一書,置於注.
  • 問:考讀此書,將以何書備其調度乎?
    • 師說:『先代舊事本紀』、『上宮記』、『古事記』、『大倭本紀』、『假名日本紀』等是也.
  • 此時,參議-紀淑光朝臣問曰:號倭國云-日本,其意如何?又自何代,始有此號乎?
    • 尚複答云:上代皆稱倭國,倭奴國也.至于唐曆,始見日本之號.發題之始,師說如此.
  • 此時,參議-紀淑光朝臣問曰:號倭國云-日本,其意如何?又自何代,始有此號乎?
    • 尚複答云:上代皆稱倭國,倭奴國也.至于唐曆,始見日本之號.發題之始,師說如此.
    • 師說:日本之號,雖見晉惠帝之時.義理不明,但『隋書東夷傳』云:「日出國天皇謹白於日沒國皇帝.」者,然則,在東夷日出之地,故云-日本歟.」
  • 參議又問云:倭國在大唐東,雖見日出之方.今在此國見之,日不出於城中.而猶云日出國歟?又,訓日本二字云倭,其故如何?
    • 博士答云:文武天皇大寶二年者,當大唐則天皇后久視三年也.彼年遣使-粟田-真人等入朝大唐.即唐曆云:「是年日本國遣使貢獻.日本者,矮國之別名者.然則唐朝以在日出之方,號云日本國.東夷之極,因得此號歟.
  • 問:『假名日本紀』,何人所作哉?又與此書先後如何?
    • 師說:元慶說云:「為讀此書,私所注出也.作人未明.」彼時又問云:「假名之本,元來可有,改其假名.養老年中,更撰此書.然則不可謂為:『讀此書,私所記也.』」又說云:「所疑有理.但未見其作人耳,云云.」今案,假名之本,世有二部.其一部,倭漢之字相雜而用之.其一部,專用假名、倭言之類.『上宮記』之假名,已在『舊事本紀』之前.『古事記』之假名,亦在此書之前.可謂,假名之本,在此書之前.或書云:「養老四年,令多安麿華撰錄『日本紀』之時,古語假名之書,雖有數十家,皆以敕語為先.」者,然則假名之本,尤在此前耳.


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2006-02-09-木 千代も經よ立ち返りつつ山城のこまにくらべし瓜の末なり

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今日実験室の合鍵を作るように言われたので、合鍵・印鑑の店に行ってきました。
折角だからつい...
f:id:kuonkizuna:20060208235726g:image
そっちのオヤジが「中国人の名前らしくないね...」
私「ええ、日本名ですもの。」
オヤジ「日本人ですか、君は?」
私「いいえ、私のじゃなくて...」
とりあえず誤魔化しました。あんまりクォリティーが見えないだけど...



菅家文草
http://applepig.idv.tw/kuon/furu/text/waka/kanke/bunsou/bunsou.htm
161 灘聲 廿頌第九。
    避喧雖我性 唯愛水潺湲 可轉幽人枕 如彈古調絃
    孤松臨岸蓋 落葉繫波船 此夕無他業 莊周第一篇
菅原道真菅家文草』巻第一0161

■『前賢故実』「野見宿禰」
http://blog.goo.ne.jp/kuonkizuna1601/e/f287c4ca47c53fa58c704e7b36f3cdf9
野見宿禰(のみのすくね)

 野見宿禰,出雲國人.臂力絕倫.
 垂仁帝七年,大和有當麻蹶速者,軀幹長大,常自誇多力,以謂天下無雙.帝乃令諸國,驛其對與之比試.宿禰當其選,與蹶速角力.一時忽躍而踢倒,折其腰骨斃之.於是被任用.
 三十二年,皇后曰葉酸媛崩.宿禰請官徵出雲土部一百人,挺埴以造人馬之形.樹之陵墓,易殉死者.名曰-埴輪.
 後賜姓曰-土部臣.

■哀しみキメラ
哀しみキメラ (電撃文庫)
やっぱり、キメラ語源キマイラからである。キマイラといえば赤い稲妻。


マンガ嫌日
http://d.hatena.ne.jp/boutarou/20060207/1139249572
...対抗意識?

グループミーティングレポート...まだまだ良いアイデアを浮かんでこないわね...
先生が「これは貴方たちが卒業できるかどうかに掛かります。特に●●くん(←ある後輩)あなたは既に色々な機会を失ったの、例えば先回の卒論口試の時、見学に来なかったなど。」と。
電話すると、例の後輩はまだ正月気分らしいですけど...(合掌)

ちなみに、明日、教育省の人が実験室に来るらしい。

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