2006/02/22

古今和歌集假名序 譯

2006-02-22-水 數知らぬ真砂にたづの程よりはそめけむ千代ぞすくなき

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修羅場、しかもかなりハード_| ̄|○




菅家文草
http://applepig.idv.tw/kuon/furu/text/waka/kanke/bunsou/bunsou.htm
右親衛平將軍,率廄亭諸僕,奉賀相國五十五年。宴座後屏風圖詩五首 并序
   古人有言,曰:「聖人之養生也,必適其性。室大則多陰。多陰者致逆寒。室高則多陽。多陽者不能行。斯乃陰陽不適之患,居處空敝之弊。是故,其為宮室臺榭也,足以避燥脩濕矣。其為飲食酏醴也,足以適味充虛矣。其為輿馬衣裘也,足以逸身煖骸矣。其為聲色音樂也,足以安性自娛也。其為苑囿園池也,足以觀望勞形矣。五者聖人之所以節性,不必好儉而已。」誠哉,古人之有斯言也。近取諸身,當施座右。故寄章句,以備用心云爾。將軍許余,以言笑之好。元年冬杪密語云:「相國今年滿五十。予率諸僕,可設遊宴。座後所施屏風,欲致妙絕。汝作詩,藤將軍書之,巨金岡畫之,予願足矣。」再三雖辭,遂不寬放。此序是『呂氏春秋』之成文也。為敘本意,乃有此注而已。

174 郊外翫馬 宴座後屏風圖詩第一。
    龍媒戀主整毫毛 眉壽三千欲代勞 齊足踏將初白雪 遍身開著淺紅桃
    風前案轡浮雲軟 日落鳴鞭半漢高 仙駕不須飛兔力 請看雙鶴在寒章
菅原道真菅家文草』巻第一0174

古今和歌集假名序
http://applepig.idv.tw/kuon/furu/text/waka/kokin/kanajo.htm
  • 和歌は,人の心を種として,萬の辭とぞなれりける。世中に或る人、事、業,刺激物なれば,心に思ふ事を,見る物、聞く物につけて,言ひ出せる也。花に鳴く鶯,水に棲む蛙の聲を聞けば,息とし生ける者,孰れか歌を詠まざりける。力をも要れずして,天地を動かし,目に見えぬ鬼神をも哀れと思はせ,男女の仲をも和らげ,彪き武士の心をも慰むるは,歌也。
    • 和歌者,其託根於心地,而發華於詞林者也。人生在世,或為人、事、業之所感,以其心思所至,諭於見聞萬物,而吟形於言也。夫聞花上鶯鳴、水棲蛙聲、生息之人,孰不賦歌。不假外力,即可動天地、感鬼神、和夫婦、慰武士者,和歌也。
  • 此の歌,天地の開け始まりける時より,居できにけり。〔天浮橋の下にて,女神男神と成り給える事を言へる歌也。]しかあれども,世に伝はる事は,久方の天にしては,下照姫に始まり[下照姫とは,天稚彥の妻也,兄の神の形,崗谷に移りて,輝くを詠める夷歌なるべし,此れらは文字の數も定まらず,歌の様にも有らぬ事ども也。]荒かねの土にては,素戔鳴尊よりぞ,興りける。
    • 伏惟和歌之作,肇於天地初判。(所賦天浮橋下,陰神、陽神相契之歌也。)然今傳之歌,於亙久天界,始作於下照姫。(下照姬者,天稚彥之妻也。其詠兄神形移崗谷之輝耀者,今所謂夷歌是也。此者等,字數未定,而歌體不足也。)於葦原荒土,則始興於素戔鳴尊
  • 千早振る神代には,歌の文字も定まらず,素直にして,事の心わき難かりけらし。人世と成りて,素戔鳴尊よりぞ,三十一字は詠みける。[素戔鳴尊は,天照孁貴神の弟神也。【原文ハ兄神ナリ。記紀ヨリ改ス。】女と住給はむとて,出雲國に宮造りし給ふ時に,その所に八色雲の立つを見て詠み給へる也,《八雲立つ出雲八重垣妻篭めに八重垣作るその八重垣を》。]斯くてぞ,花を愛で,鳥を羨み,霞を哀れび,露を悲しぶ心,辭多く,様様に成りにける。遠き所も,居で立つ足元より始まりて,年月を渡り,高き山も,麓の塵土より成りて,天雲たなびくまで追ひ昇れる如くに,此の歌も,斯くの如く成るべし。
    • 荒振也神代,時質人淳,心象難捉。是以和歌未作,情欲無分。爰及人代,逮于素戔鳴尊之世,始有卅一字之詠。[素戔鳴尊者,大日孁貴之弟神也。與妻連理,造宮出雲。時見八色彩雲層出之所詠也。≪八雲立つ出雲八重垣妻篭めに八重垣作る其の八重垣を【八雲立兮層雲湧 出雲清地八重垣 欲籠吾妻居此處 遂造出雲八重垣 其八重垣可怜矣】≫。]如斯,愛花、羨鳥、哀霞、悲露之心,託以千辭,而化萬態。千里之行、始於足下。以其經年累月,則崇山峻嶺,雖始麓間塵土,終也齊聳雲霄。夫和歌者,亦如斯哉。
  • 難波津の歌は,帝の御始め也。[大鷦鷯帝の,難波津にて皇子と着こえける時,東宮を互ひに譲りて,位につきたまはで,三年になりにければ,王仁と言ふ人の訝り思て,詠みて奉りける歌也,此の花は梅の花を言ふなるべし。]
    • 難波津之歌,御始於仁德帝也。[大鷦鷯帝,於難波津,為皇子時,與弟尊菟道稚郎子,相禪東宮。爰皇位空之,既經三載。有王仁者,訝民之苦,遂賦歌而奉之作也。此花者,則當梅矣。《難波津に咲くやこの花冬ごもり今は春べと咲くやこの花》【花咲押照難波津 籠冬已過今為春 綻放咲之此花矣。】]
中国語訳やり始め、暇がある時アップします。




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2006-02-21-火 思ひつつ戀ひつつは寢じ逢ふと見る夢をさめては悔しかりけり

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菅家文草
http://applepig.idv.tw/kuon/furu/text/waka/kanke/bunsou/bunsou.htm
173 九月九日,侍宴,應製 聖曆仁和,以和為韻。
    九重逢九日 三斝醉三溠 引籍窺青簡 登高切絳河
    菊開新月令 絃鼓舊雲和 較量皇恩澤 飜來四海波
菅原道真菅家文草』巻第一0173

■『前賢故実』「難波日香蚊」
http://blog.goo.ne.jp/kuonkizuna1601/e/ab313feea3346c8a10bdb2ad89ac908a
難波日香蚊(なにわのきしかか)
 難波吉士日香蚊,父子皆事大草香皇子。
 安康帝欲聘大草香妹-幡梭,為皇弟大柏瀨妃。使根使祖傳詔。大草香大喜,獻珠縵以表信。根使主竊匿不進,誣奏曰:「大草香皇子不奉詔,且言不遜。」帝大怒,遣兵殺之。取幡梭為皇弟妃。於是,日香蚊父子不勝悲傷,父抱王頸,二子各執王足,慟哭曰:「吾君無罪見誅!何其不幸。臣生事之,死豈不殉乎!」即皆自刎於屍側而死。
 雄略帝十四年,根使主事覺伏誅。敕求日香蚊後,次姓大草香部吉士。


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