2006/02/20

嫌オタク流、読了

2006-02-20-月 駒や來る人や分くると待つ程に茂りのみます宿の夏草

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今日(水曜)からは新学期の始まり。
ところで、始業と共に、これまでない程のプレッシャーがやってきた。
なぜなら「教えられる」から「教える」側に変更したから。無事であるように...

菅家文草
http://applepig.idv.tw/kuon/furu/text/waka/kanke/bunsou/bunsou.htm
172 晚嵐 廿頌二十。
    松窗嵐氣苦 惱殺感秋情 撓得詩人興 增來夜水聲
    樵夫衣可薄 野客夢難成 已醉三分酒 誰愁冒曉行
菅原道真菅家文草』巻第一0172

■『前賢故実』「衣通姫」
http://blog.goo.ne.jp/kuonkizuna1601/e/662a6046d4284bb1b0d965a567ff0531
衣通姫(そとおりひめ)

 衣通郎姫。允恭天皇寵姫而皇后-忍阪大中姫妹也。
 才藻富膽、歌詞絕妙。姿色艷麗、肌膚如玉、徹衣而晃然。初帝強命皇后、而進衣通姫。姫畏皇后、雖七召之、固辭不應。帝復使中臣-烏賊津使主召焉。亦辭。使主即伏庭下、七日不食、泣請甚切。於是、不得已入宮。帝殊寵之、造宮於藤原而居之。又移河內茅渟。帝屢臨幸。

 天皇一日幸藤原宮、密察衣通姫居動。適見衣通姫沉思歌曰:
  夫子せこが べき夕也よひなり 小竹ささの 蜘蛛くもおこひ 今宵著こよひしるしも
 天皇聽之、不勝感、即歌曰:
  ささらがた 錦の紐にしき ひもを 解き放と さけて 數多は寢あまた ねずに 唯一夜ただひとよのみ

嫌オタク流読了
ちょっと複雑かも。以前は「オタクなら尚更読むべきと思います」が、実際で見ると、「最近オタクは...」と良く思う人には読む必要が余り無いと思います。特に海猫沢めろん氏の発言に、「其の通りだ。」「私もそう思う」と共感するしかない。正論で決して悪くないが、知ったはずな事で、多分、得とは言えません。
中原昌也氏はかなりの変人で、わざと嫌がらせ役をしているように見えます。どころで、高橋ヨシキ氏の発言は時々意外と痛いな所があります。例えば、海猫沢めろん氏が『ONE』の川名みさきをたとえとする時、まさに泣けゲーオタの気持ちを言い出す其のものだけど、高橋ヨシキ氏何気なくの「でも、そのゲームの売上が盲学校寄付される訳じゃないでしょう?」の一言で海猫沢めろん氏が「あ...それは俺も今初めて気づいた。」というボケ役を買う。
後半になると、更科修一郎氏の発言は海猫沢めろん氏ほど親オタク派じゃないのせいかも知れませんが、高橋ヨシキ氏も中原昌也氏も比較的オタク側に廻る発言が前半より多い。例えば「オタク犯罪の温床だ」という話題に、高橋ヨシキ氏は「ある程度の規模になればどんな集団でも犯罪の温床だよ。」と言いました。実は『嫌オタク流』というタイトルがあれども、全書はあまり嫌オタの立場に見えません。しかも、書末の注釈が酷くオタク臭い......
以前の「オタクなら尚更読むべきと思います」を改めて、「何故オタクが嫌われたのを知らない人々が読むべき」にします。

どころで、中原昌也氏の紹介が見つかりました。
『あらゆる場所に花束が…』で第14回三島由紀夫賞を受賞する。その歯に衣着せぬ筆致と、自虐的でありながらユーモア諧謔を忘れない姿勢、そして批評眼の確かさには定評がある。

USO9000さんの感想は仮想と現実の真ん中あたりにどうぞ。
http://www7a.biglobe.ne.jp/~uso9000/diary/diary.htm#0219
どころで、USOさんの言う通り「個人的な見解」がばっかりですが、やっぱりわざだと思われます。良い方向で考えば、「オタク事実ベース専門家より全然知らない一般人の方が相性がずっと悪い。」と言うことですが。悪方向なら「実は一般人がオタクを嫌いふりして、海猫沢めろん氏と更科修一郎氏の弁解を引き出すためのオタク弁護書。*1」でもあります。
また『嫌オタク流閑話休題(仮想と現実の真ん中あたり経由)
http://blog.livedoor.jp/valdish05/archives/50344838.html

ワンダーフェスティバル 2006 冬 レポリンク集
http://www.wretch.cc/blog/miokei&article_id=4218277
今度は高原万葉GKが開場してすぐ完売だという情報が入りますが、
その状況についての写真はみつからないのでとても残念でした。
また、カルタグラフィギュアもまだ見つからないよね、ある友人が欲しいと思うけど。


*1:どうせ海猫沢めろん氏と更科修一郎氏の方が情報量が上だから。
トラックバック - http://d.hatena.ne.jp/kuonkizuna/20060220

2006-02-19-日 送ると言ふ蝉の初聲聞くよりぞ今かと麥の秋を知りぬる

[]日本後紀巻十二 日本後紀巻十二を含むブックマーク 日本後紀巻十二のブックマークコメント 編集CommentsAdd Star

日本後紀巻十二、電子テキスト完成しました。
http://applepig.idv.tw/kuon/furu/text/kouki/kouki12.htm
長い、日本後紀作り始め以来一番長いのはこの巻ではないかと思います。
とはいえ、日本後紀は殆ど逸文巻ですから、これこそ普通の長度かもしれません。

そのわり、当巻の見所も沢山有ります。
石上家成(石上麻呂が子)の薨伝は薄いので、物部氏の沒落も見とれるかも。
そのあと、桓武天皇の不予により、度々の大赦、放生が行う。そこで、石上神宮の神祟りという事件もあります。平安京へ遷都したため、政治中心と奈良石上神宮の距離が遠くなって、石上神宮に收納され兵器を山城国葛野郡まで運送せよと宣旨した。文章生の布留宿禰高庭(布留という氏から見ると、やっぱり物部氏と石上神宮の縁者か?)が其れをやめようと進言したがそれを採納させず。その代わりに、桓武天皇が不予になった、平城松井坊の女巫(かんなぎ)の宣託によるとそれは神宝・兵器の不当運收に対する祟りという。これから女巫に依頼して神様との交渉、天皇の謝りの宣命を出す事に至るまでは何となくドラマチェックにみえる。
また、怨霊のことも欠からず。先後は井上内親王・他戸親王、そして崇道天皇(早良親王)への鎮謝・祭祀を行い、桓武天皇の影にああいう裏事情は不予により明らかに見られます。とは言え、桓武天皇は巻十三まで生きていたのでなかなか頑仗の方でもある。此前に、唐徳宗崩御メッセージは遣唐使らが伝えました。


菅家文草
http://applepig.idv.tw/kuon/furu/text/waka/kanke/bunsou/bunsou.htm
171 水鷗 廿頌十九。
    雙鷗天性靜 況遇得心人 逐步高低至 尋聲向背馴
    飛疑秋雪落 集談浪花匂 殊恨秋天暮 相離不敢親
菅原道真菅家文草』巻第一0177

■怪奇黒素材 神社
http://www.kaiki.info/sozai/jinjya/index.html

■これもまた、壊れた模様。
http://mangaen.blog30.fc2.com/blog-entry-132.html

■たまに見つけた台湾の人による日本語ブログ
http://www.wretch.cc/blog/miokei
だんだん増えてきたね、そして末期的壊していく(汗)。
サイトリンクを見ても、日本アキハバラオタクそのものという感じが湧いてくる。

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