2006/02/16

日本書紀私記零本

2006-02-16-木 五月雨や木暗き宿の夕されは面照るまでも照らす螢か

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今日はセミナの真中、携帯が響きました。
セミナが終わった以後、実家電話を書けたのですが、母は留守でした。
のち、ついに母と連絡を取ると、母方の祖母は病気で急逝されという。
ウチは父が台湾の人で母はシンガポールの人なんだから、祖母は勿論シンガポールに居ました。
よって、生まれから祖母を見る機会は滅多に無い、大体十回くらいしかないと思います。
母は今曜日帰省葬式を出席する予定ですが、私にはパスポートの手続きさえ間に合わないから行けそうに無い。
とりあえず、冥福を祈ります。



日本書紀私記零本
http://applepig.idv.tw/kuon/furu/text/monogatari/tamura/tamura.htm

  • 參議-淑光朝臣橫點云:假名之起,當在何世哉?
  • 問:假名之字,誰人所作乎?
    • 師說:大藏省御書之中,有肥人之字六七枚許也.先帝於御書所,令寫給之.其字皆用假名,或其字未明,或乃川等字,明見之.若以彼可為始歟.
    神代 上
    • 問:此卷注-神代上,文意如何?
      • 師說:大和本紀云:「國常立尊、國狹槌尊、豐斟淳尊,此三神獨化身藏矣.埿土煮尊、大戶之道尊、面足尊、伊弉諾尊,此四神共化身藏.云云.」此卷皆載此等神代之事,故云-神代.
    • 問:不唯言神代,相別上、下,其意如何?
      • 師說:周易有上經、下經,尚書有盤康上、下,泰誓上、下等篇.可謂習此例也.
    溟涬而含牙
    • 問:溟涬二字,引考經籍,皆稱夫地未分之形.今讀語,其說如何?
      • 師說:此文在莊子春秋緯并淮南子等,皆稱天地未分之形矣.但倭語先先有五說也.一-阿加久良爾之天あかくらにして.二-保能加爾之天ほのかにして.三-久久毛利天くくもりて.四-久良介奈湏太太與比天くなけなかたたよひて.五-久良介奈湏太由太比天くらけなかたゆたひて.今案,此五說之中,久久毛利天此說可為先.既云天地未分.此說可叶彼義.然則其外四說,相副可存.
    • 嚴閤橫點云:渾沌如雞子之文,讀云鳥兒,不明何鳥之兒.今案,『禮記』月令正義云:「天地渾沌如雞卵.云云.」然則此義可叶.若訓雞子,讀雞卵如何?
      • 師說:已注雞字,更疑何鳥?又未呂加禮太留己止みろかれたること如雞子者,明是卵也.然而先師皆存此意,猶讀烏兒,不可輙改. 問:含牙之牙,先先之說皆讀阿志加比あしか.而此度被讀支佐志きさし,其心如何? 師說:先師之說有葦類之說,然而下文葦牙之處可讀此說也.此含牙者,萬物萌牙之義也.非可指謂葦牙,仍取萌牙之義支佐志きさしと可讀.但先師阿志加比あしかひと被讀說者,可相存.
    薄靡而為天
    • 問:此文『淮南子』之文也.彼書靡字作歷,即許慎、高誘等注云:「薄歷者,塵飛揚之皃也.」而此紀改作靡,其意如何?
      • 師說:自及其清陽至于地後定廿餘字者,全是淮南子之文也.而此紀改作靡字者,其由未明.若歷、靡兩字,其體相似,淮南子亦有作靡之本乎.但『先代舊事本紀』全作靡字,『假名日本紀』亦云太奈比支天たなひきて云也.然則此紀者見彼等所作也.『淮南子』中若有作靡之本者,可叶此義.

    神聖生其中
    • 問:神聖兩字,義理各異.仍舊說之中,或有二字相連讀訓之說.而此度相合二字,只被讀神.其意如何?
      • 師說:先師舊說之中,有相連讀訓之說.是則天地之間,有神有聖之意也.而今呂濟『三五曆記』云:「開闢之初,有神聖.一身十三頭,號天皇.」如此則以一身十三頭之天皇為神聖之人也.然則先只讀神,後相分讀神聖之說,可副存之.
    重濁者淹滯而為地
    • 嚴閤點云:此八箇字於母久爾己禮母乃波都都為天都知止奈留をもくにこれものはつつゐてつちとなる被讀也.今案,重者自本不浮也.唯濁者都都為留.然則重字似難讀,如何?
      • 師說:淹滯二字『假名日本紀』志豆美止止母利天しつみとともりてと注也.然則渾沌溟涬之中,重濁者沉滯為地也.重字非不被讀也.凡此書之例,不必全據字數而讀.或相合三四箇字讀如一字,或只指一字讀加多辝.存此意可讀.
    天先成而地後定
    • 尚復不讀此點,仍博士說.
      • 師說:此七箇字者,讀云阿女末豆那利天豆知乃知爾佐多萬留あめまつなりてつちのちにさたまる而 古說云阿萬乃美支利之久爾乃美支利之あまのみきりしくにのみきし.又,阿萬乃伊波多知曾 利多知之天あまのいはたちそりたちして.此說可存.
    洲壤浮漂
    • 問:洲字之訓,『說文』云:「水中地也.」『毛詩』注:「水中地可居者也.」又下文皆訓讀嶋也.而此文國土讀如何?
      • 師說:先師或訓洲被讀渚也.而今見與州字通用也,仍讀國也.先久爾豆知くにつち讀耳.但湏豆知かつち相副可存,後說耳.
    • 問:浮漂之義,依『古事記』可讀久良介奈湏太太與倍留くらけなかたたよへる事也.而如字被讀如何?
      • 師說:如『古事記』可讀然也.又『假名日本紀』、『大和本紀』、『上宮記』等意亦同.而先師於溟涬之處被讀此訓.至于浮漂之處如字被讀也.今案,此處浮漂之文,見『古事記』等所作也.至于溟涬,雖無『古事記 』等自經藉中,新所撰出也.然則倭語之訓,不必讀之.仍今彼溟涬之處久久毛利天くくもりてと讀也.此浮漂二字久良介奈湏太由太比天くらけなかたゆたひてと可改讀.

  • 菅家文草
    http://applepig.idv.tw/kuon/furu/text/waka/kanke/bunsou/bunsou.htm
    168 樵夫 廿頌十六。
        負薪家產苦 山路幾多難 曉出蓬門去 昏尋澗水還
        欲餬朝夕口 不惜老年顏 自愧妻兒意 生涯未肯閑
    菅原道真菅家文草』巻第一0168

    ■『前賢故実』「弟橘姫」
    http://blog.goo.ne.jp/kuonkizuna1601/e/909d54b71554f06c3a1cfa87538a5037
    弟橘姫(おとたちばなひめ)
     弟橘媛。穗積氏,忍山宿禰之女。日本武尊之寵姬。
     尊征東夷,媛亦從行。一自相模泛海而東。時風濤暴起,舩將覆。媛啟尊曰:「是海神為祟也。請妾身當之。」言訖,自投於海。暴風即止,三軍得濟。尊深哀歎之。已平虜而歸,西踰碓日嶺,東望懷媛。嘆曰:「吾嬬己矣!」因號東方諸州曰吾嬬。
     比賣將入海.歌曰:
      さねさし 相模(さがむ)の小野に 燃ゆる火の 火中(ほなか)に立ちて 問ひし君はも



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    2006-02-15-水 菖蒲草今日の水際を訪ぬればねを知りてこそ片寄りにけれ

    []田村草子電子テキスト完成 田村草子電子テキスト完成を含むブックマーク 田村草子電子テキスト完成のブックマークコメント 編集CommentsAdd Star


    田村草子
    http://applepig.idv.tw/kuon/furu/text/monogatari/tamura/tamura.htm
     去程に將軍の御幾方(いくはう)、いよいよ優りける、斯くて俊宗、鈴鹿御前と尚淺からぬ仲と成り給ひけるか、鈴鹿御前、唯風の心地と仰られしが、次第にをもらせ給ふ、俊宗心憂く思し召し、様様の御祈りあれば、鈴鹿此由聞し召し、我はかりに此界に生るる也、此世の機縁付きたれば、如何に祈り給ふとも甲斐有まし、遑申て田村殿、聖林(しやうりん)を愛をしみ給へと言ひ捨てて、終に虛しく成給ふ、俊宗の御嘆き、中中申はかり無し、余り悲しみ給ひて、一七日焦(こ)がれじににしに給ふが、やがて冥土に行き給ひて、倶生神(くしやうじん)を呼び、汝は十王の下人か、されは我娑婆(しやば)の田村の大將軍俊宗也、汝が主に対面申た聞由(きよし)申べしとの給へば、倶生神(くしやうじん)大きに怒り、娑婆(しやば)にて は何者にてもあれかし、今我等にさやうの事を言はん物、無間(むけん)へ落とすべしとて、黒き鬼と赤き鬼か、引き立てんとしけるを、高足だにて、ころころと踏みたをし、我言ふ事を聞くまじきかと仰ければ、倶生神覇気を消し、唯呆れ果てたるばかり成り、ややありておきあかり、是非の子細も無く十王の前に逃げて行き、此由斯くと申ければ、十王出給ふ、其時俊宗、我妻七日以前に身罷りて候、急ぎ返し給はるべしとの給へは、其れは定業(ぢやうごう)限りあれは叶ふまし、汝は非業(ひごう)成り、急ぎ返れと仰ければ、定業(ぢやうごう)なればこそ返してたべと申候へ、非業(ひごう)成れば言い分は無し、返し給はずは、狼藉(らうぜき)の有べしとて、和諧印(くわかひのいん)を結び和(な)げ給へば、大釈奠(しやくでん)やけ上がる、その時大通連(とうれん)を抜き給ひて、驅け回り給ふ、此大通連は、文珠の化身(けしん)なれば、十王も倶生神も、如何で容易く思ふべき、閻魔(ゑんま)王は獄卒(ごくそつ)を召し、斯の者を返せと仰ければ、獄卒(ごくそつ)申けるは、定業(ぢやうごう)の者也、其上早からだも候はず、如何はせんと申ければ、鈴鹿と同じ時に生まれた女の美濃東海(とふかい)と言ふ所有、彼に取り替へよと仰ければ、獄卒承て、斯のからに取替へて、田村の前に出しけるか、有しより姿も変はり、容(かたち)劣りければ、俊宗は腹を立て、元の如くに成して度給へと仰ければ、第三の冥官(みやうくはん)を御使ひにて、東方浄瑠璃(じゃうるり)世界の祝寶積(いわうほうしやく)の薬を進め給へば、尚其の昔より、慈(いつく)しくならせ給ひけるとかや、さて帝釈(たいしゃく)の給ふは、今より三年の暇を取らする也と其の給ひける、冥土の三年は娑婆の四十五年也、さてこそ田村將軍と鈴鹿御前の御契りは、二世の縁とは申なれ、有難りきためし也。
     さても此の大將軍(しやうぐん)は、観音(くはんをん)の化身にてましませば、眾生濟度(しゆじやうさいど)の方便(はうべん)に、假に人間と現れ給ふ、又鈴鹿御前は、竹生嶋(ちくぶしま)の弁財(へんざい)天女なるか、篤(あつ)き邪神を助け、佛道(ぶつだう)に入給ふべきとて、様様に変化(へんげ)給ふも、御慈悲深(じひふか)き事也。させ末代の試(ためし)には、清水寺の御建立(こんりう)、大同二年に聖眾 (しやうじゆ) して、大同寺と申せしか、水の御中身(みなかみ)清くして、、流れの末も久方の、空も和(どか)に巡る日の、掛け清水寺とし改めて、尚此寺の坂の上なる、田村だうの軒ばの松の深碧、千代萬代の蔭染めて、貴賎(きせん)訓示(くんじ)揺(ゆ)する事、佛法繁昌(はんじやう)の故也。此草子見給はん人人は、いよいよ觀音(くはんをん)を信じ給ふべし。
    管理人はこういう文体がへたれだから当て漢字は正しかどうかが保証しかねます。

    菅家文草
    http://applepig.idv.tw/kuon/furu/text/waka/kanke/bunsou/bunsou.htm
    167 釣船 廿頌十五。
        曲岸無他產 蕭疏一釣翁 小船迷落葉 輕緒惱涼風
        不問歸家後 唯期送老中 竹竿如可學 我宅有孤叢
    菅原道真菅家文草』巻第一0167

    ■『前賢故実』「日本武尊
    http://blog.goo.ne.jp/kuonkizuna1601/e/1db242facc90797b1c3cbab196eca196
    日本武尊(やまとたける)
     日本武尊。一名日本童。名又曰小碓。景行天皇皇子。容貌端正,身長一丈,力能扛鼎。
     天皇遣皇子征熊襲,時年十六。女裝竊入其家,剌魁帥川上梟帥殺之。賊咸寒毛股栗。
     四十年,蝦夷叛。於是,拜大將軍,征東夷。吉備武彥、大伴武日為之副。皇子先到伊勢,拜皇太神宮。進到駿河島原,虜乃偽降,誘皇子令獵,燎原以攻之。皇子提天叢雲劍,剪伐草莽,鑽燧縱火,會大風起,烟焰反掩賊軍。虜皆潰散。進入陸奧,至蝦夷境,所向悉摧破。眾虜震怖。終俘酋長,邊境乃安。


    征東夷凱旋之日,入尾張至尾津,得嘗所遺失之劍於松下。歌曰:
      尾張(をはり)に 直(たた)に向(むか)へる 一(ひと)つ松(まつ)あはれ
      一(ひと)つ松(まつ) 人(ひと)にありせば 衣著(きぬ)せましを 太刀佩(たちは)けましを


    ■年賀コーナー
    http://applepig.idv.tw/kuon/special/contribution/mimai/2666ny/2666_ny.htm
    貴崎涼様から寒中見舞いを頂きました。

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