2005-08-28-日 白波の寄する磯廻を榜ぐ舟の楫取る間なく思ほえし君
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この二三日内、元明天皇までを完成するつもりです。
■遊部氏(令集解)
遊部者、終身勿事、故云遊部也。解釋云、(中略)遊部、隔幽顕境、鎮凶万魂之氏也。終身勿事、故云遊部。」『古記』曰、遊部者、在大倭国高市郡、生目天皇(垂仁天皇)之苗裔也。所以負遊部者、生目天皇之蘗-圓目王、娶伊賀比自支和氣之女為妻也、凡天皇崩時者、比自岐和気等到殯所、而供奉其事、仍取其氏二人名、稱禰義余此也。禰義者、負刀、並持戈。余此者、持酒食、並負刀、並入内供奉也。唯禰義等申辞者輒不便人知也、(中略)其人終身無事、免課役任意遊行、故云遊部。(中略)後及長谷天皇(雄略天皇)崩時、而依罄比自支和氣、七日七夜不奉御食、依此阿良備多麻比岐。爾時諸國求其氏人、或人曰:「圓目王娶比自支和氣為妻、是王可問。」云。仍召問。答云:「然也。」召問其妻、答云:「我氏死絕、妾一人在耳。」即指奉其事。女申云:「女者不便負兵供奉。」仍以其事移其夫圓目王、及其夫代妻而供奉其事、依此和平給也。爾時詔:「自今日以後、手足毛成八束毛遊」詔也。故名遊部君是也。云云。これは『日本巫女史』よりの引用文で、『令集解』の記述は前回より詳しい。
『令集解』國書刊行會本
注目すべきのは、前の版本は「生目天皇之子-圓目王」で今度のは「生目天皇之糱-圓目王」の違いです。
この「蘗」つまり「孽*1」とは、嫡出は勿論、危なく庶出の子ですら認められませんこそ孽です。
この関係で、『古事記』、『日本書紀』には、敢えて「圓目王は垂仁天皇の子なりと書かないのではないか。
■「Dave One&Captain Black」風水嵯峨氏ライブ(Human Product Studioより)
http://www.kobe10th-year.jp/calendar/calendar.cgi?id=10011
↑震災10年 神戸からの発信のページ。
8月31日午後5時15分から、神戸のメリケン波止場の特設ステージでライブという。
■[趣味雑談]日韓交流 編集
さっき書いたモノ、古代史による日韓交流をまとめてみました。崇神天皇六十五年秋七月,任那國(朝鮮半島一小國)遣蘇那曷叱知對日本朝貢。
垂仁天皇三年春三月時,新羅王子天日槍歸化日本,並供上七種寶物(另一說,八種。),如今奉在但馬的出石神社。
神功皇后攝政二年冬十月,己亥朔辛丑,依夢託征伐三韓,新羅兵敗。新羅王曰:「吾聞,東有神國,謂-日本。亦有聖王,謂-天皇。必其國之神兵也,豈可舉兵以距乎?從今以後,長與乾坤,伏為飼部。其不乾船柂而春秋獻馬梳及馬鞭。復不煩海遠以每年貢男女之調。非東日更出西,且除阿利那禮河返以之逆流,及河石昇為星辰,而殊闕春秋之朝,怠廢梳‧鞭之貢,天神地祇共討焉。」同樣的記載,可以從中國吉林省發現的「好太王碑」中看到倭以辛卯年來渡海破百殘□□新羅以為臣民等字樣。並由新羅帶回圖籍‧文書,算是古代主要中國漢籍第一次輸入日本。
神功皇后攝政三十九年,日本對中國朝貢。(明帝景出三年六月,見三國志。)
神功皇后攝政四十三年,日本對中國朝貢。(正始四年,見三國志。)
神功皇后攝政四十六年春三月,卓淳王末錦旱岐對日朝貢,並稱是經由百濟得之日本的存在,日本與百濟的關係遂更加親密。
神功皇后攝政四十七年夏四月,新羅使者搶奪百濟使者之對日朝貢,充當自己的貢物,事發,自此日本與新羅交惡,與百濟更甚親密。
神功皇后攝政四十九年春三月,因前項之事,日本再度遠征新羅。其後又不朝貢,日本再征新羅。『百濟記』云:「天皇大怒,即遣木羅斤資,領兵眾來集加羅,復其社稷。」(百濟記為新羅僧所書。)
神功皇后攝政五十二年秋九月,百濟朝貢,獻上七支刀。目前奉在天理市石上神宮,為日本國寶之一。之後,日本與韓國之關係漸漸成形。由於文化面上韓國較先進而日本較落後,軍事力上日本較強大而韓國較弱,是以韓國對日本輸出文化,日本對韓國輸出軍力。韓國與日本相互有朝貢,且韓國獻上皇族子弟作為人質提予日本。遇上戰爭時,則日本需派兵助援。
神功皇后攝政六十六年,日本對中國朝貢。(晉武帝泰始二年,見晉起居注。)
應神天皇十四年春二月,百濟王貢縫衣工女真毛津,為日本來目衣縫始祖。
應神天皇十四年,百濟弓月君歸化日本。
應神天皇十五年秋八月,百濟王遣阿直岐,進貢良馬二匹予日本。阿直岐擅文,且能讀經典,應神天皇遂命令阿直岐為太子菟道稚郎子之師。
應神天皇十六年春二月,隨阿直岐之推薦,請百濟學者王仁來日,為太子菟道稚郎子之師。同時,王仁攜論語十卷、千字文一卷,并十一卷而一同貢進。為主要中國典籍第二次傳入日本。
雄略天皇八年,高麗攻打新羅。新羅對日求援,日本派兵援助。
雄略天皇九年,新羅不朝貢,日本再征新羅。
雄略天皇二十年冬,百濟為高麗所滅。百濟遺臣對日求援,日本決定重建百濟。
繼體天皇六年冬十二月,大伴金村擅自割讓任那四縣予百濟。
繼體天皇七年,因前項,造成朝鮮半島己汶.帶沙之爭。
繼體天皇廿三年,任那朝貢。日本遣使召新羅‧百濟二國王,調停。
繼體天皇廿四年,任那被滅。日本遣毛野臣,欲復興任那。
欽明天皇元年九月,因前述大伴金村割讓任那四縣之事,遭到新羅之怨。被認定處理不當,大伴金村自此失勢。
欽明天皇二年夏四月,百濟聖明王協議復建任那。
欽明天皇四年秋九月,百濟聖明王獻扶南財物與奴隸二口。
欽明天皇四年冬十一月,欽明天皇催促百濟復興任那,並下令其聽從任那日本府之命令。
欽明天皇五年三月,百濟上書日本,要求排除新羅派官人。
欽明天皇五年十一月,百濟遣使,商議復興任那事宜。
欽明天皇六年春三月,日本遣膳臣巴提,視察三韓。
欽明天皇七年夏六月,百濟對日進貢。
欽明天皇八年夏四月,,百濟對日求援。
欽明天皇十三年,佛教經由百濟傳入日本。
欽明天皇廿三年春正月,新羅殲滅任那。
欽明天皇卅一年春正月,高麗使漂至日本,饗之。
欽明天皇卅二年春三月,日本遣使新羅,問任那滅由。
欽明天皇卅二年,欽明天皇崩,新羅遣使弔喪。
敏達天皇元年五月,高麗遣使上表日本。
敏達天皇四年,日本遣使,與新羅.百濟交涉復興任那之事。
敏達天皇十二年,百濟人日羅進言復興任那之事。
推古天皇八年,新羅與任那相攻。推古天皇出軍援救任那。
推古天皇十五年,日本派遣首位遣隋使小野妹子至中國。中國稱小野妹子為蘇因高,遣裴世清至日本回禮。(見隋史)
推古天皇三十一年,新羅伐滅任那。日本策劃征討新羅。
舒明天皇二年,日本饗高麗‧百濟來客。
舒明天皇三年春三月,百濟王義慈,渡百濟王子豐章予日本為人質。
皇極天皇元年,百濟與高句麗政變。高麗‧百濟遣使日本。
齊明天皇五年秋七月,日本派遣唐史至中國。被扣。
齊明天皇六年七月,新羅對中國進百濟讒言,中國‧新羅聯軍攻滅百濟。(高麗沙門道顯日本世記云:「春秋智借大將軍蘇定方之手,使擊百濟,亡之。」)
齊明天皇六年九月,百濟遺臣上書日本:「今年七月,新羅恃力作勢,不親於鄰.引構唐人,傾覆百濟!君臣總俘,略無嚼類!相戰三日,陷我王城.同月十三日,始破王城.怒受利山百濟之東界也.於是,西部恩率-鬼室福信赫然發憤,據任射岐山.或本云,北任敘利山.達率-余自進據中部九麻怒利城.各營一所,誘聚散卒.兵盡前役,故以棓戰.新羅軍破,百濟奪其兵.繼而百濟兵蕃銳,唐不敢入.福信等遂鳩集同國,共保王城.國人尊曰:『佐平福信!佐平自進!』唯福信起神武之權,興既亡之國.」
齊明天皇六年冬十月,百濟遺臣鬼室福信,遣使日本。要求日本將先前作為人質之王子豐璋,送回百濟,以復興百濟。許之。
齊明天皇七年,日本出兵援助百濟。
齊明天皇七年秋七月,齊明天皇崩于朝倉宮。皇太子(天智天皇)攝政,持續出兵援助百濟。
天智天皇元年,百濟王豐璋歸國,與新羅相戰。
天智天皇二年六月,鬼室福信功高震主,為百濟王豐璋所殺。
天智天皇二年八月,中國‧新羅聯軍,與日本‧百濟聯軍戰於白村江。日本兵敗,百濟滅亡。
持統天皇元年九月,新羅遣王子金霜林‧級餐金薩慕及級餐金仁述‧大舍蘇陽信等,奏請國政,且獻調賦。
持統天皇二年八月,新羅王遣佐平加羅來日,獻方物。
文武天皇元年,新羅使一吉飡金弼德、副使奈麻金任想等,來日拜朝。
文武天皇大寳元年,新羅大使薩飡金所毛卒。日本賜賻。且賜小使級飡金順慶及水手祿。
文武天皇大寳三年閏四月,日本饗新羅客。
2005-08-27-土 もののふの八十乙女らが汲み乱ふ寺井の上の堅香子の花
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巻五、日本根子天津御代豐國成姫天皇 元明天皇(二)まで。
『弘仁私記』、『平家物語』、『保元物語』、『ホツマツタヱ』などは放置状態中です。
■陰陽道の祭文
謹請天神七代・地神五代、八百万神等、降臨此座、無上霊宝、神道加持。やっぱり陰陽道関係の祝詞のようです。
謹請東方甲乙青帝龍王、謹請南方丙丁赤帝龍王、謹請西方庚辛白帝龍王、謹請北方壬癸黒帝龍王、謹請中央戌己黄帝龍王、謹請天地日月五星三台玉女神。
六甲六丁天門自成、六戌六巳天門自開、六甲磐垣天門近在急急如律令。
九道開寒・・・明星北斗却敵万理・・・急急如律令。
甲上玉女・・・来護我身無令百鬼中傷我見我者以為束薪独開我門自閉他人門急急如律令。
吾比天帝使者、所使執持金刀、令滅不祥、此刀非凡常之刀百之鑑、此刀一下何不走、何
病不癒、千殃万邪皆伏死亡、吾令刀下、急急如天帝太上老君律令。
謹請、天逢、天内、天衝、天輔、天禽、天心、天柱、天任、天英。
南斗北斗、三台玉女、左青龍避万兵、右白虎避不祥、前朱雀避口舌、後玄武避万鬼、前
後輔翼、急急如律令。
■年号・干支・皇紀・西暦対応表
年號 (干支) 皇紀 / 西暦
神武天皇元年(辛酉) 0001 / B660
綏靖天皇元年(庚辰) 0080 / B581
安寧天皇元年(癸丑) 0113 / B548
懿徳天皇元年(辛卯) 0151 / B510
孝昭天皇元年(丙寅) 0186 / B475
孝安天皇元年(己丑) 0269 / B392
孝霊天皇元年(辛未) 0371 / B290
孝元天皇元年(丁亥) 0447 / B214
開化天皇元年(甲申) 0504 / B157
崇神天皇元年(甲申) 0564 / B097
垂仁天皇元年(壬辰) 0632 / B029
景行天皇元年(辛未) 0731 / 0171
成務天皇元年(辛未) 0791 / 0131
仲哀天皇元年(壬申) 0852 / 0192
神功皇后摂政元年(辛巳) 0861 / 0201
応神天皇元年(庚寅) 0930 / 0270
仁徳天皇元年(癸酉) 0973 / 0313
履中天皇元年(庚子) 1060 / 0400
反正天皇元年(丙午) 1066 / 0406
允恭天皇元年(壬子) 1072 / 0412
安康天皇元年(甲午) 1114 / 0454
雄略天皇元年(丁酉) 1117 / 0457
清寧天皇元年(庚申) 1140 / 0480
顕宗天皇元年(乙丑) 1145 / 0485
仁賢天皇元年(戊辰) 1148 / 0488
武烈天皇元年(己卯) 1159 / 0499
継体天皇元年(丁亥) 1167 / 0507
安閑天皇元年(甲寅) 1194 / 0534
宣化天皇元年(丙辰) 1196 / 0536
欽明天皇元年(庚申) 1200 / 0540
敏達天皇元年(壬辰) 1232 / 0572
用明天皇元年(丙午) 1246 / 0586
崇峻天皇元年(戊申) 1248 / 0588
推古天皇元年(癸丑) 1253 / 0593
舒明天皇元年(己丑) 1289 / 0629
皇極天皇元年(壬寅) 1302 / 0642
大化元年(乙巳) 1305 / 0645
白雉元年(庚戌) 1310 / 0650
斉明天皇元年(乙卯) 1315 / 0655
天智天皇元年(壬戌) 1322 / 0662
天武天皇元年(壬申) 1332 / 0672
朱鳥元年(丙戌) 1346 / 0686
持統天皇元年(丁亥) 1347 / 0687
文武天皇元年(丁酉) 1357 / 0697
大宝元年(辛丑) 1361 / 0701
慶雲元年(甲辰) 1364 / 0704
和銅元年(戊申) 1368 / 0708
霊亀元年(乙卯) 1375 / 0715
養老元年(丁巳) 1377 / 0717
神亀元年(甲子) 1384 / 0724
天平元年(己巳) 1389 / 0729
天平感宝元年(己丑) 1409 / 0749
天平勝宝元年(己丑) 1409 / 0749
天平宝字元年(丁酉) 1417 / 0757
天平神護元年(乙巳) 1425 / 0765
神護景雲元年(丁未) 1427 / 0767
宝亀元年(庚戌) 1430 / 0770
天応元年(辛酉) 1441 / 0781
延暦元年(壬戌) 1442 / 0782
大同元年(丙戌) 1466 / 0806
弘仁元年(庚寅) 1470 / 0810
天長元年(甲辰) 1484 / 0824
承和元年(甲寅) 1494 / 0834
嘉祥元年(戊辰) 1508 / 0848
仁寿元年(辛未) 1511 / 0851
斉衡元年(甲戌) 1514 / 0854
天安元年(丁丑) 1517 / 0857
貞観元年(己卯) 1519 / 0859
元慶元年(丁酉) 1537 / 0877
仁和元年(乙巳) 1545 / 0885
寛平元年(己酉) 1549 / 0889
昌泰元年(戊午) 1558 / 0898
延喜元年(辛酉) 1561 / 0901
延長元年(癸未) 1583 / 0923
承平元年(辛卯) 1591 / 0931
天慶元年(戊戌) 1598 / 0938
天暦元年(丁未) 1607 / 0947
天徳元年(丁巳) 1617 / 0957
応和元年(辛酉) 1621 / 0961
康保元年(甲子) 1624 / 0964
安和元年(戊辰) 1628 / 0968
天禄元年(庚午) 1630 / 0970
天延元年(癸酉) 1633 / 0973
貞元元年(丙子) 1636 / 0976
天元元年(戊寅) 1638 / 0978
永観元年(癸未) 1643 / 0983
寛和元年(乙酉) 1645 / 0985
永延元年(丁亥) 1647 / 0987
永祚元年(己丑) 1649 / 0989
正暦元年(庚寅) 1650 / 0990
長徳元年(乙未) 1655 / 0995
長保元年(己亥) 1659 / 0999
寛弘元年(甲辰) 1664 / 1004
長和元年(壬子) 1672 / 1012
寛仁元年(丁巳) 1677 / 1017
治安元年(辛酉) 1681 / 1021
万寿元年(甲子) 1684 / 1024
長元元年(戊辰) 1688 / 1028
長暦元年(丁丑) 1697 / 1037
長久元年(庚辰) 1700 / 1040
寛徳元年(甲申) 1704 / 1044
永承元年(丙戌) 1706 / 1046
天喜元年(癸巳) 1713 / 1053
康平元年(戊戌) 1718 / 1058
治暦元年(乙巳) 1725 / 1065
延久元年(己酉) 1729 / 1069
承保元年(甲寅) 1734 / 1074
承暦元年(丁巳) 1737 / 1077
永保元年(辛酉) 1741 / 1081
応徳元年(甲子) 1744 / 1084
寛治元年(丁卯) 1747 / 1087
嘉保元年(甲戌) 1754 / 1094
永長元年(丙子) 1756 / 1096
承徳元年(丁丑) 1757 / 1097
康和元年(己卯) 1759 / 1099
長治元年(甲申) 1764 / 1104
嘉承元年(丙戌) 1766 / 1106
天仁元年(戊子) 1768 / 1108
天永元年(庚寅) 1770 / 1110
永久元年(癸巳) 1773 / 1113
元永元年(戊戌) 1778 / 1118
保安元年(庚子) 1780 / 1120
天治元年(甲辰) 1784 / 1124
大治元年(丙午) 1786 / 1126
天承元年(辛亥) 1791 / 1131
長承元年(壬子) 1792 / 1132
保延元年(乙卯) 1795 / 1135
永治元年(辛酉) 1801 / 1141
康治元年(壬戌) 1802 / 1142
天養元年(甲子) 1804 / 1144
久安元年(乙丑) 1805 / 1145
仁平元年(辛未) 1811 / 1151
久寿元年(甲戌) 1814 / 1154
保元元年(丙子) 1816 / 1156
平治元年(己卯) 1819 / 1159
永暦元年(庚辰) 1820 / 1160
応保元年(辛巳) 1821 / 1161
長寛元年(癸未) 1823 / 1163
永万元年(乙酉) 1825 / 1165
仁安元年(丙戌) 1826 / 1166
嘉応元年(己丑) 1829 / 1169
承安元年(辛卯) 1831 / 1171
安元元年(乙未) 1835 / 1175
治承元年(丁酉) 1837 / 1177
養和元年(辛丑) 1841 / 1181
寿永元年(壬寅) 1842 / 1182
元暦元年(甲辰) 1844 / 1184
文治元年(乙巳) 1845 / 1185
建久元年(庚戌) 1850 / 1190
正治元年(己未) 1859 / 1199
建仁元年(辛酉) 1861 / 1201
元久元年(甲子) 1864 / 1204
建永元年(丙寅) 1866 / 1206
承元元年(丁卯) 1867 / 1207
建暦元年(辛未) 1871 / 1211
建保元年(癸酉) 1873 / 1213
承久元年(己卯) 1879 / 1219
貞応元年(壬午) 1882 / 1222
元仁元年(甲申) 1884 / 1224
嘉禄元年(乙酉) 1885 / 1225
安貞元年(丁亥) 1887 / 1227
寛喜元年(己丑) 1889 / 1229
貞永元年(壬辰) 1892 / 1232
天福元年(癸巳) 1893 / 1233
文暦元年(甲午) 1894 / 1234
嘉禎元年(乙未) 1895 / 1235
暦仁元年(戊戌) 1898 / 1238
延応元年(己亥) 1899 / 1239
仁治元年(庚子) 1900 / 1240
寛元元年(癸卯) 1903 / 1243
宝治元年(丁未) 1907 / 1247
建長元年(己酉) 1909 / 1249
康元元年(丙辰) 1916 / 1256
正嘉元年(丁巳) 1917 / 1257
正元元年(己未) 1919 / 1259
文応元年(庚申) 1920 / 1260
弘長元年(辛酉) 1921 / 1261
文永元年(甲子) 1924 / 1264
建治元年(乙亥) 1935 / 1275
弘安元年(戊寅) 1938 / 1278
正応元年(戊子) 1948 / 1288
永仁元年(癸巳) 1953 / 1293
正安元年(己亥) 1959 / 1299
乾元元年(壬寅) 1962 / 1302
嘉元元年(癸卯) 1963 / 1303
徳治元年(丙午) 1966 / 1306
延慶元年(戊申) 1968 / 1308
応長元年(辛亥) 1971 / 1311
正和元年(壬子) 1972 / 1312
文保元年(丁巳) 1977 / 1317
元応元年(己未) 1979 / 1319
元亨元年(辛酉) 1981 / 1321
正中元年(甲子) 1984 / 1324
嘉暦元年(丙寅) 1986 / 1326
元徳元年(己巳) 1989 / 1329
元弘元年(辛未) 1991 / 1331
建武元年(甲戌) 1994 / 1334
延元元年(丙子) 1996 / 1336
興国元年(庚辰) 2000 / 1340
正平元年(丙戌) 2006 / 1346
建徳元年(庚戌) 2030 / 1370
文中元年(壬子) 2032 / 1372
天授元年(乙卯) 2035 / 1375
弘和元年(辛酉) 2041 / 1381
元中元年(甲子) 2044 / 1384
正慶[北朝]元年(壬申) 1992 / 1332
暦応[北朝]元年(戊寅) 1998 / 1338
康永[北朝]元年(壬午) 2002 / 1342
貞和[北朝]元年(乙酉) 2005 / 1345
観応[北朝]元年(庚寅) 2010 / 1350
文和[北朝]元年(壬辰) 2012 / 1352
延文[北朝]元年(丙申) 2016 / 1356
康安[北朝]元年(辛丑) 2021 / 1361
貞治[北朝]元年(壬寅) 2022 / 1362
応安[北朝]元年(戊申) 2028 / 1368
永和[北朝]元年(乙卯) 2035 / 1375
康暦[北朝]元年(己未) 2039 / 1379
永徳[北朝]元年(辛酉) 2041 / 1381
至徳[北朝]元年(甲子) 2044 / 1384
嘉慶[北朝]元年(丁卯) 2047 / 1387
康応[北朝]元年(己巳) 2049 / 1389
明徳元年(庚午) 2050 / 1390
応永元年(甲戌) 2054 / 1394
正長元年(戊申) 2088 / 1428
永享元年(己酉) 2089 / 1429
嘉吉元年(辛酉) 2101 / 1441
文安元年(甲子) 2104 / 1444
宝徳元年(己巳) 2109 / 1449
享徳元年(壬申) 2112 / 1452
康正元年(乙亥) 2115 / 1455
長禄元年(丁丑) 2117 / 1457
寛正元年(庚辰) 2120 / 1460
文正元年(丙戌) 2126 / 1466
応仁元年(丁亥) 2127 / 1467
文明元年(己丑) 2129 / 1469
長享元年(丁未) 2147 / 1487
延徳元年(己酉) 2149 / 1489
明応元年(壬子) 2152 / 1492
文亀元年(辛酉) 2161 / 1501
永正元年(甲子) 2164 / 1504
大永元年(辛巳) 2181 / 1521
享禄元年(戊子) 2188 / 1528
天文元年(壬辰) 2192 / 1532
弘治元年(乙卯) 2215 / 1555
永禄元年(戊午) 2218 / 1558
元亀元年(庚午) 2230 / 1570
天正元年(癸酉) 2233 / 1573
文禄元年(壬辰) 2252 / 1592
慶長元年(丙申) 2256 / 1596
元和元年(乙卯) 2275 / 1615
寛永元年(甲子) 2284 / 1624
正保元年(甲申) 2304 / 1644
慶安元年(戊子) 2308 / 1648
承応元年(壬辰) 2312 / 1652
明暦元年(乙未) 2315 / 1655
万治元年(戊戌) 2318 / 1658
寛文元年(辛丑) 2321 / 1661
延宝元年(癸丑) 2333 / 1673
天和元年(辛酉) 2341 / 1681
貞享元年(甲子) 2344 / 1684
元禄元年(戊辰) 2348 / 1688
宝永元年(甲申) 2364 / 1704
正徳元年(辛卯) 2371 / 1711
享保元年(丙申) 2376 / 1716
元文元年(丙辰) 2396 / 1736
寛保元年(辛酉) 2401 / 1741
延享元年(甲子) 2404 / 1744
寛延元年(戊辰) 2408 / 1748
宝暦元年(辛未) 2411 / 1751
明和元年(甲申) 2424 / 1764
安永元年(壬辰) 2432 / 1772
天明元年(辛丑) 2441 / 1781
寛政元年(己酉) 2449 / 1789
享和元年(辛酉) 2461 / 1801
文化元年(甲子) 2464 / 1804
文政元年(戊寅) 2478 / 1818
天保元年(庚寅) 2490 / 1830
弘化元年(甲辰) 2504 / 1844
嘉永元年(戊申) 2508 / 1848
安政元年(甲寅) 2514 / 1854
万延元年(庚申) 2520 / 1860
文久元年(辛酉) 2521 / 1861
元治元年(甲子) 2524 / 1864
慶応元年(乙丑) 2525 / 1865
明治元年(戊辰) 2528 / 1868
大正元年(壬子) 2572 / 1912
昭和元年(丙寅) 2586 / 1926
平成元年(己巳) 2649 / 1989
私用
http://studorm.ntou.edu.tw/Student/index.asp
■[作品データ]恋々物語 編集
スタッフ
- グゼクティブプロデューサー : 今成一雄
- プロデューサー : 宗清紀之
- デイレクター : 加藤直樹
- アシスタントデイレクター : 北角浩一
- プランナー : 相川昌幸
- シナリオ : 加藤直樹
- セールスプロモーター : 古室宏樹、中根哲也、長野毅、野島しのぶ
- パブリックリレーション : 窪田和晃、竹内文子、岩崎聡志
- プログラム : 瀬谷辰宇
- 3DCGプログラム : 山田学
- キャラクターデザイン : 岸上大策
- グラフィックデザイン : 渡邊知香、古根川隆章、野田泰秀、中本尚子、林崇向、松田剛史、高山かおり、置鮎美穂、井上由香、村田雅美、宮永幸一郎
- サウンドクリエイター : 田畑三津広、伊藤彰、矢口一郎、稲垣貴繁
- サウンドクリエイティプマネジメント: 平井かよ子
- スペシャルサンクス : 希尾昌人、宇賀初女、田中徹也、後藤純
- 協力 : 株式会社ユース、C・G・STUDIOオ-ツー、有限会社アニメアール、パセリプロモーション、セイムクリエイテープ
- テストプレイヤ : 須藤英男、佐藤大祐、ALLアイマックススタッフ
- 開発 : 株式会社日本一ソフトウェア
- 企画・制作 : 株式会社アイマックス
http://www.asahi.com/photonews/TKY200508260285.html
http://www.asahi.com/business/update/0827/001.html
やれやれ.......
平城京に「十条」あった? 九条大路の南で道路跡が出土
http://www.asahi.com/culture/update/0826/016.html
http://www.yomiuri.co.jp/national/culture/news/20050826i311.htm
>また、九条大路の中央にあった羅城門の東約500メートルで、8世紀後半の羅城(城壁)跡が初めて約10メートル分見つかった。
通説、日本律令時代の都城は城壁なし、これは中国の城どの大違うこと、もしこれは本当に、確は一大発見です。
kuonkizuna 2005/08/28 19:36 おお、どんでもない大発見ですね!実はここにも↓話題になります。
http://d.hatena.ne.jp/AJIGONOMI/20050828#20050828fn3
意外がなければ、今晩のネタにしましょう。