2005/08/10

謀略文書・田中上奏文

2005-08-10-水 君が代にあふ隈川の底清み千年をへつゝすまむとぞ思ふ

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第六の勅撰和歌集、八代集の一。一〇巻。崇徳上皇の下命で藤原顕輔が撰、1151年頃成立。
歌数約四一〇首。多様な歌風の内に金葉集を継承する新しい和歌の流れが感じとれる。
http://miko.org/~uraki/kuon/furu/text/waka/shika/shika_f.htm
メイン底本:新古典文学大系『金葉和歌集・詞花和歌集』 テキスト作成:浦木裕

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あんまり物書く気力になれない現況です。(汗)
とりあえず、『続日本紀』巻第一の本文電子テキストを建てました。
http://miko.org/~uraki/kuon/furu/text/syokki/syokki01.htm
後の本文電子テキストも、順次アップして、全部終った後説明付ける予定です。
図書館から新古典文学大系『続日本紀』を借りたため、底本は新大系になりました。
本来の国史大系本は逆に参考資料として扱います。


■謀略文書・田中上奏文
http://drhnakai.hp.infoseek.co.jp/sub1-44-4.html
中学高校の歴史教科書は確かにあります。
ページ以外、実は他にも色々怪しい処があるので、私にも偽書だと思います。

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2005-08-09-火 住吉の細江にさせる澪標深きにまけぬ人はあらじな

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詞花和歌集
http://applepig.idv.tw/kuon/furu/text/waka/shika/shika_f.htm
巻九と巻十。
http://applepig.idv.tw/kuon/furu/text/waka/shika/shika09.htm
http://applepig.idv.tw/kuon/furu/text/waka/shika/shika10.htm

詞花和歌集 巻第九 雑上
 272 所所の名を四季に寄せて人/\歌詠み侍けるに、三島江の春の心を詠める
  春霞かすめる方や津の國の仄見しま江の渡なるらん

 273 堀河院御時、殿上人共御前に召して歌詠ませ給けるに
  須磨の浦にやく鹽釜の烟こそ春に知られぬ霞なりけれ

 274 同じ御時、百首歌奉りけるに詠める
  並立てる松のしづ枝をくもでにて霞渡れる天の橋立

 275 播磨守に侍ける時、三月ばかりに舟よりのぼり侍けるに、津の國に山路と云ふ所に、參議為通朝臣塩湯浴みて侍ると聞きて遣はしける
  長ゐ住な都の花も咲きぬらむ我も何故いそぐ綱手ぞ

 276 修行し歩かせ給けるに、櫻花の咲きたりける下に休ませ給て詠ませ給ける
  木の本を栖處とすれば自から花見る人になりぬべき哉

 277 人の許に罷りたりけるに、櫻花面白く咲きて侍ければ、朝に主人の許へいひ遣はしける
  散らぬ間に今一度も見てしがな花に先立つ身共こそなれ

 278 花を惜む心を詠める
  春来ればあぢ潟の海一方に浮くてふ魚の名こそ惜けれ

 279 宇治前太政大臣花見に罷りけると聞きてつかはしける
  身をしらで人を恨むる心こそ散る花よりも儚かりけれ

 280 二條關白、白川へ花見になむ、と言はせて侍ければ詠める
  春の來ぬ所は無きを白川の渡りにのみや花は櫻む

 281 入道攝政、八重山吹をつかはして、如何見る、と言はせて侍ければ詠める
  たれかこの數は定めし我はたゞとへとぞ思ふ山吹の花

 282 新院位におはしましゝ時、后宮の御方に上答部上の殿上人を召して、藤花年久と云ふ事を詠ませ給けるに詠める
  春日山北の藤浪咲きしより榮ゆべしとはかねて知りにき

 283 修理大夫顯季美作の守に侍ける時、人/\誘ひて右近の馬場に罷りて郭公待ち侍けるに、俊子内親王の女房二車参うで来て連歌し歌詠み等して、明ぼのに歸り侍けるに、かの女房の車より
  美作や久米の皿山と思へ共和歌の浦とぞ云ふべかりける

 284 この返しせよと云ひひ侍ければ詠める
  和歌の浦と云にて知りぬ風吹川波の立ち事思ふ成べし

 285 左衛門督家成、布引の瀧見に罷りて、歌詠み侍けるに詠める
  雲居より吊らぬきかくる白玉を垂れ布引の瀧と言ひけん

 286 新院位におはしましゝ時、御前にて、水草隔船と云ふ事を詠み侍ける
  難波江の茂き蘆間をこぐ舟は棹の音にぞゆく方を知る

 287 題不知
  思ひ出も無くてや我身やみなまし姥捨山の月見ざりせば

 288 父永實信濃守にて下り侍ける共に罷りて、昇りたりける頃、左京大夫顯輔が家に歌合し侍けるに詠める
  名に高き姥捨山も見しかども今夜ばかりの月はなかりき

 289 月明く侍ける夜、人/\参で来て遊び侍けるに、月入りにければ、興尽きて、各歸りなんとしければ詠める
  月入り人は出でなばとまりゐて獨や我が空を眺めむ

 290 御髮卸させ給て後、六條院の池に月の映りて侍けるを御覽じて詠ませ給ける
  池水に宿れる月はそれながら眺むる人の影ぞ変れる

 291 左京大夫顯輔中宮亮にて侍ける時、下臈に越えらるべしと聞きて、宮の女房の中に歎き申したりける返事に、誰とはなくて
  世中をおもひないりそ三笠山さし出る月のすまむ限は

 292 田家月と云ふ事を詠ませ給ける
  月清み田中に建てる假庵の影ばかりこそ曇なりけれ

 293 新院位におはしましゝ時、月明く侍ける夜、女房につけて奉りける
  澄み昇る月の光にさそはれて雲の上まで行く心かな

 294 荒れたる宿に月の漏りて侍けるを詠める
  板間より月の漏るをも見つる哉我宿は荒して住べかりけり

 295 題不知
  隈も無く信太の森の下晴れて千枝の數さへ見ゆる月哉

 296 山家月を詠める
  寂しさに家出しぬべき山里を今宵の月に思ひ留まりぬ

 297 新院殿上にて、海路月と云ふ事を詠める
  行く人も天のと渡る心地して雲の波路に月を見る哉

 298 題不知
  君待つと山のはいでゝ山の端にいるまで月を眺めつる哉

 299 堀河院御時、中宮の御方に参りて女房にもの申しける程に、月の山の端より立ち上りけるを見て、女の、月は待つに必出づるなむ哀なる、と言ひければ詠める
  いかなれば待つには出る月なれどいるを心に任せざるらん

 300 題不知
  心みに他の月をも見てしがな我宿からの哀なるかと

 301 月の明く侍ける夜、前大納言公任参うできたりけるを、する事侍て遲く出で会ひければ、待ちかねて歸り侍りにければ、つかはしける
  恨めしく歸りける哉月夜には來ぬ人をだに待つとこそきけ

 302 屏風の繪に、山の峰に居て月見たる人か来たる所に詠める
  香具山の白雲掛かる峯にても同じ高さぞ月は見えける

 303 家に歌合し侍けるに詠める
  夜もすがら富士の高嶺に雲消えて清見が關に澄める月彭

 304 山城守になりて嘆き侍ける頃、月の明かりける夜、参で來たりける人の、如何思ふ、と問ひ侍ければ詠める
  山城の石田の森の言はずとも心の中を照らせ月影

 305 久しく音もせぬ人の許へ、月明き夜、いひつかはしける
  月にこそ昔の事は覺えけれ我を忘るゝ人にみせばや

 306 山階寺に罷りけるに、宗延法師に会ひて終夜物言ひ侍けるに、有明の月三笠山より差し上りを見て詠める
  長らへば思ひでにせむ思ひ出よ君と三笠山の端の月

 307 京極前太政大臣家歌合に詠る
  逢坂の關の杉原下晴れて月の漏るにぞ任せざりける

 308 筑紫より歸り参うで來て、元住みける所のありしにも非ず荒れたりけるに、月のいと明く侍ければ詠める
  つれ%\と荒れたる宿をながむれば月ばかりこそ昔なりけれ

 309 題不知
  深く入りて住まばやと思ふ山の端を如何なる月の出るなるらん

 310 たがひにつゝむ事ある男の、たやすく逢はず、と恨みければ
  己が身の己が心に叶はぬを思はゞ物は思ひしりなむ

 311 忍びける男の、如何思ひけむ、五月五日の朝に、明て後歸りて、今日現れぬるなむ嬉しき、と言ひたりける返事に詠める
  菖蒲草かりにも来らむ物故にねやの妻とや人の見つらん

 312 保昌に忘られて侍ける頃、兼房朝臣のとひて侍ければ詠める
  人知れず物思ふ事は馴ひにき花に別れぬ春しなければ

 313 藤原盛房通ひける女を離れ%\になりて後、神無月の廿日頃に時雨のしける日、何事かと言ひつかはしたりければ、母の返事にいへりける
  思はれぬ空の景色を見るからに我もしぐるゝ神無月哉

 314 題不知
  仇人は時雨るゝ夜半の月馴れ休む迚えこそ頼むまじけれ

 315 絶えにける男の、五月ばかり、思ひ掛けず参うできたりければ詠める
  誰が里に語らひかねて郭公帰る山路の頼りなるらむ

 316 頼めたる夜見えざりける男の、後に参うで来たりけるに、出で逢はざりければ、言ひ詫びて、つらき事を知らせつる等言はせたりければ詠める
  よしさらばつらさは我に習ひけり頼めて來ぬは誰か教へし

 317 かき絶えたる男の、如何思ひけん、きたりけるが、帰りける曉に、雨のいたく降りければ、朝にいひつかはしける
  被きけむ袂は雨に如何せし濡るゝは偖も思ひしれかし

 318 題不知
  深くしも頼まざらなむ君故に雪踏分けて夜な/\ぞ行く

 319 いたく忍けびる男の、久しく音せざりければ、いひつかはしける
  世の人の未だ知らぬ間の薄氷見判ぬ程に消ねとぞ思ふ

 320 言ひ渡りける男の、八月ばかり、袖の露けさ等言ひたり、返事に詠める
  秋は皆思ふ事無き荻の葉も末たわむまで露は置きけり

 321 藤原隆時朝臣ものいひ侍ける女を絶えにければ、弟忠清通ひ侍けるも、程無く忘れ侍ければ、忠清が弟隆重にあひぬと聞きて、かの女にいひつかはしける
  いかなれば同じ流の水にしもさのみは月の移るなるらん

 322 題不知
  住吉の細江にさせる澪標深きにまけぬ人はあらじな

 323 物思ひける頃詠める
  降る雨脚ともおつる泪かな細かにものを思ひ碎けば

 324 思ふ事侍ける頃、寝のねられず侍ければ、終夜詠め明して、有明の月の隈無く侍けるが、俄にかきくらし時雨けるを見て詠める
  神無月有明の空のしぐるゝを又我ならぬ人や見るらん

 325 忍びにもの思ひける頃詠める
  忍ぶるも苦しかりけり數ならぬ身には泪のなからましかば

 326 忍びたる男の、鳴りける衣を、かしがましとて、おしのけゝれば詠める
  音せぬは苦しき物を身に近くなるとて厭ふ人もありけり

 327 おもく煩ひけるに、たちおくれなばえなむ長らふまじき、と言ひたる男の返事に詠める
  人の世に二度死ぬるものならば忍びけりやと心みてまし

 328 題不知
  夕霧に佐野の舟橋音すなりたなれの駒の歸りくるかと

 329 長元八年、宇治前太政大臣の家に歌合し侍けるに、勝方の男子ども住吉に参うでゝ、歌詠み侍けるに詠める
  住吉の波に浸れる松よりも神のしるしぞ顯れにける

 330 ものへ罷りける道に、人の菖蒲を引きけるを、長き根やあると乞はせけるを、惜み侍ければ詠める
  爭でかくねを惜むらむ菖蒲草憂には聲もたてつべき身を

 331 冷泉院へたかな奉らせ給とて詠ませ給ける
  世中に振る甲斐も無き竹の子はわがつむ年を奉るなり

 332 御返し
  年へぬる竹の齡を返しても子のよを長くなさむとぞ思ふ

 333 男を恨みて詠める
  あしかれと思はぬ山の峯にだに生ふなる物を人の歎きは

 334 津の國に古曾部と云ふ所に篭りて前大納言公任の許へ言ひ遣はしける
  引板振るに山田もる身となりぬれば我のみ人を驚かす哉

 335 後二條關白はかなき事にて憤侍ければ、家の内には侍りながら、前へもさしいで侍らで、女房の中に言ひ入れ侍ける
  三笠山流石に蔭にかくへてふるかひもなきあめの下哉

 336 おほやけの御畏まりにて侍けるを、僧正源覺申し許して侍ければ、その喜びに五月五日罷りて詠める
  君引ず成なましかば菖蒲草如何なる根をか今日は懸まし

 337 長恨歌の心を詠める
  思ひかね別れし野邊をきて見れば淺ちが原に秋風ぞ吹く

 338 陸奧國の任果てゝ上り侍けるに、武隈の松の許にて詠める
  古里へ我は歸りぬ武隈の待つとは誰に告けよとか思ふ

 339 よにしづみて侍ける頃、春日の冬の祭に幣立てけるに、覚えける事を見てぐらに書き付け侍ける
  枯果つる藤の末葉の悲しきはたゞ春の日を頼むばかりぞ

 340 帥前内大臣明石に侍ける時、戀ひ悲しみて病になりて詠める
  夜の鶴都の内にはなたれて子を戀ひつゝもなき明すかな

 341 堀河院御時、百首歌奉りけるに詠める
  身のうさは過ぎぬる方を思ふにも今行末のことぞ悲しき

 342 堀河院御時、百首歌奉りけるに詠める
  埋木の下は朽つれど古の花の心は忘れざりけり

 343 題不知
  今はたゞ昔ぞ常に戀ひらるゝ殘り有りしを思ひ出にして

 344 小野宮右大臣の許に罷りて、昔の事など云ひて詠める
  老て後昔を偲ぶ泪こそこゝら人目をしのばざりけれ

 345 題不知
  行く末の古ばかり戀しくば過ぐる月日も嘆かざらまし

 346 新院の仰せにて百首歌奉りけるに詠める
  厭ひてもなほ惜まるゝ我身哉二度くべき此世ならねば

 347 神祇伯顯仲、廣田にて歌合し侍るとて、寄月述懷と云ふ事を詠みてと乞ひ侍ければ、つかはしける
  難波江の蘆間に宿る月見れば我身一つも沈まざりけり


■詞花和歌集 巻第八 雑下

 348 都に住み詫びて、近江に田上と云ふ所に罷りて詠める
  蘆火炊くまやの栖處は世中をあくがれ出づる門出なりけり

 349 女どもの澤に若菜摘むを見て詠める
  賤の女がゑぐ摘澤むの薄氷何時までふべき我身なるらむ

 350 四位して殿上降りて侍ける頃、鶴鳴皐と云ふ事を詠める
  昔見し雲居を慕ひて蘆鶴の澤邊に鳴くや我身なるらん

 351 新院六條殿におはしましける時、月明く侍ける夜、御舟に奉りて、月前言志と云ふ事を詠ませ給けるに詠み侍ける
  三日月の又有明になりぬるや憂きよを廻る例なるらん

 352 櫻花の散るを見て詠める
  散る花に又もやあはむ覺束な其春までと知らぬ身なれば

 353 世中騒がしくきこえける頃詠める
  朝な/\鹿の柵む萩の枝の末葉の露のありがたの世や

 354 秋の野を過ぎ罷りけるに、尾花の風に靡くを見て詠める
  花薄招かばこゝに留りなむ何れの野邊もつゐの住みかぞ

 355 心ち例ならずおぼされける頃詠み給ける
  よそに見し尾花が末の白露は有るか無きかの我身なりけり

 356 世の中はかなく覚えさせ給ける頃詠ませ給ける
  斯しつゝ今はとならむ時にこそ悔しき事のかひもなからめ

 357 入相の鐘の聲を聞きて詠める
  夕暮は物ぞ悲しき鐘の音をあすも聞べき身とし知らねば

 358 大納言忠教身罷りける後の春、鶯の鳴くを聞きて詠める
  鶯の鳴くに涙の落つる哉またもや春に逢はむと思へば

 359 儚き事のみ多く聞えける頃詠める
  皆人の昔語になりゆくを何時までよそに聞かむとすらむ

 360 夏の夜、端に出でゐて涼み侍けるに、夕闇のいと暗くなりければ詠める
  此世だに月待つ程は苦しきに哀いかなる闇にまどはむ

 361 病重くなり侍ける頃雪の降るを見て詠める
  覺束なまだ見ぬ道をしでの山雪踏分けて越えむとすらん

 362 大江擧周朝臣重くわづらひて限に見え侍ければ詠める
  代はらむと祈る命は惜からでさても別れむ事ぞ悲しき

 363 病重くなり侍にければ、三井寺に罷りて、京の房にうゑおきて侍ける八重紅梅を、今は花咲きぬらん、見ばや、といひ侍りければ、をりに遣はして見せければ詠める
  此世には又も溢まじ梅の花散り%\ならむ事ぞ悲しき
   その後、程なく身罷りにけるとぞ

 364 人の椎を取らせて侍ければ詠める
  此身をば空しき物と知りぬれば罪えん事もあらじとぞ思ふ

 365 題不知
  我思ふ事の繁きに比ぶれば信太の森の千枝は數かは

 366 題不知
  網代には沈む水屑もなかりけり宇治の渡りに我や住まし

 367 大原に住み初めける頃、俊綱朝臣の許へいひ遣はしける
  大原や未だすみ竈もならはねば我宿のみぞ烟絶えける

 368 題不知
  泪河その水上を尋ぬれば世のうきめより出づるなりけり

 369 この集撰侍るとて、家集請ひて侍ければ、詠める
  思ひやれ心の水の淺ければかき流すべき言の葉も無し

 370 周防の内侍尼になりぬと聞きていひ遣しける
  かりそめの浮世の闇をかき分けて羨ましくも出づる月哉

 371 法師になりて後、左京大夫顯輔が家にて、歸雁を詠める
  歸る雁西へゆ行きば玉章に思ふ事をばかき付けてまし

 372 題不知
  身をすつる人は誠にすつるかは捨てぬ人こそすつる也けれ

 373 藤原實宗常陸介に侍ける時、大藏省の使供嚴しく責めければ、匡房にいひて侍ければ、遠江にきりかへて侍ければ、いひ遣しける
  筑波山深く嬉しと思ふ哉濱名の橋に渡す心を

 374 下臈に越えられて、堀川關白の許に侍ける人の許へ、おとゞにも見せよとおぼしくて遣はしける
  年を経て星を戴く黒髮の人より霜になりにけるかな

 375 白河院位におはしましける時、修理大夫顯季につけて申さする事侍けるを、宣旨の遅く下りければ、その冬頃いひ遣はしける
  雲の上は月こそさやにさえ渡れまた滯るものや何なり

 376 返し
  とゞこほる事はなけれど住吉のまつ心にや久しかるらん

 377 新院位におはしましける時、殿上人を召して述懷の歌詠ませ給けるに、白河院の御事忘るゝ時無く覚え侍ければ
  白河の流れをたのむ心をばたれかは空にくみて知るべき

 378 堀河御時、百首歌奉りける中に詠める
  百年は花に宿りてすぐしてき此世は蝶の夢にぞ有りける

 379 新院位におはしましし時、中宮春宮の女房はかなき事によりいどみかはして、上達部殿上人方分きて、上、中宮の御方に渡らせ給けるを、方人にとりたてまつりてなん、さるべき事言ひ使はせとをの/\申ければ、詠みてつかはしける
  ひさかたの天香具山出づる日も我が方にこそ光さすらめ

 380 娘の冊子書かせける奥にかきつけゝる
  このもとにかき集めたる言の葉を柞の杜の形見とは見よ

 381 左京大夫顯輔近江守に侍ける時、とほき郡に罷りけるに、便につけていひ遣はしける
  思ひかねそなたの空を眺むればたゞ山の端に掛かる白雲

 382 新院位におはしましゝ時、海上遠望と云ふ事を詠ませ給けるに詠める
  渡の原漕ぎ出でゝみれば久方の雲居にまがふ沖つ白波

 383 後冷泉院御時、大甞會の主基方の御屏風に、備中國高倉山に数多の人花摘みたるかた書きたる所に詠める
  打ちむれて高倉山につむ花は新た無き代のと富草の花

 384 今上の大甞會悠紀方御屏風に、近江國の國板倉の山田に稲をおほく刈り積めり、これを人見たるかたかきたる所を詠める
  板橋の山田につめる稻を見て治れる世の程をしるかな

 385 圓融院御時、堀河院に再び行幸せさせ給けるに詠める
  水上の定めてければ君が代に再びすめる堀川の水

 386 有馬の湯に罷たりけるに詠める
  いさや又続きも知らぬ高嶺にて先来る人に都をぞ問ふ

 387 熊野へ詣うでける道にて、月を見て詠める
  都にて眺めし月をもろともに旅の空にも出でにける哉

 388 播磨に侍ける時、月を見て詠める
  都にて眺めし月を見る時は旅の空とも覚えざりけり

 389 信濃守にて下りけるに、風越の峰にて
  風越の峯の上にて見る時は雲は麓の物にぞありける

 390 藤原頼任朝臣美濃守にて下り侍ける供に罷りて、その後年月を経てかの國の守になりて下り侍りて、垂井と云ふ泉を見て詠める
  昔し見し垂井の水は変はらぬどうつれる影ぞ年を経にける

 391 帥前内大臣播磨へ罷りけるともにて、川尻を出づる日詠み侍ける
  思ひ出も無き古里の山なれど隱れ行くはた哀なりけり

 392 三條太政大臣身罷りて後、月を見て詠める
  古を戀ふる泪にくらされて朧に見ゆる秋の夜の月

 393 娘におくれて歎き侍ける人に、月の明かりける夜、いひつかはしける
  其事と思はぬだにもある物を何心地して月を觀るらん

 394 粟田の右大臣身罷りける頃詠める
  夢ならで又も逢べき君ならば寐られぬいをも歎ざらまし

 395 堀川中宮かくれ給て、業の事はてゝ、朝に詠ませ給ける
  思ひかね眺めしかども鳥部山はては烟も見えずなりにき

 396 一條攝政身罷りにける頃詠める
  夕まぐれ木繁き庭を眺めつゝ木の葉と供に落つる泪か

 397 子の思ひに侍ける頃、人の問ひて侍ければ詠める
  人知れず物思ふ折もありしかど子の事計り悲しきは無し

 398 兼盛子に送れて歎くと聞きていひ遣はしける
  生ひ立たで枯れぬと聞きしこの本の爭で歎の森となる覽

 399 天暦の帝かくれおはしまして、七月七日御忌果てゝちり%\に罷り出でけるに、女房の中に送り侍ける
  今日よりは天の河霧たち別れいかなる空にあはむとすらん

 400 返し
  七夕は後の今日をも頼むらむ心ぼそきは我身なりけり

 401 娘に送れて服着侍るとて詠める
  あさましや君にきすべき墨染の衣の袖をわれぬらす哉

 402 大江匡衡身罷りて又の年の春、花を見て詠める
  去年の春散りにし花も咲きにけり哀れ別のかゝらましかば

 403 右兵衛督公行妻に遅れて侍ける頃、女房につけて申さする事侍ける御返事に詠ませ給ける
  出づる息のいるのを待つまもかたき世を思ひしるらん袖はいかにぞ

 404 後冷泉院の御時、藏人にて侍けるに、帝かくれおはしましにければ詠める
  泪のみ袂にかゝる世中に身さへ朽ちぬることぞかなしき

 405 男に送れて詠める
  折/\のつらさを何に歎きけむ頓てなき世もあればありけり

 406 人の四十九日の誦經文にかきつけゝる
  人をとふ鐘の聲こそ哀なれ何時か我身にならむとすらん

 407 ゐひまゐりして侍ける女の、前許されて後程なく身罷りにければ
  悔しくも見初めける哉なべて世の哀と計きかましものを

 408 稻荷の鳥居にかきつけて侍ける歌
  かくてのみ世に有明の月ならば雲隱してよ天降る神

 409 親の処分を故無く人におし取られけるを、此の事理給へと稲荷に篭りて祈り申ける法師の夢に、社の内より言ひ出し給へりける歌
  長き夜の苦しき事を思へかし何歎くらむ仮の宿りを

 410 賀茂の齋気と聞こえける時、西に向ひて詠める
  思へ共忌む迚いはぬ事なれば其方に向て音をのみぞ泣く

 411 信解品、周流諸國五十餘年と云ふ心を詠める
  あくがるゝ身の儚さは百年の半過ぎてぞ思ひしらるゝ

 412 即身成佛と云ふ事を詠める
  露の身の消えて佛に成る事は勤めて後ぞ知るべかりける

 413 舍利講のついでに、願成佛道の心を人/\に詠ませ侍けるに詠ませ侍けるに、詠み侍ける
  余所になど佛の道を尋ぬらん我心こそしるべなりけれ

 414 舍利講のついでに、願成佛道の心を人/\に詠ませ侍けるに詠ませ侍けるに、詠み侍ける
  いかで我心の月を顕して闇に惑へる人を照らさむ

 415 常在靈鷲山の心を詠める
  世の中の人の心の浮雲に空がくれする有明の月

眠い...返事などは少々お待ちください。





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■キミも今日から王仁三郎!(【犬惑星*1より)
http://d.hatena.ne.jp/dogplanet/20050803
>無邪気に日本神話コスプレをしたり、木に登っている写真であり。
ああ、まさに其のとおり。初めて見た時、コスプレ!?ってのは正直の感想だった(笑)
出口王仁三郎は調べると調べる程興味深い巨人であり、古神道の本では「近代日本が生んだこの余りにも巨大な人物の全体像うを、ここで総括することは不可能である。」とありました。

■大本~おほもと
http://www.oomoto.or.jp/
第二次大本事件後、愛善苑の名で再建し、1952年が名「大本」として復活、従って大本教現在の正式名称は大本である。


*1:同サイトセツナ系≠サブカルという「オタクvsサブカル」の話もあります。

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