2005/08/31

平城京に「十条」あった?九条大路の南で道路跡が出土

2005-08-31-水 千歳の恋を思ふれば浅き夢見じ酔いもせず

[]十四万ヒット到達 十四万ヒット到達を含むブックマーク 十四万ヒット到達のブックマークコメント 編集CommentsAdd Star

蔽サイト、十四万ヒット到達しました。
KagayaKyoさんから祝いイラストを貰いました。

実はいつも気になることがあります、
平安時代の人は本当に「にいさま」だと言えるかな?兄上や兄殿の方が普通ではないか?



東京ゲームショウ2005 セガブースにて「風雨来記2」を出展予定。
http://www.fog.jp/top.htm

■巻第七 元正天皇 日本根子高瑞淨足姫天皇
http://applepig.idv.tw/kuon/furu/text/syokki/syokki07.htm

■人物画像データベース
http://www.nijl.ac.jp/databases/db-room/syouzou/index.html

吾妻鏡
http://www.nijl.ac.jp/databases/db-room/genpon/azumatop.htm

■[日本初めて物語]文化史編。(Tagebuch von Norilaより)
http://d.hatena.ne.jp/Norila/20050803/p2
約半分は私が作ったキーワードと関わる。(汗)
>最古の漢詩集         『懐風藻』(751 by大津皇子
懐風藻の撰者は不詳ですが、少なくとも大津皇子ではないと思います。
http://applepig.idv.tw/kuon/furu/text/waka/kaifuu/kaifuusou.htm
松崎祐の懐風藻序には:懷風ノ撰述、其人知ラズ。嘗テ鵞峰林子ガ人二:「淡海三船デアロウ」ト云フ。がある。
必ず淡海三船ではないけれど、大津皇子の「五言臨終」も入れた以上、大津皇子撰は無理でしょう。
そして、大津皇子以後の人の詩文も入りますので、益々無理と思います。


AoshiAoshi 2005/08/31 16:51 >随分遅かったな、何かあった?
まあ、台湾故にエロ物は問題多いです...

kuonkizunakuonkizuna 2005/09/01 16:32 とりあえず無事でよかった。
トラックバック - http://d.hatena.ne.jp/kuonkizuna/20050831

2005-08-30-火 天ざかる夷にある我をうたがたも紐解き放けず思ほすらめや

[]地球はヤバイぞ~!!みんな、早く出でけっ!! 地球はヤバイぞ~!!みんな、早く出でけっ!!を含むブックマーク 地球はヤバイぞ~!!みんな、早く出でけっ!!のブックマークコメント 編集CommentsAdd Star

■「朝霧の巫女」~伊勢熊野巡礼編~(USO9000仮想工房より)
http://www7a.biglobe.ne.jp/~uso9000/
>一般に「伊勢神宮」と呼ばれるが、「神宮」とだけ称するのが正式だそうだ。
特別に注明しなかったら、「神宮」だけ称えるのは「伊勢神宮」だけでしょう。
日本の神々―『先代旧事本紀』の復権が「『古事記』や『日本書紀』といった日本古典で、一番早く”神宮”という称号を用いられたのは、石上神宮だということです。伊勢神宮だと思っている人が多いのですが、必ずしもそうではないのです。伊勢神宮は”渡遇宮*1”とか、”五十鈴宮”、あるいは”五十鈴の祠”という書き方をされていて、一番早く神宮と書かれるのは、石上神宮ですね。」がある。そういえば確かにそうです、伊勢神宮という表記が一番早く出でくるのは景行天皇四十年冬十月壬子朔戊午条で、石上神宮が一番早く出でくるのはその前の垂仁天皇三十九年冬十月条である。
調べてみると、もっと前の崇神天皇八年冬十二月丙申朔乙卯条が「神宮」と「神宮」があり、六十年秋七月丙申朔己酉条も「出雲大神宮」があった。でも、その性質は違います。まず、「出雲大神宮」は「出雲大神宮」ではなく、「出雲大神ノ宮」である。そして、八年冬十二月丙申朔乙卯条の神宮について、小学館新全集日本書紀』の注によって、「三輪山自体が神体なので神殿ではなく、神殿で宴することはないから、この”神宮”は次の歌の”殿門”の語からみて”拝殿”であろう。」とあります。ですから、崇神天皇紀にみられる「神宮」という単語と「伊勢神宮」や「石上神宮」の意味が違います。
>五十鈴川の流れが幽玄で、はからずも「神域に入っていく」感じがひしひしと伝わって来る。
ああ、五十鈴川に鎮座するのも、天照大神の御意なんです。垂仁天皇二十五年春三月丁亥朔丙申条に「是神風伊勢國、則常世之浪歸國也。傍國可怜國也、欲居是國。*2」とある。倭姫命世記に:「サコクシロ宇遲之五十鈴之河上者、是大日本之中二殊勝靈地侍ナリ。*3」とある。流石天照大神*4、良いセンスですよね。
>家都美御子大神(けつみみこのおおかみ)
家都(けつ)は計都(けつ)が由来する説もあって、興味深いところです。



映画版亡国のイージス」(USO9000仮想工房より)
http://www7a.biglobe.ne.jp/~uso9000/diary/diary.htm#0828
福井晴敏氏の原作小説としても、「終戦のローレライ」より「亡国のイージス」が上だったのね。
ゼータガンダムを見に行った頃、「ローレライ*5台湾でも上映するのを知りました。
流石RC-2*6は買わないと思いますが、RC-3の「ローレライ」があれば買うかも...

■Turn-A Gundam
http://www.babu.com/~laurel/
キャラクター紹介はウマイです。
http://www.babu.com/~laurel/turn-a/turn-aintroduction.html
そういえば、ターンAの小説福井晴敏氏が執筆なの、奇遇ですなぁ。

■オタカップル
キーワードコウ・ウラキ
内向的な性格で、モビルスーツにはやたら詳しいが、女性には奥手という、典型的なオタク
ニナもMSオタクなので、ある意味このふたりはオタカップルとも言える。
それは御愁傷さまでした。


■あのさぁ...
http://key.visualarts.gr.jp/cgi-bin/wmbp/wingmulti.cgi?bbsname=normal
日本語BBSでの中国語、及びリンクしかないの書き込みは、止めてくれない?
台湾産鍵っ子って、猪突猛進タイプの人が結構多いなぁ、と。気のせいか?


*1:渡会宮
*2:読み下し:是ノ神風ノ伊勢國ハ、即チ常世ノ浪ノ重浪帰スル國ナリ。傍國ノ可怜國ナリ。是ノ國二居ラムト欲フ。現代語訳:この神風の伊勢国は、常世の波がしきりに打ち寄せる国である。大和から片寄った遠い国で美しい良い国である。この国に居たいと思う。《新全集日本書紀』》
*3:さこくしろ宇遅の五十鈴の河上は、大日本の国の中にも殊勝なる霊地あるなり。
*4画像イメージです。
*5ネタバレになるが、映画小説の違うはここでどうぞ
トラックバック - http://d.hatena.ne.jp/kuonkizuna/20050830

2005-08-29-月 山川の極を遠み愛しきよし妹を相見ずかくや嘆かむ

[]続紀続紀 続紀続紀を含むブックマーク 続紀続紀のブックマークコメント 編集CommentsAdd Star

続日本紀
ただいま入力してます。
http://applepig.idv.tw/kuon/furu/text/syokki/syokki06.htm
元明天皇紀まで完成しました。
巻六の新大系本と国史大系本には違う処が良くあります。
新大系本にない国史大系本にある、あるいは国史大系本にない新大系本にある、という場合、
此方は原則として全部入るというやり方です。容受主義ですか、私。

リカちゃん、初めての十二ひとえ(朝日新聞より、玄史生さん提供)
http://www.asahi.com/photonews/TKY200508260285.html
http://www.asahi.com/business/update/0827/001.html
やれやれ.......(私のコメントもやれやれ...)

■正統な生みの親も何も、今ではガンダムというとシードやデスティニーですからね。非常にムカついてます。(富野由悠季
あなたは 108.5% ガンダマーです。
http://www.ragsearch.com/cgi/check/pccheck.html
ギレン・ザビLv◆
あなたのIQはずば抜けてイイかもしれません。
絶妙な演説で、民衆の心をがっちり掴みましょう。
ただ、背後にだれかを立たせるのは禁物です。
ゴルゴ13ばりに気を使いましょう。
ラッキーカラー:黒◇ラッキーアイテム:ドロス◇首周りの太さUP
108.5%、気まぐれの選択肢*1が多いのでつい...

平城京に「十条」あった?九条大路の南で道路跡が出土(朝日新聞より、玄史生さん提供)
http://www.asahi.com/culture/update/0826/016.html
http://www.yomiuri.co.jp/national/culture/news/20050826i311.htm
>>九条大路の中央にあった羅城門の東約500メートルで、
>>8世紀後半の羅城(城壁)跡が初めて約10メートル分見つかった。
>通説、日本律令時代の都城は城壁なし、これは中国の城どの大違うこと、もしこれは本当に、確は一大発見です。
おお、どんでもない大発見ですね!実はここにも↓話題になります。
http://d.hatena.ne.jp/AJIGONOMI/20050828
http://d.hatena.ne.jp/AJIGONOMI/20050829

続紀電子テキストを作成している途中、良いタイミングだなぁ、と思います。
実は律令時代を調べ始めどころです。これからの発見も興味を持って楽しみます。
どころで、AJIGONOMIさんは「元明女帝は、日本初の史書『日本書紀』の編纂を始めた天皇。」と仰ったのですが、
個人的にはやっぱり『日本書紀』の編纂を始めた天皇天武天皇だと思います。*2

確かに、元明紀《三》では、国史編纂の記録があります。
 (和銅七年春二月)戊戌、詔從六位上-紀朝臣-清人・正八位下-三宅臣-藤麻呂、令撰國史。
それは『日本書紀』元明天皇編纂説の根據となります。

でも、その前に天武紀《下》にも、国史編纂の記録があります。
 (天武十年春三月)丙戌、天皇御于大極殿、以詔川島皇子・忍壁皇子・廣瀬王・竹田王・桑田王・三野王・大錦下-上毛野君-三千・小錦中-忌部連-首・小錦下-阿曇連-稲敷・難波連-大形・大山上-中臣連-大島大山下-平群臣-子首、令記定帝紀及上古諸事。大島・子首、親執筆以録焉。
こちらは『日本書紀天武天皇編纂説の根據です。

実は此れだけではなく、履中紀では「始之於諸國置國史、記言事達四方志。
」とあり、欽明紀では、「帝王本紀、多有古字。撰集之人、屢經遷易。後人習讀、以意刊改。傳寫既多、遂致舛雜。」とあり、推古紀では「皇太子・島大臣共議之、録天皇記及國記、臣・連・伴造・國造・百八十部并公民等本記。」とあり、色々の国史編纂記録が見られます。でも、いずれも失伝したといいます。

履中紀の『國史』は、本当にまとめに本になったかどうか、知るようもありません。欽明紀の『帝王本紀』は、多分『古事記』序の『帝紀』であろう。そして、推古紀の『天皇記』と『國記』が完成しても、今はもう無くなった。乙巳の変によって『天皇記』が焼失したという、船使恵尺が『國記』を救出しても、まもなく紛失したと思います。

でも、前述の史書は戦乱があって無くなったけど、天武天皇朝の「帝紀と上古諸事」は残ったはずだと思います。そして、天武天皇御崩後、その実質的な影響は光仁天皇*3までに至ると思います。ですから、天武天皇の頃から始めた『日本書紀』の編纂は、元明天皇を経て元正天皇の頃で成立というのは有り得ないではありません。新大系本『続日本紀』の見方は、「元明朝が既に律令国家になったから、天武天皇頃の天皇中心政権と違いますから、国史を修正の必要があります。」と、紀清人は『日本書紀』編纂の初めてではなく、それを手掛かり修正したです。
そういえば、『古事記』序、天武天皇崩御の故に、史料編纂が一段中断となり、元明天皇の頃がやっと再開することができる、という記事も十分有り得る、『古事記』を話すはずであったが、『日本書紀』の状況説明にも当て嵌まるかもしれません。
最後、古代都市平城京の世界 (日本史リブレット)平城京と木簡の世紀 (日本の歴史)が面白そうで、買ってみようか。


*1シャアと言えばロリコンとか、その似たそうな雰囲気の選択とも。あと、実はエゥーゴをAnti Earth United Governmentではなく、Anti Earth Union Groupと書きたかった。勿論、EFSFよりUNT SPACY、ZEONよりZION。
*2:でも、諸説ありますから、必ずどちらが正しいなのだと保証できません。
*3天智天皇の血筋、それ以前はみんな天武天皇の血統でありながら、女帝を多く即位させたのもまさしく天武天皇の血脈を残りたいと見えます。淳仁天皇が廃されなかったら今でも残るかもしれませんが、残念。

2005/08/28

日韓交流

2005-08-28-日 白波の寄する磯廻を榜ぐ舟の楫取る間なく思ほえし君

[]続紀製作中。 続紀製作中。を含むブックマーク 続紀製作中。のブックマークコメント 編集CommentsAdd Star

続日本紀
ただいま入力してます。
http://applepig.idv.tw/kuon/furu/text/syokki/syokki06.htm
この二三日内、元明天皇までを完成するつもりです。

■遊部氏(令集解)
遊部者、終身勿事、故云遊部也。解釋云、(中略)遊部、隔幽顕境、鎮凶万魂之氏也。終身勿事、故云遊部。」『古記』曰、遊部者、在大倭国高市郡、生目天皇垂仁天皇)之苗裔也。所以負遊部者、生目天皇之蘗-圓目王、娶伊賀比自支和氣之女為妻也、凡天皇崩時者、比自岐和気等到殯所、而供奉其事、仍取其氏二人名、稱禰義余此也。禰義者、負刀、並持戈。余此者、持酒食、並負刀、並入内供奉也。唯禰義等申辞者輒不便人知也、(中略)其人終身無事、免課役任意遊行、故云遊部。(中略)後及長谷天皇雄略天皇)崩時、而依罄比自支和氣、七日七夜不奉御食、依此阿良備多麻比岐。爾時諸國求其氏人、或人曰:「圓目王娶比自支和氣為妻、是王可問。」云。仍召問。答云:「然也。」召問其妻、答云:「我氏死絕、妾一人在耳。」即指奉其事。女申云:「女者不便負兵供奉。」仍以其事移其夫圓目王、及其夫代妻而供奉其事、依此和平給也。爾時詔:「自今日以後、手足毛成八束毛遊」詔也。故名遊部君是也。云云。
『令集解』國書刊行會本
これは『日本巫女史』よりの引用文で、『令集解』の記述は前回より詳しい。
注目すべきのは、前の版本は「生目天皇之子-圓目王」で今度のは「生目天皇之糱-圓目王」の違いです。
この「蘗」つまり「孽*1」とは、嫡出は勿論、危なく庶出の子ですら認められませんこそ孽です。
この関係で、『古事記』、『日本書紀』には、敢えて「圓目王は垂仁天皇の子なりと書かないのではないか。

■「Dave One&Captain Black」風水嵯峨ライブHuman Product Studioより)
http://www.kobe10th-year.jp/calendar/calendar.cgi?id=10011
震災10年 神戸からの発信のページ。
8月31日午後5時15分から、神戸メリケン波止場の特設ステージライブという。


[]日韓交流 日韓交流を含むブックマーク 日韓交流のブックマークコメント 編集CommentsAdd Star

さっき書いたモノ、古代史による日韓交流をまとめてみました。
 崇神天皇六十五年秋七月,任那國朝鮮半島一小國)遣蘇那曷叱知對日本朝貢。
 垂仁天皇三年春三月時,新羅王子天日槍歸化日本,並供上七種寶物(另一說,八種。),如今奉在但馬出石神社
 神功皇后攝政二年冬十月,己亥朔辛丑,依夢託征伐三韓新羅兵敗。新羅王曰:「吾聞,東有神國,謂-日本。亦有聖王,謂-天皇。必其國之神兵也,豈可舉兵以距乎?從今以後,長與乾坤,伏為飼部。其不乾船柂而春秋獻馬梳及馬鞭。復不煩海遠以每年貢男女之調。非東日更出西,且除阿利那禮河返以之逆流,及河石昇為星辰,而殊闕春秋之朝,怠廢梳‧鞭之貢,天神地祇共討焉。」同樣的記載,可以從中國吉林省發現的「好太王碑」中看到倭以辛卯年來渡海破百殘□□新羅以為臣民等字樣。並由新羅帶回圖籍‧文書,算是古代主要中國漢籍第一次輸入日本
 神功皇后攝政三十九年,日本對中國朝貢。(明帝景出三年六月,見三國志。)
 神功皇后攝政四十三年,日本對中國朝貢。(正始四年,見三國志。)
 神功皇后攝政四十六年春三月,卓淳王末錦旱岐對日朝貢,並稱是經由百濟得之日本存在日本與百濟的關係遂更加親密。
 神功皇后攝政四十七年夏四月,新羅使者搶奪百濟使者之對日朝貢,充當自己的貢物,事發,自此日本新羅交惡,與百濟更甚親密。
 神功皇后攝政四十九年春三月,因前項之事,日本再度遠征新羅。其後又不朝貢,日本再征新羅。『百濟記』云:「天皇大怒,即遣木羅斤資,領兵眾來集加羅,復其社稷。」(百濟記為新羅僧所書。)
 神功皇后攝政五十二年秋九月,百濟朝貢,獻上七支刀。目前奉在天理市石上神宮,為日本國寶之一。之後,日本與韓國之關係漸漸成形。由於文化面上韓國較先進而日本較落後,軍事力日本較強大而韓國較弱,是以韓國對日本輸出文化,日本對韓國輸出軍力。韓國與日本相互有朝貢,且韓國獻上皇族子弟作為人質提予日本。遇上戰爭時,則日本需派兵助援。
 神功皇后攝政六十六年,日本對中國朝貢。(晉武帝泰始二年,見晉起居注。)
 應神天皇十四年春二月,百濟王貢縫衣工女真毛津,為日本來目衣縫始祖。
 應神天皇十四年,百濟弓月君歸化日本
 應神天皇十五年秋八月,百濟王遣阿直岐,進貢良馬二匹予日本。阿直岐擅文,且能讀經典,應神天皇遂命令阿直岐為太子菟道稚郎子之師。
 應神天皇十六年春二月,隨阿直岐之推薦,請百濟學者王仁來日,為太子菟道稚郎子之師。同時,王仁攜論語十卷、千字文一卷,并十一卷而一同貢進。為主要中國典籍第二次傳入日本
 雄略天皇八年,高麗攻打新羅新羅對日求援,日本派兵援助。
 雄略天皇九年,新羅不朝貢,日本再征新羅
 雄略天皇二十年冬,百濟為高麗所滅。百濟遺臣對日求援,日本決定重建百濟。
 繼體天皇六年冬十二月,大伴金村擅自割讓任那四縣予百濟
 繼體天皇七年,因前項,造成朝鮮半島己汶.帶沙之爭
 繼體天皇廿三年,任那朝貢日本遣使召新羅‧百濟二國王,調停。
 繼體天皇廿四年,任那被滅日本遣毛野臣,欲復興任那
 欽明天皇元年九月,因前述大伴金村割讓任那四縣之事,遭到新羅之怨。被認定處理不當,大伴金村自此失勢
 欽明天皇二年夏四月,百濟聖明王協議復建任那
 欽明天皇四年秋九月,百濟聖明王獻扶南財物與奴隸二口
 欽明天皇四年冬十一月,欽明天皇催促百濟復興任那,並下令其聽從任那日本府之命令。
 欽明天皇五年三月,百濟上書日本要求排除新羅派官人
 欽明天皇五年十一月,百濟遣使,商議復興任那事宜。
 欽明天皇六年春三月,日本遣膳臣巴提,視察三韓
 欽明天皇七年夏六月,百濟對日進貢

 欽明天皇八年夏四月,,百濟對日求援
 欽明天皇十三年,佛教經由百濟傳入日本
 欽明天皇廿三年春正月新羅殲滅任那
 欽明天皇一年正月高麗使漂至日本,饗之。
 欽明天皇卅二年春三月,日本遣使新羅,問任那滅由。
 欽明天皇卅二年,欽明天皇崩,新羅遣使弔喪
 敏達天皇元年五月,高麗遣使上表日本
 敏達天皇四年,日本遣使,與新羅.百濟交涉復興任那之事。
 敏達天皇十二年,百濟人日羅進言復興任那之事。
 推古天皇八年,新羅與任那相攻。推古天皇出軍援救任那
 推古天皇十五年,日本派遣首位遣隋使小野妹子至中國。中國稱小野妹子為蘇因高,遣裴世清至日本回禮。(見隋史)
 推古天皇三十一年新羅伐滅任那日本策劃征討新羅
 舒明天皇二年,日本饗高麗‧百濟來客
 舒明天皇三年春三月,百濟王義慈,渡百濟王子豐章予日本為人質
 皇極天皇元年,百濟與高句麗政變高麗‧百濟遣使日本
 齊明天皇五年秋七月,日本派遣唐史至中國。被扣。
 齊明天皇六年七月,新羅對中國進百濟讒言,中國‧新羅聯軍攻滅百濟。(高麗沙門道顯日本世記云:「春秋智借大將軍蘇定方之手,使擊百濟,亡之。」)
 齊明天皇六年九月,百濟遺臣上書日本:「今年七月,新羅恃力作勢,不親於鄰.引構唐人,傾覆百濟!君臣總俘,略無嚼類!相戰三日,陷我王城.同月十三日,始破王城.怒受利山百濟之東界也.於是,西部恩率-鬼室福信赫然發憤,據任射岐山.或本云,北任敘利山.達率-余自進據中部九麻怒利城.各營一所,誘聚散卒.兵盡前役,故以棓戰.新羅軍破,百濟奪其兵.繼而百濟兵蕃銳,唐不敢入.福信等遂鳩集同國,共保王城.國人尊曰:『佐平福信!佐平自進!』唯福信起神武之權,興既亡之國.」
 齊明天皇六年冬十月,百濟遺臣鬼室福信,遣使日本要求日本將先前作為人質之王子豐璋,送回百濟,以復興百濟。許之。
 齊明天皇七年,日本出兵援助百濟
 齊明天皇七年秋七月,齊明天皇崩于朝倉宮皇太子天智天皇)攝政,持續出兵援助百濟
 天智天皇元年,百濟王豐璋歸國,與新羅相戰。
 天智天皇二年六月,鬼室福信功高震主,為百濟王豐璋所殺
 天智天皇二年八月,中國‧新羅聯軍,與日本‧百濟聯軍戰於白村江日本兵敗,百濟滅亡。
 持統天皇元年九月,新羅王子金霜林‧級餐金薩慕及級餐金仁述‧大舍蘇陽信等,奏請國政,且獻調賦。
 持統天皇二年八月,新羅王遣佐平加羅來日,獻方物
 文武天皇元年,新羅使一吉飡金弼德、副使奈麻金任想等,來日拜朝
 文武天皇大寳元年,新羅大使薩飡金所毛卒。日本賜賻。且賜小使級飡金順慶及水手祿。
 文武天皇大寳三年閏四月,日本饗新羅客


*1:隠し子、ということ。同じ意味の用例について、『孟子』には「獨孤臣孽子、其操心也危、其慮患也深、故達。」とある。ちなみに、忍者の首やサンカの長こと初代乱破道宗(『朝霧の巫女』では乱裁道宗と表記。)も、藤原道隆の孽子である。
玄史生玄史生 2005/08/28 07:05 リカちゃん、初めての十二ひとえ(2005年8月27日\朝日新聞)
http://www.asahi.com/photonews/TKY200508260285.html
http://www.asahi.com/business/update/0827/001.html
やれやれ.......

平城京に「十条」あった? 九条大路の南で道路跡が出土
http://www.asahi.com/culture/update/0826/016.html
http://www.yomiuri.co.jp/national/culture/news/20050826i311.htm
>また、九条大路の中央にあった羅城門の東約500メートルで、8世紀後半の羅城(城壁)跡が初めて約10メートル分見つかった。
 通説、日本律令時代の都城は城壁なし、これは中国の城どの大違うこと、もしこれは本当に、確は一大発見です。

kuonkizunakuonkizuna 2005/08/28 19:36 おお、どんでもない大発見ですね!実はここにも↓話題になります。
http://d.hatena.ne.jp/AJIGONOMI/20050828#20050828fn3
意外がなければ、今晩のネタにしましょう。

2005-08-27-土 もののふの八十乙女らが汲み乱ふ寺井の上の堅香子の花

[]続紀製作中。 続紀製作中。を含むブックマーク 続紀製作中。のブックマークコメント 編集CommentsAdd Star

続日本紀
ただいま入力してます。
http://applepig.idv.tw/kuon/furu/text/syokki/syokki05.htm
巻五、日本根子天津御代豐國成姫天皇 元明天皇(二)まで。
弘仁私記』、『平家物語』、『保元物語』、『ホツマツタヱ』などは放置状態中です。

陰陽道の祭文
謹請天神七代・地神五代、八百万神等、降臨此座、無上霊宝、神道加持。
謹請東方甲乙青帝龍王、謹請南方丙丁赤帝龍王、謹請西方庚辛白帝龍王、謹請北方壬癸黒帝龍王、謹請中央戌己黄帝龍王、謹請天地日月五星三台玉女神。
六甲六丁天門自成、六戌六巳天門自開、六甲磐垣天門近在急急如律令
九道開寒・・・明星北斗却敵万理・・・急急如律令
甲上玉女・・・来護我身無令百鬼中傷我見我者以為束薪独開我門自閉他人門急急如律令
吾比天帝使者、所使執持金刀、令滅不祥、此刀非凡常之刀百之鑑、此刀一下何不走、何
病不癒、千殃万邪皆伏死亡、吾令刀下、急急如天帝太上老君律令
謹請、天逢、天内、天衝、天輔、天禽、天心、天柱、天任、天英。
南斗北斗、三台玉女、左青龍避万兵、右白虎避不祥、前朱雀避口舌、後玄武避万鬼、前
後輔翼、急急如律令
やっぱり陰陽道関係の祝詞のようです。

年号干支皇紀・西暦対応表
年號    (干支)    皇紀 / 西暦
神武天皇元年(辛酉)    0001 / B660
綏靖天皇元年(庚辰)    0080 / B581
安寧天皇元年(癸丑)    0113 / B548
懿徳天皇元年(辛卯)    0151 / B510
孝昭天皇元年(丙寅)    0186 / B475
孝安天皇元年(己丑)    0269 / B392
孝霊天皇元年(辛未)    0371 / B290
孝元天皇元年(丁亥)    0447 / B214
開化天皇元年(甲申)    0504 / B157
崇神天皇元年(甲申)    0564 / B097
垂仁天皇元年(壬辰)    0632 / B029
景行天皇元年(辛未)    0731 / 0171
成務天皇元年(辛未)    0791 / 0131
仲哀天皇元年(壬申)    0852 / 0192
神功皇后摂政元年(辛巳)  0861 / 0201
応神天皇元年(庚寅)    0930 / 0270
仁徳天皇元年(癸酉)    0973 / 0313
履中天皇元年(庚子)    1060 / 0400
反正天皇元年(丙午)    1066 / 0406
允恭天皇元年(壬子)    1072 / 0412
安康天皇元年(甲午)    1114 / 0454
雄略天皇元年(丁酉)    1117 / 0457
清寧天皇元年(庚申)    1140 / 0480
顕宗天皇元年(乙丑)    1145 / 0485
仁賢天皇元年(戊辰)    1148 / 0488
武烈天皇元年(己卯)    1159 / 0499
継体天皇元年(丁亥)    1167 / 0507
安閑天皇元年(甲寅)    1194 / 0534
宣化天皇元年(丙辰)    1196 / 0536
欽明天皇元年(庚申)    1200 / 0540
敏達天皇元年(壬辰)    1232 / 0572
用明天皇元年(丙午)    1246 / 0586
崇峻天皇元年(戊申)    1248 / 0588
推古天皇元年(癸丑)    1253 / 0593
舒明天皇元年(己丑)    1289 / 0629
皇極天皇元年(壬寅)    1302 / 0642
大化元年(乙巳)      1305 / 0645
白雉元年(庚戌)      1310 / 0650
斉明天皇元年(乙卯)    1315 / 0655
天智天皇元年(壬戌)    1322 / 0662
天武天皇元年(壬申)    1332 / 0672
朱鳥元年(丙戌)      1346 / 0686
持統天皇元年(丁亥)    1347 / 0687
文武天皇元年(丁酉)    1357 / 0697
大宝元年(辛丑)      1361 / 0701
慶雲元年(甲辰)      1364 / 0704
和銅元年(戊申)      1368 / 0708
霊亀元年(乙卯)      1375 / 0715
養老元年(丁巳)      1377 / 0717
神亀元年(甲子)      1384 / 0724
天平元年(己巳)      1389 / 0729
天平感宝元年(己丑)    1409 / 0749
天平勝宝元年(己丑)    1409 / 0749
天平宝字元年(丁酉)    1417 / 0757
天平神護元年(乙巳)    1425 / 0765
神護景雲元年(丁未)    1427 / 0767
宝亀元年(庚戌)      1430 / 0770
天応元年(辛酉)      1441 / 0781
延暦元年(壬戌)      1442 / 0782
大同元年(丙戌)      1466 / 0806
弘仁元年(庚寅)      1470 / 0810
天長元年(甲辰)      1484 / 0824
承和元年(甲寅)      1494 / 0834
嘉祥元年(戊辰)      1508 / 0848
仁寿元年(辛未)      1511 / 0851
斉衡元年(甲戌)      1514 / 0854
天安元年(丁丑)      1517 / 0857
貞観元年(己卯)      1519 / 0859
元慶元年(丁酉)      1537 / 0877
仁和元年(乙巳)      1545 / 0885
寛平元年(己酉)      1549 / 0889
昌泰元年(戊午)      1558 / 0898
延喜元年(辛酉)      1561 / 0901
延長元年(癸未)      1583 / 0923
承平元年(辛卯)      1591 / 0931
天慶元年(戊戌)      1598 / 0938
天暦元年(丁未)      1607 / 0947
天徳元年(丁巳)      1617 / 0957
応和元年(辛酉)      1621 / 0961
康保元年(甲子)      1624 / 0964
安和元年(戊辰)      1628 / 0968
天禄元年(庚午)      1630 / 0970
天延元年(癸酉)      1633 / 0973
貞元元年(丙子)      1636 / 0976
天元元年(戊寅)      1638 / 0978
永観元年(癸未)      1643 / 0983
寛和元年(乙酉)      1645 / 0985
永延元年(丁亥)      1647 / 0987
永祚元年(己丑)      1649 / 0989
正暦元年(庚寅)      1650 / 0990
長徳元年(乙未)      1655 / 0995
長保元年(己亥)      1659 / 0999
寛弘元年(甲辰)      1664 / 1004
長和元年(壬子)      1672 / 1012
寛仁元年(丁巳)      1677 / 1017
治安元年(辛酉)      1681 / 1021
万寿元年(甲子)      1684 / 1024
長元元年(戊辰)      1688 / 1028
長暦元年(丁丑)      1697 / 1037
長久元年(庚辰)      1700 / 1040
寛徳元年(甲申)      1704 / 1044
永承元年(丙戌)      1706 / 1046
天喜元年(癸巳)      1713 / 1053
康平元年(戊戌)      1718 / 1058
治暦元年(乙巳)      1725 / 1065
延久元年(己酉)      1729 / 1069
承保元年(甲寅)      1734 / 1074
承暦元年(丁巳)      1737 / 1077
永保元年(辛酉)      1741 / 1081
応徳元年(甲子)      1744 / 1084
寛治元年(丁卯)      1747 / 1087
嘉保元年(甲戌)      1754 / 1094
永長元年(丙子)      1756 / 1096
承徳元年(丁丑)      1757 / 1097
康和元年(己卯)      1759 / 1099
長治元年(甲申)      1764 / 1104
嘉承元年(丙戌)      1766 / 1106
天仁元年(戊子)      1768 / 1108
天永元年(庚寅)      1770 / 1110
永久元年(癸巳)      1773 / 1113
元永元年(戊戌)      1778 / 1118
保安元年(庚子)      1780 / 1120
天治元年(甲辰)      1784 / 1124
大治元年(丙午)      1786 / 1126
天承元年(辛亥)      1791 / 1131
長承元年(壬子)      1792 / 1132
保延元年(乙卯)      1795 / 1135
永治元年(辛酉)      1801 / 1141
康治元年(壬戌)      1802 / 1142
天養元年(甲子)      1804 / 1144
久安元年(乙丑)      1805 / 1145
仁平元年(辛未)      1811 / 1151
久寿元年(甲戌)      1814 / 1154
保元元年(丙子)      1816 / 1156
平治元年(己卯)      1819 / 1159
永暦元年(庚辰)      1820 / 1160
応保元年(辛巳)      1821 / 1161
長寛元年(癸未)      1823 / 1163
永万元年(乙酉)      1825 / 1165
仁安元年(丙戌)      1826 / 1166
嘉応元年(己丑)      1829 / 1169
承安元年(辛卯)      1831 / 1171
安元元年(乙未)      1835 / 1175
治承元年(丁酉)      1837 / 1177
養和元年(辛丑)      1841 / 1181
寿永元年(壬寅)      1842 / 1182
元暦元年(甲辰)      1844 / 1184
文治元年(乙巳)      1845 / 1185
建久元年(庚戌)      1850 / 1190
正治元年(己未)      1859 / 1199
建仁元年(辛酉)      1861 / 1201
元久元年(甲子)      1864 / 1204
建永元年(丙寅)      1866 / 1206
承元元年(丁卯)      1867 / 1207
建暦元年(辛未)      1871 / 1211
建保元年(癸酉)      1873 / 1213
承久元年(己卯)      1879 / 1219
貞応元年(壬午)      1882 / 1222
元仁元年(甲申)      1884 / 1224
嘉禄元年(乙酉)      1885 / 1225
安貞元年(丁亥)      1887 / 1227
寛喜元年(己丑)      1889 / 1229
貞永元年(壬辰)      1892 / 1232
福元年(癸巳)      1893 / 1233
文暦元年(甲午)      1894 / 1234
嘉禎元年(乙未)      1895 / 1235
暦仁元年(戊戌)      1898 / 1238
延応元年(己亥)      1899 / 1239
仁治元年(庚子)      1900 / 1240
寛元元年(癸卯)      1903 / 1243
宝治元年(丁未)      1907 / 1247
建長元年(己酉)      1909 / 1249
康元元年(丙辰)      1916 / 1256
正嘉元年(丁巳)      1917 / 1257
正元元年(己未)      1919 / 1259
文応元年(庚申)      1920 / 1260
弘長元年(辛酉)      1921 / 1261
文永元年(甲子)      1924 / 1264
建治元年(乙亥)      1935 / 1275
弘安元年(戊寅)      1938 / 1278
正応元年(戊子)      1948 / 1288
永仁元年(癸巳)      1953 / 1293
正安元年(己亥)      1959 / 1299
乾元元年(壬寅)      1962 / 1302
嘉元元年(癸卯)      1963 / 1303
徳治元年(丙午)      1966 / 1306
延慶元年(戊申)      1968 / 1308
応長元年(辛亥)      1971 / 1311
正和元年(壬子)      1972 / 1312
文保元年(丁巳)      1977 / 1317
元応元年(己未)      1979 / 1319
元亨元年(辛酉)      1981 / 1321
正中元年(甲子)      1984 / 1324
嘉暦元年(丙寅)      1986 / 1326
元徳元年(己巳)      1989 / 1329
元弘元年(辛未)      1991 / 1331
建武元年(甲戌)      1994 / 1334
延元元年(丙子)      1996 / 1336
興国元年(庚辰)      2000 / 1340
正平元年(丙戌)      2006 / 1346
建徳元年(庚戌)      2030 / 1370
文中元年(壬子)      2032 / 1372
天授元年(乙卯)      2035 / 1375
弘和元年(辛酉)      2041 / 1381
元中元年(甲子)      2044 / 1384
正慶[北朝]元年(壬申)    1992 / 1332
暦応[北朝]元年(戊寅)    1998 / 1338
康永[北朝]元年(壬午)    2002 / 1342
貞和[北朝]元年(乙酉)    2005 / 1345
観応[北朝]元年(庚寅)    2010 / 1350
文和[北朝]元年(壬辰)    2012 / 1352
延文[北朝]元年(丙申)    2016 / 1356
康安[北朝]元年(辛丑)    2021 / 1361
貞治[北朝]元年(壬寅)    2022 / 1362
応安[北朝]元年(戊申)    2028 / 1368
永和[北朝]元年(乙卯)    2035 / 1375
康暦[北朝]元年(己未)    2039 / 1379
永徳[北朝]元年(辛酉)    2041 / 1381
至徳[北朝]元年(甲子)    2044 / 1384
嘉慶[北朝]元年(丁卯)    2047 / 1387
康応[北朝]元年(己巳)    2049 / 1389
明徳元年(庚午)      2050 / 1390
応永元年(甲戌)      2054 / 1394
正長元年(戊申)      2088 / 1428
永享元年(己酉)      2089 / 1429
嘉吉元年(辛酉)      2101 / 1441
文安元年(甲子)      2104 / 1444
宝徳元年(己巳)      2109 / 1449
享徳元年(壬申)      2112 / 1452
康正元年(乙亥)      2115 / 1455
長禄元年(丁丑)      2117 / 1457
寛正元年(庚辰)      2120 / 1460
文正元年(丙戌)      2126 / 1466
応仁元年(丁亥)      2127 / 1467
文明元年(己丑)      2129 / 1469
長享元年(丁未)      2147 / 1487
延徳元年(己酉)      2149 / 1489
明応元年(壬子)      2152 / 1492
文亀元年(辛酉)      2161 / 1501
永正元年(甲子)      2164 / 1504
大永元年(辛巳)      2181 / 1521
享禄元年(戊子)      2188 / 1528
天文元年(壬辰)      2192 / 1532
弘治元年(乙卯)      2215 / 1555
永禄元年(戊午)      2218 / 1558
元亀元年(庚午)      2230 / 1570
天正元年(癸酉)      2233 / 1573
文禄元年(壬辰)      2252 / 1592
慶長元年(丙申)      2256 / 1596
元和元年(乙卯)      2275 / 1615
寛永元年(甲子)      2284 / 1624
正保元年(甲申)      2304 / 1644
慶安元年(戊子)      2308 / 1648
承応元年(壬辰)      2312 / 1652
明暦元年(乙未)      2315 / 1655
万治元年(戊戌)      2318 / 1658
寛文元年(辛丑)      2321 / 1661
延宝元年(癸丑)      2333 / 1673
天和元年(辛酉)      2341 / 1681
貞享元年(甲子)      2344 / 1684
元禄元年(戊辰)      2348 / 1688
宝永元年(甲申)      2364 / 1704
正徳元年(辛卯)      2371 / 1711
享保元年(丙申)      2376 / 1716
元文元年(丙辰)      2396 / 1736
寛保元年(辛酉)      2401 / 1741
延享元年(甲子)      2404 / 1744
寛延元年(戊辰)      2408 / 1748
宝暦元年(辛未)      2411 / 1751
明和元年(甲申)      2424 / 1764
安永元年(壬辰)      2432 / 1772
天明元年(辛丑)      2441 / 1781
寛政元年(己酉)      2449 / 1789
享和元年(辛酉)      2461 / 1801
文化元年(甲子)      2464 / 1804
文政元年(戊寅)      2478 / 1818
天保元年(庚寅)      2490 / 1830
弘化元年(甲辰)      2504 / 1844
嘉永元年(戊申)      2508 / 1848
安政元年(甲寅)      2514 / 1854
万延元年(庚申)      2520 / 1860
文久元年(辛酉)      2521 / 1861
元治元年(甲子)      2524 / 1864
慶応元年(乙丑)      2525 / 1865
明治元年(戊辰)      2528 / 1868
大正元年(壬子)      2572 / 1912
昭和元年(丙寅)      2586 / 1926
平成元年(己巳)      2649 / 1989


私用
http://studorm.ntou.edu.tw/Student/index.asp


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声優

2005/08/26