2006/12/09

星の鼓動は愛

2006-12-09-土 身をしらで人を恨むる心こそ散る花よりも儚かりけれ

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うむ、『星の鼓動は愛』のラストですが...悪くないけれど、TV版派です。私は...
そして、最初は収録すると思った『永遠のフォウ』が無かったんですね。富野監督の「永遠のフォウは島津さんです。」というコメントとは関係有るのかな?どころで、金髪さんの声優が「井上瑤ライブラリー出演)」*1と書いたところに感慨が...苦言とはいえ、エンディングテーマがちょっとうるさいと感じますな。ファーストエンディングテーマはどっちも好みなのに...ラスト変更により「MKIIか、あなたもアーガマに帰りたいよね...」というセリフが消されてしまったのが個人的惜しい...
ちなみに、ファーストガンダムのCST解説書には「『哀戦士』とは私の造語である。戦争が遭う時、愛戦士なんでありえない...」と言っていたんですね、富野監督は。また「安易に『愛』という言葉を使わないでくれ」とも言ったはずだった。今度は『愛』を取り上げることに気になります。(個人記憶によりますから、色々ご勘弁下さい。)



菅家文草
http://applepig.idv.tw/kuon/furu/text/waka/kanke/bunsou/bunsou.htm
460 九日侍宴,同賦菊散一叢金,應製
    不是秋江練白沙 黄金化出菊叢花 微臣把得篇中滿 豈若一經遺在家

大日本史歌人
http://applepig.idv.tw/kuon/text/dainihonsi/dainihon.htm
 藤原敦賴,內大臣高藤之裔,治部丞清孝子。仕崇德朝,為從五位上左馬助。【尊卑分脈。】保延四年,為馬寮使。舊例事竣,給手振裝束於馬部等。敦賴收取不畀,紿曰:「此假貸之物也,他日當給其真。」後馬部屢請,敦賴終不與。馬部等大怨。明年,為齋王次第使。過一條大宮。馬部數十人急突至,極口罵責,禠其衣冠襪帶。敦賴裸體而逃走。時有裸馬助之語。【古事談。】後薙髮,號道因。【古今著聞集。】平素潛心和歌。年及八十,每月徒步詣住吉社,祈得秀歌。有和歌會,則以其老而聾,常逼講師而坐,傾聽不倦。其篤志如此。藤原忠實嘗召鏡邑傀儡師觀其技。傀儡師偶謳源俊賴所作和歌。俊賴在座,聞而忻然。時人艷羨焉。僧永綠欲得名於世,賂瞽者以謳己歌。敦賴亦屬瞽者,不賂遺而責其謳,為世所蚩笑。藤原俊成奉敕撰千載和歌集。時敦賴已歿,俊成追感其勤苦,採其歌十八首。後夢敦賴來謝,俊成為之又收二首。【鴨長明無名抄。】


*1:参考:《ちょっち意表を突かれたのは、セイラ井上遙さんの声が使われていたこと。ラスト近くでカイ・シデンと会うのですが、「あ、済みません、わざわざ」という一言が、ファーストガンダムの1シーンから抜粋されて使われていました。ファーストをご存じの方、覚えていますか? テキサスコロニーで再会した後、キャスバルアルテイシア宛に金塊を残していきます。個室にブライトを呼び出したセイラは、ブライトに金塊を渡して「みんなで分けてくれ」と伝えます。このとき、個室に入ってきたブライトセイラが掛けた最初の一言が「あ、済みません、わざわざ」という台詞でした。改めて井上遙さんのご冥福をお祈りします。》http://kyao.exblog.jp/3656537/
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2006-12-08-金 春来ればあぢ潟の海一方に浮くてふ魚の名こそ惜けれ

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菅家文草
http://applepig.idv.tw/kuon/furu/text/waka/kanke/bunsou/bunsou.htm
459 清明日,同國子諸生,餞故人赴任,勒雲分薰三字之作
    一時瞻望四方雲 相送行行遠近分  每過清明新燧火 芳聲將與百花薰

大日本史歌人
http://applepig.idv.tw/kuon/text/dainihonsi/dainihon.htm
 藤原通俊,太宰大貳經平次子。【公卿補任。】才兼和漢,深達政理。應德二年,太宰府言:「筑後國高良上宮石硯并高座階生瑞華。」事下公卿,通俊議曰:「智覺禪師感通斌所載,非唯異花之生高座四角,兼有白蓮之發右手五指者。雖然此非自然之瑞,特彰其法之妙而已。今高座石硯無故生花,亦足以為嘉瑞。按寬和中信濃國獻白雉,時議者曰:『凡瑞以合方色者為正。』據此則縱為嘉瑞,當詳方色而推休咎爾。」凡每預大議,持論精確,明辨有條理,皆此類也。【史官記。】白河帝最重其才,與大江匡房並稱為近古名臣。【古事談。】通俊素以長於和歌自負,與源經信、大江匡房等屢相論難,而忌其才勝己,欲撰集以擅名一時。故奏請撰拾遺集以後和歌白河帝素有志于此,未及發。見其奏,大喜許之。通俊雖奉敕,而職務繁密,經數年而始成。名曰後拾遺和歌集。又作續新撰和歌集。【八雲御鈔。】官至權中納言從二位。康和元年,薨。年五十三。【本朝世紀公卿補任。○尊卑分脈作五十七者,蓋誤。】養中納言藤原保實子定通為子。定通,康和初為右少辨,七日而卒。世呼曰七日辨。【尊卑分脈。】

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