2006/12/19

藤乃静留会長、誕生日おめでとう!

2006-12-19-火 月入り人は出でなばとまりゐて獨や我が空を眺めむ

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実験

菅家文草
http://applepig.idv.tw/kuon/furu/text/waka/kanke/bunsou/bunsou.htm
470 新泉之二絕 其一
瑠璃地上水潺湲 遮莫銀河在碧天 觸石秋聲如讀誦 暗知泉眼遂無眠

大日本史歌人
http://applepig.idv.tw/kuon/furu/text/dainihonsi/dainihon.htm
 定家,治承、壽永間,進敘正五位下。【公卿補任。】文治元年,於殿上與源雅行忿爭,用燭批其頰,坐除籍。【玉海。】父俊成深憂之,作歌寓其意。後白河法皇聞而憫之,尋復本位。【千載和歌集、十訓抄。】五年,除左近衛少將,歷兼因幡、安藝權介,敘正四位下。建仁中,任左近衛權中將,兼美濃介。【公卿補任。】定家夙以和歌發名,【僧西行定家書、宮河歌合跋、清案抄。】後鳥羽上皇嘗召詣小御所和歌,面諭曰:「延卿至此,朕之待卿為不菲矣。宜罄盡底蘊,無所遜避。如知而不言,則非朕召卿本意。」定家深感其知遇。【明月記。】元久初,上皇敕與源通具藤原有家‧家隆、雅經,撰新古今和歌集,【參取本書續、明月記、八雲御抄、東鑑。】每部皆冠以古人歌。上皇致以定家、家隆等所作寘部首,世榮之。承元初,上皇令當時名於和歌者,作最勝四天王院障子名所歌,上皇躬簡定。定家所作,多被採用。【明月記。】建曆元年,敘從三位。建保中,任參議,為治部卿,進正三位。尋遷民部卿。貞應元年,辭參議。安貞元年,進敘正二位。定家性頗競躁,急於進取。素負才氣,常嘆不遇,怨懟之言,屢見於歌詠。【明月記、藤川百首。】父俊成終於三位,及定家超敘正二位,乃大悅曰:「人臣之極位,何幸及之乎。」【明月記。】貞永元年,任權中納言,尋授帶劍。【公卿補任。】後堀河帝,敕撰新敕撰和歌集。【本書序、敕撰次第、八雲御抄。】是時,帝有禪位之意。定家知之,欲急成編,用力甚勤,書成奏之。【增鏡。○明月記文曆元年八月七日條曰,撰集未成卷軸,而遭大喪。命其志違,留稿無益。敕撰愚艸二十卷,舉面焚于中庭。按,撰集本出于詔旨,非可以私焚者,事甚可疑。且新撰和歌集序亦曰,是歲奏之。故今從本書說。明月記貞永、文曆間殘缺不完,今無所攷。】天福元年,祝髮改名明靜。仁治二年,斃。年八十。世稱京極中納言。【公卿補任。】
 嘗設草堂于嵯峨小倉山,以為息遊之地,時或住居焉。【明月記、續古今和歌集、風雅和歌集。】定家頗涉獵史傳,又能詩。【明月記。】而和歌之才,得之天資。縱橫馳騁,曲盡精微。且家學有淵源,奧義祕說,無所不究極。【正徹物語古今和歌集童蒙抄。】其在家作歌,必洞開南面,令可遠望,而整襟端端坐曰:「平常於清肅中習之,則雖在至尊之前,不至失措。」【正徹物語。】又曰:「凡臨作和歌,先詠『故鄉有母秋風淚,旅館無人暮雨魂,蘭省花時錦帳下,盧山雨夜草菴中』句,則意格自高妙。」其用心之勤類如此。【清巖茶話。】方此時,諷詠大興,作者輩出,然定家視之蔑如。嘗贈書藤原良經曰:「如藤原季經,何足與論和歌。」季經見之大怒,因源通親讒之後鳥羽上皇,以故被疏斥云。【參取明月記、後鳥羽帝口傳。】上皇嘗曰:「定家才學莫匹,然心術頗不正。至有所推獎,則不能無私。且高自標置,藐視一世。人或稱其歌,而如非得意之作,則忿然見於色。」又曰:「定家之歌,非人之所能模仿。何則專尚流麗,不主意味。蓋彼以逸群之才,巧於結構,是以克濟其美。如使骨力輭弱者為之,則索然無味也。」【後鳥羽帝口傳。】定家嘗撰自天智帝至當時作者凡一百人和歌各一首,書以與人。【明月記。】世謂之百人一首。其他所著,有詠歌大概、秀歌大體、萬時顯注密勘、每月鈔等書。【參取正徹物語古今和歌集童蒙抄、耳底記。○按未來記、雨中吟、三五記、僻案抄等書,或以為定家所著,蓋皆係假託贗作,故今不取。又按和海抄云,定家源氏物語中難讀者為注解,號曰奧入。仁和寺書籍目錄云,奧入藤原伊行所著,定佳作之注,未知孰是。】家集曰拾遺愚草,【東常緣文書。】日錄曰明月記,【明月記、正徹物語。】今行于世。子為家。【尊卑分脈。】

■発売まで1週間を切った「戦国ランス」とら本店には上杉謙信(仮想と現実の真ん中あたり
http://www.akibablog.net/archives/2006/12/1_51.html
MSN Messengerリストを見ると、やっぱり「戦国ランスプレイ中の知人が多数います。
同じ絵柄のグッズを神無さんから譲るように打ち合わせたのですが、まだまだ実行しません。


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2006-12-18-月 名に高き姥捨山も見しかども今夜ばかりの月はなかりき

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菅家文草
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469 奉感見獻家集之御製,不改韻,兼敘鄙情。一首
反哺寒烏自故林 只遺風月不遺金 且成四七箱中卷 何幸再三陸下吟
犬馬微情叉手表 冰霜御製遍身侵 恩覃父祖無涯岸 誰道秋來海水深

大日本史歌人
http://applepig.idv.tw/kuon/furu/text/dainihonsi/dainihon.htm
 僧寂蓮。俊成弟僧俊海,俊海子定長。【尊卑分脈。】幼有俊才,俊成養為子。任中務少輔。及定家生,避而為僧,改名寂蓮。以善和歌稱于世。是時,僧顯昭亦以和歌自負,與寂蓮友善。顯昭學誠優博,而才思少不逮。寂蓮雖無文學,而特造妙。顯昭曰:「和歌於藝,要非至難者也,寂蓮不學而猶能之。」寂蓮曰:「天下之難者,無過和歌。顯昭博學,猶且不能也。」顯昭不能答。【兼載雜談。】定家素重其歌。及歿,甚憫惜焉。【明月記。】

■発売まで1週間を切った「戦国ランス」とら本店には上杉謙信(仮想と現実の真ん中あたり
http://www.akibablog.net/archives/2006/12/1_51.html
MSN Messengerリストを見ると、やっぱり「戦国ランスプレイ中の知人が多数います。
同じ絵柄のグッズを神無さんから譲るように打ち合わせたのですが、まだまだ実行しません。


satobo_77satobo_77 2006/12/27 22:39 こんにちは。初めまして。さとぼと申します。

笙のルーツを探しておりまして,こちらへ辿り着きました。

漢字が多くてかなり読むのが困難なサイトに思われましたが,こちらの夢の大きさを考えますと,頑張って質問してみようかなと。

実は,笙の祖先と思われるカンボジアやタイのケーンという楽器のリードは竹で作られたのではと言う仮説を立てたのです。

竹の多い地域ですので,金属が発明される以前からリードが作れたとすると,非常におもしろいのではと考えたのです。

體源鈔という本に,リードは竹で作られたという記述があるという情報を入手しました。

本当でしょうか?體源鈔という本を読める知識がありません。もし知っていたら教えてください。

突然の質問,お許しください。

さとぼ

http://satoso.seesaa.net/
http://satoso.seesaa.net/article/29683135.html

kuonkizunakuonkizuna 2006/12/28 00:25 さとぼ様:
始めまして、浦木裕です。生憎、最近はあまり時間がないので、詳しく答えることは出来ないと思います。その上に、この辺についてあまり詳しくないから、役に立たない可能が高いと思います。

體源鈔は以下のページで御覽になれます。(ページ36以降。)
http://archive.wul.waseda.ac.jp/kosho/bunko08/bunko08_b0041/bunko08_b0041.html
この辺はダウンロード済みで、時間が有れば調べてみます。

中国では周朝の文献でさえその記録を見られることから察すると、笙のルーツは恐らく酷く古いなのだと考えられます。事実、神話人物として女媧が笙の創造者である、という説話もあります。
http://art.tnnua.edu.tw/ethnomu/room_gg3.htm

では。

kuonkizunakuonkizuna 2006/12/28 01:05 残念だけど、まだまだ『體源鈔』でリードについての記述が発見しませんのです。但し、竹、あるいは竹の膜でリードを作ることが十分可能だと思います、
http://suona.com/instr/ph20011022b.htm

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