2006/12/31

韴靈一名佐志布都神,又名甕布都神,後藏之石上神宮云。

2006-12-31-日 恨めしく歸りける哉月夜には來ぬ人をだに待つとこそきけ

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修羅場

菅家文草
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482 九月十日
去年今夜侍清涼 秋思詩篇獨斷腸 恩賜御衣今在此 捧持每日拜餘香
清涼:御在所殿名。
秋思云云:敕賜秋思賦之。臣詩多述所憤。
捧持云云:宴終晚頭賜御衣。今隨身在笥中,故云。

大日本史
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  熊野高倉下。【舊事紀載,初名天香語山命,一名手栗彥命。宇摩治麻治異母兄。據本書及姓氏錄,天香語山命則火明命之子,而尾張連之遠祖也。舊事紀已混火明、饒速日為一,故亦附會耳。今不取。】紀伊熊野邑人。神武帝東征至熊野,誅丹敷戶畔。時中妖神毒,眾咸迷倒,無能起者。【按古事記有大熊髮,蓋此所云妖神也。】高倉下夢天照大神,【古事記以為夢天照大神高木神。】謂武甕雷神曰:「葦原中國猶聞喧擾之聲,汝往征之。」武甕雷曰:「予雖不自往,而降予平國劍。【古事記做刀,下傚此。】則國自平矣。」大神曰:「善。」武甕雷乃謂高倉下曰:「我有劍,名韴靈。今置之汝庫中,宜取而獻之天孫。」高倉下唯唯,既而驚悟。明旦,入庫而視,果有劍倒植。即至軍而獻。時帝適寐,及其至忽然而寤,眾亦尋起,妖神悉伏。【日本紀。舊事紀曰,帝嘉之,命為侍臣。】韴靈一名佐志布都神,又名甕布都神,後藏之石上神宮云。【古事記。】

■SEXUAL HARASSMENT
http://www.im.tv/vlog/personal/520785/920055
UNATTRACTIVEを「ヲタヲタしい」に訳することに笑った。

■始末記
http://applepig.idv.tw/kuon/furu/explain/column/miko/fuku/pr/simatu.htm
書いてます。


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2006-12-30-土 心みに他の月をも見てしがな我宿からの哀なるかと

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相変わらず修羅場

菅家文草
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481 九月九日口號 五言。
一朝逢九日 合眼獨愁臥 菊酒為誰調 長齋終不破

大日本史
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 弟猾,菟田縣人也。與兄兄猾,共為縣之魁帥。戊午歲,神武帝至菟田下縣,遣使招之。而兄猾不來,竊圖作難。【古事記曰,千遣八咫鳥,問二人曰:「今天神子行幸此地,汝等能仕否?」兄猾以鳴鏑射之。】弟猾即至,具言其狀。帝使道臣誅之。弟猾獻牛酒,犒王師。帝乃作歌,所謂來目歌是也。時群虜未平,據守要害,道路不通。帝患之。夜夢天神告曰:「取天香山土,以造天平瓫八十枚、及嚴瓫,敬祭天神地衹。又為嚴咒詛,如此則虜自平矣。」帝異之,將從夢兆,會弟猾奏曰:「磯城邑磯城八十梟帥、高尾張邑赤銅八十梟帥,【舊事紀銅作鯛。】皆欲距戰,臣竊憂之。今當取天香山埴,造天平瓫,用祭天社國社,而後擊虜,則易除也。」帝甚喜,乃使弟猾與椎根津彥,往取天香山土。時賊兵填路,弟猾等變服潛行,遂得土而還。帝即位,以功封猛田邑,為猛田縣主。【日本紀。】



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2006-12-29-金 いかなれば待つには出る月なれどいるを心に任せざるらん

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相変わらず修羅場

菅家文草
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480 開旅雁 七言。
我為遷客汝來賓 共是蕭蕭旅漂身 敧枕思量歸去日 我知何歲汝明春

大日本史
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 椎根津彥,【古事記椎作槁。】一名神知津彥,【姓氏錄。】初名珍彥。神武帝東征至速吸門,有漁人乘艇而至。【古事記曰,槁根津彥乘龜為釣,來遇于遠吸門。】帝召之問曰:「汝為誰?」對曰:「臣乃國神,名珍彥。釣魚曲浦,聞天神之子至,故即奉迎。」帝又問曰:「汝能為吾鄉導乎?」曰:「能之。」乃付之椎槁,令執其末,引入御船,命導海路。特賜名椎根津彥。戊午歲,帝進軍至菟田,八十梟帥及兄磯城等兵,各據要害。時帝因夢兆,欲取天香山土,作天平瓫、嚴瓫,而祭神祇以平虜。然虜眾充塞,道路難通。乃使椎根津彥弊衣蓑笠,裝作老翁狀,弟猾被箕作老嫗,而命之曰:「汝二人宜登天香山,潛取其頂上土來。基業成否,將以汝卜。勉之。」椎根津彥臨行自祝曰:「我皇可能定此國,行路自通。如其不能,賊必拒絕。」言終直去。虜眾見而醜笑之,相避使去,二人終得土而還。帝大悅,作平瓫、嚴瓫祭神,然後親勒兵而出。先斬八十梟帥,大舉遂征磯城。弟磯城歸順。兄磯城等不敢降。於是,椎根津彥獻策曰:「今先遣我女軍,出自忍坂道。彼必挺銳而赴。吾別馳勁卒,向墨坂,用菟田川水,灌滅其熾炭。忽然出其不意,破之必矣。」帝然之。乃出女軍當之,虜果謂大兵已至,畢力相持。既而男軍自墨坂出其後,夾擊破之,斬兄磯城等。及帝即位,論功為倭國造。【日本紀。】



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2006-12-28-木 君待つと山のはいでゝ山の端にいるまで月を眺めつる哉

[]雨格子の館発売日決定 雨格子の館発売日決定を含むブックマーク 雨格子の館発売日決定のブックマークコメント 編集CommentsAdd Star

http://fog.nippon1.jp/news/index.html
2007/03/08。まだ紹介ページを作る暇が取れませんよ(涙)


太陽の牙
http://www.youtube.com/watch?v=-Lz7XLwu10w
Youtubeでは色々問題もありますが、青春を偲ぶことに価値があると思います。


菅家文草
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479 讀開元詔書 五言。
開元黃紙詔 延喜及蒼生 一為辛酉歲 一為老人星
大辟以下罪 蕩滌天下清 省循優壯力 賜物恤頹齡
茫茫恩德海 獨有鯨鯢橫 此魚何在此 人導汝新名
吞舟非我口 吐浪非我聲 哀哉放逐者 蹉跎喪精靈
獨有云云:具見于詔書。

大日本史歌人
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 卜部兼好,神祇大副兼茂曾孫也。居吉田。【卜部系圖。】兼好幼而聰悟,好讀老莊之書,有文才,善和歌,【徒然草。】兼工書。【太平記。】仕後宇多帝,任左兵衛,稍被親昵。帝崩,兼好剔髮入修學院。【參取卜部系圖、正徹物語吉野拾遺。】後遊木曾,愛其山水,結廬居焉。一日國守帥眾獵其地,兼好厭其喧擾,賦和歌曰:「此處も又,憂き世なりけり,他所ながら,思ひしままの,山里もがな。」乃還鄉里,歌詠自娛。【吉野拾遺。】常自謂曰:「燈下讀書,尚友古人,樂莫過焉。」【徒然草。】當時公卿大夫皆愛其為人,與之遊者甚多。【正徹物語、兼好歌集。】兼好嘗為高師直作書,挑鹽冶高貞妻。妻不從,師直怒而絕之。諭者以此少之。【太平記。】嘗卜葬地於雙岡而樹櫻花,因作和歌曰:「契り置く,花と並びの,岡の邊に,憐れ幾世の,春をすぐさむ。」【兼好歌集。】所著有徒然草及歌集,今行于世。【徒然草、兼好歌集】死,無子。其侍童有命松麻呂者,傳兼好業,善和歌。後薙髮,今川貞世,居鎮西。【落書露顯。○文祿清談曰,命松丸薙髮著書,引和歌記時事。今按松翁者著吉野拾遺,而清談索引全與拾遺合。拾遺曰,余與兼好有舊好。則松翁蓋命松丸也。】

■体源抄
講筵音取式 笙
式の第一段の終に、合竹の音取を吹くべし。第二段には一竹を音取べし。其以後の段段之を吹くべし。南都の管絃者毎度之を音取す。當上當下の伶人は只一二段に過べからず。
合竹
http://www.waternet-sound.com/knowledge/syou.html
音取
http://www.terakoya.com/gonshiki/gagaku/kaisetsu.html
現代語訳すると...多分こうなると思いますが...保証しませんよ。
音取式の第一段の最後に、合竹の音取を吹くように。第二段では一竹を音取するように。その以後の段々、これを吹くように。南都の管絃は毎度これを音取する。当上当下の伶人達はただ一、二段だけでいい、それ以上過ぎないように。
この分では簧片のことをまだ述べないよね...

クリスマス中止?
http://vbb.acg-dream.com/moeba/src/1167092266119.jpg
内容は兎も角、オッサン格好いい!!

■欲しかったダンクーガはこれじゃない
http://dancouganova.com/index.html
やっぱり80'sの雰囲気こそマイブームかな...

2006/12/27

『戦国ランス』上衫謙信タペストリー

2006-12-27-水 行く人も天のと渡る心地して雲の波路に月を見る哉

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月曜日の事ですが...学部MATLAB講義助教をしてますが...
教えっ子には日本人*1が居ただけに留まらず、女子全員*2が殆ど漫画好き(多分腐(ry... )でアニメイト存在(やっぱり腐(ry... )を存知するらしい...その内にコスプレをしているレイヤーも居た...(間違いなく腐(ry... )見事毒されましたね...台湾が。ニッポンよ、謝罪するように訴えっていいよね?


菅家文草
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478 不出門 七言。
一從謫落在柴荊 萬死兢兢跼蹐情 都府樓繞看瓦色 觀音寺只聽鍾聲
中懷好逐孤雲去 外物相逢滿月迎 此地雖身無撿絮 何為寸步出門行

大日本史歌人
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 僧淨辨,不詳其姓氏,敘法印。學和歌藤原為世,與頓阿相講習,為世所重。【參取草庵集、和歌不審、清巖茶話。】
 慶運,淨辨子也。【作者部類。】敘法印。【草庵集、作者部類。】與父齊名。【正徹物語。】正平中,後光嚴院使藤原為定撰新千載和歌集,【敕撰次第、園太曆。】採慶運歌四首。慶運大悅,詣為定謝之。後聞收頓阿歌十餘首,心不平之,竊刪去己歌而不存焉。慶運常自嘆不運,臨死收其歌稿而痤之。【私語抄。】有子曰慶孝,亦善和歌

■ためになるセリフ集。
http://yamato.yoused.jp/SDATA1.HTM
http://www.globetown.net/~makun/gundam/gundam.html
他にはまだいろいろあるんだ。


*1:小さい頃から台湾に住み込んだため、名前以外日本人らしくないのだが...
*2理系だから多くない、4、5人位。
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2006-12-26-火 寂しさに家出しぬべき山里を今宵の月に思ひ留まりぬ

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本当は神無さんが注文したのですが、金が足りなくで私に譲りました。
また:

宗像教授異考録3


菅家文草
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477 詠樂天北窻三友詩 七言。
白氏洛中集十卷 中有北窻三友詩 一友彈琴一友酒 酒之與琴吾不知
吾雖不知能得意 既云得意無所疑 酒何以成麴和水 琴何以成桐播絲
不須一曲煩用手 何必十分便開眉 雖然二者交情淺 好去我今苦拜辭
詩友獨留真死友 父祖子孫久要期 只嫌吟味涉歌唱 不發于聲心以思
身多忌諱無新意 口有文章摘古詩 古詩何處閑抄出 官舍三間白茅茨
開方雖窄南北定 結宇雖疏戶牖宜 自然屋有北窻在 適來良友穩相依
無酒無琴何物足 紫燕之雛黃雀兒 燕雀殊種遂生一 雌雄擁護遞扶持
馴押撓香散華處 不違念佛讀經時 應感不嫌又不厭 且知無害亦無機
喃喃嘖嘖如含語 一蟲一粒不致飢 彼是微禽我儒者 而我不如彼多慈
尚書右丞舊提印 吏部郎中新著緋 侍中含香忽下殿 秀才翫筆尚垂帷
自從敕使駈將去 父子一時五處離 口不能言眼中血 俯仰天神與地祇
東行西行雲眇眇 二月二月日遲遲 重關警固知聞斷 單寢辛酸夢見稀
山河邀矣隨行隔 風景黯然在路移 平致譎所誰與食 生及秋風定無衣
古之三友一生樂 今之三友一生悲 古不同今今異古 一悲一樂志所之

大日本史歌人
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 藤原貞宗,二階堂行政之後也。【尊卑分脈。】父光貞,下野守。【作者部類、二階堂系圖。○尊卑分脈光貞為貞宗弟、誤。系圖一說貞宗為仁譽子,而草庵集則謂仁譽為先師,概以薙染傳法脈,而誤為父子也。兼載雜談等為師實後,蓋亦以其詠歌傳二條家法,而誤之為子孫也。】少居延曆寺,略通佛氏學,薙髮號泰尋。又往高野山,更號頓阿,或感空。【二階堂系圖。】後住京師,【參取草庵集、園太曆。】工和歌,兼能書。【園太曆。】嘗從藤原為世學和歌,獲其奧義。及為世薨,歎:「世無知己者。」不復作和歌。光嚴院素愛頓阿歌,惜其廢之。命關白良基獎諭勉勵。【續草庵集。】良基舉歌體數事問之,錄其所解釋,名曰愚問賢註。【愚問賢註跋。】花園上皇撰風雅集,欲載其詠雪歌,為改數字,使人諭之。頓阿固辭曰:「山僧之意,與御批異。願無採焉。」上皇聽之,更擇他歌。其以和歌自負如此。【東常緣聞書。】晚節聲名甚盛,【清巖茶話。】最為足利尊氏所禮遇。每有和歌會,未曾不預焉。【草庵集、兼巖雜談。】正平中,後光嚴院使藤原為明與頓阿,共編新拾遺和歌集。未就而為明卒。其戀部以下,頓阿所獨撰也。時卜部兼好,及淨辨、慶運,以和歌與頓阿並稱,世謂之四天王。頓阿嘗與兼好慶運等會作和歌,探題各賦六首。頓阿偶有故歸家,開題一見而直出,慶運密換以己題。頃之頓阿至,構思既成,援筆欲書,皆非前題。然從容無怪色,別賦六首,歌皆絕佳。滿座相顧,以為不可及也。慶運曰:「吾向不為戲,安得見其絕技邪?」其敏捷率此類也。【正徹物語。】頓阿以風流自尚,號其所居曰葵花園。春時延公卿縉紳,以詠吟唱和。或卜居東山,又慕僧西行事蹟,居雙林寺,皆有泉石花木之勝。【草庵集、續草庵集。】文中元年,死。年八十四。【後深心院關白記、東常緣聞書。】所著有清案抄,【清案抄。】及草庵正續二集,為時人所稱。【續草庵集。】
 子經賢,【作者部類、正徹物語。】權大僧都、【作者部類。】法印。【正徹物語。】孫堯尋,權大僧都,【異本系圖。】並善和歌。【作者部類。】堯尋子堯孝,繼父祖業,其名最顯,為權大僧都、【參取康富記、異本系圖。】法印。永亨中,權中納言藤原雅世撰新續古今和歌集,堯孝為和歌所開闔。【東常緣聞書。】





fot7777fot7777 2006/12/27 03:04 謙信かわいいよ謙信、今うちの主力としてがんばってくれてます^^
そのうち謙信主役でも一本書いて見るつもりです

kuonkizunakuonkizuna 2006/12/27 09:40 見事なバカップルになってしまたのね...
個人的に本当は前評判の方が高いのですが...黒髪ロングなら許されます。(おい)
戦姫の方も好きですよ。それに、風華も悪くない。
ランスがあまり好きにならないけど...「最初は極悪人だと思うけど、そうでないらしい...まぁ、どっちにしろ、善人でないのだと確定できます。」に思わず頷いたのですが...

fot7777fot7777 2006/12/27 10:37 個人的には今回、謙信・鈴女・政宗がベスト3かなと思っとります(ぇ
ランスについてはいつもとおり、まあ子供ですねあれは、かわいいものですw
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2006/12/25

隈も無く信太の森の下晴れて千枝の數さへ見ゆる月哉

2006-12-25-月 隈も無く信太の森の下晴れて千枝の數さへ見ゆる月哉

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菅家文草
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五言自詠
離家三四月 落淚百千行 萬事皆如夢 時時仰彼蒼

大日本史歌人
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 藤原家隆,中納言光隆子。【公卿補任。】幼而穎敏,後鳥羽帝稱為奇才。【清巖茶話。】學和歌藤原俊成俊成曰:「此子每見我質問,不事疑難,而切問作者要旨。後來必為歌仙。」後果以和歌大著于世,【參取清案抄、兼載雜談、清巖茶話。】與藤原定家並稱。【古今著聞集、十訓抄。】攝政良經嘗問曰:「當世歌人誰為第一?」家隆默不答。臨去,置懷中之帖而出。視之,定家之歌也。【十訓抄。○兼載雜談談此視為後鳥羽帝問。】及定家奉敕傳新敕撰集,採家隆歌最多。其相推許如此。【正徹物語、兼載雜談。】後鳥羽帝問良經曰:「朕欲學和歌,誰為師者?」良經薦家隆,且曰:「斯人,當世之人麻呂也。」【古今著聞集。】元久中,奉上皇敕撰新古今和歌集。【本書序、增鏡。】素為上皇所親昵。及上皇遷于隱岐,賜題作和歌,【增鏡。】家隆覃思篇詠,前後所作凡六萬首。【清案抄。】任宮內卿,至從二位。嘉禎二年,以病薙髮,更名佛性。明年,薨。年八十。【公卿補任。】世稱壬生二位。【十訓抄。】子隆祐,從四位下侍從,【尊卑分脈。】亦善和歌定家謂人曰:「隆祐壯年之作,其美幾及於父。至晚節,反不似其初也。」隆祐聞之怨曰:「然則何不採其壯時歌邪?」定家嘗謂家隆歌有家滅之徵,子孫果不榮。【清巖茶話。○本書云,三世而嗣絕。然尊卑分脈所載及其玄孫,故不取。】





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2006-12-24-日 板間より月の漏るをも見つる哉我宿は荒して住べかりけり

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菅家文草
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475 冬日感庭前紅葉,示秀才淳茂
山幕寒雲水結冰 在家一樹感難勝 茅蒐霜染憐無限 刀刃風裁惜不能
孤立如逢衣錦客 四分疑伴散花僧 菊枯蘭敗梅猶嬾 持興當追落葉凝

大日本史歌人
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 藤原為相。為相與兄為氏齊名。初父為家授和歌所邑二所於長子為氏,後失愛,為家奪之與為相,作文券為證。為家歿後,為氏、為相爭其邑。【冷泉家系圖。】為相母往嫌倉訴之,【十六夜日記。】遂為為相之有。至為氏子為世,又相爭。兩家之宰交訟。將軍守邦親王命北條高時等聽決,屬之為相。【冷泉家系圖。】官至正二位權中納言。嘉曆三年,薨于鎌倉。年六十六,號冷泉。子為秀,從二位權中納言。孫為尹,正二位權大納言。【公卿補任冷泉家系圖。】為氏、為相兄弟,各成一家,後世有二條、冷泉之別焉。母平氏初仕安嘉門院,號四條,又右衛門佐。削髮法名阿佛,【冷泉家系圖、正徹物語。】世稱北林禪尼。【冷泉家系圖。】能和歌,【作者部類。】所著有十六夜日記、夜鶴。【十六夜日記、夜鶴。】





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2006-12-23-土 澄み昇る月の光にさそはれて雲の上まで行く心かな

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菅家文草
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474 感吏部王彈琴,應制 一絕。
榮啟後身吏部王 七條絲上百愁忘 酒酣莫奏蕭蕭曲 峽水松風忽斷腸

大日本史歌人
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 藤原為世。正二位權大納言。【公卿補任。】奉後宇多上皇敕,撰新後撰和歌集、續千載和歌集。【尊卑分脈冷泉家系圖、敕撰次第、東常緣聞書。○增鏡為奉後醍醐帝敕撰續千載集。】撰集之日,每對客便求佳作。為藤疑之曰:「敕撰重事也,宜取其秀絕者。何必求之無名人?」為世曰:「歌若可採,雖非作家,亦當收載之。」嘗判父祖歌謂:「大父詞意幽玄,父義理深邃。皆難及焉。」【清案抄。】嘉曆四年,薙髮,法名明釋。【公卿補任冷泉家系圖。】延元三年,薨。年八十九。
 子為藤、為冬。為藤,正二位權中納言。【冷泉家系圖。】初醍醐帝敕為世撰集和歌,而以既奉進兩集,乞使為藤代奉詔。未及成,為藤薨。為藤嘗養兄子為定為子,於是詔使為定續成之,續後拾遺和歌集是也。【參取敕撰次第、尊卑分脈冷泉家系圖、增鏡。】後光嚴院亦使為定撰集,曰新千載集。【園太曆、敕撰次第。】為冬自有傳。<<





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2006-12-22-金 月清み田中に建てる假庵の影ばかりこそ曇なりけれ

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菅家文草
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473 九日後朝,同賦秋思,應制
丞相度年幾樂思 今宵觸物自然悲 聲寒絡緯風吹處 葉落梧桐兩打時
君富春秋巨漸老 恩無涯岸報猶遲 不知此意何安慰 飲酒聽琴又詠詩

大日本史歌人
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 藤原為氏。為氏,正二位權大納言。【公卿補任。】時世專尚連歌,為氏才思敏捷,能賦險題。自負以為足,誇示海外焉。奉龜山上皇敕,撰續拾遺和歌集。【尊卑分脈。】弘安八年,剔髮,更名覺阿。【公卿補任冷泉家系圖、尊卑分脈。】明年薨,年六十五。【尊卑分脈冷泉家系圖。】稱二條。【御子左冷泉系圖。○東常緣聞書、清案抄,並以為氏稱冷泉。】子為世。





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2006-12-21-木 世中をおもひないりそ三笠山さし出る月のすまむ限は

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菅家文草
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472 九日侍宴,同賦寒露凝,應制。一首
為霜為露一鴻鑪 應是重陽節不渝 唯有鷓鵠飛負葉 且無荊棘立垂珠
聲聲已斷華亭警 步步初驚葛屨濡 施與蒼生長壽藥 更凝思澤化醍醐

大日本史歌人
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 京極為兼。正應中,至從二位權中納言。尋進正二位。永仁六年,坐事流佐渡。嘉元元年,召還。延慶三年,任權大納言。【公卿補任冷泉家系圖。】正和二年,薙髮,更名蓮覺。【冷泉家系圖。】應長初,奉伏見上皇敕,撰玉葉和歌集。【伏見帝御記、冷泉家系圖、尊卑分脈、增鏡。】元弘二年,薨。【常樂記。】





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2006-12-20-水 池水に宿れる月はそれながら眺むる人の影ぞ変れる

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菅家文草
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471 新泉之二絕 其二
入寺新泉屬出家 感懷無數幾恒沙 西方若有多情者 應噵便栽佛種花
慰石庭之人也。

大日本史歌人
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 藤原為家。為家,年二十餘,未得和歌要領。定家數誚責之,為家甚愧,遂詣日吉社祈神助。忽有方寸紙飄然落其袖,視之有「道」字。為家大悅,以為靈貺。留宿七晝夜,作和歌一千首。及歸,定家、慈鎮見其歌,大稱許之。自是才思日進。【東常綠文書。○清案抄曰,為家自以為我歌甚拙,恐墜家聲,欲為僧晦跡,往日吉,以情告僧慈鎮。慈鎮問其年,達曰:「二十五。」慈鎮曰:「事未可知也。力學數年,無成而後遁世,亦未為晚。」為家感悟,歸家發憤,作千首和歌,五日而成。定家見而大韙之。自是覃思歌學,聲譽日盛,終為世宗師。】嘉祿初,補藏人頭,兼左近衛中將。尋任參議,進從三位。嘉禎中,任權中納言,敘正二位,兼民部卿。仁治二年,遷權大納言。【公卿補任尊卑分脈。】寶治中,奉後嵯峨上皇敕,撰續後撰和歌集。正元中,又撰續古今和歌集。【敕撰次第。】弘長中,又奉上皇敕,與藤原實氏、家良等,詠仙洞百首,名七玉集。【七玉集。】康元元年薙髮,更名融覺。世稱民部卿入道,又號中院禪門。建治元年,薨。年七十九。【參取尊卑分脈公卿補任冷泉家系圖、清案抄。】為家嘗誨人曰:「凡作和歌,如渡危橋。不可左右回顧。」又曰:「譬之作重塔,始自基址,必當留心下句。」【清案抄。】晚節懶思索,故常好作連歌。【小夜寢覺。○筑波問答為定家事。】兼能蹴鞠。後鳥羽上皇授以秘說。【遊庭祕抄。】龜山帝設蹴鞠會,為家預焉。特聽無紋薰革韈,時人榮之。【雲井春。】子為氏、為教、為相。為教,從二位右兵衛督,子為兼。【公卿補任冷泉家系圖。○按,為教者,藤原為家三子,而京極家祖是也。】