2006/09/08

歌人・邊見じゆんの『男たちの大和』

2006-09-08-金 谷川の岩間を分けて行水の音にのみやは聞かむと思ひし

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菅家文草
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373 賦葉落庭柯空 勒冬從龍松榕豐農重縫峰春慵蜂攻鐘衝濃。于時諸文人相招,飲于紀學士文亭。
    遇境幽人意 乘閑卒歲冬 庭承水氣靜 葉逐晚風從
    詎見桐棲鳳 誰聞竹嘯龍 囂塵先落柳 絕澗後凋松
    地脈生相寄 天姿勢不容 青苔隨徑合 白雪滿枝封
    案戶驚愁婦 窺園惱老農 飄飄依砌聚 片片擁堦重
    遂使輕紅滅 何教碎錦縫 破殘寒月鏡 來迫曉霜鋒
    燎照偷光手 沙穿散藥蹤 新賓詩秋積 逆旅醉鄉逢
    舉眼無疏蔭 迴頭只遠峰 形骸疲外役 夢想到高舂
    賞翫輸誠洽 攀援得力慵 星稀雖遶鵲 花嬾未期蜂
    觸感孤心苦 傷懷四面攻 欲催春管律 頻待夜更鐘
    分任循環運 年如轉轂衝 榮枯同物我 雨露為誰濃

経国集
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061 雜言,入山興 一首
 間師何意入深寒 深嶽崎嶇太不安 上也苦 下時難 山神木魅是為癉
 君不見 君不見 京城御苑桃李紅 灼灼紛紛顏色同 一開雨 一散風
 飄上飄下落園中 春女群來一手折 春鶯翔集喙飛空 君不見 君不見
 王城城裹神泉水 一沸一流速相似 前沸後流幾許千 流之流之入深淵
 不入深淵轉轉去 何日何時更竭矣 君不見 君不見 九州八島無量人
 自古今來無常身 堯舜禹湯與桀紂 八元十亂將五臣 西嬙嫫母支離體
 誰能保得萬年春 貴人賤人總死去 死去死去作灰塵 歌堂舞閣野狐里
 如夢如泡電影賓 君知否 君知否 人如此 汝何長 朝夕思兮堪斷腸
 汝日西山半死士 汝年過半若尸起 住也住也一無益 行矣行矣不須止
 去來去來大空師 莫住莫住乳海子 南山松石看不厭 南嶽清流憐不已
 莫慢浮華名利毒 莫燒三界火宅裏 斗藪早入法身里
空海 061

062 五言,孟蘭盆會悲感歸心 一首
 歸依三界主 景慕六通賢 拔苦覃窮地 酬恩達昊天
 花飄開法宇 香泛發飢脣 既請如來教 還休餓鬼神
 善哉為子道 拔苦遂安親
朝道永【朝原道永】 062

063 七言,三月三日於西大寺,侍宴應詔﹝高野天皇在祚﹞ 一首
 三昇三月啟三辰 三日三陽應三春 鳳蓋凌雲臨覺苑 鸞輿□日對禪津
 青絲柳陌鶯歌足 紅蘂桃溪蝶舞新 幸屬無為梵城賞 還知有截不離真
石宅嗣【石上宅嗣】 063

064 五言,於內道場觀虛空藏菩薩會﹝高野天皇在祚﹞ 一首
 鳳闕留仙影 龍墀演法音 是空神尚寂 即色理逾深
 夕梵聞雲嶺 朝鐘徹霧林 幸從無漏界 長絕有為心
淡三船【淡海三船】 064

065 五言,扈從聖德宮寺﹝高野天皇在祚﹞ 一首
 南嶽留殘影 東州現應身 經生名不成 歷世道彌新
 尋智開明智 求仁得至仁 垂文傳正法 照武掃凶臣
 茂實流千載 英聲暢九垠 我皇欽佛果 迴駕問芳因
 寶地香花積 鈞天梵樂陳 方知聖與聖 玄德永相鄰
淡三船【淡海三船】 065

大日本史・皇女伝
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【後白河】六女
 亮子内親王,從三位藤原成子所生也。【吉記、皇胤紹運録、皇胤系圖、今鏡。】保元元年,為内親王伊勢齋。三年,會帝讓位,竟不往伊勢。【一代要記、女院小伝。】永壽元年,以帝準母故,尊曰皇后。【一代要記、歷代皇紀、女院小伝。】及後鳥羽帝踐祚,亦為準母。【玉海文治三年,參取一代要記、女院小伝。】文治三年,上號曰殷富門院。【一代要記、歷代皇紀、女院小伝、後宮略伝。】建仁三年,薙髮為尼,【○帝王編年記作建久二年,後宮略伝建久三年。】法名真如觀。【女院小伝。○後宮略伝為真性理。】建保四年四月,崩。年七十。【仁和寺日次記、帝王編年記、女院小伝、後宮略伝。○歷代皇紀作年七十四。】葬于法金剛院東新御堂。【女院小伝。○仁和寺日次記為安井法華堂。】嘗創蓮花光院。【仁和寺諸堂記。】
 式子内親王,殷富門院母妹也。【一代要記、皇胤紹運録、齋院記、貴女鈔。】善和歌。【齋院記。○敕撰入集大凡百五十七首。新古今和歌集録其歌曰:「玉の緒たま をよ,絕たえなばたえね,ながらへば,忍ぶる事しの ことの,弱よわりもぞする。」】平治元年,為賀茂齋,【一代要記、歷代皇紀、齋院記。】準三宮。【皇胤紹運録、皇胤系圖、貴女鈔。】嘉應元年,以病辭職。【皇帝紀鈔、帝王編年記。】建久八年,坐藏人橘兼仲僧觀心事,當擯京外。置而不問。【皇帝紀鈔。】後薙髮,法名承如法。稱大炊御門齋院,【齋院記。】又高倉宮。【皇胤紹運録、皇胤系圖。】
 好子内親王,殷富門院母妹也。【皇胤紹運録、皇胤系圖。】保元三年,為内親王伊勢齋。【一代要記、帝王編年記、貴女鈔。内親王劇要記。】永曆元年,赴伊勢。【齋宮記。】
 休子内親王,殷富門院母妹也。【皇胤紹運録。】仁安元年,為伊勢齋。【一代要記、帝王編年記、貴女鈔。】三年,會帝讓位,罷。承安元年三月,薨。年十五。【一代要記。】
 惇子内親王,【皇胤紹運録、百鍊鈔、貴女鈔、今鏡。○一代要記惇作悰,歷代皇紀偅,帝王編年記淳。◎偅,本字心旁重字。】宮人藤原氏所生也。【皇胤紹運録、皇胤系圖。】仁安三年,為伊勢齋。【一代要記,帝王編年記、貴女鈔。】嘉應二年,赴伊勢。【一代要記、齋宮記。】承安二年五月,薨于齋宮寮。【百鍊鈔、一代要記。○歷代皇紀、帝王編年記為六月。】年十六。【一代要記。】稱堀河宮。
 親子内親王,從二位高階榮子所生也。【皇胤紹運録、百鍊鈔、女院小伝。】文治五年,為内親王,【女院小伝。】 準三宮。【一代要記、女院小伝、後宮略伝。】建久二年,進號宣陽門院,【玉海、一代要記、女院小伝。○簾中鈔為建久元年,誤。】給年官、年爵。【院號定部類記。】上皇特愛之,同居六條殿。【玉海、院號定部類記。】元久二年,薙髮,【明月記、歷代皇紀、帝王編年記、女院小伝、後宮略伝。】法名性圓智。【女院小伝、後宮略伝。】建長四年六月,薨于伏見殿。【百鍊鈔、一代要記。】年七十二。【一代要記、女院小伝。○後宮略伝作六十,誤。】



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2006-09-07-木 思兼ね今日たて初むる錦木の千束もまたで逢ふ由もがな

[]歌人・邊見じゆんの『男たちの大和』を讀んでゐます。 歌人・邊見じゆんの『男たちの大和』を讀んでゐます。を含むブックマーク 歌人・邊見じゆんの『男たちの大和』を讀んでゐます。のブックマークコメント 編集CommentsAdd Star

改作映畫でなければ、同邊見氏による映畫版小說でもない。當時の人々の追憶を纏めるノンフィクションである。作品といふより口述史といふべきかも。
邊見じゆんつて、かの角川書店初代目店長角川源義の娘で、現社長歷彥の姊になつたる。歷彥の兄こと『帝都物語』では救世主として捧げられた春樹を入れて、その角川一家が興味深い觀察對像にもなれます。流石時間がないので今度の機會に割愛させて頂きます。
この『男たちの大和』といふタイトルを見るたびに『右翼だ!』と呼ぶ人も見たこと有ります。まぁ、個人的は「見らう、あれはヤマト、男のフネだ!」といふ宇宙戰艦ヤマトの一シーンを思ひ出すのですが。(ちなみに、ヤマトは軍機扱ひなのであのシーンは相當なる無理があり、「ぢいちやん、軍事機密を良く分かつてますね!」とマニアックなファンに皮肉されたことも...)實際に見ると、『男たちの大和』は名前通り、「男たちの大和」である。かつヤマトを乘つた、また關はつた人々の、ヤマトに對した思ひ出、さういふノンフィクションである。
 どころで、面白いところが幾つもありますが、その一つを取り上げて紹介させていただきます。
佐藤といふ男は母と面會に來たといふ口實だけれど、實は女を買うために上陸して遲歸した話である。不味かつたことで、當日の當直將校は久邇宮殿下といふ大物であつた。「兵が一人、歸つて來てないがどこにゐる?」と久邇宮殿下が聞いた。甲板の內田がついさつき、騙されたことを知つたばつかりで、沈默したまま。
その内田に「脫走ではないか」と訊ねた久邇宮殿下。「佐藤は脫走ではございまさん。ちよつと一三丁目に參りまして、歸りが遲くなつてゐるのであります。」一三丁目といへば、大方の察しは付くと思ひ、居直つた。「一三丁目は何處だ?如何なる場所だ?」如何なる場所かと問はれて、流石の内田も平然と答へ難かつた。しかし、どうにも言ひやうがなく、「遊廓」だと答へた。ところが育ちの良い宮樣は「そこはどのやうな場所だ?」と重ねての質問になつた。内田は面倒臭くなつて「遊廓とは、男と女が牀を竝べ、子孫繁榮に勵む場所であります。」宮樣は顏を赤くされ、すつと行つてしまはれた。
いや、一三丁目は兎も角、遊廓を知らないとは...久邇宮殿下つて箱入りで世間知らず、いはゆるピュアピュアボーイなイメージがなんとなく大きくなるのは讀むとき素直の感想であつた。



菅家文草
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372 文章院,漢書竟宴,各詠史,得公孫弘
    六十初微八十終 官班博士遂三公 太常對策科為一 丞相招賢閤在東
    何忌牧童疲望海 不愁布被耐寒風 後生欲識才名貴 請見孫公我道通

経国集
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056 五言,歸休獨臥,寄高雄寺空海上人 一首
 三千二法界 一十三生死 空色將有無 俄頃復忽矣
 影花假艷嬌 風火期滅已 寵辱驚難息 是非紛易似
 聖人獨出鑒 獨臥白雲裡 忍鎧詎為穿 慧刀豈因砥
 五明探真密 七覺洎神理 護戒鵝淂性 依慈鴿知時
 垂蘿宜綴衲 盤木便憑几 野院醉茗茶 溪香飽蘭宦
 昔余深結義 自爾十餘紀 真諦憐俗物 緇衣交素履
 彌天許道安 四海慙鑿齒 幸遇滄浪清 濯纓欣貴仕
 榮華尚貪進 盈滿未能止 恩貸雖曲私 □庸虛忝揆
 勵鈆求一割 策駘思千里 日往月還來 慎終願如始
 歸休樂閑寂 在躁忘囂滓 披帙遊玄妙 彈琴翫山水
 寄言陵藪客 大隱隱朝市 偏將瓊琚報 投之以桃李
野岑守【小野岑守】 056

057 七言,南山中,新羅適者見過 一首
 吾佳此山不記春 空觀雲日不見人 新羅道者幽尋意 持錫飛來恰如神
空海 057

058 七言,過金山寺 一首
 古貇滿堂塵暗色 新華落地鳥繁聲 經行觀禮自心感 一兩僧人不審名
空海 058

059 七言,留別青龍寺義操阿闍梨 一首
 同法同門喜遇深 遊空白霧忽歸岑 一生一別難再見 非夢思中數數尋
空海 059

060 七言,在唐觀昶法和尚小山 一首
 看竹看花本國春 人聲鳥弄漢家新 見君庭際小山色 還識君情不染塵
空海 060

大日本史・皇女伝
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鳥羽】九女
 禧子内親王藤原中宮所生也。【中右記、歴代皇紀、帝王編年記。】保安三年,為内親王,【歴代皇紀一代要記。】敘一品,【中右記、皇胤系図。】,準三宮。【中右記、歴代皇紀。】長承元年,為賀茂斎。【歴代皇紀、貴女鈔。】二年九月,以疾辭職。【中右記、長秋記。】踰月薨。【一代要記、今鏡。】年十二。【○一代要記作年十四。今推生年從本書。】崇德帝為廢朝三日。【今鏡。】稱一品宮。【中右記、長秋記、貴女鈔。】
 統子内親王,初名恂子,【皇胤紹運録、紹運要略、女院小伝。○百鍊鈔、簾中鈔、今鏡,統子做綩子。紹運録一本,統子外別載詢子内親王,為待賢門院所生。然諸書無所見,故今不取。】禧子内親王母妹也。【帝王編年記、中右記、今鏡。】大治元年,為内親王。【女院小伝、今鏡。】二年,準三宮,為賀茂斎。【中右記、女院小伝。○貴女鈔、斎院記作三年,後宮略伝作伊勢斎,並誤。】長承元年,以疾辭職。【帝王編年記、女院小伝。】保元三年,以帝準母,尊曰皇后。【後宮略伝、今鏡。○女院小伝,為二條帝準母,誤。】平治元年,上號曰上西門院。【由槐記。】永曆元年,薙髮于法金剛院,【女院小伝、紹運要略。法金剛院據後宮略伝。○今鏡為二年事。】法名真如理。【皇胤紹運録、女院小伝、簾中鈔。○後宮略伝作金剛觀,誤。】文治五年七月,崩于六條院。年六十四。【帝王編年記、女院小伝、紹運要略、六條院據歴代皇紀。○皇紀作年六十五,後宮略伝六十一,並誤。】後鳥羽帝為廢朝三日。【百鍊鈔、園太曆貞和二年。】後白河法皇著喪服,踰旬不釋。攝政兼実諫曰:「」王者當絕傍朞。今陛下哀悼過禮,不接群臣,已經旬日,奏事壅滯。宜抑情節哀,以副在廷之望。」法皇從之。【玉海。】
 妍子内親王,宮人藤原氏所生也。【一代要記、皇胤紹運録、今鏡。】康治元年,為伊勢斎,【一代要記、帝王編年記。】準三宮,【皇胤紹運録。】後為尼。【今鏡。】應保元年十月,薨。【一代要記。】稱吉田斎宮。【一代要記、貴女鈔、今鏡。】
 叡子内親王藤原皇后所生也,【台記、皇胤紹運録、今鏡。】高陽院子養之。【台記、今鏡、十訓鈔。】保延二年,為内親王。【一代要記。】三年,準三宮。本封之外,加以千戶,任人賜爵,咸同先規。【夕拜至要鈔。】久安四年十二月,薨于高陽院。年十四。【台記、一代要記。高陽院據要記。要記作二月,今據台記訂之。】稱高陽院宮。【一代要記。】近衛帝為之廢朝。【台記。】
 暲子内親王,叡子内親王母妹也。【皇胤紹運録、今鏡。】保延四年,為内親王。【女院小伝。】上皇甚愛之,養於宮中。近衛帝為太子,暲子謂上皇曰:「若宮東宮,兒為東宮姊。」時暲子年甫三歲。上皇喜其聰慧,笑曰:「世豈有職名曰東宮姊者乎?」【今鏡。】久安二年,準三宮,【台記、女院小伝、後宮略伝。】給年官、年爵,本封外加千戶。【台記。】及近衛帝崩,上皇欲使暲子踐祚。關白忠通諫而止。【愚管鈔、古事談,參取今鏡。】保元二年,薙髮。【一代要記、女院小伝、後宮略伝。】法名金剛觀。【歴代皇紀、女院小伝、簾中鈔。○帝王編年記作金剛覺,女院小伝一說金剛性。】及二條帝立,為準母。應保元年,上號曰八條院。不為皇后而加院號,是為始。【女院小伝、今鏡。參取一代要記、皇胤紹運録。】建曆元年六月,崩。【百鍊鈔、歴代皇紀、女院小伝、後宮略伝。】年七十五。【女院小伝、後宮略伝。】篤信佛法,嘗創蓮花心院。【仁和寺諸堂記。】
 妹子内親王,【歴代皇紀、女院小伝、後宮略伝、紹運要略。○台記、簾中鈔做姝子。】初名壽子,【台記。】叡子内親王母妹也。【女院小伝、後宮略伝、紹運要略。】為二條中宮。【女院小伝、後宮略伝。】
 頌子内親王,【皇帝紀鈔、一代要記、帝王編年記、皇胤紹運録。○紹運録一說作瑱子。今鏡、皇胤系図項子。】宮人藤原氏所生也。【台記、皇胤紹運録、今鏡。】承安元年,為賀茂斎。【○皇帝紀鈔、一代要記。】八月,以病辭職。【皇帝紀鈔、帝王邊年紀。】承元二年九月,薨。年六十四。【百鍊鈔。】稱五辻斎院,【帝王編年記、百鍊鈔。】又春日姬宮。【今鏡、簾中鈔。】
 阿夜御前,【今鏡。】宮人紀氏所生也。【皇胤紹運録、今鏡、紀氏系図。】薙髮居雙林寺,【今鏡。】稱雙林寺宮。【一代要寄、皇胤紹運録、紀氏系図、今鏡。】
 高松宮,失名,宮人藤原氏所生也。【參取皇胤紹運録、帝王邊年紀、今鏡。○按今鏡有勢賀院姬宮、斎院姬宮,並諸書無所考。又按編年記載花園宮曰,為伊勢斎。而不書母氏及為斎年月。附以被考。】

紀子さま、男児ご出産 皇室に41年ぶり、皇位継承3位
http://www.asahi.com/national/update/0906/TKY200609060088.html
秋篠宮ご夫妻、臍帯血提供へ 「国民の役に立てば」
http://www.asahi.com/national/update/0907/TKY200609060545.html
眞子さま保管庫の場合
http://www.yuko2ch.net/mako/

ネギま!の由来・・?
http://kanon00.at.webry.info/200609/article_12.html

吉野家牛丼9月18日に1日限定で復活
http://gigazine.net/index.php?/news/comments/20060902_yoshinoya/

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