2005-03-31-木 菟道稚郎子、壹伎直真根子
■[趣味雑談]菟道稚郎子、壹伎直真根子 編集
菟道稚郎子 菊池容斎『前賢故実』より菟道稚郎子,應神天皇第六子也.性温仁好學,師阿直岐・王仁等.通達經典,立為皇太子.
即天皇崩,大山守反.皇太子兄-大鷦鷯尊知之,密告皇太子,以兵誅之.
既而,皇太子避之菟道,讓位於尊,曰:「大王仁孝,宜繼天位.且昆上而季下,聖君而愚臣 古今之常典也.大王勿疑.」尊曰:「先帝選立明徳,屬以天下.不可違也.」固辭而不受.互相讓,空位垂三年.貢獻者不知所適歸.
尊,執心益確.皇太子知志不可奪,遂自殺.尊聞之,驚馳至菟道,慟哭不自勝.
既三日,皇太子忽蘇,相語後事而遂瞑.葬菟道山.尊因即位,是為仁徳天皇.
『前賢故實』菟道稚郎子
壹伎直真根子 菊池容斎『前賢故実』より
壹伎直真根子.
應神天皇九年,武内宿禰在筑紫被讒,遣使賜死.武内仰天而嘆曰:「嗚呼!無罪而死乎!」
真根子説武内曰:「大臣誠忠,天下所共知也.今為大臣計之,當密詣闕,自明,必得昭雪焉.若猶不見察,則此未晩也.人言,僕貌肖大臣,請以身代.」即伏劍而死.
武内感愴慟哭,乃從其言,間行至京,以訴冤事.終得解.
『前賢故實』壹伎直真根子
今頃『前賢故実』を出版する会社は無さそうだし、しかも本当に出しても漢文の小伝が有ったがないか判らないね...
2005-03-30-水 王仁
■[趣味雑談]王仁 編集
時間が無いので、同じく既有ネタにします。m(__)m菊池容齋『前賢故実』より
【應神朝】王仁(わに)
王仁・阿直岐,并百濟人也.
初百濟王阿花失禮,應神天皇敕削封疆.阿花懼,使其子阿直岐,來朝謝罪,貢良馬.阿直岐素通經典,天皇使皇子稚郎子,從學焉.阿直岐更薦其國學士王仁.天皇徴之.
明年,阿花使王仁來,獻論語及諸書.無幾,阿花卒.敕遣阿直岐繼王位,複賜其所削地.
後天皇崩,皇太子知其兄大鷦鷯賢,以天位讓之.大鷦鷯固辭.相讓三年,太子決意自殺.群臣勸進,猶未聽.
王仁久在本朝,通國語,乃作梅花歌獻之.大鷦鷯尊於是初踐祚矣.
『前賢故實』王仁
色々な処が『日本書紀』の「王仁=應神」説がありますが、私はそう思ってない。
その原因は、『古事記』にも「王仁」についての記事がありますが、「和邇(わに)」と書ったのですから。
確かに、「王仁」は「オウジン」でも読みます。そこは「王仁=應神」説の支持者の立論になります。
が、しかし、万葉仮名を使う『古事記』には「オウジン」ではなく、「ワニ(和邇)」と書くのはおかしいじゃないか?
もっとも『日本書紀』より『古事記』の方はより読み方を重視してます。
ですから、「王仁」は「ワニ」と読むのは間違わないと思います。
■[趣味雑談]ギャルゲー大国? 編集
和歌山県 西牟婁振興局 観光PRホームページ(葉月銃久郎式奇天烈日報より)http://www.pref.wakayama.lg.jp/prefg/130600/cn/401.html
やっぱり、日本は、もう、駄目だかも...
多分、此方から言う資格がありませんけど...(色々な意味で)
追記、USOさんの27日の日記にもあったのですが、見過ごしました、失敗。
そういえば、大和町役所の22日の地震報告ページはこちら。(まほろたん関係の保管庫より)
http://www.saganet.ne.jp/yamato/main/toppicture/otayori4/otayori4.html
鯰魚、ですね。ちなみに、伝説で地震を起こす生物について、中国は地牛、ヨーロッパは巨人だった。
武甕槌神が鯰を制圧する図。(鹿島神宮)
前件と違って、此方のは完全公式のオリジナルキャラ。
例え市町合併としても、まほろちゃん、これからも頑張ってね!
URAKI@外部
2005/03/30 13:08
私用 http://140.121.125.146/auto/
2005-03-29-火 独歩天下、吾心自潔、無欲無求、如林中象。
■[趣味雑談]続く 編集
相変わらず、宿題をしています。(涙)追申、予想とおり、現代控制学の新しい宿題がでました。(死)
鶴ひろみさん、お誕生日おめでとう!
ちなみに、脳内にで万葉の声は鶴ひろみ@鮎川まどかVerです。
■[趣味雑談]祓戸四柱神 編集
時間が無いので、以前書いたものをネタにします。>祓戸四柱神とは、瀬津比咩神(せおりつひめのかみ)、速開都比咩神(はやあきつひめのかみ)、気吹戸主神(いぶきどぬしのかみ)、速佐須良比神(はやさすらひめのかみ)です。
この四柱神の名前は、祓詞に有りながら、記紀で見られません。
それは、祓詞の独創神ではなく、実は別の名を使ってるじゃないか。
『日本の神々の事典―神道祭祀と八百万の神々』では、以下の同神説を提倡します。
瀬津比咩神=八十枉津日神
速開都比咩神=速秋津日子・速秋津日売二柱神
気吹戸主神=日神直日大直毘神
速佐須良比神=須勢理毘売命
この件、 一部の引用出典は『倭姫命世紀』 です。
一つ、荒祭宮の条には:
八十枉津日神也.一名,瀬織津比咩神一つ、多賀宮の条には:
倭姫命世紀より
名-伊吹戸主,亦名-日神直日大直毘神,是也.参考、『倭姫命世紀』原文の電子テキストはこちらで。
倭姫命世紀より
http://applepig.idv.tw/kuon/furu/text/sintou_gobusyo/yamatohime01.htm
また、『神話浪漫館』と言うサイトは、現代語訳があります、他も色々あります。
http://nire.main.jp/rouman/sinwa/sinwa.htm
下の両件は『日本の神々の事典』から引用、吉田神道説には、中臣祓解によるこの記載があります。
「速開比都比咩トハ月神ノ御事也.或ハ水門神トモ申也」でも、「潮の八百会に坐す」について、異論があります。
中臣祓解より
このために、本居宣長のが以下の説明によって、「速開比都比咩ハ水門神トモ申ナリ」の部分を賛同した。
速秋津日子・速秋津日売二柱神は、古事記に水戸神と有るを、此に塩の八百会に坐と云るは甚く処違ひたれども、是に深き由有り。其は潮の八百会はこの顯国の海上の堺にて、根の国方へ潮の沒往の門口なれば、此亦彼方の水戸なり。このように、吉田神道説を肯定します。
中臣祓解より
最後、同じ本居宣長氏が速佐須良比咩についての説明は:
大国主神が八十神の禍事によっり根の国におもむき、須勢理毘売のじゃからいにより顯国へ帰り、大事な仕事をする事ができた。これは速佐須良姫の神徳により、人々が罪穢れを祓い福を得るのと、ことのおもむきが同じである。世の中の凶事は全て黄泉国にはじまり、結局また黄泉国に帰るのが祓いの本義であるという。ですが、今度、本居宣長説は吉田神道説と違います。(中臣祓解:「須佐之男ガ根の国二座ス時、速佐須良ひめト申ス」)
本居宣長(大祓詞後釈より?)
ちなみに、倭姫命世紀が偽書とされますが、作者を先人仮託の事を除て、同じく神道五部書の他より、倭姫命世紀の内容は大丈夫だと思います。
本来、日本は八百万の神々の国から、諸説あるのも当然の事です。
例えば、ホツマツタヱ(また偽書)では、蛭子を蛭姫(昼姫)こと和歌姫に、女神になります。そして天照大神を男神になったことも。
あと、ホツマじゃないが、豊受姫命も、男神説女神説がともにあります。
つまり、記紀以前は諸説あるの状態だと考えられます。馴染めの神々は、限れない数の伝説から整合したモノ。
例え、記紀では飽食神を殺した神が違います。それは、整合の時がどの伝説に誰が誰と同神なのか、という独自の解釈が違うからのではないか?(最初から関係ないの可能性もあります。)
同じ事で、天武天皇が記紀を作ろうと詔したとき、或る原因(政治か皇統か地位かいろいろ)によって、祓戸四柱大神をそれぞれ別の名を書きましたが、こういう自分にとっては不利のものを史書によって変更すること、記紀だけに限らず、中国の史書も沢山あります。
ですが、御禊祓は大事なことだから、その畏みの関係で、中臣祓まで変更することがしないではないか。
例えば壬申の乱のち、物部麻呂が石上麻呂に改名したが、鎮魂祭の時がわざと物部の名を用いたのも似ている状態ではないかと独断に思います。
以上、中臣祓解と本居宣長の学説は、日本の神々の事典から引用したものです。
殆ど未整理のため、雑文乱文どうもすみません。