2008-12-24-水 花每に飽かず散らしし風為れば幾十ばくわが憂しとかは思ふ
■[趣味雑談]大阪行き予定 編集
■大日本史
安倍興行,舉秀才,對策及第。貞觀中,授大內記、勘解由次官,敘從五位下,為遣大宰府推問密告使。元慶中,歷民部少輔,累遷上野介。初清和帝遭太皇太后崩,喪服之期未決,令諸儒議之,興行亦與焉。【三代実録。】
http://miko.org/~uraki/kuon/furu/text/dainihonsi/dainihon.htm
2008-12-23-火 秋來れば月桂の實やは成る光を花と散らすばかりを
■[趣味雑談]パンダは熊猫か猫熊か 編集
http://tw.news.yahoo.com/article/url/d/a/081223/4/1bnfy.html私は断じて猫熊の方が違和感なく受け取れるのですが...
馬英九が挙げた「熊猫に訛る始末」は俗説*1で、中国訳以前英語で熊猫になった*2ことがあるから多分間違っていると思います。
まぁ、熊猫といえば、中国人は熊猫を連想することなく大熊猫だけを思い出すから無理でも有りません。
但し、馬英九が挙げた俗説は正かどうかは別として、熊猫を猫熊に表記するのはいいと思います。
■大日本史
安倍安仁,左京人。治部卿東人孫。父?麻呂,參議大宰大貳。安仁,身長六尺三寸,姿貌環偉,性沈深有威重。弘仁中,為山城大掾,【三代実録。】聽昇殿,【公卿補任。】累歷中務、民部少丞。天長中,除近江權大掾,介藤原弟雄深相親善,委任政事。安仁為政強濟,名聞朝廷。秩限未滿,授從五位下,除信濃介。視事三年,境內肅然。任終之年,進一階以獎勵焉。【三代実録。】補蔵人頭。【公卿補任。】承和中,歷兵部、刑部大輔,侍太上皇于嵯峨。太上皇甚親任,為院別當,事無大小,委決安仁。先是院事壅滯,安仁臨職數月平理,太上皇深嘉之。尋遷治都大輔。太上皇嘗從容評論諸國吏才以謂:「無若安仁為信濃之能。」迺賜牙笏玉帶金魚袋及御衣一襲。有識相賀日:「是宰相之鴻漸也。」【三代実録。】累進從四位下,拜參議,兼刑部卿。【続日本後紀、三代実録。】太上皇謂安仁曰:「汝宜早居要職,何久行山院之事。」【三代実録。】七年,兼左大辨,【続日本後紀、三代実録。】停別當,自後院事不理。敕復兼別當、辨官之務,凌晨入衙。安仁退公之後,常詣嵯峨。朝廷恤其往還煩劇,轉大蔵卿。【三代実録。】文徳帝在儲宮,為春宮大夫,歷兼下野守、彈正大弼,【続日本後紀、三代実録。】為校河內、和泉田使長官。【続日本後紀。】兼右大辨。【続日本後紀、公卿補任。】敘從三位,拜中納言,兼民部卿,春宮大夫如故。【続日本後紀、三代実録。】文徳帝即位,授正三位。齊衡中,領陸奧出羽按察使,【文徳実録、三代実録。】拜權大納言。【続日本後紀、三代実録。】安仁志尚謙虛,視公如家,謂子弟曰:「諸國調庸,多入封家,納官者少。所食之邑,於身有餘。」【三代実録。】乃上表請減大納言所食,給中納言之封。帝嘉其有讓,特許所請。尋為真,兼右近衛大將。【文徳実録、三代実録。】無幾,辭大將,表再上。許之。貞觀元年,薨,時年六十七。安仁,練達政體,明解朝章。毎有奏議,應對無滯。會值假日,教誡子孫。有八子,貞行、宗行、清行、與行最知名。貞行自有傳。【三代実録。】
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■行方不明の1歳児をネコが暖め餌をやり守り続けていた…アルゼンチン
http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1202472.html
■江戸家小猫さん、四代目猫八を襲名へ
http://www.yomiuri.co.jp/entertainment/news/20081223-OYT1T00304.htm?from=rss&ref=mixi
2008-12-22-月 夏草の表は繁れる沼水の行方の無き我が心哉
■[趣味雑談]乳化剤の調子がおかしい... 編集
勝利八幡神社■大日本史
藤原有貞,童齓侍仁明帝,以娣為女御故,殊被寵遇。承和中,為丹波介,不之任,以宮闈之嫌,出為常陸權介,入任右近衛少將。貞觀中,歷備中等守,敘從四位下,為近江權守。十五年,卒。有貞,不以權貴矜物,而有忤其意者,未嘗回避焉。【三代実録。】
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■「中国の現代文学は無駄話ばかり」再び痛烈批判!―ドイツ漢学者
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20081222-00000015-rcdc-cn
自分は寧ろ古文の方に興味があります。
2008-12-21-日 足引の山邊に居れば白雲の如何に為よとか晴るる時無き
■[趣味雑談]松陰神社 編集
■大日本史
藤原三守,參議巨勢麻呂之孫,阿波守真作子也。初為主蔵正。大同中,累遷美作權介、内蔵助,敘從五位下,拜右近衛少將。【續日本後紀、公卿補任。】弘仁初,歴蔵人頭、【公卿補任、歴代皇紀。】内蔵頭,兼春宮亮,進從四位下,除式部大輔,兼左兵衛督。七年,拜參議,兼春宮大夫。十二年,敘從三位,任權中納言,再兼春宮大夫。【續日本後紀、公卿補任。】三守以龍潛之舊恩,殊蒙寵遇。帝遜位御嵯峨院,三守請解武官,給仕院中。辭旨懇切,自脫劍殿上,觀者愍之。淳和帝知其不可奪,聽帶權中納言侍太上皇。【公卿補任。】天長中,歴兼宮内、刑部卿,轉大納言,兼兵部卿、彈正尹。【續日本後紀、公卿補任。○任宮内卿據補任。】仁明帝即位,進從二位,兼皇太子傅。承和五年,拜右大臣。七年,薨,年五十六,【續日本後紀。】稱後山科大臣。【公卿補任。】遣參議文室秋津等,就第宣詔,贈從一位。參議安倍安仁等,監護喪事。三守,立性溫恭,明于決斷。蚤入大學,受習五經。好招引詩人,接杯促席。每朝參塗遇諸生,必下馬而過,以此得稱譽。【續日本後紀。】弘仁中,與右大臣藤原冬嗣、藤原葛野麻呂、參議秋篠安人、橘常主等,奉詔撰格式。四人相踵薨逝,三守研究論定,至天長七年,書成,表上之。【類聚國史。】子有統、仲統、有貞。【尊卑分脈。】有統,從五位下侍從。仲統,參議正四位下。【三代実録。】
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