2006/04/30

『Yours―堀部秀郎ART WORKS』、入手。

2006-04-30-日 鳴きつとも誰にかいはむ郭公影より外に人しなければ

[]私は常にで上品で危険な雰囲気と強い芯を持つ黒髪長髮で賢明な神々しい美人の味方なんですよ。(またか。) 私は常にで上品で危険な雰囲気と強い芯を持つ黒髪長髮で賢明な神々しい美人の味方なんですよ。(またか。)を含むブックマーク 私は常にで上品で危険な雰囲気と強い芯を持つ黒髪長髮で賢明な神々しい美人の味方なんですよ。(またか。)のブックマークコメント 編集CommentsAdd Star


というわけで、『Yours―堀部秀郎ART WORKS』、入手。
Yours―堀部秀郎ART WORKS (JIVE FAN BOOK SERIES)
←ハイ、大きめに。
惡友の神無さんは既にこれ↑をMSNアイコンにして、しかもHNを【神無kei「堀部絵はいい、心洗われる」】に..._| ̄|○
まぁ、私の場合、堀部の絵の絵柄は好きだけど、絵の筋によって好き嫌いもあります。それでも、好きな絵が少なくないだそうです。だから、画集が出来たら間違いなく買いました。この絵カラーページで收録されなかったらしいので、凄く残念です。ちなみに、本にもブログにも、今がアナログ絵をプリントアップする事(セルと現行の印刷システムとの相性の悪さなど。)の苦労を仰いました。
さって、いつか岸上大策氏が画集が出ますか...




菅家文草
http://applepig.idv.tw/kuon/furu/text/waka/kanke/bunsou/bunsou.htm
240 三年歲暮,欲更歸州,聊述所懷,寄尚書平右丞
    一離一會宛如新 隨念了知是宿因 衙早尚書長劇務 告歸刺史暫閑人
    途中不惜分君手 夜後將論處我身 世路難於行海路 飛帆豈敢得明春
菅原道真菅家文草』巻第三0240

大日本史、椎根津彥、弟猾
 椎根津彥,古事記椎作槁。】名神知津彥,姓氏錄。】初名珍彥。神武帝東征至速吸門,有漁人乘艇而至。古事記曰,槁根津彥乘龜為釣,來遇于遠吸門。】帝召之問曰:「汝為誰?」對曰:「臣乃國神,名珍彥。釣魚曲浦,聞天神之子至,故即奉迎。」帝又問曰:「汝能為吾鄉導乎?」曰:「能之。」乃付之椎槁,令執其末,引入御船,命導海路。特賜名椎根津彥。戊午歲,帝進軍至菟田,八十梟帥及兄磯城等兵,各據要害。時帝因夢兆,欲取天香山土,作天平瓫、嚴瓫,而祭神祇以平虜。然虜眾充塞,道路難通。乃使椎根津彥弊衣蓑笠,裝作老翁狀,弟猾被箕作老嫗,而命之曰:「汝二人宜登天香山,潛取其頂上土來。基業成否,將以汝卜。勉之。」椎根津彥臨行自祝曰:「我皇可能定此國,行路自通。如其不能,賊必拒絕。」言終直去。虜眾見而醜笑之,相避使去,二人終得土而還。帝大悅,作平瓫、嚴瓫祭神,然後親勒兵而出。先斬八十梟帥,大舉遂征磯城。弟磯城歸順。兄磯城等不敢降。於是,椎根津彥獻策曰:「今先遣我女軍,出自忍坂道。彼必挺銳而赴。吾別馳勁卒,向墨坂,用菟田川水,灌滅其熾炭。忽然出其不意,破之必矣。」帝然之。乃出女軍當之,虜果謂大兵已至,畢力相持。既而男軍自墨坂出其後,夾擊破之,斬兄磯城等。及帝即位,論功為倭國造。日本紀。】

 弟猾,菟田縣人也。與兄兄猾,共為縣之魁帥。戊午歲,神武帝至菟田下縣,遣使招之。而兄猾不來,竊圖作難。古事記曰,千遣八咫鳥,問二人曰:「今天神子行幸此地,汝等能仕否?」兄猾以鳴鏑射之。】弟猾即至,具言其狀。帝使道臣誅之。弟猾獻牛酒,犒王師。帝乃作歌,所謂來目歌是也。時群虜未平,據守要害,道路不通。帝患之。夜夢天神告曰:「取天香山土,以造天平瓫八十枚、及嚴瓫,敬祭天神地衹。又為嚴咒詛,如此則虜自平矣。」帝異之,將從夢兆,會弟猾奏曰:「磯城邑磯城八十梟帥、高尾張邑赤銅八十梟帥,【舊事紀銅作鯛。】皆欲距戰,臣竊憂之。今當取天香山埴,造天平瓫,用祭天社國社,而後擊虜,則易除也。」帝甚喜,乃使弟猾與椎根津彥,往取天香山土。時賊兵填路,弟猾等變服潛行,遂得土而還。帝即位,以功封猛田邑,為猛田縣主。日本紀。】


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2006-04-29-土 待つ人は寝る夜も無きを郭公鳴く音は夢の心地こそすれ

[]私は常にで上品で危険な雰囲気と強い芯を持つ黒髪長髮で賢明美人の味方なんですよ。(おい) 私は常にで上品で危険な雰囲気と強い芯を持つ黒髪長髮で賢明な美人の味方なんですよ。(おい)を含むブックマーク 私は常にで上品で危険な雰囲気と強い芯を持つ黒髪長髮で賢明な美人の味方なんですよ。(おい)のブックマークコメント 編集CommentsAdd Star


日本後紀・巻廿六(嵯峨天皇)
http://applepig.idv.tw/kuon/furu/text/kouki/kouki26.htm
逸文巻の方が楽かも...?

菅家文草
http://applepig.idv.tw/kuon/furu/text/waka/kanke/bunsou/bunsou.htm
239 冬夜閑居話舊,以霜為韻
    懷舊猶勝到老忘 多言且恐損中腸 交遊少日心如水 閑話今霄鬢有霜
    不恨寒更三五去 無堪落淚百千行 相論前事故人在 只是當時我獨傷
菅原道真菅家文草』巻第三0239

大日本史、役小角、白箸翁
 役小角,賀茂役公氏,大和葛木上郡茅原村人也。敏悟博學,最好佛氏,善咒術。年三十二,棄家人葛城山,居巖窟三十餘年。食松果,衣藤葛。【元亨釋書。】驅役鬼神,汲水採薪。唯意之所欲,有不用命者,則咒縛之。韓國廣足從學,害其能,誣妖妄惑眾。【續日本紀。】文武帝詔繫小角。小角騰空亡去,吏不能逐捕。收其母,小角自出就執。【元亨釋書。】流于伊豆島。【續日本紀。】逢敕得還,復以鐵鉢盛母,浮海往唐。【元亨釋書。本書曰,小角以金峰葛木之間巇嶮難行,令山神架石橋通路。眾神受命,夜夜運巖石。久之,功不成。小角督責。山神訴曰:「葛城一言主神形醜,故難晝役,每待夜就役。是以緩也。」小角怒,咒縛之深谷神託宮人曰:「吾是管逆寇神也。役小角潛窺國家,不急治之則危矣。文武帝敕捕小角,流于伊豆。按續日本紀,小角被流,韓國廣足所讒也。其事明確,故今據之。」本朝神仙傳曰:「僧道照往高麗說法,講筵有國語者,乃小角也。幾經百餘年。道照大驚,下坐問訊,殊無所答,遂不復來。」釋書小角贊中,亦載古記曰:「道照至新羅講法華,群虎側聽,中有人語者曰:『我役小角也。』」此事年代少乖,故不係本章云。按道照以孝德帝白雉四年隨使入唐,文武帝四年入化。神仙傳云:「幾經百餘年者。」其謬甚,故不取。】

 白箸翁,不知姓名邑里。貞觀末,常遊市中。以賣白箸為業。時人呼曰:「白箸翁」鬢髮皓白,冠履不完、著一皂衣,寒暑不變。人問其年,每告以七十。市中有賣卜者,年可八十。語人曰:「吾為兒時,既識是翁。被服顏容,與今無異。」聞者疑其有異術。有與酒食者,不問多少,取醉飽而止。或涉日不食,亦無飢色。放誕謹慎,隨時不定。人莫測知其際。後病終于市門側。市人憫之,收屍埋于東河之東。後二十餘年,有僧見翁于南山,居石室,焚香誦經。問曰:「翁無恙?」翁笑而不言,遂去不知所往。僧以其事語市人,聞者異之。【本朝文粹。】

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