2008-07-24-木 山里は冬ぞ寂しさ増さりける人目も草もかれぬと思へば
■[趣味雑談]うむ... 編集
■大日本史安倍興行,舉秀才,對策及第。貞觀中,授大內記、勘解由次官,敘從五位下,為遣大宰府推問密告使。元慶中,歴民部少輔,累遷上野介。初清和帝遭太皇太后崩,喪服之期未決,令諸儒議之,興行亦與焉。【三代実録。】
http://miko.org/~uraki/kuon/furu/text/dainihonsi/dainihon.htm
■アフロ仏像
http://doku13.tuna.be/?did=5258118
■【作業用】機動戦士Vガンダム いくつもの愛をかさねて
■リーンフォース特攻
このVガンダムの特攻シーンが結構好きなんです。
若者を死なせる訳には行かない、生きろ!というモチーフは日本においで稀ではないのですが、
Vガンダムだけが格別とも言えます。
成長したのは、子供だけではなく、大人も子供の成長を見ながら、自分なりの成長を果たしたのは、
やっぱりVガンダムのこのシーンにおいで沁み出すのだと私が思います。
一方的に「大人が責任を取るべき」という、大人は子供より精神的優位を取るのではなく、
放送初対立から、最期の認め合いという図式がおもしろかったんです。
もちろん、それはVガンダムを最初から見なくては判りづらい事なのですが...
2008-07-23-水 龍田河錦織掛く神無月時雨の雨を縱鋤メにして
■[趣味雑談]幸と不幸 編集
■幸長庚病院共通実験室で、クラスメイトの実験に協力。
正直の話、同実験室のクラスメイトは、私以外みんな、今年の卒業が危なかったのです。
自分が留学奨学金を目指しているので、指導教官と相談して、卒業を先延することになります。
代わりに、敝実験室は今年、卒業数ゼロの危倶が......(汗)
自分が急がないので、とりあえずクラスメイトの実験に協力することになりました。
とにかく結果はオール-ライト、目出度し目出度し。
■不幸
今日の実験とほぼ同時に、私の留学奨学金評定の会議が行いました。
以前も話したのですが、教育部の作業が遅くなったため、
敝校が奨学金の選定を最初の5月末を9月末に変更する事に決定しました。
そこで、私の状況を説明して、ようやく私の事を特例として、今日行う会議で評定する事になります。
予定には、評定が今日(07/22)で、結果公開が明後日ということになる筈なのですが...
実は、昨日、学術交流組の職員さんに「きっと大丈夫、安心しろ」と言われたのですが、
私は「いや、何となく緊張して安心し難いんです」と答えました。
やっぱり、丁度長庚病院の実験が終わって、学校に戻った頃、職員さんの電話が入れて、朗報ではなかったんです。
どうやら、評定は参加者全員が一緒に行う方が宜しい、特例はちょっと...とコメントする委員があって、
結局、敝校のルールを従って、9月末で他の参加者と一緒に選定を参加することになります。
なんとなく、面倒くさいね...研修先にどう言えばいいでしょう..._| ̄|○
■大日本史
安倍安仁,左京人。治部卿東人孫。父?麻呂,參議大宰大貳。安仁,身長六尺三寸,姿貌環偉,性沈深有威重。弘仁中,為山城大掾,【三代實錄。】聽昇殿,【公卿補任。】累歷中務、民部少丞。天長中,除近江權大掾,介藤原弟雄深相親善,委任政事。安仁為政強濟,名聞朝廷。秩限未滿,授從五位下,除信濃介。視事三年,境內肅然。任終之年,進一階以獎勵焉。【三代實錄。】補藏人頭。【公卿補任。】承和中,歷兵部、刑部大輔,侍太上皇于嵯峨。太上皇甚親任,為院別當,事無大小,委決安仁。先是院事壅滯,安仁臨職數月平理,太上皇深嘉之。尋遷治都大輔。太上皇嘗從容評論諸國吏才以謂:「無若安仁為信濃之能。」迺賜牙笏玉帶金魚袋及御衣一襲。有識相賀日:「是宰相之鴻漸也。」【三代實錄。】累進從四位下,拜參議,兼刑部卿。【續日本後紀、三代實錄。】太上皇謂安仁曰:「汝宜早居要職,何久行山院之事。」【三代實錄。】七年,兼左大辨,【續日本後紀、三代實錄。】停別當,自後院事不理。敕復兼別當、辨官之務,凌晨入衙。安仁退公之後,常詣嵯峨。朝廷恤其往還煩劇,轉大藏卿。【三代實錄。】文恕y帝在儲宮,為春宮大夫,歷兼下野守、彈正大弼,【續日本後紀、三代實錄。】為校河內、和泉田使長官。【續日本後紀。】兼右大辨。【續日本後紀、公卿補任。】敘從三位,拜中納言,兼民部卿,春宮大夫如故。【續日本後紀、三代實錄。】文恕y帝即位,授正三位。齊衡中,領陸奧出羽按察使,【文恕y實錄、三代實錄。】拜權大納言。【續日本後紀、三代實錄。】安仁志尚謙虛,視公如家,謂子弟曰:「諸國調庸,多入封家,納官者少。所食之邑,於身有餘。」【三代實錄。】乃上表請減大納言所食,給中納言之封。帝嘉其有讓,特許所請。尋為真,兼右近衛大將。【文恕y實錄、三代實錄。】無幾,辭大將,表再上。許之。貞觀元年,薨,時年六十七。安仁,練達政體,明解朝章。每有奏議,應對無滯。會值假日,教誡子孫。有八子,貞行、宗行、清行、與行最知名。貞行自有傳。【三代實錄。】
http://miko.org/~uraki/kuon/furu/text/dainihonsi/dainihon.htm
■夢のアトサキ、中国語版発売!
http://www.books.com.tw/exep/prod/booksfile.php?item=0010406352
台湾の者ですが、日本の本ばっかり買ってて、台湾の出版業にあまり詳しくない浦木裕です。
後輩の情報によると、5月頃中国語版が発売しました。
■最古の新約聖書、オンラインで公開へ
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0807/22/news064.html
■『Dies irae』ドラマCD「Die Morugendammerung」(ディエ モルゲンデンメルング)
大丈夫かな...
本編では明かされなかった「聖槍十三騎士団」の創生に迫る!
1939年、ドイツ――運命の大戦に雪崩れ込んでいく髑髏の帝国にあって、若年ながら秘密警察の長となり、国家の暗部を掌握したラインハルト・ハイドリヒ。
栄光への階段を上りながら満たされぬ思いに囚われていた彼は、謎の占術師カール・クラフトに翻弄されて狂いだす。
まだ人であった日の団員達。
彼らの人生が一変した、ある夜の出来事。
それまで何の接点もなかった彼らはこの日、運命の悪戯によって一同に会す。
時は1939年12月24日……黒円卓の黎明祭(モルゲンシュティング)。
http://www.light.gr.jp/light/event/index.htm
一応買いますが、「Anfang」が「『Dies irae Wehrwolf』~1945」ほど面白くないと思うのは私だけ?
勿論、「Anfang」の出来が悪い訳でなく、この前の作品ほど念が込めってないな感じが否めないんです。
まぁ、怒りの日の炎上の事もあるし、道理でテンションが低下していたのですね...
もし今度のドラマが我等の耳目を一新させれば、完全版を期待しても良いかもしれません。
金髪の人は多分Beatrice Kircheisenに間違いないでしょう。恐らく白髪の人はBelka Ehrenburgではないか。
どうだったら面白い。その狂人ぶりは。
今の情報だけなら、Belka Ehrenburgは近親相姦だけど、あくまでも一般人のイメージがしていました。
もし、Wilhelmに下らない狂人だったらマジで興味アリアリ。超人も魔人も狂人も変質者も大好きな私でした。
どころで、黎明って「Die Morgendämmerung」の方が正しいのでは??*1
*1:のち、更正しました。
Y.U.
>>Die Morugendammerung
今回で一番驚いたのは、シナリオは正田さんによる書き下ろしってこと。
てっきりもうlightと縁切りしたかと思った。
kuonkizuna それはどうかな...
没になったおまけシナリオだったの可能性もないとは言えませんが...正直、「Anfang」がちょっとこんな気がしてます。
今回で一番驚いたのは、シナリオは正田さんによる書き下ろしってこと。
てっきりもうlightと縁切りしたかと思った。
kuonkizuna それはどうかな...
没になったおまけシナリオだったの可能性もないとは言えませんが...正直、「Anfang」がちょっとこんな気がしてます。
2008-07-22-火 道知らば尋ねも行かむ紅葉を幣と手向けて秋は去にけり
■[趣味雑談]長庚へ 編集
クラスメイトの実験に協力、長庚病院の実験室へ出向予定。■大日本史
藤原有貞,童齓侍仁明帝,以娣為女御故,殊被寵遇。承和中,為丹波介,不之任,以宮闈之嫌,出為常陸權介,入任右近衛少將。貞觀中,歴備中等守,敘從四位下,為近江權守。十五年,卒。有貞,不以權貴矜物,而有忤其意者,未嘗回避焉。【三代実録。】
http://miko.org/~uraki/kuon/furu/text/dainihonsi/dainihon.htm
■Google先生まで千早いじめの件
http://d.hatena.ne.jp/riseizenkai/20080719/p8
■佐瑠女神社例祭のポスターシリーズ
http://dai.at.webry.info/200807/article_3.html
■女子中学生、テント押すヒグマ撃退 妹と思い蹴る、知床
http://www.asahi.com/national/update/0720/TKY200807200218.html
それはすごい!
■日本の高校生が教室でお弁当を食べる映像の海外反応
http://goyaku.seesaa.net/article/103097869.html
どちらと言うと食事に無頓着の方。
2008-07-21-月 夕月夜小倉山に鳴鹿の聲の內に哉秋は來るらむ
■[趣味雑談]夢占ひ 編集
■大日本史藤原三守,參議巨勢麻呂之孫,阿波守真作子也。初為主藏正。大同中,累遷美作權介、内藏助,敘從五位下,拜右近衛少將。【続日本後紀、公卿補任。】弘仁初,歴藏人頭、【公卿補任、歴代皇紀。】内藏頭,兼春宮亮,進從四位下,除式部大輔,兼左兵衛督。七年,拜參議,兼春宮大夫。十二年,敘從三位,任權中納言,再兼春宮大夫。【続日本後紀、公卿補任。】三守以龍潛之舊恩,殊蒙寵遇。帝遜位御嵯峨院,三守請解武官,給仕院中。辭旨懇切,自脫劍殿上,觀者愍之。淳和帝知其不可奪,聽帶權中納言侍太上皇。【公卿補任。】天長中,歴兼宮内、刑部卿,轉大納言,兼兵部卿、彈正尹。【続日本後紀、公卿補任。○任宮内卿據補任。】仁明帝即位,進從二位,兼皇太子傅。承和五年,拜右大臣。七年,薨,年五十六,【続日本後紀。】稱後山科大臣。【公卿補任。】遣參議文室秋津等,就第宣詔,贈從一位。參議安倍安仁等,監護喪事。三守,立性溫恭,明于決斷。蚤入大學,受習五經。好招引詩人,接杯促席。每朝參塗遇諸生,必下馬而過,以此得稱譽。【続日本後紀。】弘仁中,與右大臣藤原冬嗣、藤原葛野麻呂、參議秋篠安人、橘常主等,奉詔撰格式。四人相踵薨逝,三守研究論定,至天長七年,書成,表上之。【類聚国史。】子有統、仲統、有貞。【尊卑分脈。】有統,從五位下侍從。仲統,參議正四位下。【三代実録。】
http://miko.org/~uraki/kuon/furu/text/dainihonsi/dainihon.htm
■<川口父刺殺>「父親が家族を殺す夢を見て」…長女供述
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080720-00000061-mai-soci
■歌語り風土記
http://nire.main.jp/rouman/fudoki/index.htm
葦屋(あしや)の菟原(うなひ)少女(をとめ)は、八つの祝ひのときから、今の美しい黒髪を束ねる年まで、普通の少女とは異なり、木綿紙垂(ゆふしで)の前で隠もりきりの生活をしてゐた。その美しい姿を見たいと思ひ悩む男たちは、幾重もの玉垣の数より多かったといふが、中でも千沼(ちぬ)男(をとこ)と菟原男の二人は、潔斎の仮屋を焚く炎のやうな情熱で、競って求婚して来た。二人はお互ひに、焼太刀の柄を握りつぶすかのやうに構へて、白檀弓(まゆみ)を取り、靫を背負って、水の中でも、火の中でも、相争った。色々と懐かしい
少女が母に語るには「この年の結婚を祝ひ定められた私とはいへ、二人の男の争ふ様子を見れば、たとへ生きてゐても、結婚はできません。黄泉(よみ)の国でお待ちしてゐます」と、水底の声のやうにひっそりと言ひ残して、泣きながら入水した。千沼男は、その夜の夢で少女の死を知り、後を追った。後れをとった菟原男は、天を仰いで泣き叫び、足摺りして歯ぎしりし、同輩に負けじと、小太刀を身につけて盛装し、長い葛をたどるやうに後を追った。
少女の親族たちが集まり、長き世の形見に語り継がうと、少女塚(をとめづか)を築き、その左右に男塚を二つ築いてとむらったといふ。
塚の前でこの話を聞いた私(高橋虫麻呂)は、身内のことではないはずなのに、今が新喪の如くに、声を出して泣いてしまったのだ。(以上は万葉集の口語訳)
○葦の屋の菟原少女が奥津城(おくつき)を、行き来と見れば、哭(ね)のみし泣かゆ 高橋虫麻呂
http://miko.org/~uraki/kuon/furu/text/waka/manyou/m09.htm#1801
別の話では、少女の親は、二人の男に、生田川に浮かぶ水鳥を射た者と娘を結婚させると約束した。二人の男が同時に矢を射ると、一人の矢は水鳥の頭を射抜き、一人の矢は尾を射貫いた。そのために少女は更に思ひ悩み、歌を残して生田川に身を投げて死んだ。
○住みわびぬ。我が身投げてむ。津の国の生田の川は、名のみなりけり
二人の男も身を投げ、一人は少女の足を、一人は手を取ったまま死んだといふ。(大和物語)
今の神戸市兵庫区の夢野に、むかし鹿が住んでゐて、妻に内緒で淡路島の別の牝鹿のもとへ通ってゐた。ある夜、鹿は、背にすすきが生へ、雪が積もった夢を見た。妻は、夢占ひをして、不吉なので島へは通はぬやうに言ふが、鹿は恋慕を押さへられず、海を泳いで渡る途中で射殺されたといふ。(播磨国風土記)
http://nire.main.jp/rouman/fudoki/37hyogo.htm
■死海文書
とりあえずメモ。
這是一塊看似不起眼的石版,高度還不到1公尺,然而寫在上面的87行希伯來文,卻已經在神學、考古學與聖經研究等領域掀起波瀾,各方議論紛紜。文字中描述的主角可能是一位古代猶太人的彌賽亞(救世主),年代略早於耶穌,生前受難、死後復活的事蹟與耶穌如出一轍,而且可能對耶穌及其門徒有重大影響。
大約10年前,石版從約旦的死海湖濱出土,被一位以色列裔瑞士籍收藏家傑瑟森收購,當時他並不瞭解這塊石版的重要。幾年之後,一位希伯來文專家雅德妮看到石版,大為驚嘆,告訴傑瑟森:「你有一塊寫在石版上的死海古卷!」後來幾位學者以科學方法鑑定,判定石版是西元前一世紀晚期的古物。
石版上的87行文字排成兩欄,主要描述由天使長加百列宣示的「異象」(vision),可能是援引自《舊約聖經》中關於但以理、撒迦利亞、哈該等先知的記載,學者稱之為〈加百列啟示錄〉(Gabriel’s Revelation)。特別的是,這些文字並不是鐫刻上去,而是以墨水書寫。
耶路撒冷希伯來大學聖經學教授諾爾如獲至寶,相信〈加百列啟示錄〉證實了他多年前提出的理論:在耶穌降生之前,猶太王國就已出現一位受難的彌賽亞。諾爾指出,羅馬帝國的傀儡大希律王(Herod the Great)在西元前4年駕崩之後,猶太人曾經多次起義反抗暴君苛政,源遠流長的彌賽亞思想再度盛行。
在諾爾看來,〈加百列啟示錄〉中的彌賽亞呼之欲出,很可能就是當時一位猶太人領袖「西門」(Simon)。根據西元第一世紀猶太歷史學家約瑟夫(Josephus)的記載,西門是被希律王軍隊的一名指揮官殺害。〈加百列啟示錄〉作者可能是西門的追隨者,深信領袖的受難將開啟國家民族復興的契機。
至於證據,諾爾舉出〈加百列啟示錄〉的第19行到第21行:「再過3天,你們將看到正義擊潰邪惡。」第80行:「我,加百列,命令你,再過3天你將復活。」第81行提到代表彌賽亞的「眾王之王」。此外還有部分段落寫到流血與殺戮是實現正義的必經之路。
不過諾爾雖然言之鑿鑿,卻有部分學者持保留態度,認為〈加百列啟示錄〉許多字跡都已模糊不清或難以辨識,因此他的解讀有不少臆測成分,西門與彌賽亞的關係也有待商榷。
但諾爾仍然主張:「〈加百列啟示錄〉動搖了我們對基督教的基本認識。早在耶穌之前,死後3天復活的母題就已出現,這一點與學界的普遍觀念背道而馳。《新約聖經》中耶穌與其門徒的事蹟,顯然是以這位較早的彌賽亞故事為藍本。」
http://news.chinatimes.com/2007Cti/2007Cti-News/2007Cti-News-Content/0,4521,110504+112008070700320,00.html
■光
http://www.ceve.com.tw/prod/prod_slwk/prod_slwk02.htm
http://www.ceve.com.tw/prod/prod_slwk/prod_slwk.htm
■戦車用免許でバイク乗り自衛官逮捕 埼玉
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080720-00000011-san-l11
希望!未来!サイタマ!!
kuonkizuna 2008/07/30 09:35 ああ、確かに...あまり恵まれなかった作品でしたね。
アニメ卒業ですが、自分も新作アニメをあまり見なくなりますが、アニメ卒業かどうかをはっきりできなんです。多分興味がある作品があればまた見るんでしょう。