2007-05-12-土 鶯の谷より出る聲無くは春來る事を誰か知らまし
■[趣味雑談]行き交う人 俯く影 編集
■菅家文草
637 為源大夫閤下﹝源能有﹞,先妣伴氏周忌法會願文 貞觀五年十二月十三日作。
弟子從四位上源朝臣能有等,歸命稽首。一切三寶,自從綸言不豫,脫屣煩王之鄉,警蹕如休,迴輿真際之境。爰知,上帝不祐,同作遺孤,皇天無知,共為窮子。但有慈親獨駐,愛護無量。收染竹之餘淚以扶持,續飡荼之斷腸而撫育。掩以摩耶之雙袖,知有二天。降以勝鬘之重儀,覺同一子。於是涓塵難報,思桃李之長春,冰炭在懷,庶綺羅之不故。崆峒何處,欲定以為度紀之居。海瀣幾程,將偷以供養生之術。豈圖,毗嵐妄起,驚帷帳而不安。草露忽移,掛閨門而長閉。紅粧何日再理。青眼幾時重開。為雨為雲,誰維誰縶。既而幕雀無充廚之養,挂輕羅於舊窻,林鳥廢反哺之羞,發夜啼於幽夢。
當是時也,妲娥出海,乍誤慈顏之逐月來。少女生林,還疑哀訓之因風至。涕泣之處,存枕席而不遑乾。攀慕之時,碎心肝而難可制。自後春秋代謝,移晦朔焉。烏兔不留,一星霜矣。丁憂如咋,忌序登辰。禮制有期,祥禪將闋。而慈粧在堂之時,自一七至周忌。追福之事,逆修先畢。
復有弟子,謹請遺教。余昔有意為先考奉寫寶典。皮紙未成,命今垂盡。骨筆無詞,身已病衰。汝曹敬之慎之,不可闕也。一言稍畢,脣吻長封。弟子等,哀切之中,重聞此事。是故奉寫法華經一部、佛名經三卷,聊設講會,演說勝義。
伏惟,莊嚴甫就先妣往年之宿心,妙理新開弟子今日之齋忌。唯願,開示悟入,驅八正而飛其文,常樂我淨,叩五趣而引其響。然則前恩後恩,共是同日之報,惟父惟子,並為一處之佛。千月之下,占寶座以承趺,十地之中,振天衣而凝睇。斯剎那之善力,翊彼先帝之聖靈。﹝下疑有脫文。﹞安養之院,逾饒寶樹之華,睹史之宮,益口青蓮之蕚。弟子等除災延壽,長作報恩之宗,畢地終天,俱為崇恕y之族。勝緣之所被,或顯或幽,功恕y之攸覃,無識無知。同成因果,速證菩提。
菅原道真 637http://applepig.idv.tw/kuon/furu/text/waka/kanke/bunsou/bunsou.htm
■大日本史
尚藏緒繼女王,【○尚藏,一代要記作妃,誤。】敘從二位。善作妖妹,帝殊寵幸。承和十四年,薨。年六十一。遺命不受葬使。【續日本後紀。】
http://applepig.idv.tw/kuon/furu/text/dainihonsi/dainihon.htm
■同人誌/真秀ろば亭/あつし、他/久遠の絆/ゆうがお
http://page18.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/w6380988
■永遠に...
http://www.youtube.com/watch?v=O2N-y0-0a4o
■践祚大嘗祭
http://21coe.kokugakuin.ac.jp/db/jinja/daijyousai.html
■本当に「縄文時代の記述はなくなった」のか
http://www1.odn.ne.jp/kamiya-ta/joumonjidai.html
■奈良に初夏告げる薪御能 かがり火に浮かぶ優雅な舞
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/natnews/topics/51392/
■熊野那智大社で桜花祭 巫女が「浦安の舞」奉納
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/natnews/topics/47700/
2007-05-11-金 花の香を風の便りにたぐへてぞ鶯さそふ導にはやる
■[趣味雑談]光辿る、標はない 編集
■菅家文草
636 為刑部福主卌賀願文 貞觀元年作之願文之始,仍存之卷首。
弟子福主白。福主,二毛始見,八歲于今。壯年之質先衰,強仕之期既及。白日迫於晚齒,殘陽何以留之。黃墟占於新居,長暮何以照之。故黃紙漆字,歸願言於最勝王經,白紵青蒲,委身力於田衣草座。是以一句半偈,耳傾於彼仙徒,行道坐禪,心資於茲法服。然則弟子生年死日,都無思慮之勞,妙果勝因,必有安樂之報。以此功恕y,先靈恩父,過去慈親,掃塵界於梵風,破昏迷於慧日。涉渡七水,躋攀十山。速證菩提,俱成正覺。
菅原道真 636http://applepig.idv.tw/kuon/furu/text/waka/kanke/bunsou/bunsou.htm
■大日本史
女御永原氏,入宮有寵。嵯峨帝以源定為帝子,帝以女御為之母,稱亭子女御。【三代實録。】
女御橘氏子,從三位,永名女也。【一代要記。】貞觀五年,進從四位上。【三代實録。】
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■Dies Irae
http://www.light.gr.jp/light/products/diesirae/index.htm
[1995~Erster Teil]
癒えない傷は痛まない。手遅れなら必要ない。
不治と断じたあらゆる病は、麻痺と忘却によって傷負い人を彼岸に導く。
それは崇高なる神の慈悲。
御許へ旅立つ愛児に対し、心安らかであるようにと。
ああ、分かりますかヴァルキュリア……親愛なる同胞よ。
この聖痕を抉る痛み……私があなたの代わりに受けましょう。
癒えず、消えず、塞がらず、永劫苛む烙印などは、咎人にこそ相応しい。
http://www.light.gr.jp/light/products/diesirae/beforestory01.htm
2007-05-10-木 谷風に溶くる冰の隙間每に打ち出る波や春の初花
■[趣味雑談]人間がそんなに便利になれるはずが......ない... 編集
■菅家文草
635 文章生從八位上巨勢朝臣里仁
牒。件人稽古惟勤,日新可待。仍請補得業生之闕,如件。謹牒。
元慶七年十月十六日 從五位上行式部少輔兼文章博士菅原朝臣
菅原道真 635http://applepig.idv.tw/kuon/furu/text/waka/kanke/bunsou/bunsou.htm
■大日本史
皇后,諱正子,嵯峨帝第二女也。【○按本書為長女,今據日本紀略訂之。說見皇女傳。】美姿容,貞婉有禮度。嵯峨帝及橘太后鍾愛之。【三代實錄。】初為內親王,【續日本紀。】帝備禮聘之,納於掖庭。后有母儀之恕y,中表則之。生廢太子恒貞、【三代實錄。】恒統親王、【續日本後紀。】基貞親王、【三代實錄。○按續日本後紀、日本紀略,皇后所生,不止此三子。然或不載名號,或天殤,故不列此。】天長四年,立為皇后。【日本紀略、三代實錄。】八年亢旱,帝深憂之,祈請百端。后勸帝錄囚,罷作役,不終朝澍雨。帝愈重之。【三代實錄。○按類聚國史、日本紀略,是年禳風雨災者二,無亢旱文。明年疫旱,轉經修雩。據此八年疑當作九年。】 九年夏,后幸雲林亭觀農業,賜耕種男女物。【日本紀略。】十年,帝傳位於仁明帝。敕停皇后號,廢官屬。仁明帝尊為皇太后。【三代實錄。】承和二年,仁明帝奉封一千戶。三年,奉河內荒廢田充後院。【續日本後紀。】七年,淳和帝崩。后落髮為尼,毀容骨立。【○按日本後紀,承和九年十二月乙丑,淳和太皇后落髮。實差二年,未知孰是。】齊衡元年,文恕y帝尊為太皇太后。貞觀二年,后設大齋會於淳和院,延諸寺名僧,講法華經,裝具嚫施,傾盡財寶。清和帝及皇太夫人,施新錢及米、鹽、醴、稷等物於僧俗男女,幾三萬人。后受菩薩戒于延曆寺座主圓仁,法名良祚。十年,后年六十,使六十僧講經東京宮,賜京師貧民物。十六年,淳和院火。后御素車出宮,避火於松下院。清和帝遣參議藤原家宗慰問,奉絹、絲、布、錢、米、鐵。尋還本院洞裏殿。元慶三年三月,疾篤。命左右曰:「天長天子,遺命火葬,不置山陵,無園廟之可陪。吾瞑目之日,棺用朽材,藏嵯峨山,無置守家,不配國忌,如先後太上天皇之制。」語終而崩,年七十一。【○七十一,本文脫一字,今據貞觀十年十一月辛巳條,而推年紀以訂之。】葬嵯峨山。后慈仁天至,務在濟物。收東西京棄兒孤孩,給乳母,多所養育。割封戶五分之二,以充其費。貞觀中,捨嵯峨舊宮為精舍。請清和帝,賜額曰大覺寺。建舍其側,療僧尼病,名曰濟治院。又以淳和院為道場,置平日所陪侍尼。【三代實錄。】后嘗製衲袈裟,施唐國清寺,以充僧智覬忌齋之具。【類聚國史。】
http://applepig.idv.tw/kuon/furu/text/dainihonsi/dainihon.htm
■「ハリウッド進出」チョン・ジヒョン、日本人女子高生に変身(BLOOD)
http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=87048&servcode
>ブラッド・ザ・ラストバンパイア
実撮版
>非公開の撮影だったため、報道陣は望遠レンズ搭載のカメラを使って5枚の写真をこっそりと撮った模様だ。
......ちょっとまで!
■そして伝説へ…
http://www.nagomiko.net/html/lg_n016.htm
御愁傷様...
■どうしてプログラマに・・・プログラムが書けないのか?
http://www.aoky.net/articles/jeff_atwood/why_cant_programmers_program.htm
>プログラミングの仕事への応募者200人中199人はコードがまったく書けないということで苦労している。
嘘だと言ってよ、バーニィ!
■新刊案内
何れも未確認メモだけ。
- 8 岩波書店 岩波文庫 狐になった奥様 ガーネット 著 20070615 460
- 56 角川グループパブリッシング 角川文庫ソフィア 方丈記 (全) 武田友宏 編 20070623 552
- 57 角川グループパブリッシング 角川文庫ソフィア うつほ物語 室城秀之 編 20070623 933
- 133 光人社 光人社NF文庫 沖縄県民斯ク戦ヘリ 田村洋三 著 200706下旬 952
- 173 講談社 講談社学術文庫 日本精神分析 柄谷行人 著 20070607 未定
- 174 講談社 講談社学術文庫 合戦の文化史 二木謙一 著 20070607 未定
- 175 講談社 講談社学術文庫 孝経 全訳注 加地伸行 著 20070607 未定
- 210 コスミック出版 コスミック戦記文庫 戦艦「大和」修羅の航跡 (仮) 稲葉 稔 著 20070605 933
- 344 筑摩書房 ちくま文庫 漱石の夏やすみ 高島俊男 著 20070606 780
- 345 筑摩書房 ちくま学芸文庫 漢字の文化史 阿●哲次 著 20070606 900
- 346 筑摩書房 ちくま学芸文庫 敗者の戦後 入江隆則 著 20070606 1400
- 765 角川グループパブリッシング カドカワコミックスドラゴンJr おたくの娘さん 2 すたひろ 580 200706090
2007-05-09-水 春來ぬと人は言へども鶯の鳴かぬ限りはあらじとぞ思ふ
■[趣味雑談]眠い 編集
■菅家文草
634 文章生從八位下紀朝臣長谷雄
牒。件人希顏不休,點瘤須診。﹝瘤,本肉旁血字。臆中脂之謂也。﹞秀才之選,誠在斯人。仍充補如件。謹牒。
元慶三年十一月廿日 從五位上行式部少輔兼文章博士菅原朝臣
菅原道真 634http://applepig.idv.tw/kuon/furu/text/waka/kanke/bunsou/bunsou.htm
■大日本史
【淳和天皇】
淳和皇后,諱高志,初為內親王。桓武帝最鍾愛,配帝以為妃。敘三品。生恒世親王、【日本紀略。】氏子內親王、有子內親王、【三代實錄。】貞子內親王。【續日本後紀。○按皇胤紹運錄,為氏子、有子、貞子,母同恒貞。一代要記,有子、貞子,母大中臣安子。帝王編年記,貞子母大野鷹子。並誤。】大同四年五月,薨。年二十一。遣使監護喪事,贈一品。帝即位,詔贈皇后,【日本紀略。】改墓號石作陵,【延喜式。○按類聚國史、日本紀略天長元年、二年,將改葬而不果。三年,任改葬司。而改葬月日並闕。】置國忌齋。【○據三代實錄天安二年廢國忌文。】天長四年,敕施墾田十町於橘寺,為春秋悔過料。修藥師悔過於東西二寺,薦冥福。【類聚國史。】
http://applepig.idv.tw/kuon/furu/text/dainihonsi/dainihon.htm
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