2008-06-08-日 秋風の吹上げに立てる白菊は花か有らぬか浪の寄するか
■[趣味雑談]さぁ、ツァラトゥストラ、我が愛しいの姫が君を望みだ 編集
流体力学カンファレンス用と海洋テク競賽用PowerPointファイル用意しています。■大日本史
紀廣純,大納言麻呂孫,左衛士督宇美子也。寶字中,奉使北陸道,問民瘼。尋敘從五位下,為太宰少貳。歷薩摩、筑後守。寶龜中,遷美濃介,進從五位上,改河內守。新羅使金三玄等來太宰府,廣純奉敕檢問之。陸奧蝦夷寇邊,廣純兼鎮守副將軍,討之。既而遷陸奧介,進正五位下,授勳五等。是時,蝦夷未平,會按察使大伴駿河麻呂卒,以廣純為陸奧守。未幾,兼按察使鎮守將軍。尋授從四位下勳四等。先是,廣純上言:「出羽志波村賊,蟻聚肆毒。出羽軍士,戰屢失利。」因以近江介佐伯久良麻呂為鎮守權副將軍,鎮出羽。十一年,就拜廣純參議。建言:「欲取水路擊賊,比年寒甚,河水凍合,不得通船。賊得其便,屢來侵擾。請先差兵三千,塞入寇之道。待三、四月雪消,雨水汎溢,直入賊地,築覺虌城守之。」敕曰:「山賊居近,伺隙來侵。宜造覺虌城,以遏膽澤之賊。」敕符未到,又奏言:「賊入長岡,官軍防戰,互有死傷。如不早討,侵掠不已。請三月中旬發兵進討,築城置戍。」敕曰:「狼子野心,不顧恩義,敢恃險阻,屢犯邊境。兵雖凶器,事不獲己。既發三千兵,以刈遺孽,以滅餘燼。凡軍機動靜,以便宜從事。」覺虌柵成,廣純自率俘軍,入伊治城。牡鹿郡大領道島大楯、上治部大領伊治砦麻呂等從焉。砦麻呂本夷俘之種,初有憾于廣純,然陽媚事之。廣純信用,大楯每凌侮砦麻呂,以夷俘遇焉,砦麻呂深銜之。至是煽動俘軍,自為內應,先殺大楯,遂圍廣純館,攻殺之。介大伴真綱潰圍一角而出,得達多賀城。城中兵器儲峙不可勝計,百姓競欲入保。而真綱及掾石川淨足,潛由後門遁。百姓無所恃,一時散走。數日賊至,毀府庫,恣掠資財。其所遺者,放火蕩盡。【續日本紀。】
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■20080608 秋葉原で通り魔 14人が刺されケガ うち5人が心肺停止
2008-06-07-土 植ゑし時花待ち遠に有りし菊移ろふ秋に遭はむとや見し
■[趣味雑談]帰省 編集
発表会の用意に。■大日本史
百濟俊哲,寶龜中,蝦夷作亂,俊哲有功,賜勳六等,尋勳五等。累進從五位上,為陸奧鎮守副將軍。奏曰:「臣在賊圍中,兵疲矢盡。祈桃生、白河等十一神,乃得潰圍而出。非神所佑,何免覆沒。請以十一社准幣社。」許之。天應元年,賞征夷之勞,賜正五位上勳四等。延曆中,坐事,左降日向權介。居之四歲,赦還京師。帝欲征蝦夷,敕與坂上田村麻呂至東海道,簡閱軍士、器械,為征夷副使、下野守,兼陸奧鎮守將軍。【續日本紀。】尋授勳三等,至從四位下。【續日本後紀承和元年。】十四年,卒。【日本紀略。】
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■訃報:氷室冴子さん51歳=作家 「なんて素敵にジャパネスク」など少女小説で人気
http://mainichi.jp/enta/mantan/news/20080606mog00m200033000c.html
ありがとう、そしてさよなら。ご冥福お祈りいたします。
■特許検索
http://patentog.tipo.gov.tw/tipo/miscmain1.htm
■一般人はそこまでネットを使わない
http://d.hatena.ne.jp/takerunba/20080605/p2
2008-06-06-金 露ながら折りて髻さむ菊花老い為ぬ秋の久しかるべく
■[趣味雑談]闘う者だけは、少なくとも人間の幻想に触れる事ができる。(フラッタ・リンツ・ライフより) 編集
続く。
- 交流組
- 審定を特例として七月で行う事も可能だそうです。
- 単位
■大日本史
大伴駿河麻呂,【○萬葉集曰,大伴駿河麻呂,高市大卿之孫。系圖或曰,參議道足之子。續日本紀、公卿補任不載父祖。今無所考。】天平中,敘從五位下,為越前守。寶字初,坐黨橘奈良麻呂被謫。召還,授從五位上。寶龜中,累歷出雲、肥後守,敘從四位下,為陸奧按察使。以老固辭。詔曰:「聞汝駿河麻呂宿禰,衰老不能就職。然陸奧之任,固擇其人。唯汝稱朕心,故授見任。」即日授正四位下。既而兼陸奧鎮守將軍。蝦夷寇邊,駿河麻呂奏狀,請處分。敕曰:「將軍前日奏征夷便宜,以為:『一者不可伐,一者必當伐。』朕慮勞民,每事含弘。今得將軍奏,蠢彼蝦狄,不悛野心,屢侵邊境,敢拒王命。事不獲已。一依來奏。宜早發軍,應機討滅。」時海道蝦夷燒斷橋道,攻桃生城,破其西郭。守兵不能支,國司遣兵援之,馳驛以聞。【○本書不載結局,蓋脫文也。簡下文,百濟俊哲奏。潰圍而出,疑此時之事。今無所考。】迺敕坂東八國曰:「陸奧如有告急,隨國大小,差發援兵,務赴機要。」駿河麻呂又奏:「臣等計賊所為,狗盜鼠竊,雖時有侵掠,而不致大害。今屬茂草之時攻之,朕恐後悔無。」及帝以其輕論軍興,首尾異計,譴責之,駿河麻呂懼,進兵破賊,追至遠山村。其地嶮阻,夷賊所憑。歷代諸將,未嘗究討。至是覆其巢穴,降者相踵。嘉功慰勞,賜御服綵帛。六年,就拜參議,遣使宣詔曰:「嚮者夷俘構逆,侵桃生城。鎮守將軍大伴宿駿河麻呂,奉承朝委,不顧身命,討活反賊,懷柔歸服。勤勞之重,實合嘉尚。授正四位上,賜勳三等。從軍部將以下,一千七百九十餘人,量等授位。」七年,卒,贈從三位,賜絁三十匹,布壹百端。【續日本紀。】
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2008-06-05-木 久方の雲上にて見る菊は天星とぞ誤たれける
■[趣味雑談]また輔仁大学で 編集
知り合った教授が入院中なので代理として先周の演説の補遺などを行いました。昨日に続く、直接教育部の関係者と連絡してみました。
■大日本史
道島島足,陸奧牡鹿郡人。體貌雄壯,志氣驍勇,菩騎射。本姓丸子,勝寶五年,改賜牡鹿連。寶字中,為授刀將曹,奉詔與坂上苅田麻呂,射殺惠美訓儒麻呂,以功擢從四位下,賜宿禰,補授刀少將,兼相模守。神護中,授勳二等,陞近衛員外中將,賜姓道島宿彌,至正四位上。景雲初,為陸奧大國造。寶龜中,兼下總守,入為内廄頭,兼播磨守。延暦二年,卒。【續日本紀。】
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