2007/09/24

小説 宗像教授伝奇考 縄文の磐音

2007-09-24-月 蛙鳴く井手の山吹散りにけり花の盛りに逢は益物を

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大日本史
後白河天皇
 高階榮子,僧章尋女也。【帝王邊年記。】初為相模守平業房妻。【尊卑分脈女院小傳。】入宮稱丹後局。【玉海、女院小傳。○玉海曰,丹波初為娼,入宮,號六條殿。又曰,帝賜淨土寺扁額於丹波。又曰,幸丹後淨土寺家。據此,丹波丹後似是同人。本書永壽以前書丹波,文治以後書丹後。壽永亂,帝卜當立者,寵姬奏以夢中語。玉海作丹波,帝王編年記、東鑑、平家物語源平盛衰記等諸書皆做丹後。則榮子初稱丹波,後改丹後,亦不可知。而山槐記曰,承仁母娼,入宮號丹波。歷代皇記裏書亦曰,承仁母六條殿。則稱丹波及六條者,承仁之母,而非榮子。今無取決,附以備考。】敘從三位,【玉海。】進從二位,生宣陽門院。【玉海、皇胤紹運録、女院小傳。○帝王編年記云,殷富門院母榮子,宣陽門院母成子。按宣陽門院與帝同居六條殿,而榮子亦號六條院,故今從玉海等説,為榮子所生。】帝大寵之。以其宅在淨土寺,為賜扁額。【玉海】世稱淨土寺二位。【愚管鈔、源平盛衰記。】帝崩後,薙髮為尼。【東鑑。】榮子與承仁法親王親昵,頗有醜聲。及後鳥羽帝時,履出入宮掖。為人巧媚,善逢人主之意。又希源頼朝旨,毎竊報朝廷消息于鎌倉。彼此阿順,以取容。【愚管鈔。】建久六年,頼朝入朝,居六波羅,招榮子厚遇之,贈砂金三百兩。【東鑑。】
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電脳コイル絵(自家用紙飛行機)
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■「初音ミク」応援ページ
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岡田ミク
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職業譯者人才庫:免費登録服務
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正露丸
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hokuto-heihokuto-hei 2007/09/24 17:21 なんかすでに踊って歌ってます。
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メイキングも地味な作業なのに面白く見せてもらいました。
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kuonkizunakuonkizuna 2007/09/25 00:14 北斗柄さんもなんらの六壬関係な歌を初音ミクに歌わせばいかがでしょうか?(笑)
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2007-09-23-日 吉野河岸の山吹吹く風に底の影さへ移ろひにけり

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大日本史
後白河天皇
  女御藤原琮子,内大臣公教女也。【尊卑分脈一代要記、歴代皇紀、今鏡。○要記一説、皇胤紹運録作公能女,誤。】為女御。居凝華舍,稱梅壺女御。【今鏡。】後薙染為尼。【一代要記。】
 藤原氏右大臣公能女,中宮同母妹也。【今鏡。】生惇子内親王。【皇胤紹運録、皇胤系圖。】
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■あの宗像教授ノベルス化!
奥谷俊介星野之宣原作)<小説 宗像教授伝奇縄文の磐音>(講談社
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玄史生さん、ご情報どうも有難う御座います。


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2007-09-22-土 山吹は文無な咲きそ花見むと植ゑけむ君が今宵來無くに

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大日本史
後白河天皇
 女御源懿子,大納言藤原經實女也。左大臣源有仁養為子。【尊卑分脈、今鏡。】帝龍潛日,納之,【今鏡。】為女御。【一代要寄、尊卑分脈。】康治二年六月,生二條帝。數日,卒。二條帝即位,追尊為皇太后。【今鏡。】平治元年,置國忌。【年中行事。】
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■中秋の明月を会わせるイベント国鉄女性ウェイトレスバニー
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コスプレ国鉄バニーというより寧ろウサタ...

■MEMO
古今和歌集 小沢正夫,枀田成穂校注,訳.   J006869 到期 09-27-07 861.3 6545 v.11
萬葉集 2 卷第五蜵卷第九 小嶋憲之,木下正儁,東野治之校注,訳.  J006866 到期 10-04-07 861.3 6545 v.7
浜松中納言物語 池田利夫校注.譯  J006885 到期 10-15-07 861.3 6545 v.27


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2007-09-21-金 春雨に匂へる色も飽か無くに香さへ懷かし山吹花

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大日本史
後白河天皇
 平皇后,諱滋子,兵部少輔時信女也。【女院小傳、平氏系圖。】初稱小辨,【愚管鈔、古今著聞集。】後稱東御方,【玉海。】有殊寵。【愚管鈔、古今著聞集。】仁安元年,敘從三位。【女院小傳。】二年,為女御。【玉海、百鍊鈔、女院小傳。】生高倉帝。高倉即位,尊為皇大后。【帝王編年記、女院小傳、今鏡、古今著聞集。】明年,上號曰建春門院。【公卿補任一代要記、貴女鈔。】高倉帝覲其宮,隔簾拜之。官人盛稱其榮。后曰:「前生之因,吾不預焉。」聞者稱之。【古今著聞集。】后嘗從帝幸安藝嚴島有馬温泉。【玉海、百錬鈔。】篤信佛法,創最勝光院。【百錬鈔、元亨釋書。】安元元年,詣熊野賽宿禱。著鞋徒歩,歴四十日至本宮。親舞胡飲酒於社前,大雨俄至,衣裳悉沾,不顧而竟舞。【長門本平家物語。】明年六月,違豫。詔大赦天下,常赦所不免者悉赦。【吉記、百錬鈔。】后自知否起,辭院號、年官爵、封戸,【玉海、吉記。】薙髮受戒。【吉記。】七月,崩于法性寺殿,年卅五。【一代要記。】嘗創法華三昧堂於蓮華王院側,及崩堂成,即葬焉。【玉海、百鍊鈔。】詔天下舉哀,禁殺生。【長門本平家物語。】高倉帝親寫法華經,修其冥福。【百錬鈔。】
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