2009/01/04

初伊勢

2009-01-04-日 世中は斯くこそ有りけれ吹風の目に見ぬ人も戀しかりけり

[]大阪 大阪を含むブックマーク 大阪のブックマークコメント 編集CommentsAdd Star

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http://www.wretch.cc/album/album.php?id=bst303e&book=6
今晩(0103)のバス東京帰り、明日到着予定になります。
今日は、物部守屋墓や関連史跡を回してみました。
久遠の絆』の設定いよると、武烈天皇により天津神の血脈が途絶になり、
蜘蛛が活発することになりますが、実はその後にも重大な事件があります。
それは、物部氏と蘇我氏の「敬神崇仏の争」であります。
聖徳太子や崇峻天皇は、蘇我氏と組み、蘇我の政敵である物部を滅ばすことになりました。
絶対な権利を手に入った蘇我氏は、崇峻天皇暗殺し、聖徳太子の子孫をも殲滅したわけです。
物部氏の滅亡により、古神道の祭祀が途絶えになり、
此れによる失われた古式・歴史・作法も多く、残念としかいえません。
ちなみに、権利の頂点にある蘇我氏は、乙巳の変によって、藤原氏により滅ばされた。

大日本史
 藤原朝成。朝成,體貌醜肥,飲啖兼人,常憂舉止不便,招醫請療。醫曰:「莫如結食啖淡。時方暑月,宜食水飯。」朝成從之,使醫視其所食。乃連水飯七八盂及啖魚鮓十數枚。醫駭曰:「如此則水飯亦不可療。乃逃去。」【今昔物語、古今著聞集。】嘗從兄朝忠入朝,村上帝見,其狀貌,心鄙之。問曰:「彼為誰?」朝忠曰:「臣弟朝成也。」問:「何所能?」對曰:「性好學問,善吹笙。」因授笙試之。曲調精妙,帝以為能,由是有恩寵。【續古事談。】天祿初,累官中納言。【公卿補任。】朝成,少有才望,【今昔物語。】與藤原伊尹爭為參議,言伊尹不可用。及大納言闕,朝成意欲任之。時伊尹攝政,朝成自詣其家,懇請拜擢。伊尹素憾朝成,不時出面,久而出曰:「子始與我同班,每欲超我而進,多方沮我。今日之事,用否在我。」朝成大愧,艴然歸家,憂鬱成疾,【古事談。】無幾而薨。【續古事談。○大鏡曰,藏人頭闕,時藤原伊尹次當補。朝成亦欲為之,乃以其意懇伊尹。伊尹許之。既而負約,朝成深啣之,由是有隙。後因事辱其家僮。伊尹怒,朝成自往謝之。按公卿補任一代要記,伊尹朝臣同日補藏人頭,其爭為頭者誤。】
http://miko.org/~uraki/kuon/furu/text/dainihonsi/dainihon.htm

生存報告
無事東京にもどりました。


MunyuMunyu 2009/01/04 00:07 大聖勝軍寺近辺に雄略陵、そして百舌鳥のほうまで足を延ばされたんですね。伊勢神宮の後にとは、何という無茶な旅程(笑)
こういう現地での交通費を惜しまない、詰め込み型の旅は、私も大好きです。チャンスを生かして根こそぎ!という浦木さんの情熱が伝わってくるようです。
鏑矢塚の碑は無事だったんですね。周りがスッキリしてしまったようなので、ひそかに心配していました。
守屋大連顕彰碑も…これで以前に私がテキストに起こしたものが本当に正しいかどうか、検証していただけることになりますか。

ところで、三が日の神社は巫女さんいっぱい見れました?

kuonkizunakuonkizuna 2009/01/04 20:51 鏑矢塚ですが...本当は飲み屋さんの看板に隠れていたのです。
http://d.hatena.ne.jp/ikomanokaze/20070604
正直、守屋墓や稲城跡以外は、あまり管理していないと思います。
大聖勝軍寺にある守屋池も、かなり散々しています。

この度、友人・たちゃなさんのお蔭様で色々なところに行きました。いつかお礼をしたいと思います。

正月の神宮・大社の人ごみは半端じゃないことを懲りました。はい。
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2009-01-03-土 立歸り哀れとぞ思ふ他所にても人に心を沖つ白浪

[]伊勢 伊勢を含むブックマーク 伊勢のブックマークコメント 編集CommentsAdd Star

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先日、春日大社で人ごみを拝見してから、伊勢参りを何れの機会にしましょうかと決めましたが、今日は突然にもに決行しました。本当は斎宮目的にするつもりでしたが、各停はなかなか来ないので、やっぱり神宮へ行きました。外宮の人ごみ具合はまぁまぁですが、内宮がどうも酷かった。列を並んでだけで何時間を過ぎで、斎宮見学は断念せざるを得なかったんです、残念。
http://picasaweb.google.co.jp/bst303e/IILwd?feat=directlink
ちなみに、先日の写真はここで
奈良
http://picasaweb.google.co.jp/bst303e/bJWMAB?feat=directlink
http://picasaweb.google.co.jp/bst303e/GgQmmG?feat=directlink
京都
http://picasaweb.google.co.jp/bst303e/aPRNMB?feat=directlink

大日本史
 藤原良門,內舍人從四位上,以醍醐帝外曾祖,追贈大政大臣正一位。【尊卑分脈。○醍醐外曾祖,據扶桑略記。】子利基、高藤。利基,仁和中,左馬頭從四位上。【三代實錄。】利基子兼輔,延長中至從三位權中納言,承平三年,薨,稱堤中納言。【尊卑分脈。】高藤,?平、昌泰間,累歷顯要,【公卿補任。】至正三位內大臣。薨年六十三,【日本紀略扶桑略記。】稱勸修寺內大臣,【公卿補任尊卑分脈。】又稱小一條。【尊卑分脈。】以醍醐帝外祖,追贈大政大臣正一位。【公卿補任尊卑分脈日本紀略。○醍醐曾祖,據扶桑略記。】子定國、定方。定國,醍醐朝累官遷中納言,敘從三位,兼右近衛大將,至大納言。延歷六年,薨,稱泉大將。定方,延長中,至右大臣從二位。承平二年,薨。贈從一位,稱三條右大臣。【公卿補任。】子朝忠、朝成。朝忠,從三位權中納言。【公卿補任尊卑分脈。】
http://miko.org/~uraki/kuon/furu/text/dainihonsi/dainihon.htm


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2009-01-02-金 音羽山音に聞きつつ逢坂の關の此方に年を經る哉

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D
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初詣石上神宮で。





大日本史
 藤原冬嗣,參議麻呂曾孫。父豐伴,豐後守。【○豐伴,尊卑分脈作豐彥,一代要記豐仲。】冬緒,承和中,為勘解由判官,除式部大丞,補藏人。【公卿補任。】十四年,授從五位下,為右少辨。嘉祥中,歷伊勢介、春宮亮。仁壽、齊衡間,進左少辨從五位上,為肥後守。【文恕y實錄。】貞觀初,入為右中辨。帝始讀孝經,冬緒與大江音人侍之。是歲,敘從四位下。尋為大宰大貳,歷彈正大弼、右大辨,兼勘解由長官美濃權守。十一年,復為太宰大貳,拜參議。十二年,上書陳四事。一曰:「凡軍旅之儲,烽燧尤切。而數十年來,國無機警。雖有其備,未知調用。今須下知管內國島,試以舉烽燧,彼此相通,以備不之虞。若不言其由,恐驚動眾心。望請下知事由,依件調練。」二曰:「比年之間,公私雜人,或陸或海,深入遠尋,營求善馬。出關之數,凡千餘匹。夫機急之備,馬尤為用。而無償ワ之徒,每歲搜取。若有罄乏,如非常何。今將施禁制,翻致謗讟。望請下知豐前、長門二國,四年之間,禁止出馬。」三曰:「諸國雜米,各隨其本色,輸納諸司諸所。而或諸司全納用盡,或諸所多致未進,公途有闕。至有期會,不得迴撥。況請庸米、雜米,惣納稅庫,自非符宣,不得輙用。」四曰:「穀倉院地子交易物,比年間令監一人勾當其事,每年交易,輕物輸進。因茲勾當之人,年初請領直稻,其後府司責其返抄。而左右巧容,不肯究進,遂使不知之吏,招放還之煩。熟尋其由,理不可然。凡一官之事,官長所行,縱有其人,何愁不濟。而更置專當,還致物煩。望請當從停止,府司一向交易奉進。」詔從之。明年,敘正四位下。【三代實錄。】尋遷民部卿。十七年,兼伊豫權守。【公卿補任。】帝讀史記,詔冬緒特侍其席。明年,敘從三位,【三代實錄。】兼播磨權守。【公卿補任。】元慶中,累表請致仕,不許。拜中納言,敘正三位。詔撿校河內、河泉兩國,遙攝其事,頒下國司,聽其處分。數年,轉大納言。上表辭之,不許。尋兼彈正尹。仁和三年,累請致仕,上表曰:「臣懸車之期一過,歸睪之望彌深。叩重闈而未通,叫層昊而無聽。臣舊無蓍耄之恕y,猥居獻宣之官。少不如人,追感燭武之語,老而彌耄,猶恥趙孟之談。故流水不迴,空起歎於川上,漏箭已盡,豈犯罪夜行。伏念,祿俸者,士之所貪求也,聖明者代之所希出也。臣以八十年之殘息,遇一千歲之惟新。方當惜此下春之景,圖彼上庠之榮。疲驂解駕,暫徘徊於層軒之前,涼燕辭巢,猶栖遲於廣廈之下。而月制初迫,氣力不隨,心識之內,邈如河山,手足之間,遠同楚越。仰北闕而隔趍拜,望東岱而催歸魂。撫躬懷辱,兢兢於素餐之惶,揣分知歸,遑遑於青蒲之請。伏冀,降油雲之澤,感匪石之祈。務帶彤影,歸步素里。收龍章之妄寵,就芰服而待終。豈比掛冠都門,疏傳遺漢朝之榮貴,竊慕擊壤野外,逸老樂堯年之餘生。」詔許之。【三代實錄。】?平二年,薨,年八十二。【公卿補任一代要記。○按本書享年前後矛盾,今據任大同三年戊子生,及要記元慶元年七十之文訂之。】子灌木,大學助。【尊卑分脈。】
http://miko.org/~uraki/kuon/furu/text/dainihonsi/dainihon.htm


中川@やたナビ中川@やたナビ 2009/01/02 04:01 あけましておめでとうございます。
正月が奈良、京都なんていいですねぇ。

MunyuMunyu 2009/01/02 14:25 あけましておめでとうございますー。
初詣が石上神宮とはうらやましいです。写真を拝見すると、結構賑わっているみたいですね。
そして東大寺に春日大社ですか! ずいぶんあちこち回られましたね。

kuonkizunakuonkizuna 2009/01/02 22:55 中川さん、Munyuさん
ありがとうございます。明けましておめでとう御座います。

明日は守屋墓行き予定になります。明後日は東京に戻り致します。
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2009-01-01-木 白浪の跡無き方に行舟も風ぞ償ワりの標なりける

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大日本史
 伴成益,右京人也。父宇治人,從五位上。成益,少入大學,及長能文章,登進士科,為左京少進。天長中,歷式部少丞、右京少進,授從五位下。承和中,歷大藏少輔、右少辨、左中辨,敘從四位下。成益為人質直,奉法不阿權貴。【文恕y實錄。】議僧善恕ァ之訴,奪官爵。【續日本後紀、文徳実録。】嘉祥中,授正五位上。【續日本後紀。】文恕y帝即位,進從四位下,出為丹波權守。境內清肅,以廉潔稱。仁壽二年,卒,年六十四。【文徳実録。】
http://miko.org/~uraki/kuon/furu/text/dainihonsi/dainihon.htm

■今年もやってるんだ
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火焼摩天楼(炎上する摩天楼)
花火の料金がこんなに無駄にと言うか...まぁ、不況の今には、花火業者は喜びでしょう。


USO9000USO9000 2009/01/01 11:10 おお、愛宕山まで行って来られましたか。しかも、ちょうど雪景色とはラッキーでしたね。
あと、“薙”の扇子のシーンまで再現したのには驚きました。

kuonkizunakuonkizuna 2009/01/01 23:01 コメント有難う御座います。
愛宕山はなかなか時間が掛かりますよ、ちなみに丁度登ったときは大祓いでした。
雪景色は綺麗ですが、手が凍りついました。USOさんも行くとき、気をつけるほうがいいと思います。
実は扇子を買いました。ゲームの中の土産店は見つかれませんが、いい雰囲気な店があって写真をとりました。意外に有智子内親王のお墓に遭いましたことは幸いです。

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