2008/03/04

藤原不比等

2008-03-04-火 秋萩の花咲きにけり高砂の尾上の鹿は今や鳴くらむ

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■時はLED
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本当はTTL信号形式で外部トリガーをボード入力するべきですが。
出来心で常閉接点を使ってTTL信号なしに遊べるようになりました。

大日本史
 藤原宇合。宇合,【○宇合或作馬養。尊卑分脈曰,歸自唐,改名宇合。宇合、馬養,音訓相通。】靈龜中,為遣唐副使,敘從五位下。養老初,還自唐,任常陸守,為安房、上總、下總按察使。累進正四位上,遷式部卿。神龜元年,陸奧海道蝦夷叛,殺大掾佐伯兒屋麻呂。宇合為持節大將軍,討平之。振旅入京師。帝遣內舍人迎犒于近江,賞功敘從三位,授勳二等。副將軍高橋安麻呂已下一千六百九十餘人,賜勳位有差。天平三年,始置參議六人,宇合為之首。仍兼式部卿,為畿内總管。尋改西海道節度使,進正三位,兼太宰帥。九年,薨。【續日本紀。】年四十四。【尊卑分脈、懷風藻。】宇合,器宇弘雅,風範凝深,博渋墳典,旁達武事,雖經營軍國,特留心文藻,為當時翰墨之宗,有集二卷傳世。以其為式部卿,世稱式家。【尊卑分脈。】
 子廣嗣、良繼、田麻呂、百川、藏下麻呂、最顯。廣嗣、良繼,自有傳。百川、藏下麻呂,事在良繼傳。田麻呂性恭謙,與物無競。天平中,坐兄廣嗣事,流隱岐,居三歳,赦還。隱蜷淵山,敦志釋典,修行不怠。寶字中,授從五位下,為南海道節度副使、左虎賁督。六年,充遣唐副使。神護、寶龜間,累歴顯要。延暦初,至右大臣正二位。薨,年六十二。【續日本紀。】世稱蜷淵大臣。【一代要記尊卑分脈。】
http://applepig.idv.tw/kuon/furu/text/dainihonsi/dainihon.htm

■これも面白い
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■奈落の城 一柳和、2度目の受難
http://applepig.idv.tw/kuon/product/game/amagousi/naraku/naraku_cm.htm
中国語版紹介ページ公開しました。

日本苗字7000傑
http://www.myj7000.jp-biz.net/

startrek学園
http://jp.youtube.com/watch?v=vo903T4dnhg
友人がいたりします。

アニメらき☆すた」柊一家  鷲宮町民に
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/saitama/news/20080229-OYT8T00869.htm
いつもながら始まってる。


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2008-03-03-月 秋萩を柵み伏せて鳴鹿の目には見えずて音の清けさ

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大日本史
 藤原房前。房前,文武朝,奉使東海道,巡察政績,申理冤枉。慶雲和銅間,累進從五位下,又抵東海東山二道,檢察關剗,巡視風俗。靈龜初,進從四位下。養老元年,參議朝政。五年,進從三位。元明帝不豫,房前與右大臣長屋王受遺詔,特詔房前曰:「凡家有沉痼,大小不安,事故卒發。汝卿房前,當為內臣,計會內外,准敕施行。輔翼帝業,永寧國家。聖武即位,進正三位,徐ョ封賜物。」【續日本紀。】神龜中,為授刀長官,兼近江、若狹按察使。【公卿補任。】天平初,為中務卿,轉民部卿,【續日本紀公卿補任。】任中衛大將。【公卿補任萬葉集尊卑分脈。○按續日本紀,神龜五年始至中衛府大將一人,而不書房前為大將。補任為天平二年。然據萬葉集天平元年大伴淡等贈房前狀,中衛大將藤原卿,元年既為中衛大將。今其年月無所考。】尋為東海東山二道節度使。九年,薨。【續日本紀。】年五十七。【公卿補任尊卑分脈。】賜大臣葬儀。其家固辭不受。贈正一位左大臣,賜食封二千戶,限二十年。寶字四年,贈太政大臣光仁帝時,敕以其功封傳子孫。子永手、真楯、清河、魚名、楓麻呂最顯。永手、清河,自有傳。真楯、魚名,事在永手傳。楓麻呂,房前第七子也。寶字中,為西海道問民苦使,奏便宜二十九事,敕太宰府,隨事處分,尋為東海道巡察使。寶龜中,至參議從三位,兼大藏卿、攝津大夫。【續日本紀。】子園人,自有傳。
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■「咲-Saki-」-長野県内編-に、、第1巻 P139の湖を追加。
http://www7a.biglobe.ne.jp/~uso9000/travel/saki1.htm#txt2
灯台下闇。

■タモリ倶楽部~懐中電灯マニアのまぶしい集い
http://rof-factory.sytes.net/weblog_o/diarypro/index.cgi?no=38

万葉集のなり立ち
http://www.aozora.gr.jp/cards/000933/files/46964_28192.html
古今の漢文序には、大同天子の代に出来たとしてゐる。此序の価値を疑ふ人もあるが、其は主として、仮名序の直訳以外に、此類の違つた記事を交へてゐることに、疑ひを挟む処から出てゐるらしい。此漢文序が疑ふべくば、仮名序も疑はなければならない。
今日研究成果によると、漢文序は仮名序の直訳ではなく、それ以前形式的立てられた物だそうです。
私も漢文序は仮名序の直訳だと思った時期がありますが...


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2008-03-02-日 秋荻に物思れをれば足引の山下と詠み鹿の鳴くらむ

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大日本史
 武智麻呂,和銅、靈龜間,累進從四位上,為近江守。奏言:「部內諸寺,多占疆區,元不造修,虛上名籍。所有田園,欲自專利。若不釐正,恐致減法。人情稍薄,釋教陵遲。非唯近江,餘國亦然。望偏令諸國,革弊還淳。」從之。養老中,累進從三位,任中納言,賜帶刀、資人四人。神龜初,進正三位,徐ョ封賜物。天平元年,轉大納言,兼太宰帥。六年進從二位,拜右大臣。九年七月,患痘瘡。帝為下詔:「大赦天下。」以救其病。遣左大辨橘諸兄、右大辨紀男人,就第授正一位,拜左大臣,即日薨。【續日本紀。】年五十八。【公卿補任尊卑分脈。】嘗創榮山寺,就葬焉。【榮山寺文書。】遣從四位下,中臣名代等,監護葬事,官給資用。【公卿補任尊卑分脈。】武智麻呂第在房前南鄰,因稱南家。房前稱北家。【尊卑分脈。】寶字中,子仲麻呂奏請:「臣父及叔,聖代之棟梁,明時之羽翼,位已極祟,官尚未稱。伏願,以臣太師之任,推恩南北兩左大臣。」敕許之,並贈太政大臣。【續日本紀。】
 武智麻呂四子,豐成、仲麻呂、巨勢麻呂、乙麻呂。【尊卑分脈。○公卿補任以巨勢麻呂為二子。本書以乙麻呂為三子。今考續日本紀,第二子仲麻呂,第四子乙麻呂。據之巨勢麻呂為第三子明矣。】豐成自有傳。仲麻呂,叛臣傅。巨勢麻呂,寶字中,至參議從三位,兼式郎卿,與兄仲麻呂謀反伏誅。乙麻呂,【○乙或作弟。】參議從三位,兼式部卿。子是公,初名障テ麻呂,體貌長大有威容,最曉時務,剖斷無滯。寶字中,敘從五位下。寶龜、天應間,累陞參議,進叔正三位,兼式部卿、中衛大將,任中納言。廷曆元年,轉大納言,尋拜右大臣,中衛大將如故。三年,進從二位。是秋,帝幸其田村第燕飲,授其子弟友從五位上。八年,是公薨,年六十三,詔贈從一位。【續日本紀。】世稱牛屋大臣。【一代要記尊卑分脈。】子真友、雄友、友人、弟友。【尊卑分脈。】真友至參議,兼大藏卿。雄友累官,大同初,至正三位大納言,【公卿補任。】伊豫親王謀不軌,雄友告變。【日本紀略。】及親王敗,雄友以其外舅,流于伊豫。弘仁元年,赦還,復本位,授宮內卿。【公卿補任。】明年,葬詔贈本官。【日本紀略公卿補任。】友人簡率,不拘禮度,坐伊豫親王事,貶下野守。【○本官無所考。】弘仁中,赦還,授從四位下,出為相模守。十三年,卒于官。【類據國史。】弟友阿波守。【尊卑分脈。】
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■『奈落の城 一柳和、2度目の受難』スタッフインタビュー
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2008-03-01-土 奧山に紅葉踏分け鳴鹿の聲聞く時ぞ秋は悲しき

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大日本史
 藤原不比等,【日本紀不比等作史,音訓相通。】內大臣鎌足第二子也。【續日本紀。○大鏡曰,天智帝賜女御於鎌足曰:「女有娠,生男當為卿子,生女則為朕子。」既而生男,是為不比等尊卑分脈曰,鎌足有所忌避,養之山科田邊史大隅家,因以史為名。然本書無所見,故不取。】授直廣肆。持統朝,為判事,進直廣貳,賜資人五十人。【日本紀。】文武帝詔曰:「」先朝所賜藤原朝臣之姓,宜令其子不比等承之。但意美麻呂等供神事,宜復舊性。尋進直廣壹,與撰律令,為中納言。大寶元年,授正三位,轉大納言。【續日本紀。】慶雲元年,進從二位,【公卿補任。】徐ョ封八百戶。【續日本紀。】明年,疾,賜度者二十人,施布四百端,米八十石於京師諸寺禱之。【公卿補任。】初鎌足維摩會於陶原家,鎌足薨後遂廢。至是,不比等禱先靈,得愈,因復之。限七日,至錐足忌日而止。其後移置於興福寺。【年中行事。○按尊卑分脈曰,不比等設會公城東第,豈即桃原家乎。今無所考。】四年,詔:「嘉其世有勤勞,追褒鎌足,此諸武內宿禰,乃賜封五千戶,傳子孫。」不比等固辭,受二千戶,以一千戶傳子孫。【○按本書天平十三年,不比等家納其封五千戶於官。朝廷依舊,賜二千戶於其家,分施三千戶於諸國國分寺,充造丈六佛像之實。與此不同,蓋不比等雖固辭,優詔以全封傳子孫歟。今無所考。】和銅元年,進正二位,拜右大臣。【續日本紀。】
 養老二年,任太政大臣,固辭不受。【尊卑分脈公卿補任。】監修律令。四年,加授刀資人三十人。八月,疾篤,賜度者三十人,詔曰:「右大臣疹疾漸留,寢膳不安。朕視疲困,惻隱於心。思其平復,計無所出。宜大赦天下,以救所患。今日午時以前,大辟已下,罪無輕重,常赦所不免,咸悉赦除。其廢疾之徒,不能自存者,量加賑恤。所在長官,親自慰問,量給湯藥‧勤從?優。」又令都下四十八寺,讀藥師經,免官戶一十人為良,奴婢一十人為官戶。不數日,薨。【續日本紀。】年六十二。【公卿補任尊卑分脈。】遺言:「火葬于佐保山椎岡。」【公卿補任。】帝深悼惜焉,為之廢朝,舉哀內寢。遣大納言長屋王、中納言大伴旅人,就第宣詔,贈大政大臣正一位,【續日本紀公卿補任。】諡文忠。賜封戶、資人一如存日。【公卿補任尊卑分脈。】先是,藤原氏未置氏長者,至不比等,始命為之。【尊卑分脈。】天平中,獻渤海貢物於六陵,井祭不比等墓。寶字初,敕天下不得得稱鎌足不比等名。四年,敕曰:「子以祖尊,祖以子貴,此則不易之彝式,聖王之善行也。先朝太政大臣藤原朝臣者,非唯功高於天下,又為皇家之外戚,是以先朝贈正一位太政大臣此。此雖據我令已極官位,而準周禮猶有不足。竊思勳績蓋於宇宙,朝賞未允人望。宜依齊太公故事,追封近江國十二郡,為淡燄海公。繼室從一位縣狗養橘宿禰,賜正一位,為太夫人。」【續日本紀。】不比等四子,武智麻呂、房前、宇合、麻呂。女宮子媛、文武夫人、光明子聖武皇后。【尊卑分脈。】
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久遠の恋物語
http://loveless.mine.nu/festival/kuon/

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