2007-11-04-日 夏夜の臥すかとすれば郭公鳴く一聲に明くる篠目
■[趣味雑談]滅びの敍事詩 編集
■入手■大日本史
【後嵯峨天皇】
後嵯峨藤原中宮,諱姞子。太政大臣實氏長女也。【一代要記、歴代皇紀、女院小傳。○百錬抄作嬉子,誤。】仁治三年四月,敘從三位。【女院小傳、百錬抄。】六月,入宮為女御,時年十八。【増鏡、五代帝王物語、女院小傳。○平戶記為十九,誤。】風姿温雅,有殊寵。【増鏡。】八月,立為中宮。【一代要記、歴代皇紀、女院小傳。】生後深草帝、【百錬抄、増鏡、一代要記、歷代皇紀、帝王編年記、皇胤紹運録。】恒尊親王、【尊卑分脈。】龜山帝、【百錬抄、一代要記、皇胤紹運録。】雅尊親王、貞良親王、月華門院。【皇胤紹運録、女院小傳、後宮略傳。】寶治二年六月,上號約大宮院。【公卿補任、歴代皇紀、貴女抄、紹運要略。】帝崩後,薙髮為尼,【増鏡、女院小傳。】法名遍智覺。【女院小傳。】移居參議藤原實俊京極第。尋移禪林寺殿。【増鏡。】正應五年九月,崩,年六十八。【歴代皇紀、帝王編年記、女院小傳。】后貴寵兼渥,帝傳位後,相共供佛寫經,【増鏡、五代帝王物語。】毎出遊必同車。母儀二帝,保全隆盈,豫樂從心,終始無憂。嘗置酒龜山殿,酒闌,后把杯謂龜山帝曰:「諺曰:『天子無父母。』然無妾侍先帝,則上豈踐十善之位哉。何無一曲以報?」龜山帝歌為壽。初後嵯峨帝臨崩,密遣命后,以欲傳位於龜山帝子孫之意。朝廷舊藏坂上田村麻呂之劍,傳為鎮國之保。至是又屬后,竊授之龜山帝。後深草帝由是不能無憾於后云。【増鏡。】
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■藤原朝成
http://homepage3.nifty.com/miztam/konzyaku/konzyaku_28_23_trans.html
朝成,體貌醜肥,飲啖兼人,常憂舉止不便,招醫請療。醫曰:「莫如結食啖淡。時方暑月,宜食水飯。」朝成從之,使醫視其所食。乃連水飯七八盂及啖魚鮓十數枚。醫駭曰:「如此則水飯亦不可療。乃逃去。」【今昔物語、古今著聞集。】
2007-11-03-土 宿りせし花橘も枯れ無くに何ど郭公聲絕えぬらむ
■[趣味雑談]伝説を 編集
■大日本史【四條天皇】
四條女御藤原彥子,攝政教實女也。【歴代皇紀、女院小傳。】仁治二年,敘從三位。【百錬鈔、女院小傳。】為女御,年九歳。【徐ョ鏡。○百錬抄為年十四,女院小傳十五。】三年,準三宮。【歴代皇紀、女院小傳。】?元元年,進號宣仁門院。【百錬抄、歴代皇紀、女院小傳。】四年,為尼。【女院小傳、紹運要略。】法名清淨阿。【女院小傳。】弘長二年正月,薨,【歴代皇紀、女院小傳。】年三十。【○據徐ョ鏡仁治二年九歳文。○歴代皇紀為二十,女院小傳三十六。】
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■All the trailers of Mobile Suit Gundam: Char's Counterattack
■真・女立喰師列伝 公式解説書
■風雨来記のメールを電子化(ネタバレ注意)
写真の女性について
増田なつき
10日目(水)
前略 突然のメールを失礼いたします。
実は私はこのウェッブサイトを今まで全然知らなくて、
ある知人に教えてもらって拝見しました。
そして、ある記事を見て大変驚きました。
こういった業界がどこまで本当のことを
読者に発表するものなのかは知りませんが、
それにしても現地レボートを題材にしている
読み物でこんな虚偽記事がまかり通っているとは信じられません。
いくら読み物として面白おかしければいいとしても、
ここまで悪質なのは許せないとおもいます。
今後、このような虚偽記事を載せることがないよう、
この記事を書いた担当記者の方と、
貴社編集部の猛省をう要望します。草々。
2007-11-02-金 夜や暗き道や惑へる時鳥我宿をしも過ぎがてに鳴く
■[趣味雑談]十一月 編集
■大日本史【後堀河天皇】
典侍藤原氏,權大納言兼良女也。稱大納言局。【明月記、寛喜三年、尊卑分脈。】生序寰q内親王。【明月記、皇胤紹運録。】
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■REIDEEN 席順
http://blogs.yahoo.co.jp/reideen_anime/archive/2007/10/24
■おたくの娘さん第三集
[rakuten:book:12431737:detail]
■諏訪原市の教会から近況報告です『Dies irae Also sprach Zarathustra』
http://www.light.gr.jp/light/diary/img/index.html
■注文予定
■おたくの娘さん 第三集
すたひろ 出版社:富士見書房 552円 ISBN-13:978-4047125186
■動物化するポストモダン―オタクから見た日本社会
東浩紀 出版社:講談社 735 円 ISBN: 9784061495753
■ゲーム的リアリズムの誕生~動物化するポストモダン2
東浩紀 出版社:講談社 840円 ISBN:9784061498839
■「三島由紀夫」とはなにものだったのか
橋本治 出版社: 新潮社 ¥ 660 ISBN-13: 978-4101054148
■写真集 三島由紀夫 ’25~’70
三島瑤子 藤田三男 出版社: 新潮社 ¥ 460 ISBN-13: 978-4101050911
■文化防衛論
三島由紀夫 出版社: 筑摩書房 価格: ¥ 819 ISBN-13: 978-4480422835
■近代能楽集
三島由紀夫 出版社: 新潮社 ¥ 460 ISBN-13:978-4101050140
■ サド侯爵夫人 朱雀家の滅亡
三島 由紀夫 出版社: 河出書房新社 ¥ 756 ISBN-13: 978-4309407722
■三島由紀夫の二・二六事件
松本健一 出版社: 文藝春秋 ¥ 746 ISBN-13: 978-4166604753
■浜松中納言物語
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■『ブレードランナー』イヴェントに押井守が参加
http://www.kyo-kan.net/archives/2007/11/post_653.html
BD、買おうか...2001年宇宙の旅も結構魅力的......
2007-11-01-木 五月雨に物思ひをれば時鳥夜深く鳴きて何途行くらむ
■[趣味雑談]補給物資到着 編集
■大日本史
【後堀河天皇】
典侍藤原氏,權中納言家行女也。【一代要記、歴代皇紀、女院小傳。】稱別當典侍。【一代要記。】生室町院、神仙門院。【女院小傳。○皇胤紹運録為藻壁門院所生。】
http://applepig.idv.tw/kuon/furu/text/dainihonsi/dainihon.htm
■読了
[rakuten:book:10986484:detail]
悪く言うと、歴史専門の人にしてはドンでもない説まで後一歩って感じが否めませんね...別の視点によって、日本書紀及び通説を反論するのは作者の意気地なのですが、他説を「考えが足りない、破綻がある。」を言い切る割りに、自説も十分とはいえないのもアレですね。何故かというと、ある処を「ここは改竄されて史実とは異なる」と言いつつも、同じところで「この記述から観ると、本当は...」という、都合のいい所だけ肯定していて、実証史学でありながら、「主観的実証史学」になり下ったのだと思います。つまり、「日本書紀がきっと何かかを改竄している」という考えに囚られ、「主観的実証史学」というか「否定史観」になってしまったのではないかと思います。前提を持って考証を行い故、客観性が欠けれてます。
例えば、『日本書紀』の「乙巳の変」について、「日本書紀が書かれていることは、杜撰であり、史実とは程遠い。」と言って、「古人大兄が『韓人が鞍作臣を殺した!』といったのは、多分そのままの事実であろう。補注にある『韓人と言うのは、韓政により殺された』がどうみても誤導的な解釈である。」も言った。確かに、「韓政により殺された」という補注が怪しいと思います。韓政のせいよりも、そのまま蘇我入鹿を殺したのは韓人だと言ったのではないかと思います。(私見では、暗殺者が三韓貢調を奉上する者に偽して入鹿を暗殺したからなのではないかと思います。)でも、本当に作者が言った如く「蘇我氏は逆上ではなく、崇峻天皇が大君として相応しくない上に、讓位システムも未成立のため、殺されるべきだった。領導階層の合意によって行ったのである。」とは考え難いのです。なにより、『日本書紀』はそこまで改竄を行ったら、古人大兄の話を正直的記録しなくてもいいのではないか。どう観ても編纂者にとって都合が悪すぎます。それに、大友皇子の正統性を抹消する為に、近代の歴史はそれなりの公正性がなければ、みんなどんでもない歴史に思われ、天武正統説を台なしにするしか...あと、物部守屋を「用明天皇を暗殺(未遂)したから、群臣に討伐された」説も...アレですね...こういう場合、穴穂部が無事な訳ないでしょう...正直、読みながらフラストレーションが 溜まります。
但し、作者は自身が学者出身だけあって、色々面白い考え方と検証をも行ったのですから、観て得るところも幾つあります。そういえば、『臣、罪を知らず』の作者もこの人でした。確かにMunyuさんのとこで紹介を見た気が...でも何故か見つかれませんでした。(追申、今年十月をもって、また新書出てますし。持論はその延長線にありに見えます。)
■嘘つきみーくんと壊れたまーちゃん―幸せの背景は不幸
『蘇我氏四代』は買うほどの価値はないと思いますが…
kuonkizuna 2007/11/01 09:46 どころで、T山先生は一体どこで博士号を取ったのでしょうが...確かに学習院では博士課程を未修了のまま中退したという。(博士課程修了だといっても、博士号を取れるとは言い切れませんが..)他の就学記録は見つかりませんね...
>1987年 学習院大学大学院人文科学研究科博士後期課程中退。
>博士(史学)。学習院大学非常勤講師。
こういう著者紹介に違和感を感じたのは私だけ...?
うちの大学では、博士号を取り損ねたら、例外でなければ助教授になれなく講師のままなんですよ。今は講師制度を中止、最初は助理教授からといって、博士号を持たぬ者は最初からアウトという事に成ります。ちなみに、助理教授は一定期限内助教授に成り損ねたら、自主退職(実質的退職され。)しか...講師制時代より厳しかった...
中川@やたナビ 2007/11/05 01:00 経歴から見ると、たぶん学習院で論文博士をとったんでしょう。
「博士後期課程中退」は日本では、普通の経歴ですよ。
15年ぐらい前までは、博士課程を満期退学(経歴は中退になる)して、後で論文博士を取るのが一般的だったんです。
文系の博士号というのは、教授になってから取るもので、大学院に博士課程はあっても、博士号を出しませんでした。
ですから、かなり有名な先生でも学位なしという人が結構います。
ちょうど僕が博士課程を退学したころから、世界基準に合わせろという文部科学省のお達しがあって、出すようになりましたが、それでも、修了と同時にとることはほとんどなく、僕も退学してから三年後、復学して取りました。
中川@やたナビ 2007/11/05 01:04 博士(史学)になっていますから、たぶん取ったのは僕と同じころですね。
それ以前だと、史学博士(文学博士だったかも・・・)となります。
ちなみに、文系では論文博士の方が課程博士よりも格上になります。
kuonkizuna 2007/11/05 01:26 中川さん:
ご説明有難う御座います。
台湾では博士課程を修了しても、論文面をクリアしないと博士号を出しませんですね。休学があるものの、退学だったらアウトになったそうです。どころで、文学ではあまり博士号を出しませんと聞いた事があります、やっぱり文系も理系もどちらも博士はそう簡単になれるわけないでしょうね。
中川@やたナビ 2007/11/05 20:54 >論文面をクリアしないと博士号を出しませんですね。
それは同じです。課程博士でも最後は論文を出さなければなりません。でも、かつては論文だしても通らなかった(だから誰も出さなかった)んです。
>文学ではあまり博士号を出しませんと聞いた事が
そうなんです。
戦前は、論文出しても審査に10年ぐらいかかって、出る前に本人が死んじゃうなんてことが結構あったみたいです。
戦後はそこまでじゃないですが、それでも著書が数冊はないと出ませんでした。
ですから、僕が大学に入ったころは、学位持ちの先生は、学内に数人って感じでしたね。先日亡くなられた半田先生も、博士号を取られたのはわりと最近です。
kuonkizuna 2007/11/06 14:40 中川さん:
色々勉強になりました。どころで、理系では博士号を出るか出ないかその論文をSCIインパクトファクターにより審定されるのですが、文系も行っているでしょうかな。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AD%A6%E4%BD%8D#.E5.8D.9A.E5.A3.AB.E3.81.AE.E5.AD.A6.E4.BD.8D
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%91%E3%82%AF%E3%83%88%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%AF%E3%82%BF%E3%83%BC
中川@やたナビ 2007/11/09 02:54 インパクトファクターのような客観的な評価はありません。
なにしろ論文に引用されるのに、10年かかるのがざらにある世界ですから、引用の数で評価をきめるのは難しいのかも。
国文学では、掲載誌によるポイントの高い低いはあるのですが、それも厳密にきめられたものでもないようで、僕もよくわかりません。
博士論文自体はそれまで全然論文を発表していなくても書けます。しかし、4百字詰め原稿用紙で500枚はかかないと通らないので、実際には何もない所から書くのはちょっとムリでしょう。
kuonkizuna 2007/11/09 22:45 インパクトファクターも、論文自身のインパクトファクターとりも、その掲載誌の平均インパクトファクターが審訂標準になるらしい。勿論、掲載誌のインパクトファクターが高かれば高く程採用され難いんです。
情けないことですが、「インパクトファクターは個人業績ではない」と言いずつも、実際に個人業績に観なされます。