2006/05/12

蘇我稻目宿禰

2006-05-12-金 五月闇鵜川にともす篝火の數増すものは螢なりけり

[]いよいよ いよいよを含むブックマーク いよいよのブックマークコメント 編集CommentsAdd Star

金曜日エアコンは直れるのか直れないのか...


菅家文草
http://applepig.idv.tw/kuon/furu/text/waka/kanke/bunsou/bunsou.htm
252 首夏聞鶯
    行藏萬物不蹉跎 四月鶯聲聽甚訛 梁燕雛成爭有舌 窗梅子結覺無窠
    似移愛妾人前哭 同失時臣意外歌 鳥若逢春應滑語 臣愚妾老欲如何
菅原道真菅家文草』巻第三0252

大日本史
http://applepig.idv.tw/kuon/furu/text/dainihonsi/dainihon.htm
  • 僧登照。以善相聞,察人動止。聽語音,知其貧富壽夭。或至聞笛聲,知其生死。居京師一條。來乞相者相踵。【今昔物語。】嘗訪天台座主院源。院源問曰:「弟子良因何時補阿闇梨?」登照曰:「決無其事。」院源笑曰:「君言難信。彼才識絕倫,必極僧位矣。」登照出語人曰:「良因無年,何得補阿闇梨?」後果如其言。一日,至藤原道長家。道長臥與之語,會子賴通來謁。登照密謂道長曰:「郎君既躋槐位,今有加尊之相。」道長驚起曰:「我方欲以攝籙相與耳。」【古事談。】嘗相賴通及弟教通曰:「二公壽至八十,共為三世丞相。」又言藤原伊周有貶謫之相,後皆如其言。【平家物語源平盛衰記。】東大寺學徒藏滿赴京師,道逢登照。藏滿喜曰:「我幸值公,請為道終身吉凶。」登照曰:「汝雖精學出身,命數不過四十。若棄本業,發菩提心,勤精修,或得延年壽。其他非我所知。」藏滿從其言,後竟以壽終。【今昔物語、元亨釋書。】登照嘗過朱雀門,時有男女數人,憩于門下,登照視之。見其悉有暴死相,意謂:「若有狂者揮劍,遭害者不過二、三人,不應悉皆暴死。想此門傾倒壓死。」乃告諸人使避。俄頃門倒,不避者二、三人皆壓死。【今昔物語。】丹波守貞嗣詣北山。登照謂曰:「君氣色甚惡,恐為鬼神所侵。當速歸家。」貞嗣曰:「心氣無異。」俄而貞嗣氣絕,蘇而還家,後三日死。【續古事談。】有伴簾平者,與登照同時,亦善相聞于世。【古事談、續古事談。】
方技列伝は半分陰陽師であったが、登照以下は別の者となります。

■やれやれ
http://mirurann.cocolog-nifty.com/blog/2006/04/post_c2f1.html
まともな日本語ページが無くてどうもすみません。
そういえば霊能真柱のページも日本語でした。(汗)
http://applepig.idv.tw/kuon/furu/text/atutane/mihasira/mihasira.htm

Knight Rider映画化
http://edition.cnn.com/2006/SHOWBIZ/Movies/05/09/film.knightrider.reut/index.html?section=edition
アメリカドラマが面白かったと思う頃の作品であります。


ミルミル 2006/05/12 15:30 こんにちわ。久遠の絆ファンサイトIN台湾の事を少しだけブログに書いただけなのに、まさか管理人さんに反応をいただけるとはおもっていませんでした。ありがとうございます。これからも見せてもらいますね。
kuonkizunakuonkizuna 2006/05/13 00:40 どうも、コメントありがとうございます。実は逆アクセスで「久遠の絆 台湾」というサーチページで貴日記を拝見させていただきましたのです。では、これからも宜しくお願い致します。
トラックバック - http://d.hatena.ne.jp/kuonkizuna/20060512

2006-05-11-木 泣く聲も聞えぬ物哀しきは忍びに燃ゆる螢なりけり

[]やっぱり暑い やっぱり暑いを含むブックマーク やっぱり暑いのブックマークコメント 編集CommentsAdd Star

運がよければ、エアコンは明後日が直すかも。

菅家文草
http://applepig.idv.tw/kuon/furu/text/waka/kanke/bunsou/bunsou.htm
251 四年三月廿六日作 到任之三年也。
    我情多少與誰談 況換風雲感不堪 計四年春殘日四 逢三月盡客居三
    生衣欲待家人著 宿釀當招邑老酣 好去鶯花今已後 冷心一向勸農蠶
菅原道真菅家文草』巻第三0251

大日本史
http://applepig.idv.tw/kuon/furu/text/dainihonsi/dainihon.htm
  • 蘇我稻目宿禰,石川宿禰玄孫也。【姓氏錄。】祖韓子,父高麗。【公卿補任。】稻目,宣化帝元年,為大臣。欽明帝時,百濟王明獻金銅釋迦佛像,帝欲禮之,歷問群臣。稻目曰:「西蕃諸國皆禮之,我國何獨不然?」於是帝使稻目拜之。稻目大喜跪受,而安置小墾田家,勤修為事,遂捨向原家為寺,號向原寺,是為佛祠之始。百濟王明為新羅所殺,其子餘昌使弟惠奏之。帝聞而傷焉。使許勢臣問之曰:「汝欲留此土乎?」惠答曰:「願多賜兵革,報先考之仇。」稻目復問曰:「聖王識達天地,名溢四表,一旦罹禍,其咎何由?今何策以鎮國家?」惠曰:「臣性愚蒙,不知大計。況禍福所倚,國家存亡乎。」稻目曰:「往昔大泊瀨天皇時,汝國為高麗所逼,危甚於累卵。天皇使汝國祭祀我建邦之神,由是社稜安寧。頃聞汝國怠而不祀,方今悛悔前過,豐潔祭祀,則國可以安矣。汝謹勿忘。」二十三年,大伴狹手彥還自高麗,以其所獲美女及甲、刀、鐘、幡若干遺稻目,稻目納其二女為妻,居輕曲殿。三十一年,薨。【日本紀。】子,馬子、境部摩理勢。【姓氏錄。稻目子有男小祚臣,附以備考。】馬子,逆臣傳。
  • 蘇我境部摩理勢。境部摩理勢,推古帝崩無嗣,時摩理勢姪蝦夷為大臣,竊與摩理勢議所立。摩理勢嘗與豐聰耳太子相善,建言當立山背大兄王。蝦夷欲以遺詔立田村皇子,再使阿倍摩呂、中臣彌氣問摩理勢。摩理勢曰:「嚮者面與大臣議決,何更使人傳言邪?」怒甚。是時,宗族咸廬于馬子冢上,摩理勢乃毀其廬,歸家不出。蝦夷不懌,遣身狹勝牛、錦織赤豬謂曰:「眾非汝是,我必違眾從汝。眾是汝非,我當背汝從眾。我前知汝言不是,而干支之義,不忍加害。汝執迷不回,我與汝生隙,國家亦亂。然則後世將言:『我二人敗國。』是遺惡名於千載也,勿獨自異。」摩理勢不從,遂奔斑鳩,居于泊瀨王家。蝦夷大怒,令群卿請大兄王曰:「頃者摩理勢違臣,匿於泊瀨王宮。願得之,推問其所由。」大兄王乃諭摩理勢,以從群議。摩理勢哭泣還家,居之十餘日。泊瀨王薨,摩理勢歎曰:「我生復誰恃矣?」蝦夷遣兵擊之,摩理勢聞兵至,率仲子阿椰,出踞胡幢牀,開門而待。來目物部伊區比縊殺之,瘞其屍於一處。長子,毛津,逃匿尼寺,輒與其尼姦。一尼妒而發之。兵來圍寺,毛津入畝傍山,自剄而死。【日本紀。】

■え?
http://schooldays.0verflow.com/html/sd_diary/sd_diary_index05.html#060510
台北県って、台湾台北?随分ありえるだからあえて情けない。

0 件のコメント:

コメントを投稿